a little story
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043デートしよう(幸村)
「じゃあ俺とデートしようよ」
にこりと笑って精ちゃんが言った。家が近くて、小さい頃にはよく遊んでくれた1つ年上の人。いわゆる幼なじみという間柄だと思う。
そんな彼と学校からの帰りに駅でばったり会って一緒に帰ることになった。何のきっかけか忘れたけど、話の流れで私の女友達のことを話した。いつも仲が良くて土日のどっちかは一緒に遊びに行く子。なのだが、その子にこの間めでたく彼氏ができた。その途端、休日は土日どちらとも彼氏と過ごすようになってしまい私のことを構ってくれなくなったのだ。次の休日にもデートに行くらしい。その文句と寂しさを話したら、
「じゃあ俺とデートしようよ」
「へ」
「嫌?」
精ちゃんはぽかんとしている私の顔を覗き込んできた。嫌、とかそんなんじゃなくて。なんで私が精ちゃんとデートすることになるの?疑問をぶつけるより早く、じゃあ明日の9時に迎えに行くね、と話を進めてゆく。
「どこに行く?琴璃の行きたいとこでいいよ」
「別に、そーゆうの考えてなかったからすぐ浮かばない」
「じゃあ遊園地にしよう。定番だし」
「それはいいけど……いいよ?別に、無理しなくて」
「何が?」
きっと精ちゃんは私の機嫌を直すためにデートに行こうだなんて提案をしたんだ。そこまでしてもらう義理なんてない。貴重な休日を潰してしまったら申し訳ない。
「別に私そこまで気にしてないからさ。だから大丈夫だよ。気にかけてくれてありがとね」
「そうなの?」
「うん」
夕暮れ時の住宅街はどこからともなく美味しそうな匂いがする。私達の家まであともう数十メートルの距離だった。今日の夕飯なんだろな。呑気にそんなことを考えていた。
「気にかけてない、って言ったら嘘だけど、普通に琴璃とデートしたいって思ったんだけどなぁ」
「え……」
「だから行こうよ。遊園地」
夕陽を背負って精ちゃんが笑いかける。いつから、こんなに格好良くなってしまったんだろう。高校生になったら話すことはめっきり減ったけど、それでも会えばこうして構ってくれる。普通は、これくらいの歳の男の子は無愛想になったりするもんかと思ってたのに。精ちゃんはいつだって優しい。だから何でも許せてしまう。
「うん。じゃあ、明日よろしくお願いします」
「こちらこそ」
家の前についた。じゃあね、と言って玄関門を開けるところで、待って、と呼び止められる。振り向いた私の頭に精ちゃんの手が乗った。大きくて暖かいその手が私の前髪をすくう。そして、露わになった私の額にそっと何かが触れた。精ちゃんの唇だった。
「また明日」
去っていく後ろ姿に何も言えず、自宅の前で間抜けに立ち尽くす。やがて我に返ってまず初めに思ったこと。明日どうしよう。もしかして、もしかしなくともこれって。
「本当のデート……になるよね」
044サプライズ(忍足)
ピピピ、と左腕のデジタル時計が音を鳴らす。ああもうこんな時間か。手早く荷物をまとめ、仕事場のフロアを後にした。
職場から最寄り駅まで歩いて10分足らず。だからというわけではないけど目いっぱい残業しても電車の時間を気にしてれば帰りに間に合う。ちなみにさっきの時計の音は日付が変わったことを知らせるもの。深夜0時を過ぎたら終電が間もないため、一応知らせるように設定してある。
外に出ても、まだまだ都会の夜はそこら中に灯りが灯っていた。わりとオフィス街のここも、他のビルたちの窓には電気が点いてるのが見える。みんな遅くまでお疲れ様なんだなぁ、と思いながらホームで電車を待っていた。そこへちょうど携帯に着信が入る。こんな時間に誰なんだろう。画面に映っていたのはまさかの、幼馴染だった。
『お。起きとった起きとった。こんばんはァ』
「何言ってんの、もう。ていうかこんな時間に何」
彼とは、月に1度くらいは連絡を取り合っている。私がこうして就職してからも気にかけてくれる優しい人。彼は現在医大で研修医。互いに忙しい日々を送っているけれど、つい先週に電話したばかりだった。だから特に久しぶりとも思わなかった。
『……もしかして、覚えてへんとか?嘘やろ、かなしすぎ』
「だから何が。もう電車来ちゃうから早くして」
