a little story
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058目には見えないもの(不二)
「私のどこが好き?」
「……いきなりどうしたの」
「いいから。答えてよ、5秒以内」
ごーお、よーん、と暢気にカウントダウンが始まる。僕は手にしていたカレースプーンを置いた。そして口を開く。
「5秒でキミの好きなところを語りきれないよ」
僕のこの返答は予想もできなかったようで。琴璃も黙ってスプーンを置いた。傍にあったお茶の入ったコップを手にとって一気に飲み干す。そんなに勢いよく飲まなくてもいいのに。そして彼女はごちそうさま、と言って自分の食器をそそくさとキッチンのほうへ運んでゆく。自分でふってきたのに照れ隠しするとか、どういうつもりなんだい、全く。
「いいの?続き、聞かなくて」
投げかけるとキッチンからそろりと顔が出てきた。聞きたい、という顔をしている。単純だなあ。
「優しさ、言葉、癒やし、雰囲気、温もり、笑い、元気、勇気、ときめき」
「……なぁに、それ」
「みんなどれも、貰っても形に残らない。でも与えられないと僕が僕じゃなくなる。それをキミが定期的に補ってくれる。だから好き」
「そう、なんだ」
「うん、そうなんだよ」
琴璃はさささ、とまたこっちへ戻ってきて僕のコップにお茶をついだ。お皿かたすね、と言って僕の食事の済んだ食器たちを持ってまたキッチンへと消えた。こういう気づかいができるところも、好きの要素の1つを形成しているんだ。そういうの総称して何ていうか、分かる?
愛だよ。これまた目に見えなくて、形にならないという厄介なもの。でも僕ら、ちゃんと与え合ってるの分かってる。姿かたち見えなくても、キミからの愛は毎日感じてるから。
059モーニングコール(忍足)
ぴこん。
もともと眠りが浅いほうで、かすかな物音にも気がつく方ではある。ベッドサイドに置いたスマホが鳴っているのにも早々に気付いた。どうやら目覚ましではない。夜勤明けだったから今日は鳴らないはず。じゃあ電話か、と思ったけど短い音のみでまた静かになった。どうせメルマガか何かだろう。もう一度眠りの中に戻ろうと反対向きに寝返りをうった。
ぴこん。
また短い電子音が鳴る。けれど気にも留めない。外はとっくに太陽が昇ってる。けど、俺の夜はまだ明けてへん。後で確認するから今は放置を決めた、が。
ぴこん。
ぴこん。
ぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこんぴこ
「っだーっ、ええ加減にせぇや」
我慢ならなくて飛び起きスマホを掴む。
こんな迷惑な配信してくるなんてどこの阿呆企業や。ブロックしたろか。思いながら画面を見る。未読件数19件。その全てが、いつもの、見慣れたウサギのアイコンからの通知だった。
『おはよー。』
『今日いい天気だね、どっか行く?』
『てか、起きた?』
『起きてないね、こりゃ』
『ねー、起きてよ』
『起きて』
『起きて』
『起きて起きて起きて』
『起きろー』
『O』
『Ki』
『RO』
『すねるぞ』
『てかどんだけ寝てんの』
『ケチ』
『ふんだ。いーもん』
『せっかく一緒にご飯食べいこうと思ったのに』
『じゃあ1人で行きますよっと』
「……何やこれ」
思わず溜息が出た。電話をかけると物すごい速さで相手が出る。
『やっと起きた』
「勘弁してぇな……」
『もう、遅いよ。こないだ言ってた新しくできたカフェ、1人で行っちゃうから』
「拗ねんなて。あと20分。今から準備するから」
『……絶対だよ。20分、今からちゃんと計るからね』
