優しい雨
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今朝もお馴染みのニュース番組。朝の支度を忙しなくしながら何となく見ている。画面には日本地図が映りアナウンサーが喋る。
『全国的に雨模様で傘の手放せない1日となるでしょう』
正確にはまだこれからというところ。今にも泣き出しそうな空模様だった。左手が使えないと傘もさせないのを昨日思い知った。怪我したのが利き手じゃなくてもなかなか不便という事実。あと数週間は辛抱するしかない。それなのに週間天気はずらりと雨マークが並んでいた。朝からテンションが下がる。
琴璃は自宅から最寄りの駅まで歩き、そこからバスに乗って氷帝に通っている。雨の日のバス通学は煩わしい。誰かの傘で濡れたりするし、バスも混雑してることが多い。加えてこの左手の状態。両親は共働きのため送ってやることができない。ますます雨を恨んだ。
いつもより一本前のバスに乗るべく家を早めに出る。玄関を出てすぐの角。黒い車が停まっているのに気付いた。
「……もしかして」
いやまさか。そう思いつつも近寄るとサイドウィンドウがゆっくり開いた。やはり跡部だった。
「跡部くん。どうしたの?なんでこんなところにいるの?」
「お前を拾うからだ」
昨日の運転手が出てきて、どうぞ、と反対側のドアを開けたので、促されるまま昨日と同じ広い後部座席に乗った。
「部活は?いいの?」
「今日から期末考査前で部活動停止だぜ?」
「あ、そっか……」
妙に納得してしまった。だが聞きたかったのはそうではない。何故うちの前にいたのか。しかもこんな朝から。考えているうちにガラスを雨が叩き出した。
「降ってきたな」
「うん……」
もしかして雨を心配してくれたんじゃないか。昨日と同じ、雨で困るであろう自分を。1ミリくらい期待した。
「今日は予報を見たんだな」
跡部が傘を持っている琴璃を見て言う。
「見た、見たよ!今日はほとんど雨みたいだね。だからちゃんと傘持ってきたの」
「それはいいがどうやって差すんだ?」
「鞄を……こうやって、小脇に抱えてから右手で持つよ」
「閉じる時は」
「それはー……、鞄をいったん置くしかない、かな」
「濡れないために傘を差すのにそれじゃ意味ねえだろが」
まさしく彼の言うとおりで。1人で遂行するには難しい。こんな簡単な、日常生活のひとコマなのにそれすらもできなくて歯痒い。傘は今の琴璃にとってはただの荷物と化す。
「ソイツは車に置いてけ」
能無しになった琴璃の水玉の傘を見て跡部が言う。
「帰りもこれに乗るなら置いていけばいいだろ」
「うん。………うん?」
「部活停止にはなったが俺はやることがある。放課後は昨日と同じく部室にいるから来い」
「また……送ってくれるの?」
「濡れて帰りたい趣味を持ってるなら止めはしないが」
「そ、そんなのないよ!」
やっぱり気を使ってくれている。事故なのに責任を受け止めてくれている。じゃなきゃこんなふうに、なんの接点もない女子を送迎なんてしないんだ。なんだか申し訳なくなる。
「跡部くん、そんな、いいんだよ。本当に何度も言うけどわたしの不注意だから、気にしなくていいんだよ」
「って言ったのはジローに対してだろ」
「へ?」
「あの時お前は病院で、“ジローを”気にかけてくれと言ったぜ。俺は、言われてない」
「そんなの言葉のあやだよ!跡部くんにだって、そう思ってるよ」
「冗談だ」
冗談を言える人なんだ。意外だった。お金持ちで派手で何をやっても成功する人。それでいてちょっと近寄りがたい。そんな印象だった。それは自分と正反対のタイプだからで。人に“見られる”ことに慣れている彼とはきっと合わないんだろうな、と。勝手に決めつけていた。でも実際こんな形で知り合って、琴璃の創り出していた“跡部くん”のイメージは変わった。本当は面倒見がいい人。ジローに対しても琴璃に対しても。優しいんだな、と思う。イメージどおりなのはかっこいい所。彼と話すときは緊張する。相手は学園一の有名人だから、車内では耐えず窓の外を眺めていた。
