a little story
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064変わらないもの(幸村)
「変わらないものなんて、ないよね」
弱々しく君が呟いた。続けて深いため息をゆっくりと吐く。もう疲れちゃったな。誰に言うわけでもない独り言を発して、ようやく俺を見た君の目には涙が溢れていた。
「私、何がいけなかったんだろ」
その答えを俺が知る由もない。だからこれも君の独り言なのだろう。でも、それにしたって俺に向ける視線が強くないか。俺に答えを求めているのか。だとするならば、俺はこう言う。
「君は何も悪くないよ」
涙の引き金を引く言葉だった。我慢を忘れた君は嗚咽を漏らしながら両目から涙を流す。泣くことは悪いことじゃない。これで少しでも君の気持ちが晴れるなら、俺は君の泣き顔を気が済むまで見守るよ。
変わらないものはない。君の言うとおりだと思う。でも、“変わらないものもある”のも事実だと思う。君は後者が、愛であれば良いのにと思ったんだろう。だけどアイツは君じゃなく別の女の子を選んだ。君の直向きな気持ちがアイツには届かなかった。冷たい言い方だけど、それ以上でも以下でもない。
人の感情なんて、目に見えないからこそ変化の区別のしようがない。アイツが君を選ばなかったことを責める権利は誰にもない。なら俺が君の肩を抱く権利はあるのだろうか。それを決めるのは他でもない君だ。
「変わらないものもあるよ」
俺が君に向けていた思いはもう何年も変わっちゃいない。いつか君が受け取ってくれたらいいな。そんなふうに思って過ごしていたら片思い期間はこんなにも記録更新してしまったよ。そろそろ、告げてもいいだろうか。弱っている君につけ込んでいるみたいで多少は申し訳ないのだけど。
変わらないものもあるってこと、証明したいんだ。
065帰る場所(鳳)
「まぁ座りなよ」
すすめられた席に腰掛けるとふわりといい香りがした。バターが焼ける甘い香り。
「今焼けるから。少し待ってて」
そう言って琴璃先輩はキッチンの方へ姿を消した。俺と1つしか変わらないのに、土日は実家の喫茶店の手伝いをしている。最近じゃほとんど1人できりもりしているらしい。
「レモンかミルク要るー?」
「あ、大丈夫です」
奥から投げられた質問に俺も声を張って答える。何か手伝おうかとそっちへ向かおうとしたけれど、なんにもしなくていいから座っててね、と叫ばれた。やがて先輩が大きめのトレーを持って戻ってきた。いい香りがあたりに充満する。目の前に出されたのは断面のとっても綺麗なスコーンだった。クロテッドクリームまである。これもきっと、先輩の手作りだ。
「わ……」
うっとりする俺のそばで先輩はティーカップに紅茶を注いでくれた。なんて至福な時間なんだろう。ここはまるで別世界の感じがした。
「それで?どうだった?」
「一応、合格しました」
「やったじゃん!おめでと」
「ありがとうございます」
先日のこと。俺はとある国家試験を受けたのだが、今日その合否結果が発表された。結果は見事合格。1年以上かけて勉強しただけあって、結果が分かった瞬間は大泣きした。人生で特別嬉しい時には男でも泣いたりする。きっと、こんなこと宍戸さんにバレたら物凄く怒られそうだ。
「いっぱい頑張った証拠だよ」
「はい。努力が報われて良かったです」
「じゃあ、来年は日本から出てっちゃうのかー」
寂しいな、と、笑って言いながら琴璃先輩はスコーンを頬張る。俺は何も言わずにカップに口をつけた。ベルガモットの優しい薫りが鼻腔をくすぐる。いつも思うけど、先輩はお菓子を焼くにしても紅茶を淹れるにしても天才なんじゃないか。こんな美味しいティータイムを過ごさせてくれるなんて凄いです、と昔言ったら大笑いされたことがあった。そんなに大袈裟に言わないでよ、と。全然、大袈裟なんかじゃなくて俺にとっては極上の贅沢時間なのに。
