優しい雨
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「全治6週間?うわぁ……そりゃかわいそうに」
事故の次の日の昼休み。琴璃は友人とカフェテリアへ向かう廊下を歩いている。昨日のことを話しながら。
「まあ利き手じゃなかったってだけが幸いだねー」
「うん。そこまで重症じゃなくて良かったよ。今だってそんなに痛くないんだよ?」
「そりゃ痛み止め飲んでるからでしょ」
あっけらかんとしてる琴璃に友人はため息を吐いた。昨日、氷帝に救急車がやってきたかと思えばまさか友達が運ばれるなんて。さらに同乗したのが、教師の他に跡部だったことに周囲はざわついていた。学園で一番の有名人の彼が救急車に乗っていったのだから当然話題になる。おかげで琴璃は今朝から多くの女子に質問攻めにあった。みんな第一声が怪我は大丈夫?、かと思いきや、どうして跡部と救急車に乗ったのか、と。怪我の心配はついでにされたが。
「ね、跡部様になんか言われたの?」
友人もまた、跡部のファンの一人だった。ただし彼女は、ちゃんと琴璃の身を案じた上で聞いてくる。本当は根掘り葉掘り聞きたいのだが、一応遠慮している。
「テニス部のボールで事故したから謝られたよ。そんなふうに思ってないのにね。病院に来たお母さんにまで丁寧に謝ってた」
「うそ!」
「お母さんびっくりしてた」
「でもさ、跡部様のせいじゃないんでしょ?C組の、えーと」
「ジローくんのせいでもないよ。ほんとに、私どんくさいからさ」
事件のことをどうやって知ったのか、早速一部の生徒には、“男子テニス部の芥川が怪我をさせた”と噂が出回っている。琴璃は申し訳なさでいっぱいだった。言葉の通り、自分がとろいせいでこうなったとしか思えない。ジローに悪いイメージがついてしまうのが申し訳ない。
「まあ偶然が重なったってことね。……あ、やば、職員室寄るんだった。琴璃、先に行ってて」
思い出したように友人が言い、歩いてきた廊下を戻っていく。走りながら、先に食べててもいいから、と言われたが待っていようと思った。
お昼の時間帯だけあってカフェテリアはだいぶ席が埋まっていた。窓際の席を見つけて2人分確保できた。今日は何を食べようかなあ、なんて考えながら自販機でお茶を買い、とりあえず友人が合流するのを待つ。
「……あ」
しまった。左手のことを忘れていた。固いキャップを開けるのに片手だけでは無理だ。昨日とまるで同じ光景。じっとペットボトルを見つめても何も起こらない。仕方なく、友人が来たら開けてもらおうかと思っていたら上から手が延びてきた。
「どうぞ、お嬢様」
「……跡部くん」
昨日と同じようにペットボトルのキャップを開けてくれた。そのまま琴璃の隣に座る。
「ありがとう。つい忘れちゃうんだよね。左手使えないこと」
「それくらい常に両手は使ってるんだろう」
そう言って琴璃の左手をとった。壊れ物を扱うように、そっと。一瞬、どきっとする。あの跡部景吾に触れられては琴璃だって恥ずかしさを隠せない。
「白い手だな」
「血の巡りが悪くなってるせいかな。でもぜんぜん痛くないの」
「痛み止めのおかげだろう」
「それ、友達にも言われちゃったよ」
「俺は昨日も言ったぜ」
跡部がふっと笑う。琴璃の腕の包帯をなぞりながら。やっぱり恥ずかしい。周りからの視線をちらほら感じる。琴璃は慌てて話題を切り出した。
「ジローくん、どう?」
「どう、とはなんだ」
「元通り元気になったかなあって」
「まだ今日は話してない。アイツは朝練には滅多に出ねえからな」
「そうなの?私は今日、喋ったよ。ジローくん、今朝わざわざうちのクラスに来て大丈夫?って声かけてくれたよ。大丈夫だよって言ったら笑ってたけど、元気なのかよく分かんなかった」
「そうか。先を越されたな」
「え?」
「クラスが違うのにジローと仲がいいんだな、お前は」
言われてみれば、ジローとはよく喋るほうだ。そんなに異性で仲良くできる存在はいないから貴重な男友達と言ったところか。
「去年同じクラスだったの。1度だけ委員会も一緒だったし」
「それだけで名前で呼び合うのか?」
「うーん……隣の席になったこともあるし、ノートよく見せてあげてたからかな」
「そうか」
