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菫の花と悠久の雫

第五幕


ガク「お待たせしました。EternielEエタニエールです。アルコール度数が高く、酸味の強い白ワインです。こちらのチーズやドライフルーツと一緒に、ゆっくりお召し上がりください」

ミク「ありがとうございます…」

ガク「…今まで、すみませんでした」

ミク「…信じられないです…。ガクさんが、私、の。おじいちゃん…」

ガク「…その通りです。私は…貴女の祖母と出会い、貴女の母親を設けました。そして、貴女が産まれた頃に…私は、一人の。いえ、もう何度目かも忘れた【とある者の人生】を終わらせました」

ミク「じゃあ…どうしてずっと変わらないままいられたんですか?私が産まれた時にはお祖母ちゃんはもう、60を超えていて…!それに、どうして…ずっと、一緒にいてくれなかったんですか…」

ガク「…お伝えします。私がこの世に生を受けた時から、今日までのこと。私の心中も、全て…」



ガク「…私が…私、という存在が産まれたのは、もう700年ほど前になります」

ミク「700年…?!」

ガク「…無理もありません。普通の人なら信じられないでしょう。700年前なんて、おとぎ話の世界ですから…ミクさんが知っている150年は、本当につい最近の人生なのです」

ミク「…」

ガク「産まれてから17年ほど経った頃。私は、当時住んでいた村を襲撃した魔女に攫われました。その日はいつものように畑に出て、仕事をしていた時で。運悪く、村を襲撃して逃げようとする魔女に出くわしてしまったんです。」



ガク「その時の魔女は永遠の命を得る研究をしていました…その実験の一環として、私に呪いをかけました。それが悠久の時を生きる私、というこの世の理から外れた存在を作り出したのです」

ミク「悠久の、時を…」

ガク「正確に言えば、身体にある細胞の成長を極端に遅くすることで、寿命という概念を失う。といったものです。ですが、仮にそれがただ何かを止めるだけの【呪い】ではなく、再生機能を持ち、何度も繰り返し使える【魔法】になれば永遠の命という魔女の野望も叶えることが出来ていました…結局、呪いの解き方を聞き出す前に何も知らなかった村人に魔女は殺され、遺されたのは悠久の呪いを抱えて生きるという運命を与えられた私だけでした」



ガク「ただ、身体の成長が遅くなっただけだ。いつか私は元に戻れる。やがて周りと同じように人生を終えられる…。そんな希望は10歳下だった妹を看取ったときに砕け散りました」

ミク「妹さんを…」

ガク「呪いを受けてからしばらくして、私は村を出ていました。時が経っても老いることのない私を気味悪く思う人が増えて…妹を守るために一人で過ごしていたんです。時々、手紙で近況を聞きながら…。たとえ会うことは出来なくても、それだけで家族だと、同じ人だと、感じられたからかもしれません…。そしてある時、風の噂で妹が亡くなったと聞いたんです。墓標には…彼女が100年生きていたことが記されていました」

ミク「じゃあ、その時点で100年以上生きていたことに…?」

ガク「えぇ。当時は80年生きられれば長寿とされた時代…。あまりにも普通から離れすぎたせいで、時の流れさえも正しく感じられなかったのでしょう。鏡に写る私は、あの頃と変わらない…無垢な、ただ【最も幸せな普通を享受していた青年】のままでしたから」

ミク「そんなこと…!」

ガク「本当です。心はどんどん月日と記憶を刻んでいくのに、呪いはそれを表すことも、【普通の人間】として生きることも、許さなかったのです。ですから、その時に誓ったんです。もう二度と、誰にも助けを求めず、誰のことも想わない。誰も愛さない。と…」

ミク「…」



ガク「それから私は、独りで様々な人物を創り上げ、演じてきました。容姿がなかなか変わらないので住む町や国、名前を変えて…。以前ビュルレ座で私が外国の劇団で役者をしていた、というお話をしましたよね?あれも、私が演じた人生のうちの1つです」

ミク「だからあんなにたくさんの役を、舞台で演じ分けられたんですね」

ガク「そうですね。ありがたいことに、周りからはそう見えていたようです。私にとっては、独りで生きていくために必要だったスキル、でしたから…。村人、医者、執事、僧、学生、葬儀屋、工場長、役者、大学教授、そして劇作家…。紡いだ人生が15を超え、実に600年という時が経った頃、私の運命を変える出会いがありました。それが」

