一輪の白い薔薇
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おそらく氷帝内では琴璃には会えないだろう。物理的には可能でも向こうが避けてる以上は無理だ。呼び出したりでもすれば周りの女子が黙っていない。暇な奴らだな、と思う。どうせ自分達が話している様子を見て面白くないとか思ったんだろう。寄って集って琴璃に茶々入れしてるのが容易に想像できる。
そんな下らないことで琴璃から避けられて。テメェらの都合で何故こうならなきゃいけないのか。自分が誰と話していようが関係ない。跡部はそう思っている。でも琴璃は跡部みたいに堂々とは振る舞えない。まだ慣れない新天地で沢山の女から目を付けられて。それで平然としていようものなら余計火に油を注ぎかねない。女じゃなくてもそれくらいは分かった。
でも、本当にそれだけなのだろうか。腑に落ちなかった。アイツが大人しく女達の言うことを聞いているふうには思えない。だから今日、直接琴璃に会いに行く。
時間は夜の7時過ぎ、彼女の働くカフェの前に居た。今日のバイト上がりの時間をジローに聞いてもらった。何故俺が知らないのにお前がアイツの連絡先を知ってるんだと思った。この間たまたまこの店に来た時琴璃に会い仲良くなった、と本人は言っていたが。
店の壁にもたれかかって彼女を待つ。暑くもなく寒くもないちょうどいい風が吹く。暫くして階段を降りてくる足音が聞こえた。
「……どうして」
琴璃は跡部の姿を捉え小さく呟く。声は落ち着いていたが瞳は丸く見開かれていた。居るはずない人の姿があって驚きを隠せない。肩からかけていた斜め掛けのカバンの紐をぎゅっと掴む。
「ジローくんだね」
跡部はそれには答えなかった。その様子を見て琴璃はそうなんだと確信する。彼女はジローを恨むかもしれない。けれどそれはどうにでもなる。フォローのやり方はいくらでもあるし、2人の関係を悪くしない自信があるから別に気にしなかった。琴璃は観念したように、逃げ出そうとせず歩き出した。その隣を跡部も歩く。
「どうしてここにいたの?」
「たまたまこの辺りを歩いてた」
「そんなことってある?」
どう考えても可笑しい言い逃れ。信じてもらわなくて構わない。そんな冗談を言ったのは琴璃の緊張を解くためだから。
「なら、本当のことを言おう。お前に会いに来た」
琴璃もそうだと分かっていたから何も言わなかった。数十秒ほどの沈黙ができる。でも居心地悪いものではない。不意に琴璃が口を開いた。
「ごめんね、避けたりして」
「理由を聞こうじゃねぇか」
「……なんかね、私だけが変わってないような気がして」
避けた理由は女子達に跡部と話をするなと脅されていたから。彼女からそのようなニュアンスのことを予想していたのに意外な答えだった。風が少し強く吹いて琴璃は乱れかけた前髪を押さえる。
「景ちゃんとこうしてまた会えて、昔のこととか覚えててくれてすごく嬉しかった」
親しみの込もったその呼び方が久しく感じた。ほんの1週間ぐらい話してなかっただけなのに懐かしくも感じる。また昔のように彼女に呼ばれて跡部は身体が軽くなった気分になった。
「久しぶりに会った景ちゃんは、すごく格好良くなっててさ。びっくりしちゃった。あの時の子がこんなに成長したんだーって、なんかちょっと近所の友達みたいな感覚で」
でも変わっていたのは見た目だけじゃなかった。歳だけ同じで、言動や立ち振舞は周囲の生徒達と違う。彼はもうすっかり大人になっていた。琴璃が背伸びしても到底釣り合わないくらいに。だから、どこか自分が置いていかれてくような錯覚を覚えた。比べる必要なんて何処にも無いのに。
一緒にはしゃいでいた相手が物凄く遠くに感じてしまった。いつも格好良くて優しい景ちゃん。自分はこれと言ってぱっとしないまま。2度目に会った時、変わってないなと言われて地味に凹んだ。図星だったから。景ちゃんには敵わないな、と思った。別に競うつもりなんてないけど。大きくなった今、彼は琴璃に無いものを沢山持ってる気がした。琴璃の知らない期間も、きっと同じようにキラキラしてたんだろうと思った。そう思うと、心に穴が開いたような気持ちになったのだ。
いつの間にか駅のロータリーが見える距離まで来ていた。今日はあの花屋のワゴン車の姿は見えない。
「景ちゃん、ここからどうやって帰るの?」
「迎えの車を呼ぶ」
「あ、そうなんだ」
ということは駅に着いたら別れることになる。琴璃がぼんやり考えていたら、今度は跡部が口を開いた。
「覚えてるか、お前がイギリスを発つ最後の日」
「……うん?」
最後の日。琴璃が日本に帰る日。