2年の時を思い出す。彼は授業中しょっちゅう寝ていたからノートが真っ白だった。琴璃が親切にノートを見せてあげると、物凄く感謝された事は1度や2度ではなかった。
反対に跡部とは、これまで同じクラスにもなったことがない。委員会などでも接点はない。こんな至近距離にいることも初めてだ。だが氷帝内に彼の名前と顔を知らない生徒は存在しない。生徒会長を担いあの大人数のテニス部を束ねる。加えてこの容姿で家柄もよい。女子達が黙っているわけがない。おかげで琴璃も一方的に跡部を知っていた。ただそれは顔と名前を知る程度で。こうして面と向かって話をするのは初めてだった。
「お前の通学手段は何だ?」
「え?バスだよ」
「そうか。なら放課後、テニス部の部室に来い。今日はオフだが、俺が中にいるから入ってきて構わない」
そう言うとこの場から去っていった。
どうしてテニス部に行かなきゃならないんだろう。別に何も予定はないけど。考えていたら友人がやっと来た。ぎりぎり跡部に会えなかったからかなり悔しがっていた。
放課後の約束の時になったが、部室の前でさっきから動けずにいる。入ってもいいと言われたが部外者が平然と開けていいものなのか。数分悩んだ。悩んでドアの前をうろうろして、ようやくドアノブに手をかけた。
「お邪魔、します……」
初めて踏み入れる場所。いきなり大きなソファが眼に飛び込んでくる。それも高そうな生地の。完全に跡部の趣味だ。
「来たか」
奥のほうから跡部が姿を見せる。いったいこの中はどういう間取りになってるのだろう。思わず目移りしてしまう。
「あと少しで終わる。適当に座ってろ」
と、言われても。この無駄に大きいソファしかない。恐れ多くも腰かけてみた。自分の家のものと比べ物にならないくらいふかふかする。座った場所から奥の部屋にいる跡部が見えた。何かを書いている。横顔が綺麗だ、なんて思ってしまった。じっと見ていたら視線に気付いた彼が琴璃のほうに顔を向けた。
「見とれてただろ」
「いや、あの、その何してるのかなあって」
「部長は色々やること溜まってんだよ」
部活はオフだというのに業務があるらしい。跡部は黙々と部誌のようなものを書いていた。それがようやくきりがついたらしく、自分のロッカーから鞄を出した。
「待たせたな。帰るか 」
「……跡部くん、私に用があってここに呼んだんじゃないの?」
「用件は帰ることだ」
「え?」
「外、見てみろ」
と言い顎で窓をさす。幾つかの水滴がついている。それはだんだんと増えてゆく。
「うわ、雨だ」
「昼過ぎから降るとは言っていたが、意外ともったな」
「え?そうなの?」
「お前は予報を確認したりしないのかよ」
「見るよ、朝にちゃんと。たまに忘れることもあるけど……」
そのたまに、が今日だった。傘を持ってきていない。跡部は部室の施錠をし、自身の骨の多い、これまた高そうな傘を広げる。そして琴璃のほうへ傾けてきた。つまり、入れと言っている。
「傘をさして鞄を持つには必然的に両手を使うことになる。だが傘自体持ってないならその心配は杞憂だったな」
「……」
「おい。何してる」
「なんか……悪いよ。だって、」
跡部景吾と相合傘。恋人でも、友達でもなんでもないのに。友人やその他大勢の女子に恨まれるに決まってる。願わくば誰にも見つかりませんように。祈りながらそろりと傘の下に入った。雨足は次第に強くなってきた。門までの一直線が長く感じる。
彼は天気を知っていた。琴璃が雨に手こずるのを予感して部室に呼んだ。濡れずに、送り届けるために。都合よく考えてしまう。たとえ自惚れでも素直に嬉しい。
頭1つ分近く違う彼は琴璃の歩くスピードに合わせてくれている。こういうところがモテるんだろうなあ、と思った。隣にいると足の長さが目立って仕方ない。
校門を出たところに迎えの車が待っていた。見たこともない大きな外国車。運転手がどうぞ、と言いながら後部座席を開ける。
「すごいなあ。跡部くんはいつも車で来てるんだ」
「移動に時間をかけることが惜しいからな」
「そっか……」
彼は沢山の職分があるから。同じ3年なのにこれほどに違うんだな、と思った。先生からも生徒からも期待されて常に誰かに注目されている。自分はそんな重いものを背負ったりしていない。平凡な高校生活を送って、たまたま見たいテレビのために急いで帰ろうとしたら転んで手首を骨折する始末。情けない。雨の街を車内から眺めながら、改めて自分の不甲斐なさを感じた。