『え、まだ仕事しとったん』
「そうだよ、毎日残業。下っぱはこれが普通なの」
『その会社ブラックなんとちゃう』
「ちゃんと残業代出てるからまだマシよ。それより何よ、こんな時間に。あ、待って電車来ちゃった」
ホームのアナウンスと共に、遠くから光が近づいて来るのが見えた。
「今から乗るから切るね」
ちょい待ち、とか聞こえたけど、一方的に通話を切り上げる。滑り込んできた電車に乗る。平日の終電はとても閑散としている。もう、この時間に帰るのも慣れたから別に驚かない。端っこの席に座ったところでまたも携帯が震えた。今度は短いからメール。開くとまたアイツからだった。
“ハッピーバースデー”
「え……うそ」
今日って、そうか。日付はさっき変わったんだった。いやそれどころか自分の誕生日すら忘れていた。まさかアイツ、これを言うためにこんな時間に電話してきたっていうの。だったらなんで、肝心なところをさっきの電話で言わないのよ。
自分の降りる駅までまだまだあるのに、居ても立ってもいられなくて私は次の駅で降りてしまった。つまりもう、これで帰れなくなる。そんなことはどうでも良かった。タクシーでも何でも、どうにか帰れる術はあるだろうから。
履歴からアイツの番号を表示しすぐさまかけ直す。
『お。着いたん?』
「あんたさ!そーゆうことは言葉で言いなさいよ、せっかくかけてきたんだから」
『えぇぇ。けど、電話切ったのはそっちやん』
「それはそうだけど、電話繋がった瞬間に言ってくれれば全然間に合ってたわよっ」
電話の向こうで、なんで俺怒られとんの、とぼやいている。それもそうだ。彼には怒られる筋合いはない。せっかく誕生日に電話してくれたのに怒鳴る私がいけない。
「あー……ごめん。なんか疲れてたんだと思う、多分」
『そりゃそうやろな。こんな時間まで働かされてたら』
「けど、まぁ、覚えててくれてありがとね。無事に歳をとりました」
ふと、ホームのガラスに映った自分の姿を見る。それはそれは嬉しそうに顔を緩ませた自分が居た。そしてその向こうには、まだ眠らない東京の夜の景色が広がっている。
『お?なんや今、笑った?変な声聞こえたで』
「別に、なんでもない」
適当なハッピーバースデーだったけど、今の私には間違いなく心に染み渡った。そしてこの夜景を見てたら、ああこんな誕生日の迎え方もいいなぁ、なんて思ってしまったのだった。ていうか変な声って何よバカ侑士。
045サプライズふたたび(忍足)
流石に。
休日返上で7連勤な上のフル残業はキツい。もはや今日が何曜日かも分からない。曜日どころか月も跨いでいた事にさっきようやく気づいた。どうりで最近帰りの道が肌寒いわけだ。
「はぁ……」
毎日家と職場の往復だけ。家にいる時間のほうが短い今日この頃。帰ったら寝るだけのひどい生活リズム。うっかりメイクを落とさず寝落ちした日なんて片手じゃ数え切れなくなってきた。今日もきっと、そうなるかもしれない。帰って靴脱いで座ったらものの数秒で堕ちそうな気がする。
「はぁ」
溜め息も、呼吸するみたいに普通に出ている。疲労とストレスとその他諸々。こんなにいろいろ詰まってくると流石に弱気になってくる。この仕事向いてないのかな、なんて思い始めたら終わりだ。負の無限ループから出られなくなりそう。だから、溜め息で全部外に吐き出すの。吐きまくって、私の中から弱虫が全部消えてしまえと思う。すぅーっと横隔膜が動くくらい大きく息を吸って、
「はああぁぁ〜……あ?」
ポケットに手を当てた。携帯が震えている。こんな時間に誰だろ。心当りは1人、あった。予想通り、光る画面には気心知れた幼馴染の名前が表示されていた。
「もしもし……」
『よぉー、おつかれさん。もしかして寝とった?』
「……仕事から帰ってる」
『うーわ、まだ働いとったん?ホンマ、ようやるなぁ』
最近の会社員は働き者やな、と呑気な声が聞こえた。何の相槌もうたなかった。うてなかった。それをするのもしんどいほど疲れてた。あと数十メートルで家だと言うのに。もう無理。
『もしもーし。聞いとる?』
「……も、しんどい」
『もしもし?琴璃?』
「つらい。くるしい」