「琴璃」
「うあ、はいっ」
初めて名前を呼ばれた。
「俺はテニス部の部長だ。ジローのうっかりだろうが偶然が重なったんだろうが、お前に怪我を負わせたのはテニスボールだ。お前が気にしなくても、俺はお前の手首が完治するまで見届ける義務があると思っている」
琴璃は思わず跡部のほうを見た。彼の蒼い瞳もこっちに向けられている。言われた言葉がだんだん身体に染み込んでくるような感覚。勝手に頬が熱くなった。
「跡部くん。……優しい」
「俺様はいつだって優しいだろ?」
「そ、そんなの知らないよ、いつも見てるわけじゃないし」
「なら、いつも見ていたらどうだ」
これもきっと冗談なんだ。自分を元気付けるための。なんだか嬉しくて、それでいて朝からとんでもなくドキドキした。学年一の人気者と登校を共にしている。その事実が信じられない。
やがて氷帝へ着き車は停車した。親切にドアを開けてくれた運転手にお辞儀をする。雨はちょうど止んでいたが空は相変わらず暗い。琴璃は少しほっとした。また跡部の傘にいれてもらうには流石に心の準備が足りてなかった。
校門から昇降口に向かう間、どこからともなく視線が集まってくる。こんな目立つ車が堂々と停まっては当たり前なのだが。女子の黄色い声が飛んでくる。尚更雨が止んでいて良かったと思った。この中を相合傘したら自殺行為だっただろう。琴璃は何か悪い気がして、跡部とは並んで歩かず斜め後ろを着いていった。
後ろ姿もオーラを背負っているんだな。すごいなあ跡部くん、なんてぼんやり背中を見つめながら歩く、そのさ中。
「琴璃ちゃん!」
呼ばれて振り向くとジローが小走りで近寄ってくる。珍しく今日は眠くないようだ。
「おはよー、どう?腕」
「おはよう。大丈夫だよ。痛くないし全然元気 」
傘もさせないのにそんなことを言う。琴璃の気遣いを跡部は黙って聞いていた。
「てか、なんで跡部と一緒に来てんの」
「たまたま道で見つけて拾った」
まるで人のことを捨て猫みたいに言うもんだから琴璃は恥ずかしくなった。
「えーなんで?跡部そーゆうことしないじゃん。なんかいつの間に琴璃ちゃんと仲良くなってない?」
「どうだっていいだろが」
「よくない。琴璃ちゃん、帰りは俺と帰ろうよ!テスト期間だから部活ないし」
「お前は1秒でも早く帰ってテスト勉強をしろ。次の数学は落とせねぇんだろ」
「なんだよー、じゃあ跡部が教えてよ」
「知るか。宍戸にでも面倒見てもらえ」
「琴璃ちゃんは?俺とは帰りたくない?」
「え?えっ……と、」
急にふられて琴璃は困る。そんなわけない。そんなわけないけど、できることなら帰りも跡部の車に乗りたい。彼と話をしたかった。
「ジロー。あんまりこいつを困らせるな」
跡部が割って入った時タイミング良く予令が鳴る。
「やべ、1限目俺当たるんだった!琴璃ちゃんまたね!」
あの様子だと宿題を忘れたのだろう。ジローは全速力で階段を上ってゆく。教師が廊下を走るな、と叫んでいるが覚醒している彼は誰にも止められない。忙しないヤツだ、と跡部は呆れた。話が途切れて良かった。
「跡部くんで、良かった」
「何がだ」
「え?……私、何か言った?」
「跡部くんで、良かった」
「嘘……!」
今さら口を抑えても意味はない。いよいよ末期的だと思った。いつの間にか跡部のことを考えている。一緒に帰るのが跡部くんで良かった。そう思った故に勝手に口から出た言葉。
「ごめん、何でもない……と思う、多分」
「無意識な発言のようだから及第点にしといてやろう」
「へ?」
跡部が琴璃に向き直る。そして、手を伸ばしてきたかと思うと、琴璃の髪を一房掬い上げて目を細めた。
「跡部君“が”、良かったんだろう?」
やがて生徒は誰も居なくなり、廊下に居るのは2人だけ。静かな廊下に雨音が響き始めた。でもそれ以上に心臓が五月蝿い。行くぞ、と跡部は先に歩きだした。追い掛けようと、琴璃が続く。
