a little story
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031君と見たい景色(幸村)
昼休みからおよそ4時間ぶりに携帯を見ると1件のメールを受信していた。
『熱下がった』
たったそれだけ。絵文字は愚か、句読点すら付いていない。こういう所が彼女らしいと思った。どうやらメールは今から5分としないうちに送られてきたらしい。だとしたら彼女は今、起きているだろうか。淡い期待を持ちながら発信をタップする。1回、2回とコールが鳴り、3度目でそれは止まった。
『もしもし』
「琴璃?大丈夫かい。熱、下がったんだって?」
『うん』
「良かったね。そろそろ帰るよ。帰りにスーパー寄るけど何か欲しいものある?」
『ううん、平気』
携帯を耳に挟んで会話しながら、ざっとデスク周りを片付ける。いつもより早い退社だ。これなら買い物に寄ったとしても、わりと早く琴璃のもとへ帰れるだろう。
『精ちゃん』
「ん?」
『ごめんね』
「いきなりどうしたのさ」
『だって、私のせいで仕事早く切り上げなきゃいけなくなっちゃって』
電話の向こうで弱々しくごめんなさいと聞こえた。
「全く。そんな下らないこと考えてたの?」
人間は病気になると心までもが弱気になる。それは身を持って経験した俺がすごく良く分かってる。痛い程に。
「キミを放ってまでやる仕事なんて無いんだよ。余計なこと考えてると熱がまた上がるよ」
『うん』
電話は繋いだまま社外に出ると空はもう真っ暗だった。けれど街の電飾のせいで少しも寂しくない。東京らしい、賑やかな夜の街。ただの街路樹が星型の細かい電球を纏っている。ああ、そうか。もうそんな季節なんだ。
「綺麗だな」
『精ちゃん?どうしたの』
「街が綺麗にライトアップされてるよ」
『へぇー、そうなんだ。もうすぐクリスマスだもんね』
いいなあ、見たいなあと、琴璃の声が僅かに弾んだ。きっとキミが間近でこれを見たらもの凄く喜ぶだろうな。今は1人で見てるイルミネーションだけど、キミと2人で見たら今より何倍も綺麗だと感じるかもしれない。その日は遠からずやって来るから。
「楽しみだな」
『何が?』
「ううん、何でもないよ。電車の時間分かったらまた連絡するね」
今はキミの風邪が早く治りますように。それだけを祈って、やや早足で帰路を歩く。
032今日も空は青い(忍足)
病院という場所は、ドラマや本の世界では寂しく冷たく描かれてることが多い。真っ白で寒々しくてどこか痛いような感じ。全くその通りだと思った。入院してみて目の当たりにする世界。もう見飽きた白い天井。腕に繋がれた管。時間が経つのがうんざりする程長い。
だから余計に考えなくても良いことばかりが頭に浮かぶ。例えば、明日の私は存在してるのか、なんて下らないことを。すると突然視界がぐにゃりと歪んだ。続いて手の甲に落ちてきた水滴。泣いてるのだと気付くまで数十秒かかった。今はその時間さえも重く長く感じる。静かな病室は怖い。心が落ち着かない。もう嫌だ、逃げ出したい。
その時、静寂を規則正しい音が破る。机の上の携帯が小刻みに震え出したのだ。画面には誰よりも大切な人の名が。どくんと心臓が跳ねた。急いで電話をとる。
『おはようさん』
その声を聞いた途端にまた泣きそうになった。堪えていたものが次々と溢れ出しそうになる。でもそれに気付かれないように、ひと呼吸おいてから何ら変わりなく返事をした。
「おはよう。どうかしたの?」
『んー?いやぁ今日の空は澄んでて綺麗やなあって。見てみ』
「……ほんとだ」
空なんか暫く見ていなかった。こんなに蒼かったことに驚く。カーテンを開ければいつでも見えるのにそうしようとも思わなかった。そんな気力さえ失くしてた。