元々半年間の滞在生活ということを幼い自分は分かっていなかった。ある日突然日本に帰るんだよと教えられて。喜んだ後、泣いた覚えがある。日本にいる親族に会える喜びと跡部と別れなければならない寂しさを同時に味わった。
最後の日、琴璃は跡部に会おうとしなかった。けれど母親に挨拶するように促されて。たくさんお世話になったんだから、ちゃんとお別れを言いなさい。別れという単語が更に琴璃を悲しませた。母親に付き添われ、いつもの綺麗な庭に赴くと跡部は琴璃を待っていた。いつもと違って表情は固く、一見琴璃を睨んでいるようだった。それは今でも覚えている。問題はその後だ。あの後なんて言って別れたのか。その先が曖昧だった。多分、喧嘩別れにはなっていないはず。最後に少し話した気がする。琴璃は泣いてばかりだったから肝心な所を覚えてなかった。
「お前は俺が変わったと言ったが変わらないものだってある」
「変わらないもの?」
「それはあの時のまま今も変わらない」
何かとても大事なことのような気がする。琴璃には分からなかった。彼の中で今も変わらないもの。目に見えるものなのかそうでないのか。考えを巡らす琴璃を、跡部は少し楽しそうに見つめていた。
「けどお前、女どもに目付けられてんのは事実なんだろ」
「私が言うこと聞かなかったからだと思う」
「何したんだよ一体」
「ちょっと。でもいいの、大丈夫だから」
やけに落ち着いた顔から、本当に大丈夫なのだと感じられた。琴璃はいちいちそんな次元の小さいことに傷付いていない。大した女だと、跡部は思った。それでも自分も無関係ではないから気にかける。
「そいつらのクラスとか名前覚えてるか?」
「ううん、分かんない。でも本当の本当に大丈夫だよ。気持ちだけ受けとっておくね」
「もしまた何かされたら言えよ」
「うん。……ふふ」
「何だ」
「なんか、そういうとこ景ちゃんっぽいなって」
駅までもう間もなくの距離で信号に引っかかった。
「不思議だよね、景ちゃんと話すたびにあの頃のこと思い出す。たった半年しか一緒に居なかったのに」
琴璃は夜空を見上げながら感慨深そうに話す。口元は緩やかに弧を描いている。
「半年という期間を“たった”と捉えるからそう思うんだろ。短期間であっても覚えてるものは覚えている。それだけあの時が印象強かったってことだ。お前も、俺も」
「……うん。ほんと、あの時は楽しかったな」
まるで彼女は変わることを恐れているような。過ぎ去った日を懐かしむような言い方をする。先ほどの笑顔は無くなって、琴璃の声からは寂しさが滲んでいた。瞳は黒い空のどこかもっと遠くを見つめているようだった。
そんな下らないことで琴璃から避けられて。テメェらの都合で何故こうならなきゃいけないのか。自分が誰と話していようが関係ない。跡部はそう思っている。でも琴璃は跡部みたいに堂々とは振る舞えない。まだ慣れない新天地で沢山の女から目を付けられて。それで平然としていようものなら余計火に油を注ぎかねない。女じゃなくてもそれくらいは分かった。
でも、本当にそれだけなのだろうか。腑に落ちなかった。アイツが大人しく女達の言うことを聞いているふうには思えない。だから今日、直接琴璃に会いに行く。
時間は夜の7時過ぎ、彼女の働くカフェの前に居た。今日のバイト上がりの時間をジローに聞いてもらった。何故俺が知らないのにお前がアイツの連絡先を知ってるんだと思った。この間たまたまこの店に来た時琴璃に会い仲良くなった、と本人は言っていたが。
店の壁にもたれかかって彼女を待つ。暑くもなく寒くもないちょうどいい風が吹く。暫くして階段を降りてくる足音が聞こえた。
「……どうして」
琴璃は跡部の姿を捉え小さく呟く。声は落ち着いていたが瞳は丸く見開かれていた。居るはずない人の姿があって驚きを隠せない。肩からかけていた斜め掛けのカバンの紐をぎゅっと掴む。
「ジローくんだね」
跡部はそれには答えなかった。その様子を見て琴璃はそうなんだと確信する。彼女はジローを恨むかもしれない。けれどそれはどうにでもなる。フォローのやり方はいくらでもあるし、2人の関係を悪くしない自信があるから別に気にしなかった。琴璃は観念したように、逃げ出そうとせず歩き出した。その隣を跡部も歩く。
「どうしてここにいたの?」
「たまたまこの辺りを歩いてた」
「そんなことってある?」
どう考えても可笑しい言い逃れ。信じてもらわなくて構わない。そんな冗談を言ったのは琴璃の緊張を解くためだから。
「なら、本当のことを言おう。お前に会いに来た」
琴璃もそうだと分かっていたから何も言わなかった。数十秒ほどの沈黙ができる。でも居心地悪いものではない。不意に琴璃が口を開いた。
「ごめんね、避けたりして」
「理由を聞こうじゃねぇか」
