a little story
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052涙の理由(丸井)
「あ、お疲れ様です」
部室に入ると予期せぬ人物がそこにいた。驚きつつも挨拶をする。今日はオフの日なのになんでここにいるんだろう。その思いが顔に出ていたらしい。丸井先輩は私に向かって苦笑いする。
「なんだよ。俺がいちゃまずい?」
「あっ、いえ、お休みなのにどうしたのかなって」
「部室のロッカーに忘れもんして取りに来ただけ。だから安心しな、すぐ消えるからよ」
「あ、そんなつもりはなくて……」
慌てて否定する私を見て今度は我慢せずに笑い出す先輩。きっとこれはからかわれているんだと思う。いつだったか、お前の反応はいちいち面白いから見てて飽きない、と言われたことがある。
「つーか。俺は忘れ物取りに来たわけだけど、お前はどうしたんだよ」
「あ、私はここで勉強しようかと思いまして」
「勉強?」
「……駄目、ですかね」
「駄目じゃねーけど。何、そんなに成績悪いの?お前」
「いや、明日確実に当たる授業があって、家だと捗らないからここでやってこうかな、って」
「ああ、そゆこと。教科は何?」
「へっ」
「教えてやるよ。一応、お前より1つ上の先輩様だからな」
先輩はそう言って、壁に畳まれ立てかけられていたパイプ椅子を2つ持ってきて私の前にセットした。テーブルは、備品であるボールが入った段ボール箱。この簡易的な勉強机でも文句は言えず、大人しく隣に座る。
「古典です」
「ふぅん」
先輩は広げた教科書と暫く睨めっこしていた。そして、おもむろに私のノートに何かを書き始める。さらさらと文法を書いてゆく手をじっと見ていた。ちょっと、意外。
「これに当てはめて解けばこのへんの範囲は大抵出来る。応用問題も、基本はこれ使えばオッケー」
「なるほど」
「じゃ、これ解いてみ?」
先輩がノートに問題を書き記し、ほい、と私にシャーペンを渡してきた。唸りながらも、言われた通りの順序で解いてゆく。自分でもびっくりするぐらい理解できている。すごい。丸井先輩って、頭良かったんだ。初めて知った。
「……今、なんか余計なこと考えてたろ」
「え?あ、いや」
「何思ってたんだよ」
「いや、あの、先輩の教え方分かりやすいなって」
「嘘つけ。どーせ、意外と先輩って頭良いじゃん、とか何とか考えてたんだろ」
違います、と、すぐに否定できなくてまたしても笑われた。お前は嘘がつけない典型的なヤツだな。それは褒め言葉なのかどうなのか微妙な所だけど言われて悪い気はしない。
先輩の手作り問題は全て解け、嘘みたいに出来が良かった。これなら明日、どこが当たってもどんと構えていられる。
「先輩ありがとうございます。お陰で明日の授業大丈夫そうです」
「そりゃあ良かったな。他に分かんないとこは?この際だから教えてやるよ」
「いいんですか?んーと……」
ページを捲って前回の授業内容を振り返る。分かんないところって、言われたって古典自体が苦手科目だから1箇所に絞れない。どうしようかとぺらぺら捲る。その私の手が突然止まった。先輩が掴んだからだ。
「教えてやる前に、お前からも1個教えてくんね?」
「え……」
「こないだ1人で泣いてただろ、ここで。部活終わってみんな帰った後に」
見られていた。驚く間もなく先輩はぐっと身を乗り出してくる。
「誰に泣かされた?」
「え、と」
「お前を泣かしたヤツ、誰だって聞いたんだよ」
珍しく先輩が怖い顔をしている。私が泣いてたことに、そんな怒りを感じる理由なんてあるのだろうか。けど、本気なのは分かった。私の手首を掴む力がなかなか強いから。