雨が好きになった。明日の天気も雨がいい。
しばらくずっと雨でいい。おかしな願いだと思った。そんなの無理だと分かってるくせに。
『全国的に雨模様で傘の手放せない1日となるでしょう』
正確にはまだこれからというところ。今にも泣き出しそうな空模様だった。左手が使えないと傘もさせないのを昨日思い知った。怪我したのが利き手じゃなくてもなかなか不便という事実。あと数週間は辛抱するしかない。それなのに週間天気はずらりと雨マークが並んでいた。朝からテンションが下がる。
琴璃は自宅から最寄りの駅まで歩き、そこからバスに乗って氷帝に通っている。雨の日のバス通学は煩わしい。誰かの傘で濡れたりするし、バスも混雑してることが多い。加えてこの左手の状態。両親は共働きのため送ってやることができない。ますます雨を恨んだ。
いつもより一本前のバスに乗るべく家を早めに出る。玄関を出てすぐの角。黒い車が停まっているのに気付いた。
「……もしかして」
いやまさか。そう思いつつも近寄るとサイドウィンドウがゆっくり開いた。やはり跡部だった。
「跡部くん。どうしたの?なんでこんなところにいるの?」
「お前を拾うからだ」
昨日の運転手が出てきて、どうぞ、と反対側のドアを開けたので、促されるまま昨日と同じ広い後部座席に乗った。
「部活は?いいの?」
「今日から期末考査前で部活動停止だぜ?」
「あ、そっか……」
妙に納得してしまった。だが聞きたかったのはそうではない。何故うちの前にいたのか。しかもこんな朝から。考えているうちにガラスを雨が叩き出した。
「降ってきたな」
「うん……」
もしかして雨を心配してくれたんじゃないか。昨日と同じ、雨で困るであろう自分を。1ミリくらい期待した。
「今日は予報を見たんだな」
跡部が傘を持っている琴璃を見て言う。
「見た、見たよ!今日はほとんど雨みたいだね。だからちゃんと傘持ってきたの」
「それはいいがどうやって差すんだ?」
「鞄を……こうやって、小脇に抱えてから右手で持つよ」
「閉じる時は」
「それはー……、鞄をいったん置くしかない、かな」
「濡れないために傘を差すのにそれじゃ意味ねえだろが」
まさしく彼の言うとおりで。1人で遂行するには難しい。こんな簡単な、日常生活のひとコマなのにそれすらもできなくて歯痒い。傘は今の琴璃にとってはただの荷物と化す。
「ソイツは車に置いてけ」
能無しになった琴璃の水玉の傘を見て跡部が言う。
「帰りもこれに乗るなら置いていけばいいだろ」
「うん。………うん?」
「部活停止にはなったが俺はやることがある。放課後は昨日と同じく部室にいるから来い」
「また……送ってくれるの?」
「濡れて帰りたい趣味を持ってるなら止めはしないが」
「そ、そんなのないよ!」
やっぱり気を使ってくれている。事故なのに責任を受け止めてくれている。じゃなきゃこんなふうに、なんの接点もない女子を送迎なんてしないんだ。なんだか申し訳なくなる。
「跡部くん、そんな、いいんだよ。本当に何度も言うけどわたしの不注意だから、気にしなくていいんだよ」
「って言ったのはジローに対してだろ」
「へ?」
「あの時お前は病院で、“ジローを”気にかけてくれと言ったぜ。俺は、言われてない」
「そんなの言葉のあやだよ!跡部くんにだって、そう思ってるよ」
「冗談だ」
冗談を言える人なんだ。意外だった。お金持ちで派手で何をやっても成功する人。それでいてちょっと近寄りがたい。そんな印象だった。それは自分と正反対のタイプだからで。人に“見られる”ことに慣れている彼とはきっと合わないんだろうな、と。勝手に決めつけていた。でも実際こんな形で知り合って、琴璃の創り出していた“跡部くん”のイメージは変わった。本当は面倒見がいい人。ジローに対しても琴璃に対しても。優しいんだな、と思う。イメージどおりなのはかっこいい所。彼と話すときは緊張する。相手は学園一の有名人だから、車内では耐えず窓の外を眺めていた。
「琴璃」
「うあ、はいっ」
