優しい雨
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予報は当たった。今日も朝から容赦なく降る雨。けれど水玉の傘の出番はない。少なくともあと4週間は必要ない。
4週間なんてあっという間。その間にテストも雨季も終わる。少なくとも氷帝のほとんどの生徒が早く過ぎ去ってしまえと願っている。4週間後を憂うのは自分くらいだと琴璃は思った。
「ちょっと琴璃、どうなってんの跡部様と!」
「どうって、なにが?」
「だーからー、なんで毎日跡部様と登校してんのってば!」
昼休みは学食で食べることが多かった。友人が注文した氷帝の自慢のランチセットは、フォークとナイフを用いるというなんとも洒落たメニューだ。両手が使えて心底羨ましい。琴璃は仕方なく、今日も売店で買ったサンドイッチをもそもそ食べている。そんな食事時に、毎日跡部と登校する琴璃が友人も気になって仕方ないのか、ついに真っ向から問い詰めてきた。
「なんで……だろ」
実際どうなんだろう。都合よく連続して雨の日が続いている。でも晴れたらどうなるんだろう。もしも明日が快晴になったらこの贅沢な送迎は無くなる。普通に考えればそうだ。琴璃はスマホを取り出して週間天気を調べた。明日の降水確率。
「……10%だ」
「なにが?」
なんだか跡部が迎えに来てくれる確率のように感じてしまう。おそらく明日はもう会えない。そんな気がした。
「琴璃?」
「ううん、何でもないよ。……ここ最近天気が悪くて、左手使えないと何かと不便だから、跡部くん気にかけてくれてるだけだよ」
多分、きっとそうだ。雨が止んだらそれもなくなる。そう思うと急に寂しくなった。跡部と話すのは緊張する、だけど嬉しい。不思議な感情だ。今日も雨で良かったと思ってしまう。
今日の帰りも待っていてくれるかな。この雨がずっと降っていればいいのにな。
そう思ったって、どんなに願ったって止まない雨なんてない。そんなの分かっているのに。願ってしまう。
午後の授業が終わり掃除の時間になった。琴璃は片手しか使えないから友人が掃除を代わってくれた。その代わりに日誌を書くことになった。今日の出来事を思い出す。浮かぶのは朝、跡部と登校したこと。そんなこと書けるわけないのに。
「見て琴璃、虹だよ!」
不意に呼ばれて顔をあげる。下ばかり向いていたから気がつかなかったが、外には目に染みるほどの青い空がのぞいていた。
きれー、と友人ははしゃぐ。雲の隙間から鮮やかな虹が見えた。いいことあるかも、とクラスメイトの何人かはスマホで写真を撮っている。いいことあるのかな。琴璃にはそうは思えなかった。ちゃんと当たるから天気予報ってすごい。こんなに綺麗な空を見て喜べない自分がいる。はあ、と重い溜め息が出た。残っている女子数人が帰りにファミレスにでも寄ろうと話して盛り上がっている。テスト前などお構いなしに。
「琴璃も行かない?」
「ごめん、図書館寄るようだから」
いつもなら喜んでついて行っただろうけど気が進まなかった。それにどうせ跡部とのことをまた別の子に聞かれるだろう。
雨が上がらなければ今日も真っ直ぐテニス部部室に向かうつもりだった。けれど天気が良くなったからその必要はない。
「……いいよね」
別にちゃんとした約束じゃないし、そもそも連絡先も知らない。でも、もしも、彼が待ってくれてたらどうしよう。雨でなくとも琴璃を送るつもりなら、まだ早いから教室にいるかもしれない。そんな期待を僅かに込め、試しに彼のクラスを覗いてみた。勇気を出して行ってみたが姿はなかった。途端に足取りが重くなる。自分はなんて単純なんだろう。はあ、とため息がでた。沈んだ気持ちで図書館に向かう。図書館にはあまり生徒はいなかった。皆、帰宅してテスト勉強に勤しんでいるのだろう。もしくは、友人たちのように部活停止をいいことに有意義な放課後にするかだ。
借りたい本は決まっていた。著者ごとに綺麗に整頓された文学書コーナーをゆっくり歩く。
目当ての本は1番上の棚に収まっていた。左手を棚に掛けられないから背伸びをすると足元がおぼつかなくなる。ふらふらしながらも背表紙に指が届いた、瞬間だった。
「あっ」
「お前は自分が怪我人なのを忘れたのか?」