『あと、寂しがってんのちゃうかなって思って』
やっぱり私のことなんて何でもお見通しなんだろう。だから今、必死に私が涙を堪えていることだって、きっと。
「怖いよ」
口から勝手に出てきた言葉。今の私の頭の中身はこれでいっぱい。
『ええんよ、それで。それが当たり前の感情』
「そうなの?」
『手術ってなって喜ぶ患者見たことあらへんもん』
言われてみれば。それはそうかも。私より怖がって絶望した人もきっと沢山いるだろう。
それでもみんなきっと、恐怖と戦って、乗り越えて。見えない未来に怯えながら、明日も生きてる。
『けど、俺がおる。自分1人で乗り越えようとする必要ないんやで』
「うん。そうだよね」
私は1人じゃない。いつだって、離れていても貴方が支えてくれている。だから私も大好きな人のために頑張ろう、って。そう思える。風で揺れたカーテンの先に青空が覗く。混じり気のない青い空が私の目に染みた。
033口実(赤也)
「ったく。なぁーんで俺が行かなきゃなんないんだっつうの」
彼は文句を垂らしながら私の斜め前を歩く。猫背気味で両手を短パンのポケットに突っ込みながら。その様子が自分の意志とは裏腹な行動なのだと訴えているようだ。
部室の電球が切れてしまった。それを発見したのが私で、慌てて買いに行くところを部長に呼び止められた。
「1人で行くの?危ないよ。お供をつけてあげるから」
と、幸村くんが言った時、彼は既にコートの中でアップを始めている切原くんを見ていたのだった。さぁこれから試合しますよ、と俄然やる気モードの切原くんを涼しい顔で呼びつけ、私と一緒に近くの電気屋さんへ行くように言いつけたのだ。
「幸村部長が一緒に行けばいいじゃんか」
絶対に本人の前で言えない事を愚痴りながら切原くんはずんずん進んでいく。私は曖昧に笑って、置いてかれまいと僅かにスピードをあげた。
「ごめんね、切原くん」
「別に。アンタが謝ることじゃないっしょ。部長命令なんだから」
「そうだけど」
言葉にはまだ棘がある。やっぱり1人で行くよ。そう言おうとしたがそれより早く切原くんがこっちを向いた。
「何時までに戻ればいいんスか」
「え?別に決まってないけど」
「だったら、用事終わったらコンビニ寄って。んで、俺にアイス買ってよ、センパイ」
それでチャラね、と切原くんは悪戯気に笑った。先輩だと思ってないような口ぶりは今に始まったことじゃないから大して気にならないけれど。それより、何で。
「何でアイスなの?暑いの?切原くん」
「別に。マックでもファミレスでもいいけど、さすがにそこまでいくと遅くなるからマズいっしょ」
「うん。じゃあコンビニに寄ろうか」
「うぃーす。そうと決まればさっさと終わらしちゃいましょ」
伸びをする切原くんに並ぶ。さっきよりも歩調は緩やかになった。
「そんなにお腹空いてたんだね」
「ハァ?」
「えっ、違うの?」
空腹が故にお遣いを面倒くさがっていたのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
「先輩って、本当に鈍感だよなー」
何とも言えない顔で切原くんは呟く。数分前に損ねた機嫌は戻ったらしい。けれど今はさっきとはまた違った複雑な顔つきだ。
「お遣いはついでっスからね」
「え」
「んもーそれくらい分かってよ」
再び前を向いあた切原くんの耳が、尋常じゃないほど赤かった。時折試合中に見せる赤い目よりも、ずっとずっと真っ赤だった。なんか、かわいいな。それは絶対に言えないから心の中で叫んだ。
部活動中に道草食ってる場合じゃない。真田くんにでも知られたらどんな罰を与えられるか。考えただけで背筋が凍る。規律を乱してはいけない。それは良く分かってるのだけど、今日だけは。許してください副部長。