「あの、違うんです」
「何が」
「理由は……これです」
反対の手で鞄の中を漁り、取り出したのは1冊の本。険しい顔する先輩の眼の前に突き出した。
「これ、すっごく感動するんです。身寄りの無い主人公の女の子が旅をしていくストーリーなんですけど、とにかく涙なしでは読めない展開が続くんです」
熱弁を振るう私に多めの瞬きで応える丸井先輩。捕まっていた手首はようやく解放された。そして、勢いよく先輩は段ボールの即席机に突っ伏した。
「んだよ……」
「せ、先輩」
「マジで焦ってたんだからな」
「あの、なんか……すみません」
先輩の勘違いだったわけだが、紛らわしいことをしていたのは自分なので謝ろうと思った。あの日私は、皆が帰った後にここで読書をしていた。感動して、涙してしまった現場を丸井先輩がたまたま目撃したということらしい。
「お前が誰かに泣かされたんじゃないかって思ってた」
「実は……感動の涙でした」
「ったく、そんなオチあるかよ」
はあぁ、と盛大に溜め息を吐いた後、先輩は自分の鞄を掴み立ち上がる。
「もう勉強はヤメ。集中力切れたわ」
「あ、はい。ありがとうございました。お疲れ様でした」
「お前も帰るんだよ!」
「うえぇ!はいっ」
急いで教科書やペンケースを鞄に突っ込み、すでにドア付近にいる先輩を追い掛ける。何だか色々申し訳ない。勉強の面倒だけでなく、要らぬ心配をかけてしまった。
「お詫びに駅前のマックな」
「はい、よろこんで」
ちらりと先輩の横顔を伺う。もういつもの表情に戻っていた。良かった、もう怒ってないみたい。心配かけてしまったのに、不謹慎にも嬉しいと感じてしまった。部室の鍵をかけるその後ろ姿に、心のなかでもう一度ありがとうございますと呟いた。
053不器用とは(宍戸)
週末の都内のカフェにて彼のことを待つ。待ちながら、先週届いた彼からのメールを見つめていた。
『話があるから時間を作ってほしい』
デートも食事も、誘うのはいつも私から。だから突然、向こうからこんなメールが届いてすごく驚いた。話って何だろうか。この硬い言い方に違和感を覚えると同時に嫌な予感がする。そしてこういう時の予感は悲しくも当たってしまう。私の抱いてる“予感”とはつまり、彼に別れを切り出されるんじゃないか。もうそれしか考えられない。
最近あまり会えなかったし互いに仕事が忙しかった。平気で連絡を無視したりされたりしたこの数週間だった。私はともかく、彼は1人でいても何ら問題なくやっていける人だから。こうやってだらだら続くよりもきっちり別れよう。それを告げるために時間を作ってほしいと言ってきたんだろう。
「悪い。遅れた」
「あ、ううん全然大丈夫――」
聞き慣れた声がしたから姿を確認する前に答え、その流れで顔を上げたのだが。そこにはまさしく彼がいた。正真正銘私の彼氏が。薔薇の花束を抱えて立っていた。
「……どしたの、これ」
「お前にやるために買ってきた」
ん、と少しぶっきらぼうに渡される。素直に受け取ると美しい赤や黄色やピンクの薔薇がぎっしり集まり1つに束ねられている。こんなに沢山あるのに同じ色が1つとてない。こういう買い方する人初めて見た。
「ありがと、あの、すごい色とりどりだね」
「……お前が好きな色が分からなかったから全色入れてもらったんだよ」
「あ。そうなんだ」
私の前の席に座ると亮は深い溜め息を吐いた。顔が少しだけ不機嫌な色を出している。私はわけが分からなかった。花束をくれた理由も、今彼が不機嫌な理由も。
「俺はお前の好きな色すらちゃんと知らなかった」
「え」
「けど、お前にはいつも感謝してる。だから、1週間遅れちまったけど許せよ。誕生日おめでとう」