「……なんかね、私だけが変わってないような気がして」
避けた理由は女子達に跡部と話をするなと脅されていたから。彼女からそのようなニュアンスのことを予想していたのに意外な答えだった。風が少し強く吹いて琴璃は乱れかけた前髪を押さえる。
「景ちゃんとこうしてまた会えて、昔のこととか覚えててくれてすごく嬉しかった」
親しみの込もったその呼び方が久しく感じた。ほんの1週間ぐらい話してなかっただけなのに懐かしくも感じる。また昔のように彼女に呼ばれて跡部は身体が軽くなった気分になった。
「久しぶりに会った景ちゃんは、すごく格好良くなっててさ。びっくりしちゃった。あの時の子がこんなに成長したんだーって、なんかちょっと近所の友達みたいな感覚で」
でも変わっていたのは見た目だけじゃなかった。歳だけ同じで、言動や立ち振舞は周囲の生徒達と違う。彼はもうすっかり大人になっていた。琴璃が背伸びしても到底釣り合わないくらいに。だから、どこか自分が置いていかれてくような錯覚を覚えた。比べる必要なんて何処にも無いのに。
一緒にはしゃいでいた相手が物凄く遠くに感じてしまった。いつも格好良くて優しい景ちゃん。自分はこれと言ってぱっとしないまま。2度目に会った時、変わってないなと言われて地味に凹んだ。図星だったから。景ちゃんには敵わないな、と思った。別に競うつもりなんてないけど。大きくなった今、彼は琴璃に無いものを沢山持ってる気がした。琴璃の知らない期間も、きっと同じようにキラキラしてたんだろうと思った。そう思うと、心に穴が開いたような気持ちになったのだ。
いつの間にか駅のロータリーが見える距離まで来ていた。今日はあの花屋のワゴン車の姿は見えない。
「景ちゃん、ここからどうやって帰るの?」
「迎えの車を呼ぶ」
「あ、そうなんだ」
ということは駅に着いたら別れることになる。琴璃がぼんやり考えていたら、今度は跡部が口を開いた。
「覚えてるか、お前がイギリスを発つ最後の日」
「……うん?」
最後の日。琴璃が日本に帰る日。
元々半年間の滞在生活ということを幼い自分は分かっていなかった。ある日突然日本に帰るんだよと教えられて。喜んだ後、泣いた覚えがある。日本にいる親族に会える喜びと跡部と別れなければならない寂しさを同時に味わった。
最後の日、琴璃は跡部に会おうとしなかった。けれど母親に挨拶するように促されて。たくさんお世話になったんだから、ちゃんとお別れを言いなさい。別れという単語が更に琴璃を悲しませた。母親に付き添われ、いつもの綺麗な庭に赴くと跡部は琴璃を待っていた。いつもと違って表情は固く、一見琴璃を睨んでいるようだった。それは今でも覚えている。問題はその後だ。あの後なんて言って別れたのか。その先が曖昧だった。多分、喧嘩別れにはなっていないはず。最後に少し話した気がする。琴璃は泣いてばかりだったから肝心な所を覚えてなかった。
「お前は俺が変わったと言ったが変わらないものだってある」
「変わらないもの?」
「それはあの時のまま今も変わらない」
何かとても大事なことのような気がする。琴璃には分からなかった。彼の中で今も変わらないもの。目に見えるものなのかそうでないのか。考えを巡らす琴璃を、跡部は少し楽しそうに見つめていた。
「けどお前、女どもに目付けられてんのは事実なんだろ」
「私が言うこと聞かなかったからだと思う」
「何したんだよ一体」
「ちょっと。でもいいの、大丈夫だから」
やけに落ち着いた顔から、本当に大丈夫なのだと感じられた。琴璃はいちいちそんな次元の小さいことに傷付いていない。大した女だと、跡部は思った。それでも自分も無関係ではないから気にかける。
「そいつらのクラスとか名前覚えてるか?」
「ううん、分かんない。でも本当の本当に大丈夫だよ。気持ちだけ受けとっておくね」
「もしまた何かされたら言えよ」
「うん。……ふふ」
「何だ」
「なんか、そういうとこ景ちゃんっぽいなって」
駅までもう間もなくの距離で信号に引っかかった。
「不思議だよね、景ちゃんと話すたびにあの頃のこと思い出す。たった半年しか一緒に居なかったのに」
琴璃は夜空を見上げながら感慨深そうに話す。口元は緩やかに弧を描いている。
「半年という期間を“たった”と捉えるからそう思うんだろ。短期間であっても覚えてるものは覚えている。それだけあの時が印象強かったってことだ。お前も、俺も」
「……うん。ほんと、あの時は楽しかったな」
まるで彼女は変わることを恐れているような。過ぎ去った日を懐かしむような言い方をする。先ほどの笑顔は無くなって、琴璃の声からは寂しさが滲んでいた。瞳は黒い空のどこかもっと遠くを見つめているようだった。