ミク「私の…おばあちゃん、ですか?」

ガク「その通りです。当時の私は、【劇作家ビュルレ】としての人生を終え、新しい場所を探そうとしていた時…都会の喧騒から離れた、このエレインで出会ったのです…。100年経った今でも、彼女との出会いは鮮明に覚えています」



ミク祖母(声のみ)「ねぇ。そんなに悲しそうな目で何を探しているの?私も、一緒に探したいわ!」

ガク「何を探しているのかと声をかけられまして…。私はただエレインに広がる空と葡萄畑を眺めていただけだったのに…。あの時から、本当に破天荒で、真っすぐで…」

ミク「…生前のおばあちゃんも、そんな人でした。身体が思うように動かなくなってからも、ずっと…おばあちゃんの言葉は素直で、とても、暖かった…」

ガク「そうですね…。出会いは滑稽な笑い話になってしまいましたが、彼女は私の所へ何度も会いに来てくれました。遠いザクリー村から、1人で…。今まで、人とは距離を取り、相手も私に踏み込んでくるようなことはしなかったのに。彼女だけが優しく、でも純粋に【私】という存在と向き合ってくれました」



ミク祖母(声のみ)「自分の手でワインを?!すごい…とっても凄いわ!私なんて女だし、知恵も才能もないでしょう?だから夢を見るなんてこと、気付いたら忘れてしまっていて、生きることに必死で…あなたが、羨ましいわ。自分の力で、どんな人生だって描けてしまうんだもの」

ガク「…出会い、話をする度、彼女に惹かれていくのは自分でもよくわかっていました。一方で、もしも私が再び【普通の幸せ】を望めば…自分を、周りを、呪いに縛り付けることも重々承知していました。…していた、はずだったのに…その言葉を聞いた瞬間、今まで太陽のように見えていた彼女が、急に小さく感じたのです。そして、思いました。私が、守りたいと…。」



ガク「やがて私は、【劇作家ビュルレ】としての人生にけりをつけ、彼女の故郷…そしてビュルレの故郷、ということにしていたザクリー村で穏やかに暮らしていました」

ミク「故郷ということに…していた…?」

ガク「仮に、私が演じてきた人生のどこかが重なっていたら。それだけで、同一人物と疑われるリスクは跳ね上がります。そのため、自分の気に入った場所を【その人生における故郷】としていたのです。ビュルレの場合、それはザクリー村でした。あまりにも素敵な村だったゆえに、森の奥に居を構えてしまい、最期には証拠を残さないために全て灰にしてしまいましたが…」

ミク「嘘…じゃあ、ザクリー村の森の奥にあった空き地って…!」

ガク「えぇ。かつて本当に、ビュルレはそこに生き、物語を紡いでいたんですよ。ただ、ビュルレという人は、あまりにも目立ちすぎてしまったがために遺品や作品をビュルレ座に数多く遺してしまいました。しかし、肖像画などの証拠が遺ってしまった以上、全く新しい場所へ行くことも安全ではない…。そこで【館の火事によりビュルレが最期を迎えたと信じられているザクリー村】へ戻り、彼女と共に生きることを選んだのです。」

ミク「人の考えていることを予測し、欺く…」

ガク「…まさか、舞台で培った洞察力が現実でも活かされるとは思いもよりませんでした。それだけじゃない。私が、どれだけ人の温もりや愛を望んでいたかも…。彼女と、娘との生活は最も幸福な時期でした。」

ミク「…私には、お父さんやお母さんと過ごした記憶も…貴方と、過ごした記憶もありません。でも、おばあちゃんだけが語ってくれたんです。貴女の両親は、祖父は、皆貴女と出会えて幸せだったのよって…その言葉を、信じてやみませんでした。でも…でも、私が産まれたせいで、おばあちゃんと離れないといけなかったんですよね…?」

ガク「いえ、決してそんなことはありません。それだけは…この悠久の命を賭けても、違うと言えます。」

ミク「悠久の命を賭けてって…ふふっ」

ガク「心の底から違うと言うには、私にはこの表現が精一杯で…」

ミク「ううん。伝わりました…ありがとうございます。」

ガク「いえ…。それに、ミクさんと出会えていてもそうでなくても、彼女と出会った時点で私の運命は決まっていたんです。彼女が、娘が。成長し、やがてその人生を終えていく…。ようやく手にした愛を、何百年ぶりに思い出してしまった温もりを与えてくれた人との、永遠の別れが…私にとっては耐え難い苦痛でした。ですから、貴女が産まれてから2日後…。私は、謝罪の手紙を彼女の枕元に残して【死んだ人間】として、ザクリー村を離れました」