初めて名前を呼ばれた。
「俺はテニス部の部長だ。ジローのうっかりだろうが偶然が重なったんだろうが、お前に怪我を負わせたのはテニスボールだ。お前が気にしなくても、俺はお前の手首が完治するまで見届ける義務があると思っている」
琴璃は思わず跡部のほうを見た。彼の蒼い瞳もこっちに向けられている。言われた言葉がだんだん身体に染み込んでくるような感覚。勝手に頬が熱くなった。
「跡部くん。……優しい」
「俺様はいつだって優しいだろ?」
「そ、そんなの知らないよ、いつも見てるわけじゃないし」
「なら、いつも見ていたらどうだ」
これもきっと冗談なんだ。自分を元気付けるための。なんだか嬉しくて、それでいて朝からとんでもなくドキドキした。学年一の人気者と登校を共にしている。その事実が信じられない。
やがて氷帝へ着き車は停車した。親切にドアを開けてくれた運転手にお辞儀をする。雨はちょうど止んでいたが空は相変わらず暗い。琴璃は少しほっとした。また跡部の傘にいれてもらうには流石に心の準備が足りてなかった。
校門から昇降口に向かう間、どこからともなく視線が集まってくる。こんな目立つ車が堂々と停まっては当たり前なのだが。女子の黄色い声が飛んでくる。尚更雨が止んでいて良かったと思った。この中を相合傘したら自殺行為だっただろう。琴璃は何か悪い気がして、跡部とは並んで歩かず斜め後ろを着いていった。
後ろ姿もオーラを背負っているんだな。すごいなあ跡部くん、なんてぼんやり背中を見つめながら歩く、そのさ中。
「琴璃ちゃん!」
呼ばれて振り向くとジローが小走りで近寄ってくる。珍しく今日は眠くないようだ。
「おはよー、どう?腕」
「おはよう。大丈夫だよ。痛くないし全然元気 」
傘もさせないのにそんなことを言う。琴璃の気遣いを跡部は黙って聞いていた。
「てか、なんで跡部と一緒に来てんの」
「たまたま道で見つけて拾った」
まるで人のことを捨て猫みたいに言うもんだから琴璃は恥ずかしくなった。
「えーなんで?跡部そーゆうことしないじゃん。なんかいつの間に琴璃ちゃんと仲良くなってない?」
「どうだっていいだろが」
「よくない。琴璃ちゃん、帰りは俺と帰ろうよ!テスト期間だから部活ないし」
「お前は1秒でも早く帰ってテスト勉強をしろ。次の数学は落とせねぇんだろ」
「なんだよー、じゃあ跡部が教えてよ」
「知るか。宍戸にでも面倒見てもらえ」
「琴璃ちゃんは?俺とは帰りたくない?」
「え?えっ……と、」
急にふられて琴璃は困る。そんなわけない。そんなわけないけど、できることなら帰りも跡部の車に乗りたい。彼と話をしたかった。
「ジロー。あんまりこいつを困らせるな」
跡部が割って入った時タイミング良く予令が鳴る。
「やべ、1限目俺当たるんだった!琴璃ちゃんまたね!」
あの様子だと宿題を忘れたのだろう。ジローは全速力で階段を上ってゆく。教師が廊下を走るな、と叫んでいるが覚醒している彼は誰にも止められない。忙しないヤツだ、と跡部は呆れた。話が途切れて良かった。
「跡部くんで、良かった」
「何がだ」
「え?……私、何か言った?」
「跡部くんで、良かった」
「嘘……!」
今さら口を抑えても意味はない。いよいよ末期的だと思った。いつの間にか跡部のことを考えている。一緒に帰るのが跡部くんで良かった。そう思った故に勝手に口から出た言葉。
「ごめん、何でもない……と思う、多分」
「無意識な発言のようだから及第点にしといてやろう」
「へ?」
跡部が琴璃に向き直る。そして、手を伸ばしてきたかと思うと、琴璃の髪を一房掬い上げて目を細めた。
「跡部君“が”、良かったんだろう?」
やがて生徒は誰も居なくなり、廊下に居るのは2人だけ。静かな廊下に雨音が響き始めた。でもそれ以上に心臓が五月蝿い。行くぞ、と跡部は先に歩きだした。追い掛けようと、琴璃が続く。
雨が好きになった。明日の天気も雨がいい。
しばらくずっと雨でいい。おかしな願いだと思った。そんなの無理だと分かってるくせに。