優しい雨
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
氷帝からそう遠くない都内の病院。その広いロビーの椅子に座り、跡部はじっとしている。その近くにはジローがいて、彼はさっきから世話しなく動いている。跡部の目の前で行ったり来たり。
「座ってろ」
「でも、でも……」
「動き回ったってどうにもならねえだろ。周りにも迷惑だ」
「あとべ、冷たい」
注意をされて仕方なくジローは跡部の隣に腰を下ろす。その表情は曇っている。
「大丈夫かな」
「おそらく無傷ではないだろうな」
「どうしよう……」
ジローは顔の前で手を組み祈った。冷や汗が止まらない。どうしよう、どうしようとひたすら繰り返す。隣の跡部は微動だにせず一点を見つめている。
「ジローくん」
声がしたほうを見ると琴璃と担任の教師が歩いてくるところだった。ちょっと電話してくるわね、と言って教師は席をはずした。ジローが急いで琴璃に駆け寄る。
「琴璃ちゃん!どうだった?」
「手首、ちょっとヒビが入っちゃったみたい」
苦笑いをして左手首を見えるように持ち上げる。ギブスをされ二回りほど太くなっていた。指先はかろうじて肌色を保っているが、全体的に巻かれた包帯が痛々しい。
「全治どれくらいだ」
「あ、跡部くん。待っててくれたの?ごめんね」
「俺はテニス部部長だ。俺にも責任はある」
「責任なんて、そんな。わたしがどんくさかっただけだよ」
だから誰のせいでもないよ、と。彼女は笑う。
昨日の放課後。ジローは珍しく部活に最初から参加した。その日はたっぷり授業中に昼寝をしたから眠くなかったのだ。夢中になってスマッシュを打った。夢中だったからいくつかはフェンスの向こうへ飛んでいったが、探しに行くのも面倒くさかった。部活終わりに回収に行けばいいと思った。でもそれを忘れてしまった。
そして今日、急ぎの用で走っていた琴璃が落ちていたテニスボールに思いきり乗っかった。バランスを崩した身体を支えようと咄嗟に左手をついた。それが変な向きになってしまい、猛烈な痛みに襲われた。うずくまる琴璃をたまたま跡部が見つけて担任を呼び、病院へ連れてこられたのだ。そうして今に至る。
いわゆる不慮の事故だった。それでもジローは納得しない。
「 琴璃ちゃん……ごめんね、俺のせいだ。俺がちゃんとボール片付けなかったから」
「ジローくん、本当にそんなふうに思ってないよ。私がちゃんと見てなかったのもいけないんだし」
「……でも」
「それに利き手と逆だし。それにそれに、私、初めて救急車に乗れたし」
最後のほうは慰めになってない。でも琴璃は必死だった。しゅんとするジローを見ていられなかったのだ。寝てる時以外はいつも元気でにこにこしてる彼だから余計に。
「だが、片付けを怠らなければ招かなかった事態だ」
跡部が静かに言う。確かにそうだが。それを聞いて隣でジローの肩がびくりと跳ねる。彼はまた項垂れてしまった。
「お前の親御さんが来たら謝罪する」
「俺も!」
「だ、大丈夫だよほんとに。テニス部は関係ないんだし」
「無くはないだろう。お前が乗り上げたのは紛れもなくテニスボールなんだ。で、なんて診察されたんだ」
「うーん、全治5、6週間ってとこかな」
「そんなに……」
「けど今はもう、痛くないよ」
「そりゃ痛み止めが効いてるからだろうよ」
「琴璃ちゃん、今なんかしてほしいことある?」
「え?」
「なんかない?あ、喉とか渇いてない?」
「……って言われると、そうかも」
「俺、買ってくる!」
勢いよくジローは走っていった。痛々しい琴璃を目の前に居ても立ってもいられない。彼なりの気遣いの表れだったのだが、病院内を全速力で駆け抜けてゆく青年に周りの人は驚いていた。やれやれ、と跡部はまた椅子に腰を下ろす。隣に琴璃も腰掛ける。
「ったく。アイツここを何処だと思ってやがる」
「すごい速さだね」
「今日はこのまま帰るのか?」
「うーん、どうだろ。いったん荷物とりに戻るようかも」
転んでそのまま動けなくなり、あっという間に救急車でここに連れてこられたから鞄も何も持っていなかった。
「もっとヤバそうかな、とか一瞬思ったけど、これくらいで良かったよ」
「これも充分ヤバいだろが。しばらく片手しか使えないのはなかなか不便だろう」
そうだねー、と琴璃はほんのり笑う。まるで他人事のように答えるから跡部はまじまじと彼女を見た。
「なに?」
「いや。お前が、テニス部のせいで怪我をしたとでも訴えてくるような女だったらどうしようかと思っていた。もしそうだったら、流石の俺もジローを護りきれなかったかもしれない。最悪、部活動停止なんて事態になり兼ねないとも思っていた」
「そ、そんなこと考えてたの!」