「ありがとう……」
まぼろしかと思った。跡部が、すぐ後ろに立って取りたかった本を引き抜いたのだ。
「雨、あがったね」
「そうだな」
「そうなの、……だからね、今日は一人で帰るね」
琴璃に本を渡そうとする跡部の手が止まる。
「そんなふうに思ってねえな、この顔は」
そう言って琴璃のほうへ手を伸ばす。
「!ひぇ、はにふんの、はあひへよ」
両頬をつままれて喋りづらい。なんとも恥ずかしい声と顔になる。
「別に雨じゃなくとも送ってやる」
帰るぜ、と言い跡部は先に歩きだすのを琴璃は慌てて追いかける。
「違うの、別に跡部くんの車に頼ってたわけじゃないの!」
「そんなの言われなくとも分かってる」
「だって今、」
「お前の顔は、雨でなきゃ俺と帰れないって物語ってたぜ」
すっかり晴れた空。窓から差し込む光が跡部の顔を照らす。何かの絵画にでもなりそうな、そんな情景。光に透かされた髪も瞳も綺麗だ。そんな彼が自分に笑いかけている。
琴璃は分かった。自分の気持ちが。
跡部くんが、好きなんだ。
今日はお前の帰路を歩くとしよう。
そんなことを言うもんだから何故か雨上がりの道を一緒に歩いている。いつもの帰り道がどうしてこんなに違った道に映るのだろう。わずかに斜め後ろを歩いていたのにそれを彼は許さなかった。
「琴璃」
不意に呼びつけられて隣を歩くことになる。あたふたする。あたふたが、いつのまにかドキドキになって心臓が早鐘のように動く。車の時よりも近いから余計だ。話題を作らないとと思った。
「今日、雨が止んだ時虹がかかったんだよ。見た?」
「いや。おそらくその頃は生徒会の仕事をしていた。雨が止んだことさえも気づかなかった」
「そうなんだ」
彼はあの時間、もともと教室には居なかったのだ。あの時がっかり項垂れた自分を思い出して琴璃は恥ずかしくなる。
「お前が部室になかなか来なかったお陰で、雨が上がったことに気付いた」
跡部はニヤリと笑う。晴れれば琴璃が部室を訪れて来ないとなんとなく分かっていた。琴璃は顔が熱くなる。彼女の性格を読んでいたのだ。
「容態はどうだ」
「来週にまた病院行って、良ければこれ外してもらえるみたい。早くいろんなことしたいよ」
可笑しげに包帯で巻かれた左手をぷらぷら揺らす。事故からおよそ1週間経ったが、未だに不便な生活に慣れきってはいない。
「治ったらやりたいことでもあるのか?」
「んー……そうだなあ。あ、ナイフとフォークを使う料理を食べたい」
「何だそりゃ」
「友達がお昼に食べてたの。こんなに包帯ぐるぐるだと出来ないんだもん。美味しいお肉が食べたいなあ」
あれは羨ましかった。さすがに毎日サンドイッチやおむすびでは飽きる。
「快気祝いに、振る舞ってやってもいいぜ」
「ほんと?」
「そんなものでいいのかよ」
「いやいや贅沢だよ。だって跡部くんが食べてるお肉だよ?絶対美味しいよ!」
嬉しそうに琴璃は言う。食べ物で喜ぶなんて子供みたいなヤツだと跡部は思った。別に呆れているわけでもなく、ただ純粋に思った。普段なら何かしら作業をしているこの時間。それが他愛のない話をして、知らない道を歩くことは新鮮だった。
やがて駅のバス乗り場までついた。青かった空は夕刻らしい色に変わり始めている。
「跡部くんは、ここからどうやって帰るの?」
「迎えを呼ぶ」
「あ、そっか。……あの、ありがとう」
「何がだ」
「移動するのに時間をかけたくないって言ってたのに、今日は一緒に帰ってくれて」
「別にいい。お前が普段見ているものを見れた」
それって何の得があるんだろう。琴璃は思った。けど、一緒に帰れたことが嬉しくてそんなことはどうでもよかった。彼は手の届かぬ存在だから。少しの間、学園の王様を独り占めできたことが嬉しい。
「気を付けて帰れよ。家に着くまでに天気がもつか分からねぇからな」
「あの、明日も会える、かな」
「なんだ、俺様に会いたいのか?」
「……うん」
「俺をおいて帰ろうとしたくせに?」
「あ、あれはね、ちょっと、どうしようか迷って。でも、……ごめん」
恥ずかしくて目をそらす。頭に何か暖かいものが触れた。もうちょっと一緒に居たいと、思ってしまう。しかしちょうどバスは到着した。
「お前が望むのなら」
明日も会えるぜ。
