真昼の月
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⚠関西弁表現や、医療に関するワードやシーンが不自然なところがでてくるかもしれません。細かな点はご容赦いただけますと幸いです。
記入し終わった問診票をいま一度見直す。“年齢”の項目に書かれた数字は28だった。そのまま視線をちらりと目の前に座っている患者に向ける。どう見たって、自分より年上には見えない。あどけなさが微かに残っている。もの凄い童顔という可能性も無きにしも非ずだが、そんなふうにも見えない。これで俺より年上なわけあるかいな、と内心でつっこんだ。彼女は間違いなく嘘をついている。年齢以外にも、色々と。
「ほんまに転んだだけですよね?」
もう一度忍足は聞く。彼女はぴくりと肩を震わせて、小さく「はい」と答えた。さっきからずっと、困った顔をしている。怪我の痛みのせいで顔を歪めているというより、まるで何かに怯えているようだ。
時刻は夜の10時過ぎ。たまたま今日は中の勤務人数が少なかった。先輩が休憩にいく代わりに、その間自分が受付と初期対応を任された。交代をして間もなく、夜間外来に1人の女性がやって来た。虚ろな目で、片足をちょっと引きずって現れた彼女。問診票の名前の欄には藤白琴璃と書かれている。でもこれも、本当なのかどうか分からない。
片足に火傷を負ってしまったのだそうだ。家の中で躓いた時に鍋をひっくり返したらしい。その拍子に鍋の中の熱湯が足にかかった、らしい。忍足は終始半信半疑で彼女の説明を聞いていた。
挙動の不審さ、目の泳ぎ方、声の上ずり方。どれもがみんな怪しすぎる。痛々しい患部の処置をしながらそう感じていた。彼女が怪我を負ったのは、足の脛側ではなくてふくらはぎ側だった。こんな場所に熱湯がかかるだろうか。鍋をひっくり返したのなら正面側に怪我を負うのが自然ではないか。ほかに熱い鍋がぶつかった跡なんかもつくのではないか。疑問がいくつも湧き出てくる。不自然な点はそれだけではなく、なんと、怪我をしたほうではない足に痣を見つけてしまったのだ。処置をしている時に見えてしまった大きな内出血の跡は、1つや2つではなかった。もうこれが決定打となった。彼女は自分で怪我をしたんじゃない。誰かに負わされたのだと。そう判断した。
「質問を変えますね。自分でやった怪我ですか?」
忍足の質問にあからさまにまた目が泳いだ。
これは自分の不注意でできた怪我じゃない。となればもう、答えはほぼ確定なわけで。
見逃すわけにはいかない。でもそうだとして、警察やそういった専門のほうに報告をあげるには患者本人の反応も必要になってくる。この程度の怪我では、本人が拒否をすればこちらは何もできないのだ。
どうしようか。とりあえず先輩医師に事情を話さなくては。そう思っていると、再び消え入りそうな声で彼女が言った。
「私が自分で転びました。だから、大丈夫です」
「大丈夫って、なにが?」
「だから、その……危ないこととかではないので」
彼女の話すことは明らかな嘘だ。まだ未熟な経験数である忍足にも分かる。もともと人の心を読むのを得意としているのもあるが、そうでなくても彼女の不自然さは目立つ。
だが大丈夫と言われてしまうと、こっちは引き下がるしかない。だけど彼女は全然大丈夫という顔をしていない。
「……帰り、どうすんの?誰かに連絡できる?」
もうこの際だから敬語をやめた。少しでも彼女の緊張が解けると思って。気に掛ける質問を投げかけると、彼女は俯き、黙ったまま首を静かに横に振った。その頼りない反応を見て忍足は内心で溜息を吐く。
本当にこのまま帰して大丈夫なのか。本当に彼女はそれでいいのか。俺はそれでいいのか。
自分に強く問いかける。けれど答えはすぐに出た。
「せやったら。一晩だけ、ウチ来る?」
彼女がばっと顔を上げた。目が真ん丸く見開かれている。忍足が言った言葉の意味を、探っている目をしている。
「あー、そういう変な意味とかやなくて。や、誤解せんといてください。気に障ったんなら謝るわ。やっぱ――」
「行っても、いいんですか?」
「へ」