事故の次の日の昼休み。琴璃は友人とカフェテリアへ向かう廊下を歩いている。昨日のことを話しながら。
「まあ利き手じゃなかったってだけが幸いだねー」
「うん。そこまで重症じゃなくて良かったよ。今だってそんなに痛くないんだよ?」
「そりゃ痛み止め飲んでるからでしょ」
あっけらかんとしてる琴璃に友人はため息を吐いた。昨日、氷帝に救急車がやってきたかと思えばまさか友達が運ばれるなんて。さらに同乗したのが、教師の他に跡部だったことに周囲はざわついていた。学園で一番の有名人の彼が救急車に乗っていったのだから当然話題になる。おかげで琴璃は今朝から多くの女子に質問攻めにあった。みんな第一声が怪我は大丈夫?、かと思いきや、どうして跡部と救急車に乗ったのか、と。怪我の心配はついでにされたが。
「ね、跡部様になんか言われたの?」
友人もまた、跡部のファンの一人だった。ただし彼女は、ちゃんと琴璃の身を案じた上で聞いてくる。本当は根掘り葉掘り聞きたいのだが、一応遠慮している。
「テニス部のボールで事故したから謝られたよ。そんなふうに思ってないのにね。病院に来たお母さんにまで丁寧に謝ってた」
「うそ!」
「お母さんびっくりしてた」
「でもさ、跡部様のせいじゃないんでしょ?C組の、えーと」
「ジローくんのせいでもないよ。ほんとに、私どんくさいからさ」
事件のことをどうやって知ったのか、早速一部の生徒には、“男子テニス部の芥川が怪我をさせた”と噂が出回っている。琴璃は申し訳なさでいっぱいだった。言葉の通り、自分がとろいせいでこうなったとしか思えない。ジローに悪いイメージがついてしまうのが申し訳ない。
「まあ偶然が重なったってことね。……あ、やば、職員室寄るんだった。琴璃、先に行ってて」
思い出したように友人が言い、歩いてきた廊下を戻っていく。走りながら、先に食べててもいいから、と言われたが待っていようと思った。
お昼の時間帯だけあってカフェテリアはだいぶ席が埋まっていた。窓際の席を見つけて2人分確保できた。今日は何を食べようかなあ、なんて考えながら自販機でお茶を買い、とりあえず友人が合流するのを待つ。
「……あ」
しまった。左手のことを忘れていた。固いキャップを開けるのに片手だけでは無理だ。昨日とまるで同じ光景。じっとペットボトルを見つめても何も起こらない。仕方なく、友人が来たら開けてもらおうかと思っていたら上から手が延びてきた。
「どうぞ、お嬢様」
「……跡部くん」
昨日と同じようにペットボトルのキャップを開けてくれた。そのまま琴璃の隣に座る。
「ありがとう。つい忘れちゃうんだよね。左手使えないこと」
「それくらい常に両手は使ってるんだろう」
そう言って琴璃の左手をとった。壊れ物を扱うように、そっと。一瞬、どきっとする。あの跡部景吾に触れられては琴璃だって恥ずかしさを隠せない。
「白い手だな」
「血の巡りが悪くなってるせいかな。でもぜんぜん痛くないの」
「痛み止めのおかげだろう」
「それ、友達にも言われちゃったよ」
「俺は昨日も言ったぜ」
跡部がふっと笑う。琴璃の腕の包帯をなぞりながら。やっぱり恥ずかしい。周りからの視線をちらほら感じる。琴璃は慌てて話題を切り出した。
「ジローくん、どう?」
「どう、とはなんだ」
「元通り元気になったかなあって」
「まだ今日は話してない。アイツは朝練には滅多に出ねえからな」
「そうなの?私は今日、喋ったよ。ジローくん、今朝わざわざうちのクラスに来て大丈夫?って声かけてくれたよ。大丈夫だよって言ったら笑ってたけど、元気なのかよく分かんなかった」
「そうか。先を越されたな」
「え?」
「クラスが違うのにジローと仲がいいんだな、お前は」
言われてみれば、ジローとはよく喋るほうだ。そんなに異性で仲良くできる存在はいないから貴重な男友達と言ったところか。
「去年同じクラスだったの。1度だけ委員会も一緒だったし」
「それだけで名前で呼び合うのか?」
「うーん……隣の席になったこともあるし、ノートよく見せてあげてたからかな」
「そうか」
2年の時を思い出す。彼は授業中しょっちゅう寝ていたからノートが真っ白だった。琴璃が親切にノートを見せてあげると、物凄く感謝された事は1度や2度ではなかった。