バスのステップにあがる直前に言われた言葉。彼の手が琴璃の頭から離れる。動揺して転びそうになったのを持ちこたえ、琴璃はバスに乗り込んだ。
4週間なんてあっという間。その間にテストも雨季も終わる。少なくとも氷帝のほとんどの生徒が早く過ぎ去ってしまえと願っている。4週間後を憂うのは自分くらいだと琴璃は思った。
「ちょっと琴璃、どうなってんの跡部様と!」
「どうって、なにが?」
「だーからー、なんで毎日跡部様と登校してんのってば!」
昼休みは学食で食べることが多かった。友人が注文した氷帝の自慢のランチセットは、フォークとナイフを用いるというなんとも洒落たメニューだ。両手が使えて心底羨ましい。琴璃は仕方なく、今日も売店で買ったサンドイッチをもそもそ食べている。そんな食事時に、毎日跡部と登校する琴璃が友人も気になって仕方ないのか、ついに真っ向から問い詰めてきた。
「なんで……だろ」
実際どうなんだろう。都合よく連続して雨の日が続いている。でも晴れたらどうなるんだろう。もしも明日が快晴になったらこの贅沢な送迎は無くなる。普通に考えればそうだ。琴璃はスマホを取り出して週間天気を調べた。明日の降水確率。
「……10%だ」
「なにが?」
なんだか跡部が迎えに来てくれる確率のように感じてしまう。おそらく明日はもう会えない。そんな気がした。
「琴璃?」
「ううん、何でもないよ。……ここ最近天気が悪くて、左手使えないと何かと不便だから、跡部くん気にかけてくれてるだけだよ」
多分、きっとそうだ。雨が止んだらそれもなくなる。そう思うと急に寂しくなった。跡部と話すのは緊張する、だけど嬉しい。不思議な感情だ。今日も雨で良かったと思ってしまう。
今日の帰りも待っていてくれるかな。この雨がずっと降っていればいいのにな。
そう思ったって、どんなに願ったって止まない雨なんてない。そんなの分かっているのに。願ってしまう。
午後の授業が終わり掃除の時間になった。琴璃は片手しか使えないから友人が掃除を代わってくれた。その代わりに日誌を書くことになった。今日の出来事を思い出す。浮かぶのは朝、跡部と登校したこと。そんなこと書けるわけないのに。
「見て琴璃、虹だよ!」
不意に呼ばれて顔をあげる。下ばかり向いていたから気がつかなかったが、外には目に染みるほどの青い空がのぞいていた。
きれー、と友人ははしゃぐ。雲の隙間から鮮やかな虹が見えた。いいことあるかも、とクラスメイトの何人かはスマホで写真を撮っている。いいことあるのかな。琴璃にはそうは思えなかった。ちゃんと当たるから天気予報ってすごい。こんなに綺麗な空を見て喜べない自分がいる。はあ、と重い溜め息が出た。残っている女子数人が帰りにファミレスにでも寄ろうと話して盛り上がっている。テスト前などお構いなしに。
「琴璃も行かない?」
「ごめん、図書館寄るようだから」
いつもなら喜んでついて行っただろうけど気が進まなかった。それにどうせ跡部とのことをまた別の子に聞かれるだろう。
雨が上がらなければ今日も真っ直ぐテニス部部室に向かうつもりだった。けれど天気が良くなったからその必要はない。
「……いいよね」
別にちゃんとした約束じゃないし、そもそも連絡先も知らない。でも、もしも、彼が待ってくれてたらどうしよう。雨でなくとも琴璃を送るつもりなら、まだ早いから教室にいるかもしれない。そんな期待を僅かに込め、試しに彼のクラスを覗いてみた。勇気を出して行ってみたが姿はなかった。途端に足取りが重くなる。自分はなんて単純なんだろう。はあ、とため息がでた。沈んだ気持ちで図書館に向かう。図書館にはあまり生徒はいなかった。皆、帰宅してテスト勉強に勤しんでいるのだろう。もしくは、友人たちのように部活停止をいいことに有意義な放課後にするかだ。
借りたい本は決まっていた。著者ごとに綺麗に整頓された文学書コーナーをゆっくり歩く。
目当ての本は1番上の棚に収まっていた。左手を棚に掛けられないから背伸びをすると足元がおぼつかなくなる。ふらふらしながらも背表紙に指が届いた、瞬間だった。
「あっ」
「お前は自分が怪我人なのを忘れたのか?」
「ありがとう……」
まぼろしかと思った。跡部が、すぐ後ろに立って取りたかった本を引き抜いたのだ。
「雨、あがったね」