暗い夜道のど真ん中で座り込んでしまった。途端に目から涙が溢れだす。泣くつもりなんてなかった。くるしいと口に出したら勝手に出てきた。1度出てきたらどんどん溢れてきてしまう。顔中ぐちゃぐちゃだ。何分経ったか分からないけど、一応気が済むまで泣いた。少し落ち着いたので、鼻をすすりながら電話の向こうにごめんね、と投げかける。
『あかんわ』
「な、にが」
『今、最高に苛ついてんねん、俺』
「え……」
『東京と大阪がこんな離れとることにイライラするわ』
「な、んやそれ……もう」
私のせいかと思ったじゃん。そんなことにイライラする人初めて見た。いや、見えてないけど。でも今、きっと彼は本当に不機嫌な顔をしてるんだろうな。それを想像したら不思議と涙は引っ込んだ。心が軽くなった気がする。軽くなったついでに、私も自然と関西弁に戻っている。普段は職場に合わせるべく直してるけど、やっぱりこのほうが落ち着く。
『俺、今研修の関係で大阪におんねん』
「そ、なんや」
『けど、明日で研修は終わり』
「へぇ」
『秋は人肌恋しくなるからなぁ』
「もう。また変なこと言うてん」
『ほんなら、も1つ変なこと言ったろ』
「えーなに」
『明日東京に戻るで。ついでに明日はお休み、なんやけどたった今予定ができてもうた』
「そうなんや、お疲れ様」
『俺に会えなくて残念?』
「そーいうのいらん。なに、何かの用事?」
『せやからさっき言うたやん。秋は人肌恋しくなるって』
「は?意味分からんわ」
笑いながらも再び歩き出す。家はもうすぐそこ。真夜中でひっそりとしている夜道なのに、通行人は自分しか居ないことを良いことに浮かれて大声で電話をしている。
『せやから』
そして我が家のアパート前についた。携帯を肩に挟みながらバッグの中から鍵を出す。
『もうお前に会いたくて我慢できひんからそっちに行くわ』
手にしたはずの鍵がするりと落ちる。言葉の意味の理解に時間がかかったのはきっと、仕事疲れのせい。
『ほんなら明日、東京駅着いたら連絡するわ。明日は死ぬ気で定時上がりせぇよ』
そして電話は切られた。自分の家のドアの前でなんで立ち尽くしてるんだろう。落とした鍵を拾って、なんとなく空に目を向ける。綺麗な三日月だった。
「なに、それ……」
明日、なんて答えればいいの。どんな顔して会えば良いの。秋の月を見あげながらこれが恋だと悟るのは容易いことだった。
「じゃあ俺とデートしようよ」
にこりと笑って精ちゃんが言った。家が近くて、小さい頃にはよく遊んでくれた1つ年上の人。いわゆる幼なじみという間柄だと思う。
そんな彼と学校からの帰りに駅でばったり会って一緒に帰ることになった。何のきっかけか忘れたけど、話の流れで私の女友達のことを話した。いつも仲が良くて土日のどっちかは一緒に遊びに行く子。なのだが、その子にこの間めでたく彼氏ができた。その途端、休日は土日どちらとも彼氏と過ごすようになってしまい私のことを構ってくれなくなったのだ。次の休日にもデートに行くらしい。その文句と寂しさを話したら、
「じゃあ俺とデートしようよ」
「へ」
「嫌?」
精ちゃんはぽかんとしている私の顔を覗き込んできた。嫌、とかそんなんじゃなくて。なんで私が精ちゃんとデートすることになるの?疑問をぶつけるより早く、じゃあ明日の9時に迎えに行くね、と話を進めてゆく。
「どこに行く?琴璃の行きたいとこでいいよ」
「別に、そーゆうの考えてなかったからすぐ浮かばない」
「じゃあ遊園地にしよう。定番だし」
「それはいいけど……いいよ?別に、無理しなくて」
「何が?」
きっと精ちゃんは私の機嫌を直すためにデートに行こうだなんて提案をしたんだ。そこまでしてもらう義理なんてない。貴重な休日を潰してしまったら申し訳ない。
「別に私そこまで気にしてないからさ。だから大丈夫だよ。気にかけてくれてありがとね」
「そうなの?」
「うん」
夕暮れ時の住宅街はどこからともなく美味しそうな匂いがする。私達の家まであともう数十メートルの距離だった。今日の夕飯なんだろな。呑気にそんなことを考えていた。
「気にかけてない、って言ったら嘘だけど、普通に琴璃とデートしたいって思ったんだけどなぁ」
「え……」
「だから行こうよ。遊園地」
夕陽を背負って精ちゃんが笑いかける。いつから、こんなに格好良くなってしまったんだろう。高校生になったら話すことはめっきり減ったけど、それでも会えばこうして構ってくれる。普通は、これくらいの歳の男の子は無愛想になったりするもんかと思ってたのに。精ちゃんはいつだって優しい。だから何でも許せてしまう。