ガク「その後は特にどこかへ行くわけでもなく、心に穴が空いたように時を過ごしていました。ただ彼女との想い出を紡ぐかのように、葡萄を育てながら…。ですが、貴女の祖母が亡くなる直前。彼女から手紙が届いたんです」

ミク「…え?!おばあちゃんは、居場所を知っていたんですか…?!」

ガク「恐らく、熱心に葡萄農場の勉強をする若い青年がいる、などと遠い噂で聞いていたのでしょう。実際、その手紙を受け取り再会した時に」



ミク祖母(声のみ)「貴方ならあそこにいると信じていたけれど、届いて良かったわ。」



ガク「と、言われたので…」

ミク「おばあちゃん…」

ガク「とにかく…彼女のまっすぐでどこまでも人を想う強さと優しさのおかげで、私はもう一度生きた彼女と再会出来ました。…しかし、喜んだのもつかの間。聞かされたのは私達の最愛の娘が死んだこと、彼女の余命、そしてビュルレ座の女優になるという夢を抱き、前を向いている貴女が、間もなく天涯孤独になる、という驚愕の事実でした…」

ミク「…」

ガク「私が貴女や、娘や彼女の前から姿を消した理由はただ一つ。【私の呪いに巻き込まないため】でした。私を忘れ、好きに生きて欲しいと…。ですがその想いが貴女の孤独という【最も望まない場面シナリオ】を創り上げてしまったのです。もしも私が貴女の元へ戻ったとしても、当時の見た目は今と殆ど変わらない。矛盾だらけの自分でしたから、気付いた時にはもう、どうすることも出来なかったんです」

ミク「私も…おばあちゃんと過ごしていた時からずっと、おじいちゃんは病気で亡くなったって聞かされていました。だからずっと、おばあちゃんが亡くなった時に、私は本当にひとりぼっちに、なったんだって…」

ガク「…返す言葉が、見つかりません。その状況を創り上げた罪人なのですから、私は」

ミク「そんな、こと…!」

ガク「…今だから、ない。と言えるのだと思います。再会し、自分が孤独ではなかったと知り、全てを聞いた貴女だから…。」

ミク「…はい…。」

ガク「…少し、話が逸れてしまいましたね。彼女から状況を聞いた時、私も、彼女も。貴女の所へ戻ることには賛成しませんでした。理由はやはり、私の見た目…。そして彼女自身も、私の置手紙でもう戻らないことを悟り、貴女に亡くなった、と伝えていたのです。彼女は既に、私がこの世の理から外れた人間だということに気付いていたから…」

ミク「やっぱり、おばあちゃんは分かっていたんですね。貴方のことも…」

ガク「勿論、彼女もあくまで予想程度の推測でしたので、私から真実をお伝えしました。全て…」

ミク祖母(声のみ)「…やっぱり、そうだったのね…。じゃあ、私は…貴方に、辛い想いをさせちゃったかしら…?」

青年ガク(声のみ)「そんなことはない!!私は…少なからず、君と生きた日々は…あの人生は、幸せ…だったんだ…!生きていて良かったと、思えたんだ…!!」

ミク祖母(声のみ)「…やっと見れたわ。貴方が涙を流して、本心を語ってくれるところ」

青年ガク(声のみ)「…!」

ミク祖母(声のみ)「ねえ。お願いがあるの。私からの…命を賭けた、お願い。聞いてくれるかしら?」

ガク「…そう言って彼女は、今貴女が持っているその手帳を渡してきたんです」

ミク「これを…?」

ガク「はい。そして彼女は私に【正体を明かさないままミクさんを見守り続けること】。そして【ミクさんが一人前の女優になったら手帳を返すこと】。この2つを頼みました。手帳の中身を見ることは許されなかったので、今この場で初めて知ったのですが…。私は、彼女の願いを聞き入れ、600年という人生をかけて、必ず守ると誓いました。彼女は最後に笑って」