今までに部活内で怪我をした部員は居る。だがテニス部と関係のない生徒を巻き込んだことは一度もなかった。それが今回こんな形で起きてしまったのだから、部長としても少しは頭を抱えるものだった。琴璃がテニス部のファンで、怪我を理由に交換条件を突き付けてくるような女子生徒じゃなかったことは、不謹慎だが運が良いというか救いだった。実際にそういう女が居て、ボールがぶつかったからお詫びに自分をマネージャーにして、だなんてとんでもないことを言ってきたことがあった。そういう熱狂的なファンは少なからず居るのだが、琴璃はまた違ったタイプの女だと跡部は思った。兎に角、自分が被害者だとは感じていないところは少し気掛かりだ。
「お待たせ!何がいいか聞くの忘れてテキトーに買ってきた。琴璃ちゃんどれがいい?」
ジローが両手いっぱいにペットボトルを抱えて戻ってきた。確実に人数分以上の本数がある。
「じゃあ……お茶にしようかな。ありがとう」
「どういたしまして」
ジローは、にしし、と笑っている。感謝されて少しは元気が出たらしい。琴璃はペットボトルを受け取った、が、はたと固まる。
「貸せ」
「あ……」
跡部が琴璃からペットボトルを奪い、キャップを回し開けてやる。パキッといい音がした。
「ごめん、気が利かなくて……」
「ううん、ぜんぜん!」
「……ゴミ、捨ててくる!ちなみに先生も探してくる!」
と言ってジローはまた息つく間もなく行ってしまった。
「アイツ、俺の顔色を伺ってんだ」
「え?そうなの?」
「俺に怒られるか、何かしら罰を与えられるのを恐れてるんだろうよ」
やたらと落ち着きがないのは琴璃への申し訳なさだけじゃないらしい。それ以上に跡部が怖いのだろう。跡部が何も言わないから機嫌を探っているのだ。お陰で今日のジローはうとうとする暇がない。この状態が続くのならもう少しこれでもいいかもしれない。あの寝坊助が部活中に緊張感を欠くことなくいられるのではないかと、跡部はそう思った。でも琴璃は不安げな顔をしている。そして跡部に向き直って口を開いた。
「跡部くん、本当の本当に気にしないでほしいの。偶然が重なったからこうなったんだし。ジローくんが気にしちゃってるみたいだから。その、跡部くんからも気にかけてあげてくれないかな」
変わってるな、と跡部は思う。普通なら、怪我の程度にもよるが自分のことでいっぱいになるだろうに。自分の怪我そっちのけでジローを心配している。それは彼女が優しいからできること。
思いやりのある琴璃の申し出に跡部は分かった、と返事をした。
「座ってろ」
「でも、でも……」
「動き回ったってどうにもならねえだろ。周りにも迷惑だ」
「あとべ、冷たい」
注意をされて仕方なくジローは跡部の隣に腰を下ろす。その表情は曇っている。
「大丈夫かな」
「おそらく無傷ではないだろうな」
「どうしよう……」
ジローは顔の前で手を組み祈った。冷や汗が止まらない。どうしよう、どうしようとひたすら繰り返す。隣の跡部は微動だにせず一点を見つめている。
「ジローくん」
声がしたほうを見ると琴璃と担任の教師が歩いてくるところだった。ちょっと電話してくるわね、と言って教師は席をはずした。ジローが急いで琴璃に駆け寄る。
「琴璃ちゃん!どうだった?」
「手首、ちょっとヒビが入っちゃったみたい」
苦笑いをして左手首を見えるように持ち上げる。ギブスをされ二回りほど太くなっていた。指先はかろうじて肌色を保っているが、全体的に巻かれた包帯が痛々しい。
「全治どれくらいだ」
「あ、跡部くん。待っててくれたの?ごめんね」
「俺はテニス部部長だ。俺にも責任はある」
「責任なんて、そんな。わたしがどんくさかっただけだよ」
だから誰のせいでもないよ、と。彼女は笑う。
昨日の放課後。ジローは珍しく部活に最初から参加した。その日はたっぷり授業中に昼寝をしたから眠くなかったのだ。夢中になってスマッシュを打った。夢中だったからいくつかはフェンスの向こうへ飛んでいったが、探しに行くのも面倒くさかった。部活終わりに回収に行けばいいと思った。でもそれを忘れてしまった。
そして今日、急ぎの用で走っていた琴璃が落ちていたテニスボールに思いきり乗っかった。バランスを崩した身体を支えようと咄嗟に左手をついた。それが変な向きになってしまい、猛烈な痛みに襲われた。うずくまる琴璃をたまたま跡部が見つけて担任を呼び、病院へ連れてこられたのだ。そうして今に至る。
いわゆる不慮の事故だった。それでもジローは納得しない。
「 琴璃ちゃん……ごめんね、俺のせいだ。俺がちゃんとボール片付けなかったから」
「ジローくん、本当にそんなふうに思ってないよ。私がちゃんと見てなかったのもいけないんだし」
「……でも」
