a little story
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034誇りに思う背中(忍足)
試合終了のコールから1時間程が過ぎた。みんな殆ど帰ってしまって、視界に入るのは別の学校の選手やその応援に来ている人たちばかりだった。きっとこの後に試合を控えている学校なのだろう。その表情は硬く、でも生き生きとしているようにも見えた。緊張と闘志が見え隠れしているような顔つき。頑張ってほしい、と思う。泣いても笑っても、その勝敗で次に進めるかが決まるのだから。
水飲み場のそばにあるベンチに先輩はいた。皆帰ってしまったけど、まだ彼は残っていた。肩にタオルをかけて座っている。私の場所からは後ろ姿しか見えないから、今彼がどんな顔をしているのかまでは確認できない。お疲れ様でした、と控えめに声をかけると先輩がこっちを振り向いた。目もとに涙は無かったから少し安心した。先輩は自分の座っている隣をぽんぽん叩いたので、私は黙ってそこに座る。
「負けてもうたわ」
「すごい接戦でしたね」
「まぁな。けど、接戦でも負けは負けやからな」
あーあ、と少し情けない声を出して先輩は足を投げ出す。こんな行儀悪いこと、普段だったらしないのに。いつもの関西弁もどこかなんとなく稚さを纏っていた。きっと、私に気を遣わせない為にそんな真似をしている。
「琴璃を全国まで連れてくことが出来ひんかった」
ふっと笑って先輩が呟いた。その横顔を見ただけでこっちが泣きそうになってしまう。先輩の言う通り、さっきの試合は全国への切符を賭けた戦いだった。誰もが勝てると信じていた。ギャラリーに混じって私もそれを心から望んでいた。だけど結果は健闘及ばず黒星。夢は絶たれてしまった。
「悔しいなぁ」
わざと朗らかに喋る先輩の声がやたら耳に響いた。言葉の通り、1番悔しいのは紛れもない彼なんだ。だから私が泣くのはちょっと違う気がする。込み上げて来そうな気持ちを押し留めぐっと唇を噛んだ。
「ほんとうに、お疲れ様でした」
それだけ伝えて先輩の手をそっと握った。この手が、あの激闘を繰り広げてくれたんだ。ありがとう、お疲れ様。その気持ちを込めてぎゅっと両手で握る。
負けてしまったのは事実。だけど先輩は全力で戦ってくれた。そのことが、私にはとても嬉しくて誇らしい。最高の試合をありがとうと、その広い背中に向かって心の中で呟いた。
035幼き頃の(仁王)
きょうはあたしのたんじょうびです。まーくんがあさにうちにきておはなをもってきてくれました。あたしのすきなピンクいろしたおはなでした。まーくんにありがとうといったら、どおいたしましていわれました。おかえしにおとといママとやいたうずまきのクッキーがあまってたからあげたらおいしそうにたべてました。まーくんだいすき。おっきくなったらまーくんとけっこんしたい
「うわぁ……」
部屋を片付けていたら見つけた赤い手帳型の日記帳。クローゼットの奥のほうに落ちていた。当時、このお洒落なデザインのノートは父が東京に出張に行ったお土産に私に買ってきてくれたものだった。この時の私は5歳前後。何を書こうか考えて、日記帳にすることにした。けれどページ数はまあまああるのに最後まで書ききることはなかった。年齢も幼かったから途中で放棄してしまったのだ。だから書いてある日記の数は10日分ほどにしか満たない。何も書いてないページは、少々色褪せて真っ白ではなくなっていた。
「なつかしいなぁ」
と同時に恥ずかしさも感じる。記念すべき1ページめ。どうやら誕生日だったらしい。当時の私はこんなふうに思っていたのか。その時の記憶は正直言って思い出せないけど、きっと幸せな誕生日を送っていたに違いない。それは、20年経った今も変わることなく。
「何しとるんじゃ」
いつの間に帰ってきたのか、ドア付近に彼がいた。もしこれを見せたらなんて言うだろうか。きっと驚き半分笑い半分ってところだろう。もしかしたら馬鹿にされるかも。でもこれはこのまま秘密のまま、大切にしまっておこうと思う。私の幼い時の恋心は誰にも見せないんだ。たとえあなたでも、見せるのはまだもう少し秘密にしておこうかな。そっと閉じて、日記帳は引き出しの中にしまった。
「おかえり雅治。夕飯何食べたい?」
「任せる。それより、これ」
「うわあ」
彼が後ろ手に持っていたのはピンクの薔薇のミニブーケ。おめでとさん、という言葉と共に私に差し出してくれた。
「ありがとう」
「で、いくつになったんじゃ?」
「もー知ってるくせに!イジワル!」
「おーおー。年々迫力が増しとる」
初恋の人は今、私の旦那さまになりました。そして今でも誕生日に花をくれます。20年前の、“まーくん”に恋する私に何か伝えられるのだとしたら、あなたの願いはちゃんと叶うよ、って教えてあげたい。
この幸せよ、どうかこの先も続きますように。
036エゴ(幸村)
「え、そう……なの?」
好きだと伝えたら、琴璃の第一声はこれだった。表情もびっくりしていた。いつもの柔らかな瞳は今はこんなに真ん丸く見開かれている。まるで俺を何か違うものを見るような目で見ている。そんなに驚くことだろうか。これまで俺はキミを何よりも第一に考えて行動してきたつもりだ。キミを差し置いて優先すべきものは無いから。いつ何時もキミが1番だった。なのに当の本人にはそれが伝わってなかったらしい。キミのその驚いた顔を見て、それが分からされた瞬間だった。
「その、正直そーゆうふうに見てなかったから」
「なら、どーゆうふうに見てたっていうの?」
「それは、」
言葉を切って琴璃は考え込む。考えてしまうような位置づけなのか、キミにとっての俺の存在は。キミの人生のなかで俺は居ても居なくてもさして困らない人間だということなのか。あまりにもショックだ。見返りを欲しがるつもりはないけれど、これはあまりにも酷いんじゃないか?そう思ってしまった時は既に、キミへの愛が盲目になっている証拠だった。一歩琴璃へ近づいた、のち、その腕を掴み引っ張りこむ。小さな悲鳴が聞こえた。でも、それも全て抱きすくめてしまおう。今まで我慢してきたけど、キミの態度がそんなんじゃ俺はもう我慢する必要ないだろう?だから抵抗する姿勢を見せる彼女を強く腕の中に閉じ込めた。これでもう身動きはとれない。
「……どうして、こんなこと」
「どうして?」
何てことを聞くんだろうか。これでも俺の愛は伝わらない。それどころか逃げようとするなんて。
でも本当はなんとなく感じていた。好きだと言っても抱き締めても、キミは俺のほうを振り向いてくれないんじゃないかって。だから俺は今日までずっと言わなかった。終わってしまうのが怖かった。そもそも始まってすらいなかったのに。
こんなことしてキミを怖がらせた以上もうキミには会えなくなるだろう。それを思うとこの腕を放したくない。キミに愛されたい、と思ってしまった俺のエゴを、キミごとこのまま腕の中に隠してしまいたい。
「いいよ、分かってくれなくても」
もう二度と、好きだなんて言わないから。キミを困らせる言葉を発さない代わりに、あと少しこのままでいさせてくれないか。