ミク祖母(声のみ)「貴方という人に出会えてよかった。時を超えてきてくれてありがとう…愛しているわ」

ガク「そう、言って、私の前から消え…。数か月後に、亡くなりました。…人生であれほど泣いた日は、ありません」



ガク「人を愛するということは、誰かの幸せを願うということは、そして永遠に別れるということは…こんなにも辛く、心を抉られるものなのだと、改めて突きつけられました。だからこそ、私が…いいえ、皆が愛していた貴女を守ると決めたのです。ビュルレ座の女優になることが夢だ、ということは聞いていましたから時々ザクリー村やウエストエンドで貴女を見守りながら、私に出来ることを、【劇作家ビュルレ】としてやるべきことを積み重ね…。オーディションで貴女に出会い、今に至るのです」



ミク「ずっと…ひとりぼっちだと思っていました…。でも、そうじゃ…なかったんですね…私は…」

ガク「…えぇ。貴女を本当の独りにはしませんよ。絶対に」

ミク「…あれ?でもじゃあ、どうしてあの時、私を残してビュルレ座を辞めたんですか?もしも、私を見守ることがおばあちゃんとの約束ならわざわざ離れる必要はなかったんじゃ…?」

ガク「…そこに、もう1つ貴女へお伝えするべき、真実が隠されているのです」

ミク「真実…ですか?」



ガク「…10年前。ビュルレ座の命運をかけたCrazy∞nighT初日の夜…。あの時、何があったか、覚えていますか?」

ミク「…勿論。その日は、舞台の上で手紙を拾って口論になったんですよね…。必ずやり直せる、なんて簡単に言っちゃったし皆のことも信じられなかったから…。それで、ナイフを持ったまま階段から落ちそうになった時にカイトさんが手を掴んでくれて助かって…。その時は皆で泣いて泣いて…。何であんなに泣いて、すぐに分かりあえたんだろうって思うことはありますけど…それが、何か…?」

ガク「あの時…あの夜。記憶に靄がかかってはっきり思い出せない、でも何か特別な絆が生れたように…感じはしませんか?」

ミク「え?…あ、でも確かにたまに皆の話題にあがるとそう思います。レンも言ってたんですよ。魔法にでもかけられたんじゃないか~って…」

ガク「…魔法なんて、綺麗なものではありませんよ。あの夜は」

ミク「…?何か、覚えているんですか?」

ガク「…覚えているもなにも…頭にこびりついて離れません。貴女が、命を落とした…その瞬間が」

ミク「…え?」

ガク「そもそも、カイトが貴方の手を掴み、助かったという事実は…元々、存在しなかった瞬間とき。現実では…貴女は階段を転げ落ちた際に、持っていたナイフが胸に突き刺さり…」



ガク「…死んでしまったのです」

ミク「わ、たし、が…死ん、だ…?」

ガク「…当初、彼らの偽装と背信行為を止めるために嘘の手紙を書き、貴女が拾うように仕向けました。何も知らなかった貴女だから、共に過ごしてきた仲間なのだから、互いに歩み寄れると…。ですが、結果は最も良くない方向へ向かい…望まなかった【永遠の別れ】を紡いでしまったのです。私は、その現実が受け入れられず…思わず、【貴女の死】という時間を止めてしまいました」

ミク「時間を…?」

ガク「先程、私が魔女から呪いをかけられたことはお伝えしましたよね?数百年前、大学教授を演じた際に、そういった魔女の呪いや時に関する研究をしていました。その時に、時間を止め、別の世界線を紡ぎ、そしてそれを現実へ誘う力…簡単に言ってしまえば【別世界という名の舞台を、現実に創造する能力】を得たのです。己の望むように使用してしまっては、人間の倫理に反したり、それこそこの世の理から外れたものを生み出したりしかねない。使用したのは…貴女が命を落とした時の1回だけ。その時に創り上げた世界こそが、【本物のCrazy∞nighT】だったのです」

ミク「Crazy∞nighT…タイトルだけが発表された幻の脚本…!」

ガク「役者が【本物の舞台の世界】で【その役の人物】として【繰り返される時間】を過ごす…台詞も、紡がれる内容も、全て同じものではない…それこそがCrazy∞nighTの真髄だったのです」

ミク「…ちょっと待ってください。私が死んだ時に【本物のCrazy∞nighT】が創られたってことは…貴方は…!皆は…!!」

ガク「…お察しの通りです。【貴女の死が繰り返される舞台世界】で、【本物の自分を偽った、舞台の登場人物】になり、【明けない夜】を…Crazy∞nighTを過ごし続けることを選びました。現実にほんの一瞬の歪みを生じさせ、貴女を…一人の仲間を、助けるために」



ガク「これが、忘れられた一夜に隠された真実です」

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