「うん。じゃあ、明日よろしくお願いします」
「こちらこそ」
家の前についた。じゃあね、と言って玄関門を開けるところで、待って、と呼び止められる。振り向いた私の頭に精ちゃんの手が乗った。大きくて暖かいその手が私の前髪をすくう。そして、露わになった私の額にそっと何かが触れた。精ちゃんの唇だった。
「また明日」
去っていく後ろ姿に何も言えず、自宅の前で間抜けに立ち尽くす。やがて我に返ってまず初めに思ったこと。明日どうしよう。もしかして、もしかしなくともこれって。
「本当のデート……になるよね」
044サプライズ(忍足)
ピピピ、と左腕のデジタル時計が音を鳴らす。ああもうこんな時間か。手早く荷物をまとめ、仕事場のフロアを後にした。
職場から最寄り駅まで歩いて10分足らず。だからというわけではないけど目いっぱい残業しても電車の時間を気にしてれば帰りに間に合う。ちなみにさっきの時計の音は日付が変わったことを知らせるもの。深夜0時を過ぎたら終電が間もないため、一応知らせるように設定してある。
外に出ても、まだまだ都会の夜はそこら中に灯りが灯っていた。わりとオフィス街のここも、他のビルたちの窓には電気が点いてるのが見える。みんな遅くまでお疲れ様なんだなぁ、と思いながらホームで電車を待っていた。そこへちょうど携帯に着信が入る。こんな時間に誰なんだろう。画面に映っていたのはまさかの、幼馴染だった。
『お。起きとった起きとった。こんばんはァ』
「何言ってんの、もう。ていうかこんな時間に何」
彼とは、月に1度くらいは連絡を取り合っている。私がこうして就職してからも気にかけてくれる優しい人。彼は現在医大で研修医。互いに忙しい日々を送っているけれど、つい先週に電話したばかりだった。だから特に久しぶりとも思わなかった。
『……もしかして、覚えてへんとか?嘘やろ、かなしすぎ』
「だから何が。もう電車来ちゃうから早くして」
『え、まだ仕事しとったん』
「そうだよ、毎日残業。下っぱはこれが普通なの」
『その会社ブラックなんとちゃう』
「ちゃんと残業代出てるからまだマシよ。それより何よ、こんな時間に。あ、待って電車来ちゃった」
ホームのアナウンスと共に、遠くから光が近づいて来るのが見えた。
「今から乗るから切るね」
ちょい待ち、とか聞こえたけど、一方的に通話を切り上げる。滑り込んできた電車に乗る。平日の終電はとても閑散としている。もう、この時間に帰るのも慣れたから別に驚かない。端っこの席に座ったところでまたも携帯が震えた。今度は短いからメール。開くとまたアイツからだった。
“ハッピーバースデー”
「え……うそ」
今日って、そうか。日付はさっき変わったんだった。いやそれどころか自分の誕生日すら忘れていた。まさかアイツ、これを言うためにこんな時間に電話してきたっていうの。だったらなんで、肝心なところをさっきの電話で言わないのよ。
自分の降りる駅までまだまだあるのに、居ても立ってもいられなくて私は次の駅で降りてしまった。つまりもう、これで帰れなくなる。そんなことはどうでも良かった。タクシーでも何でも、どうにか帰れる術はあるだろうから。
履歴からアイツの番号を表示しすぐさまかけ直す。
『お。着いたん?』
「あんたさ!そーゆうことは言葉で言いなさいよ、せっかくかけてきたんだから」
『えぇぇ。けど、電話切ったのはそっちやん』
「それはそうだけど、電話繋がった瞬間に言ってくれれば全然間に合ってたわよっ」
電話の向こうで、なんで俺怒られとんの、とぼやいている。それもそうだ。彼には怒られる筋合いはない。せっかく誕生日に電話してくれたのに怒鳴る私がいけない。
「あー……ごめん。なんか疲れてたんだと思う、多分」
『そりゃそうやろな。こんな時間まで働かされてたら』
「けど、まぁ、覚えててくれてありがとね。無事に歳をとりました」
ふと、ホームのガラスに映った自分の姿を見る。それはそれは嬉しそうに顔を緩ませた自分が居た。そしてその向こうには、まだ眠らない東京の夜の景色が広がっている。
『お?なんや今、笑った?変な声聞こえたで』
「別に、なんでもない」
