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ひとやまアンソロ企画 紡ぐ舞台へ 明日の輝きを

おばあちゃんのお墓参りを済ませた私はもう一つの目的地へ向かった。私にとっては懐かしく、大切な場所。

深い深い森の奥。そこを抜けた先にある小さな空き地。町はずれにあるためか、不思議と鳥のさえずりさえも聞こえない、暖かな日差しのふりそそぐ場所。ここは幼かった私の、秘密の舞台だった。裏方も観客もいない。役者は私一人だけ。ある日は優しい針子の少女、ある日は王子様の迎えを待つ眠り姫。またある日はちょっとお茶目なドラゴンの女の子…。毎日違う物語で、違う役を演じ続けた。演じ終われば今度は芝生に座って目を瞑り、役を演じ続けた少女に精一杯の拍手を送った。
誰もいない、誰も知らない秘密の舞台。それがこの森の奥にあったのだ。あの日、初めてお芝居を観て女優になる夢を抱いた日からずっと演じ続けてきた。女優としての私の「すべてのはじまり」といっても過言ではない。

「変わらないなぁ…この場所は」
この町を出て、もう何年も経った。女優という夢を叶え、幻の舞台にも立った。自分は…たった一人で舞台の幕を上げ続けていたあの頃の私から成長出来ただろうか。

「…変われたかな…私は…」
昔の頃を思い出していると突然後ろから声をかけられた。
「おや、こんなところに人がいるなんて珍しいですね」
慌てて振り向いた先には短髪の紳士が立っていた。
「驚かせてしまいましたか。すみません。そのようなつもりはなかったのですが…」
「いっ、いえ!こちらこそすみません!気づけなくて…」
と謝りながら私は相手の姿を見る。シルクハットに黒いスーツ、太陽の光に照らされる薄紫の髪…。気のせいだろうか。どこかで、見たことがあるような気がする。
「あの、失礼ですが…もしかしてビュルレ座のミクさんですか?」
「へっ?!あ、はいそうです!」
考えている途中で名前を呼ばれたため思わず変な声が出てしまうが何とか答える。
「良かった。いきなりお名前を訪ねることは失礼だとは思ったのですが、以前からずっと貴女の演技を観ておりまして…大変素晴らしく感動致しました」
「あっ、ありがとうございます!」
見たことがあると感じていたがどうやら舞台を観に来てくれた方の一人だったようだ。見たことがあるのはおそらく客席に目を向けた時に印象があったからなのだろう。
「私はずっとビュルレ座の舞台を観続けているのですが貴女の演技は、演技ではないというか…まるで本当に舞台から飛び出してきたかのように感じるのです。Crazy∞nighTの時は特にそうでした」
「Crazy∞nighT…」
「ええ、あれは…とても、素晴らしい夜でした…」

Crazy∞nighT…。二年前、私達劇団ビュルレ座で上演した幻の舞台。本来この作品はタイトルのみが発表され、中身は誰も知らないまま眠り続けている。それで上演したということは、つまり…そういうことだ。私自身も開演まで知らなかった。初日の夜に舞台の上に落ちていた手紙で知って、パニックになって、皆を説得しようとして…。その辺りから記憶が曖昧だ。はっきり覚えていることといえば、口論になって時計の針を持ったまま階段から落ちそうになったこと、揉めた時に負傷したカイトが私の手を掴んでくれたこと、その瞬間全員が涙を流したことくらいだ。あの夜は記憶がとても遠く感じる。まるで長い長い時間を積み重ねたような…。そんな気分だ。あの夜から私達は心からお互いを信じて、支え合って乗り越えてきた。本当の仲間のように。

「あの素晴らしい舞台から二年…一時期はどうなることかと思っていましたがネオクラシカルもあり、劇団ビュルレ座はより一層素晴らしいものになりました」
「ありがとうございます。私も…彼の遺志を守れていることを嬉しく思います」
「形あるものはいつか失われゆく…その儚さと虚しさを、貴女は素晴らしい形で跳ねのけてくださいました」
紳士のその言葉を聞いた途端、私ははっきりと思い出した。見たことがある気がする、ではなくて…。
「あの…もしかして、以前お会いしませんでしたか?私が幼い頃…この場所で…」
「…もう、十年以上前のことなのに、覚えていてくださったのですか?」
やはりそうだ。私は彼と会ったことがある。私がまだ幼かったある日、ここでお芝居をして、休憩をしている時に彼は隅に座ってうつむいていた。その日は冬が明けたばかりの清々しい天気だったから不思議に思って声をかけたのだ。そして言われたことが先刻のものだ。
「形あるものはいつか失われゆく…あの時は難しくて分からなかったけれど、役者として舞台に立ち続けて、その言葉の重みを感じました。…貴方に言われたということを思い出すのには時間がかかってしまったけれど…。」
「いいえ、覚えていてくださっただけで有難いです。ましてや私の独り言だったのに、それを胸にしまっていてくださったことが素晴らしいのです。」
ビュルレ座に立ち、女優になった。様々なことを経験し、舞台に立ち続けていく中でその言葉の真意を考えることも増えた。