自分で誘っておいて間抜けな声で返事をしてしまった。まさか彼女が提案を受け入れるとは思ってなかったから。だけど冗談で言ったわけではなかった。本当に心配だったからこんな言葉が飛び出たに過ぎない。
「……まあ、泊まるだけなら。部屋いっこ余っとるし。あ、でも待って。その前に本当の年齢教えて。これ、嘘やんな?」
と、問診票を指差して聞く。
「……本当は21です」
「ほんまに?嘘つかれると、下手したら俺、犯罪者になってまうから」
「本当です」
彼女はバッグの中から財布を取り出し免許証を見せてきた。生まれ年を見ると、自分よりも3年後に生まれていることを確認できた。ついでに名前も確認する。こちらは記入通りだった。成人してるのなら、一先ずは大丈夫か。いや、決して大丈夫ということではないけれど。
「なら良かったわ。いや、良いとか、そういう意味やないんやけど」
そういう意味ってどういう意味やねん。なんだか話が急展開してしまって思わず自分でつっこみたくもなる。でも、彼女は不快を感じているようでもなかった。消え入りそうな声でお礼を言ってきた。
「ありがとうございます」
そして少しだけ笑った。その笑顔はあまりにも寂し気だった。いろんな事情があるのだろうけど、もう忍足は聞かなかった。報告の部分にはそれらしく記入をする。自分が身柄を保護しただなんて、死んでも書けない。
「ほんなら、俺あと1時間ちょいで仕事終わるから。下のロビーとかで待っとって。コンビニとかも入っとるから、そこら辺におって」
終わったら連絡すると言って、紙に自分の携帯番号を書いて渡す。
こんなことが病院の誰かに知られりしたら。大変なことになる。下手すりゃここで働けなくなってしまう。暴力を受けているらしき女性を自分の家に連れて帰るだなんて。一見すれば正しい行いのように見えるけれど、状況と立場を考えれば手放しで褒められるものじゃない。たまたま自分が彼女の手当てをしたからといって、この役目を担うのは間違っているのだ。
分かっている。でも放っておけなかった。
ただそれだけの感情で、こんな危ない行動に出た自分が居る。いつからこんなにもお節介になったのだろうか。
記入し終わった問診票をいま一度見直す。“年齢”の項目に書かれた数字は28だった。そのまま視線をちらりと目の前に座っている患者に向ける。どう見たって、自分より年上には見えない。あどけなさが微かに残っている。もの凄い童顔という可能性も無きにしも非ずだが、そんなふうにも見えない。これで俺より年上なわけあるかいな、と内心でつっこんだ。彼女は間違いなく嘘をついている。年齢以外にも、色々と。
「ほんまに転んだだけですよね?」
もう一度忍足は聞く。彼女はぴくりと肩を震わせて、小さく「はい」と答えた。さっきからずっと、困った顔をしている。怪我の痛みのせいで顔を歪めているというより、まるで何かに怯えているようだ。
時刻は夜の10時過ぎ。たまたま今日は中の勤務人数が少なかった。先輩が休憩にいく代わりに、その間自分が受付と初期対応を任された。交代をして間もなく、夜間外来に1人の女性がやって来た。虚ろな目で、片足をちょっと引きずって現れた彼女。問診票の名前の欄には藤白琴璃と書かれている。でもこれも、本当なのかどうか分からない。
片足に火傷を負ってしまったのだそうだ。家の中で躓いた時に鍋をひっくり返したらしい。その拍子に鍋の中の熱湯が足にかかった、らしい。忍足は終始半信半疑で彼女の説明を聞いていた。
挙動の不審さ、目の泳ぎ方、声の上ずり方。どれもがみんな怪しすぎる。痛々しい患部の処置をしながらそう感じていた。彼女が怪我を負ったのは、足の脛側ではなくてふくらはぎ側だった。こんな場所に熱湯がかかるだろうか。鍋をひっくり返したのなら正面側に怪我を負うのが自然ではないか。ほかに熱い鍋がぶつかった跡なんかもつくのではないか。疑問がいくつも湧き出てくる。不自然な点はそれだけではなく、なんと、怪我をしたほうではない足に痣を見つけてしまったのだ。処置をしている時に見えてしまった大きな内出血の跡は、1つや2つではなかった。もうこれが決定打となった。彼女は自分で怪我をしたんじゃない。誰かに負わされたのだと。そう判断した。