「それに利き手と逆だし。それにそれに、私、初めて救急車に乗れたし」
最後のほうは慰めになってない。でも琴璃は必死だった。しゅんとするジローを見ていられなかったのだ。寝てる時以外はいつも元気でにこにこしてる彼だから余計に。
「だが、片付けを怠らなければ招かなかった事態だ」
跡部が静かに言う。確かにそうだが。それを聞いて隣でジローの肩がびくりと跳ねる。彼はまた項垂れてしまった。
「お前の親御さんが来たら謝罪する」
「俺も!」
「だ、大丈夫だよほんとに。テニス部は関係ないんだし」
「無くはないだろう。お前が乗り上げたのは紛れもなくテニスボールなんだ。で、なんて診察されたんだ」
「うーん、全治5、6週間ってとこかな」
「そんなに……」
「けど今はもう、痛くないよ」
「そりゃ痛み止めが効いてるからだろうよ」
「琴璃ちゃん、今なんかしてほしいことある?」
「え?」
「なんかない?あ、喉とか渇いてない?」
「……って言われると、そうかも」
「俺、買ってくる!」
勢いよくジローは走っていった。痛々しい琴璃を目の前に居ても立ってもいられない。彼なりの気遣いの表れだったのだが、病院内を全速力で駆け抜けてゆく青年に周りの人は驚いていた。やれやれ、と跡部はまた椅子に腰を下ろす。隣に琴璃も腰掛ける。
「ったく。アイツここを何処だと思ってやがる」
「すごい速さだね」
「今日はこのまま帰るのか?」
「うーん、どうだろ。いったん荷物とりに戻るようかも」
転んでそのまま動けなくなり、あっという間に救急車でここに連れてこられたから鞄も何も持っていなかった。
「もっとヤバそうかな、とか一瞬思ったけど、これくらいで良かったよ」
「これも充分ヤバいだろが。しばらく片手しか使えないのはなかなか不便だろう」
そうだねー、と琴璃はほんのり笑う。まるで他人事のように答えるから跡部はまじまじと彼女を見た。
「なに?」
「いや。お前が、テニス部のせいで怪我をしたとでも訴えてくるような女だったらどうしようかと思っていた。もしそうだったら、流石の俺もジローを護りきれなかったかもしれない。最悪、部活動停止なんて事態になり兼ねないとも思っていた」
「そ、そんなこと考えてたの!」
今までに部活内で怪我をした部員は居る。だがテニス部と関係のない生徒を巻き込んだことは一度もなかった。それが今回こんな形で起きてしまったのだから、部長としても少しは頭を抱えるものだった。琴璃がテニス部のファンで、怪我を理由に交換条件を突き付けてくるような女子生徒じゃなかったことは、不謹慎だが運が良いというか救いだった。実際にそういう女が居て、ボールがぶつかったからお詫びに自分をマネージャーにして、だなんてとんでもないことを言ってきたことがあった。そういう熱狂的なファンは少なからず居るのだが、琴璃はまた違ったタイプの女だと跡部は思った。兎に角、自分が被害者だとは感じていないところは少し気掛かりだ。
「お待たせ!何がいいか聞くの忘れてテキトーに買ってきた。琴璃ちゃんどれがいい?」
ジローが両手いっぱいにペットボトルを抱えて戻ってきた。確実に人数分以上の本数がある。
「じゃあ……お茶にしようかな。ありがとう」
「どういたしまして」
ジローは、にしし、と笑っている。感謝されて少しは元気が出たらしい。琴璃はペットボトルを受け取った、が、はたと固まる。
「貸せ」
「あ……」
跡部が琴璃からペットボトルを奪い、キャップを回し開けてやる。パキッといい音がした。
「ごめん、気が利かなくて……」
「ううん、ぜんぜん!」
「……ゴミ、捨ててくる!ちなみに先生も探してくる!」
と言ってジローはまた息つく間もなく行ってしまった。
「アイツ、俺の顔色を伺ってんだ」
「え?そうなの?」
「俺に怒られるか、何かしら罰を与えられるのを恐れてるんだろうよ」
やたらと落ち着きがないのは琴璃への申し訳なさだけじゃないらしい。それ以上に跡部が怖いのだろう。跡部が何も言わないから機嫌を探っているのだ。お陰で今日のジローはうとうとする暇がない。この状態が続くのならもう少しこれでもいいかもしれない。あの寝坊助が部活中に緊張感を欠くことなくいられるのではないかと、跡部はそう思った。でも琴璃は不安げな顔をしている。そして跡部に向き直って口を開いた。
「跡部くん、本当の本当に気にしないでほしいの。偶然が重なったからこうなったんだし。ジローくんが気にしちゃってるみたいだから。その、跡部くんからも気にかけてあげてくれないかな」
変わってるな、と跡部は思う。普通なら、怪我の程度にもよるが自分のことでいっぱいになるだろうに。自分の怪我そっちのけでジローを心配している。それは彼女が優しいからできること。
思いやりのある琴璃の申し出に跡部は分かった、と返事をした。
1/6ページ