けどそれも、海外へ行くとなると気軽にはここへ来れなくなってしまう。数十秒前の、先輩の“寂しいな”が今さら心に染みてきた。この国を離れるということは、そういうことだ。
「まぁ、たまには帰って来るんでしょ?」
「もちろんです。最初のうちは多分しょっちゅう帰国しちゃうかもしれません」
「えーそれじゃ渡航費やばいじゃん」
「まあ……そうなりますけど」
こんな朗らかに話せるのもこの先は貴重になってしまうと思うと胸がつまりそうになる。ずっとこのままでいいのにな、なんて。そんなふうにさえ思ってしまう。
でも。
「やれるだけ、頑張ってみようと思います。自分なりに」
「うん。応援してる」
紅茶のおかわりをもらった。2杯目は先輩おすすめの林檎蜂蜜を垂らす。これが美味しいのよー、と顔を綻ばせる先輩を見てたらこっちまで笑顔になる。
「疲れたら帰っておいで。いつでも」
「……はい」
帰る場所があるって幸せだ。うっかり涙が出そうになったのを隠すため、俺は3つめのスコーンへと手を伸ばした。
066サヨナラのかわりに(丸井)
「さっむーい」
バスを降りて開口一番に琴璃が言う。だから家の前までで良かったんだよ。そう言ったら頬を膨らませ、鋭く睨みつけてきやがった。
「なんでそゆこと言うの」
「だってよ、これで風邪でもひかれちゃ悪いだろが」
「そうじゃないでしょ。見送りに来てくれてありがとう、でしょ?」
「あー……へいへい」
「全くもう。も少し感傷に浸りなさいよね。しばらく会えなくなるんだから」
そうなんだよな。コイツのテンションがいつもと変わらないから、これがこのままずっと続くと錯覚してしまう。俺はこれから地元を出て、それなりに遠い場所へ行く。海外赴任、ってやつだ。つまり、琴璃とは明日からはもう会えなくなる。早起きが得意じゃないくせに、今日だけは頑張って起きて空港までついて来てくれた。その気持ちが本当にありがたいとは思う。それを思ったら、なんか、ようやく寂しい気持ちがじわじわと浮き上がってきた。らしくねぇよな、ほんと。
「元気でね。たまには連絡ちょーだいよね」
「おう」
「あんまりぼーっとしないようにね。隙を見せるとなんかの事件に巻き込まれたりするよ」
「そんな物騒な所じゃねぇから平気だよ」
「肉ばっかり食べてちゃダメよ。魚も食べなさいよね」
「何だそりゃ、お前は俺の母親かよ」
「あのね!本気で言ってんの。あんたの食生活すぐ偏るんだから」
きっと、どちらも会話が途切れるのを恐れてる。少しでも間ができれば次に言うのは別れの言葉だ。それを知っているから、今になってお互いにどうでもいい話をするんだろうな。
けれど時間は無限じゃない。とうとう俺が乗る便の最終手続時刻になってしまった。アナウンス音がやたらと心臓に響いた。言わずもがな、琴璃の顔はさっきまでと打って変わって引き攣っている。
「見送り、ありがとな。お前も体には気をつけろよ」
「……うん」
「じゃあ――」
「ダメ」
俺の口を琴璃が両手で押さえた。その時には既に両目から涙が流れ落ちていた。
「サヨナラは言わないで」
震える手が俺の口をおさえている。その細くて冷え切った手をそっと掴む。琴璃は涙でぐちゃぐちゃになった顔で俺を見上げる。ありがとな、優しいお前と出会えて本当に良かった。その気持ちを込めてぎゅっと抱き締めてやる。
「じゃあ、その代わりに違う言葉を言うか」
「……なぁに」
「お前のこと、好きだ」
俺のその言葉を聞くと、琴璃は声を出して泣いた。人目もはばからず、わんわんと大泣きをした。そして、ずるいよ、と訴えながら抱きついてきた。そうだよな、ずるいよな。こんな、最後の時に言うなんて。でもサヨナラは言わなかったから。また会える。約束する。またお前のもとに戻って来てやるから。その時までのしばしのお別れってやつだ。
お前は俺にとって特別だってこと。離れても、それは変わらない。
そんなお前に、サヨナラの代わりにありがとうと好きの言葉を送るから。
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