「……覚えててくれたんだ」
「当たり前だろうが」
今この瞬間。私は世界一愛されてる自信がある。そう思った。こういうぶっきらぼうな所も、好きな色が分からなかったくらいでいじけてるところも、全て私の愛してる彼だから。抱えた花束に顔を近づけるととてもよい香りがした。
「すごく綺麗」
「おう」
私の嫌な予感は見当違いだった。今日だけは、ちゃんと私も素直に伝えようと思う。恥ずかしがって俯いてる彼が顔を上げたら伝えよう。ありがとうと、愛してるを。
054朝の電車の中のアンタ(切原)
考えてみたら。俺はアンタの名前も知らないしどこに住んでるのかも分からない。着ている制服から隣の地区の女子校だってことは分かった。立海からはそんなに遠くないけど、そこへ行く用事は到底無いからやっぱりここでしかアンタとは会えないんだ。この、朝の通学の電車の中でしか。
いつもと同じ時間の7両目、扉側のところ。いつもアンタはそこに立って文庫本を読んでいる。俺はそのそばに立って吊り革を持っていた。時折人に押されながらもアンタは熱心に本を読んでいる。その横顔が綺麗だと思った。多分俺と年は変わらないだろうに、すごく大人びて見える。横顔から見えるまつ毛とかおくれ毛がそう思わせるのかもしれない。
何でこんなに気になるんだろ。ただ可愛いだけなら、うちのクラスの女子もなかなかのやつがいる(そんなこと本人達の前で口が裂けても言えねーけど)。
考えれば考えるほどアンタのことが気になって仕方がない。毎朝の十数分だけじゃ足りない。本当は話しかけてみたいのに、それもできない。だからこうして今日も横顔を盗み見ることしかできない。なんかこれじゃあ俺、変態みたいじゃねーか。
結局何もアクションを起こさぬまま、今日も立海の最寄り駅まできてしまった。俺はアンタより後に乗って、先に降りる。どうにも出来ないのだけど、なんだかやるせなくなる。電車が停まる頃合いに、後ろ髪を引かれる気持ちでドアのほうへ近づく。
「大丈夫?」
「え」
最初は誰が誰に話し掛けたのか分からなかった。控え目な声が耳に届いて、視線を上げたらまさかの瞳とぶつかった。そしてもう一度、大丈夫?、と言った。どうやらこれは俺に向かって言ったらしい。まさか、と思った。けれど色々驚いている場合じゃない。
「えっ……と、何が」
「顔色が悪いよ」
そうなのか。自分じゃすぐに確かめられないけどアンタの目に映る俺はそう見えるらしい。そう言えば夜中までオンラインゲームに没頭してたせいで昨日の睡眠時間は3時間くらいだった。ついでに寝坊して朝メシ食う暇なんてなかった。もしかしなくともそのせいか。ダサすぎ、俺。
「はい、これ」
ドアが開く。その瞬間に右手に何かを握らされた。俺の降りる駅は人の乗り降りが激しい。人が押し寄せ俺は流れに逆らえず電車から吐き出されるように降りた。あっという間に乗降客の群れに呑まれ、ホームでもみくちゃにされる。そうこうしてるうちに、彼女を乗せた電車はベルを鳴らし、ドアが閉まるとさっさと発車してしまった。
「……会話、したんだよな」
俺はまだホームに突っ立っていた。そして、握りしめていた右手をそっと開く。ミルキーの飴が3粒。こんな可愛いことしてくるなんて。どうしてくれるんだよ。これじゃあますます忘れられなくなっちゃうじゃんか。俺はアンタのこと、何も知らないのに。
でもこれで、飴のお礼を言うという立派な口実ができた。明日もあの時間のあの場所に居てくれよな。じゃなきゃ、いつまでたってもアンタへの距離が縮まらない。
「……変なの」
今日が始まったばかりだと言うのに、明日がもう待ち遠しいだなんて。やっぱ俺どうかしてるわ。