「そうだな」
「そうなの、……だからね、今日は一人で帰るね」
琴璃に本を渡そうとする跡部の手が止まる。
「そんなふうに思ってねえな、この顔は」
そう言って琴璃のほうへ手を伸ばす。
「!ひぇ、はにふんの、はあひへよ」
両頬をつままれて喋りづらい。なんとも恥ずかしい声と顔になる。
「別に雨じゃなくとも送ってやる」
帰るぜ、と言い跡部は先に歩きだすのを琴璃は慌てて追いかける。
「違うの、別に跡部くんの車に頼ってたわけじゃないの!」
「そんなの言われなくとも分かってる」
「だって今、」
「お前の顔は、雨でなきゃ俺と帰れないって物語ってたぜ」
すっかり晴れた空。窓から差し込む光が跡部の顔を照らす。何かの絵画にでもなりそうな、そんな情景。光に透かされた髪も瞳も綺麗だ。そんな彼が自分に笑いかけている。
琴璃は分かった。自分の気持ちが。
跡部くんが、好きなんだ。
今日はお前の帰路を歩くとしよう。
そんなことを言うもんだから何故か雨上がりの道を一緒に歩いている。いつもの帰り道がどうしてこんなに違った道に映るのだろう。わずかに斜め後ろを歩いていたのにそれを彼は許さなかった。
「琴璃」
不意に呼びつけられて隣を歩くことになる。あたふたする。あたふたが、いつのまにかドキドキになって心臓が早鐘のように動く。車の時よりも近いから余計だ。話題を作らないとと思った。
「今日、雨が止んだ時虹がかかったんだよ。見た?」
「いや。おそらくその頃は生徒会の仕事をしていた。雨が止んだことさえも気づかなかった」
「そうなんだ」
彼はあの時間、もともと教室には居なかったのだ。あの時がっかり項垂れた自分を思い出して琴璃は恥ずかしくなる。
「お前が部室になかなか来なかったお陰で、雨が上がったことに気付いた」
跡部はニヤリと笑う。晴れれば琴璃が部室を訪れて来ないとなんとなく分かっていた。琴璃は顔が熱くなる。彼女の性格を読んでいたのだ。
「容態はどうだ」
「来週にまた病院行って、良ければこれ外してもらえるみたい。早くいろんなことしたいよ」
可笑しげに包帯で巻かれた左手をぷらぷら揺らす。事故からおよそ1週間経ったが、未だに不便な生活に慣れきってはいない。
「治ったらやりたいことでもあるのか?」
「んー……そうだなあ。あ、ナイフとフォークを使う料理を食べたい」
「何だそりゃ」
「友達がお昼に食べてたの。こんなに包帯ぐるぐるだと出来ないんだもん。美味しいお肉が食べたいなあ」
あれは羨ましかった。さすがに毎日サンドイッチやおむすびでは飽きる。
「快気祝いに、振る舞ってやってもいいぜ」
「ほんと?」
「そんなものでいいのかよ」
「いやいや贅沢だよ。だって跡部くんが食べてるお肉だよ?絶対美味しいよ!」
嬉しそうに琴璃は言う。食べ物で喜ぶなんて子供みたいなヤツだと跡部は思った。別に呆れているわけでもなく、ただ純粋に思った。普段なら何かしら作業をしているこの時間。それが他愛のない話をして、知らない道を歩くことは新鮮だった。
やがて駅のバス乗り場までついた。青かった空は夕刻らしい色に変わり始めている。
「跡部くんは、ここからどうやって帰るの?」
「迎えを呼ぶ」
「あ、そっか。……あの、ありがとう」
「何がだ」
「移動するのに時間をかけたくないって言ってたのに、今日は一緒に帰ってくれて」
「別にいい。お前が普段見ているものを見れた」
それって何の得があるんだろう。琴璃は思った。けど、一緒に帰れたことが嬉しくてそんなことはどうでもよかった。彼は手の届かぬ存在だから。少しの間、学園の王様を独り占めできたことが嬉しい。
「気を付けて帰れよ。家に着くまでに天気がもつか分からねぇからな」
「あの、明日も会える、かな」
「なんだ、俺様に会いたいのか?」
「……うん」
「俺をおいて帰ろうとしたくせに?」
「あ、あれはね、ちょっと、どうしようか迷って。でも、……ごめん」
恥ずかしくて目をそらす。頭に何か暖かいものが触れた。もうちょっと一緒に居たいと、思ってしまう。しかしちょうどバスは到着した。
「お前が望むのなら」
明日も会えるぜ。
バスのステップにあがる直前に言われた言葉。彼の手が琴璃の頭から離れる。動揺して転びそうになったのを持ちこたえ、琴璃はバスに乗り込んだ。