適当なハッピーバースデーだったけど、今の私には間違いなく心に染み渡った。そしてこの夜景を見てたら、ああこんな誕生日の迎え方もいいなぁ、なんて思ってしまったのだった。ていうか変な声って何よバカ侑士。
045サプライズふたたび(忍足)
流石に。
休日返上で7連勤な上のフル残業はキツい。もはや今日が何曜日かも分からない。曜日どころか月も跨いでいた事にさっきようやく気づいた。どうりで最近帰りの道が肌寒いわけだ。
「はぁ……」
毎日家と職場の往復だけ。家にいる時間のほうが短い今日この頃。帰ったら寝るだけのひどい生活リズム。うっかりメイクを落とさず寝落ちした日なんて片手じゃ数え切れなくなってきた。今日もきっと、そうなるかもしれない。帰って靴脱いで座ったらものの数秒で堕ちそうな気がする。
「はぁ」
溜め息も、呼吸するみたいに普通に出ている。疲労とストレスとその他諸々。こんなにいろいろ詰まってくると流石に弱気になってくる。この仕事向いてないのかな、なんて思い始めたら終わりだ。負の無限ループから出られなくなりそう。だから、溜め息で全部外に吐き出すの。吐きまくって、私の中から弱虫が全部消えてしまえと思う。すぅーっと横隔膜が動くくらい大きく息を吸って、
「はああぁぁ〜……あ?」
ポケットに手を当てた。携帯が震えている。こんな時間に誰だろ。心当りは1人、あった。予想通り、光る画面には気心知れた幼馴染の名前が表示されていた。
「もしもし……」
『よぉー、おつかれさん。もしかして寝とった?』
「……仕事から帰ってる」
『うーわ、まだ働いとったん?ホンマ、ようやるなぁ』
最近の会社員は働き者やな、と呑気な声が聞こえた。何の相槌もうたなかった。うてなかった。それをするのもしんどいほど疲れてた。あと数十メートルで家だと言うのに。もう無理。
『もしもーし。聞いとる?』
「……も、しんどい」
『もしもし?琴璃?』
「つらい。くるしい」
暗い夜道のど真ん中で座り込んでしまった。途端に目から涙が溢れだす。泣くつもりなんてなかった。くるしいと口に出したら勝手に出てきた。1度出てきたらどんどん溢れてきてしまう。顔中ぐちゃぐちゃだ。何分経ったか分からないけど、一応気が済むまで泣いた。少し落ち着いたので、鼻をすすりながら電話の向こうにごめんね、と投げかける。
『あかんわ』
「な、にが」
『今、最高に苛ついてんねん、俺』
「え……」
『東京と大阪がこんな離れとることにイライラするわ』
「な、んやそれ……もう」
私のせいかと思ったじゃん。そんなことにイライラする人初めて見た。いや、見えてないけど。でも今、きっと彼は本当に不機嫌な顔をしてるんだろうな。それを想像したら不思議と涙は引っ込んだ。心が軽くなった気がする。軽くなったついでに、私も自然と関西弁に戻っている。普段は職場に合わせるべく直してるけど、やっぱりこのほうが落ち着く。
『俺、今研修の関係で大阪におんねん』
「そ、なんや」
『けど、明日で研修は終わり』
「へぇ」
『秋は人肌恋しくなるからなぁ』
「もう。また変なこと言うてん」
『ほんなら、も1つ変なこと言ったろ』
「えーなに」
『明日東京に戻るで。ついでに明日はお休み、なんやけどたった今予定ができてもうた』
「そうなんや、お疲れ様」
『俺に会えなくて残念?』
「そーいうのいらん。なに、何かの用事?」
『せやからさっき言うたやん。秋は人肌恋しくなるって』
「は?意味分からんわ」
笑いながらも再び歩き出す。家はもうすぐそこ。真夜中でひっそりとしている夜道なのに、通行人は自分しか居ないことを良いことに浮かれて大声で電話をしている。
『せやから』
そして我が家のアパート前についた。携帯を肩に挟みながらバッグの中から鍵を出す。
『もうお前に会いたくて我慢できひんからそっちに行くわ』
手にしたはずの鍵がするりと落ちる。言葉の意味の理解に時間がかかったのはきっと、仕事疲れのせい。
『ほんなら明日、東京駅着いたら連絡するわ。明日は死ぬ気で定時上がりせぇよ』
そして電話は切られた。自分の家のドアの前でなんで立ち尽くしてるんだろう。落とした鍵を拾って、なんとなく空に目を向ける。綺麗な三日月だった。
「なに、それ……」
明日、なんて答えればいいの。どんな顔して会えば良いの。秋の月を見あげながらこれが恋だと悟るのは容易いことだった。