電話は切れ、ようやく室内は静かになった。カーテンの隙間から光が射し込んでいる。今のやり取りで頭はすっかり覚醒した。
「さて、と」
スマホを置いてベッドから離れる。とそこへもう一度、ぴこんと音がした。今度は何や。
『よーい、スタート』
「って、ちょい」
ホンマに計るんかい。
あと20分か。1分でも遅れたらまた文句言われそうやな。けど、楽しみにしてる顔が浮かぶ。このアイコンのウサギみたいに、目をキラキラさせて俺の前に現れるんやろな。
060キミはいつも素敵だ(幸村)
がちゃん、と音がしたので玄関の方へ行くと琴璃が帰ってきたところだった。でも、様子がおかしい。
「おかえり、どうしたの。ずぶ濡れじゃん」
「ただいま」
「傘、持ってかなかったの?」
「うん」
彼女の素敵なスーツは頭から足の先まで雨でずぶ濡れだった。俺は急いで洗面所からタオルを取りにいく。ついでに浴室のお湯はりボタンも押した。
「そのままだと風邪引くよ。お風呂湧くまで待つようだから着替えなよ」
「うん」
ヒールの高い靴を脱いで、琴璃は狭い廊下を足取り重く歩いて行った。僅かに見えた彼女の横顔には濡れた髪が張り付いていた。でも果たしてそれは全て雨なのか。
寝室に消えてゆく琴璃の背を見送り、キッチンに行きお湯を沸かす。戸棚からココアを探してそれを作る。甘い香りがふわりと広がる。そこへ着替えた彼女が戻ってきた。頭にタオルを被っているから表情はよく分からない。けれど浮かない顔をしているのが想像できる。とりあえず、部屋にこもらないでくれて良かったと思う。
「どうぞ」
座る琴璃の前にココアを置いた。電気を点けて、雨戸を閉める。外はだいぶ暗くなっていた。夏が終わるとあっという間に日の入り時間が早くなる。
「前、座っても良い?」
「うん」
一応許可を取って、彼女の前の椅子に座る。ようやく見えた顔はやはり泣き腫らした目をしていた。落ち着くから飲みなよと促すと、琴璃は静かにカップに口をつけた。
「今日ミスしちゃった」
「仕事?」
「うん」
彼女はとてもストイックで、仕事に対する気持ちは常に真っ直ぐだ。それくらい彼女の請け負う仕事はやり甲斐があって、本人も思い入れが強いのだろう。俺の知らない世界で他の仲間にも負けずに活躍する琴璃はいつも凄い人だと思っていた。でもその仕事に関して何かミスをしてしまったらしい。成程その涙の正体は悔し涙だったのかと分かった。
「お疲れ様。頑張ってるよね、いつも」
俺はただただ、彼女の努力を認めることしか言わなかった。ミスなんて誰でもするよ、とか、そういう日もあるよ、みたいな慰めは彼女にとって逆効果だから。同じことが出来もしない俺が、そんなことよくあるよみたいな軽口叩くのは違う。彼女の仕事の内容も重圧も俺は知らない。でも、毎日一生懸命頑張ってる姿は誰よりも見てる。極端な話、彼女が居なくても会社に代わりはいるだろうけど、こんなに真剣に思い悩んで涙する彼女は俺が知っている人間の中ではたった1人だけだ。そしてそれはとても格好良いことだとも思った。
「キミの一生懸命なところが俺は好きだよ」
手を伸ばし、雨で濡れて冷たくなった琴璃の頭を撫でた。滅多に弱音を吐かないキミが、唯一自分らしくいられるように。この空間だけはいつでも優しく暖かい場所にしておきたい。世界に1つだけ、キミがキミらしくいられるのがここだよ。
その時、浴室からメロディーが聞こえた。お風呂が沸いたことを知らせる音。
「お風呂沸いたって」
「うん」
「あったまっておいで」
「うん」
「一緒に入る?」
「ううん」
「……そこはさぁ」
流されずにうんとは言わないところがキミらしい。断られたのは悲しいけど、キミらしくいられてるのが確認できたから良しとするか。きっと明日は大丈夫だよ。