反対に跡部とは、これまで同じクラスにもなったことがない。委員会などでも接点はない。こんな至近距離にいることも初めてだ。だが氷帝内に彼の名前と顔を知らない生徒は存在しない。生徒会長を担いあの大人数のテニス部を束ねる。加えてこの容姿で家柄もよい。女子達が黙っているわけがない。おかげで琴璃も一方的に跡部を知っていた。ただそれは顔と名前を知る程度で。こうして面と向かって話をするのは初めてだった。
「お前の通学手段は何だ?」
「え?バスだよ」
「そうか。なら放課後、テニス部の部室に来い。今日はオフだが、俺が中にいるから入ってきて構わない」
そう言うとこの場から去っていった。
どうしてテニス部に行かなきゃならないんだろう。別に何も予定はないけど。考えていたら友人がやっと来た。ぎりぎり跡部に会えなかったからかなり悔しがっていた。
放課後の約束の時になったが、部室の前でさっきから動けずにいる。入ってもいいと言われたが部外者が平然と開けていいものなのか。数分悩んだ。悩んでドアの前をうろうろして、ようやくドアノブに手をかけた。
「お邪魔、します……」
初めて踏み入れる場所。いきなり大きなソファが眼に飛び込んでくる。それも高そうな生地の。完全に跡部の趣味だ。
「来たか」
奥のほうから跡部が姿を見せる。いったいこの中はどういう間取りになってるのだろう。思わず目移りしてしまう。
「あと少しで終わる。適当に座ってろ」
と、言われても。この無駄に大きいソファしかない。恐れ多くも腰かけてみた。自分の家のものと比べ物にならないくらいふかふかする。座った場所から奥の部屋にいる跡部が見えた。何かを書いている。横顔が綺麗だ、なんて思ってしまった。じっと見ていたら視線に気付いた彼が琴璃のほうに顔を向けた。
「見とれてただろ」
「いや、あの、その何してるのかなあって」
「部長は色々やること溜まってんだよ」
部活はオフだというのに業務があるらしい。跡部は黙々と部誌のようなものを書いていた。それがようやくきりがついたらしく、自分のロッカーから鞄を出した。
「待たせたな。帰るか 」
「……跡部くん、私に用があってここに呼んだんじゃないの?」
「用件は帰ることだ」
「え?」
「外、見てみろ」
と言い顎で窓をさす。幾つかの水滴がついている。それはだんだんと増えてゆく。
「うわ、雨だ」
「昼過ぎから降るとは言っていたが、意外ともったな」
「え?そうなの?」
「お前は予報を確認したりしないのかよ」
「見るよ、朝にちゃんと。たまに忘れることもあるけど……」
そのたまに、が今日だった。傘を持ってきていない。跡部は部室の施錠をし、自身の骨の多い、これまた高そうな傘を広げる。そして琴璃のほうへ傾けてきた。つまり、入れと言っている。
「傘をさして鞄を持つには必然的に両手を使うことになる。だが傘自体持ってないならその心配は杞憂だったな」
「……」
「おい。何してる」
「なんか……悪いよ。だって、」
跡部景吾と相合傘。恋人でも、友達でもなんでもないのに。友人やその他大勢の女子に恨まれるに決まってる。願わくば誰にも見つかりませんように。祈りながらそろりと傘の下に入った。雨足は次第に強くなってきた。門までの一直線が長く感じる。
彼は天気を知っていた。琴璃が雨に手こずるのを予感して部室に呼んだ。濡れずに、送り届けるために。都合よく考えてしまう。たとえ自惚れでも素直に嬉しい。
頭1つ分近く違う彼は琴璃の歩くスピードに合わせてくれている。こういうところがモテるんだろうなあ、と思った。隣にいると足の長さが目立って仕方ない。
校門を出たところに迎えの車が待っていた。見たこともない大きな外国車。運転手がどうぞ、と言いながら後部座席を開ける。
「すごいなあ。跡部くんはいつも車で来てるんだ」
「移動に時間をかけることが惜しいからな」
「そっか……」
彼は沢山の職分があるから。同じ3年なのにこれほどに違うんだな、と思った。先生からも生徒からも期待されて常に誰かに注目されている。自分はそんな重いものを背負ったりしていない。平凡な高校生活を送って、たまたま見たいテレビのために急いで帰ろうとしたら転んで手首を骨折する始末。情けない。雨の街を車内から眺めながら、改めて自分の不甲斐なさを感じた。