劇団ビュルレ座は創設当時から絶大な人気があった。しかし時が経つにつれて演劇文化が廃れていき、お客さんの数も減っていった。演劇を、この劇団を残すためには物語や演出方法を大衆が求めるようなものに変える必要があった。しかしそれは偉大な劇作家ビュルレへの冒涜になるのでは、という意見もあった。互いの譲れない意志が原因で仲間割れがあり、ビュルレ座を離れていった人もいたという。(この話はカイトやメイコ達から聞いた。)
最初は純粋に未来へ紡ぎたいと思っていた。例え、姿や形を変えたとしても消えないものはあるはずだから。しかし、やはりそれを繰り返していればいつかオリジナルからかけ離れたものになってしまう可能性だってある。果たしてそれを同じものだと、未来へ紡ぐことが出来たと胸を張って言えるのか…。様々な考えが巡り、明けない夜のような気分になることもあった。でも、今は…。

「…私は…私にとっては…あの言葉は女優として伝えなければならないものだと思っています」
「ほう…?」
「確かに形あるものはいつか失われてしまうかもしれません。残すために姿や形を変えてしまえば同じものではなくなってしまうのも事実です。」
「…」
「…だけど」
「だけど?」
「…だけど、そのものに込められた願いは、想いは変わらないはずです。目に見えるものだけを紡ごうと思えば本当に紡ぎたかったものも、未来も変わってしまいます。目に見えない想いこそが、舞台を紡いでいくと思うんです」

想いが舞台を紡ぐ…。明けない夜を乗り越えた先に見つけた答えだった。

「作品に込められた想いの受け取り方は人によって違います。決して同じものが生まれない、刹那の時のような舞台と同じように…。私が女優として出来ることは、その刹那に…舞台や作品が紡ぎたかった願いを伝えることです」
役者の世界では私はまだまだ若手で、知らない事も多いだろう。それでも、舞台にかける想いは…彼の遺志を、大切な仲間と共に未来へ紡いでいきたいという気持ちは決して折れることはないだろう。この先どんなことが待っていたとしても。

ふと隣の紳士を見上げると、深く被ったシルクハットの下から笑みがこぼれていた。
「想いを紡ぐ…。やはり貴女は私を素晴らしい気持ちにしてくれます」
手を口にあて、空を見上げる彼の顔はほとんど見えない。だが彼の放つ雰囲気は出会ったあの日と同じ、柔らかな春のようだった。
「ミクさん」
名前を呼ばれ、我に返る。
「私をこんなにも素晴らしい気持ちにしてくださったのです。何年も戯言を覚えてくださり、それに対する答えを見出してくださった。感謝も込めて何かお礼がしたいのですが…」
「いえそんな、お礼なんて!大したことしてないですし…!」
慌てふためく私を見て紳士は少し考えこんだ後にでは、とこんな提案をしてきた。
「では、もしビュルレ座で再び貴女が主演となる日が来たら必ずお会いしに伺います。素晴らしい夜にふさわしいワインを持って」
楽しみです、と言おうとして私は言葉をつぐんだ。舞台の主演、観劇、差し入れのワイン…。これではまるで二年前のあの時と同じだ。偶然?いやこれは…必然としか言えない。もしかして…。
一つの答えにたどり着きそうになった刹那、強い風が吹き抜け、私は思わず目を閉じてしまった。そして風の音と共に紳士の声も聞こえてくる。

「私に未来をありがとう…ミク」

はっとして目を開けたがもうどこにも彼の姿は無かった。森は風など吹いていなかったっかのように静寂を取り戻している。
「…私の…名前…」
そう、あの紳士は今まで私のことをずっと「貴女」とか「ミクさん」と呼んでいた。しかし彼は最後にはっきりと呼んだのだ…「ミク」と…。この呼び方をするのは既に亡くなっているおばあちゃんか劇団ビュルレ座の役者しかいない。よくよく考えると薄紫色の髪だって、何でも素晴らしいと言う口調だって、初めてではない。まさか、いや間違いないはずだ。彼は…。
「…ううん…気のせいよね…」
私は導き出した答えを口にすることを止めた。本当に偶然かもしれないし、彼だって気付いてほしくないかもしれない。知らない方がいいことだってある、なんて遠い昔に誰かに言われたような気もする。

「…」
不意に見上げた空は雲一つない、美しい青色を描いていた。この空の下では同じビュルレ座の仲間であるレンが様々なことに挑戦しているだろう。そして、もう一人の大切な仲間…「ガク」もきっと今頃、どこかで穏やかに過ごしているだろう。彼のことを考えると先刻の紳士の口調を思い出してしまい、笑いがこぼれる。

皆、それぞれの想いを抱きながら、それぞれの人生を紡いでいる。だけど遠くにいるようには感じなかった。同じ空の下にいる…そう考えただけで不思議と勇気が湧いてくる。私は深く息を吸った後、空に向かって呟いた。
「…ありがとう…」
しばらく空を見てから、私は森を後にする。舞台に対する想い、揺るぐことのない決意、そして彼との約束…。大切なことを胸に刻んだ私の歩む先にはまた新たな舞台が待っている。未来へと紡ぎたい想いを乗せて。



開演ブザーは、間もなく鳴り響く


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