「質問を変えますね。自分でやった怪我ですか?」
忍足の質問にあからさまにまた目が泳いだ。
これは自分の不注意でできた怪我じゃない。となればもう、答えはほぼ確定なわけで。
見逃すわけにはいかない。でもそうだとして、警察やそういった専門のほうに報告をあげるには患者本人の反応も必要になってくる。この程度の怪我では、本人が拒否をすればこちらは何もできないのだ。
どうしようか。とりあえず先輩医師に事情を話さなくては。そう思っていると、再び消え入りそうな声で彼女が言った。
「私が自分で転びました。だから、大丈夫です」
「大丈夫って、なにが?」
「だから、その……危ないこととかではないので」
彼女の話すことは明らかな嘘だ。まだ未熟な経験数である忍足にも分かる。もともと人の心を読むのを得意としているのもあるが、そうでなくても彼女の不自然さは目立つ。
だが大丈夫と言われてしまうと、こっちは引き下がるしかない。だけど彼女は全然大丈夫という顔をしていない。
「……帰り、どうすんの?誰かに連絡できる?」
もうこの際だから敬語をやめた。少しでも彼女の緊張が解けると思って。気に掛ける質問を投げかけると、彼女は俯き、黙ったまま首を静かに横に振った。その頼りない反応を見て忍足は内心で溜息を吐く。
本当にこのまま帰して大丈夫なのか。本当に彼女はそれでいいのか。俺はそれでいいのか。
自分に強く問いかける。けれど答えはすぐに出た。
「せやったら。一晩だけ、ウチ来る?」
彼女がばっと顔を上げた。目が真ん丸く見開かれている。忍足が言った言葉の意味を、探っている目をしている。
「あー、そういう変な意味とかやなくて。や、誤解せんといてください。気に障ったんなら謝るわ。やっぱ――」
「行っても、いいんですか?」
「へ」
自分で誘っておいて間抜けな声で返事をしてしまった。まさか彼女が提案を受け入れるとは思ってなかったから。だけど冗談で言ったわけではなかった。本当に心配だったからこんな言葉が飛び出たに過ぎない。
「……まあ、泊まるだけなら。部屋いっこ余っとるし。あ、でも待って。その前に本当の年齢教えて。これ、嘘やんな?」
と、問診票を指差して聞く。
「……本当は21です」
「ほんまに?嘘つかれると、下手したら俺、犯罪者になってまうから」
「本当です」
彼女はバッグの中から財布を取り出し免許証を見せてきた。生まれ年を見ると、自分よりも3年後に生まれていることを確認できた。ついでに名前も確認する。こちらは記入通りだった。成人してるのなら、一先ずは大丈夫か。いや、決して大丈夫ということではないけれど。
「なら良かったわ。いや、良いとか、そういう意味やないんやけど」
そういう意味ってどういう意味やねん。なんだか話が急展開してしまって思わず自分でつっこみたくもなる。でも、彼女は不快を感じているようでもなかった。消え入りそうな声でお礼を言ってきた。
「ありがとうございます」
そして少しだけ笑った。その笑顔はあまりにも寂し気だった。いろんな事情があるのだろうけど、もう忍足は聞かなかった。報告の部分にはそれらしく記入をする。自分が身柄を保護しただなんて、死んでも書けない。
「ほんなら、俺あと1時間ちょいで仕事終わるから。下のロビーとかで待っとって。コンビニとかも入っとるから、そこら辺におって」
終わったら連絡すると言って、紙に自分の携帯番号を書いて渡す。
こんなことが病院の誰かに知られりしたら。大変なことになる。下手すりゃここで働けなくなってしまう。暴力を受けているらしき女性を自分の家に連れて帰るだなんて。一見すれば正しい行いのように見えるけれど、状況と立場を考えれば手放しで褒められるものじゃない。たまたま自分が彼女の手当てをしたからといって、この役目を担うのは間違っているのだ。
分かっている。でも放っておけなかった。
ただそれだけの感情で、こんな危ない行動に出た自分が居る。いつからこんなにもお節介になったのだろうか。
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