淡恋と夏の大三角
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
次の試合は明日に実施されるらしい。琴璃は会場に設置されているトーナメントのボードを見つけ、立海の名前を確認してこの先控えている試合の日時を携帯にメモした。今日が2回戦めだったから、ボードを見る限りだと次は準決勝ということか。このまま勝ち進んでゆけば、来週には決勝となる。そこで優勝学校が決まることになる。
琴璃は勝ち残っている学校たちの名前を順々に確認した。その中に、『青春学園』という学校を見つける。最後の対戦相手がこの学校になるかはまだ分からないのに何故か目に留まった。青春学園ってどんな学校なんだろう。丸井はどの学校が強いとか、特に何も言っていなかった。多分、琴璃がこの大会に出場している学校を全くと言っていいほど知らなかったからというのもある。だけど、あの日彼が淀みなく言った言葉は今も覚えていた。
“関東大会の優勝は俺らで問題ない”。昨日一緒にファミレスで食事した時に彼はそう言っていた。けれど、口ではそう言っても、きっとそれなりに緊張しているのではないかと琴璃は思う。事情はよく知らないが、この関東大会というものにテニス部の部長は参加しないのだそうだ。いつぞやの星の観測の日に丸井が教えてくれた。部長なのだからその人が一番立海テニス部の中で強いんだろう。そんな人が大事な大会には不在で大丈夫なのだろうか。余計なお世話だとわきまえていたから丸井には決して聞かなかったけど、本当に優勝には問題ないのかな。そんなふうに思っていた。
琴璃と2人でいる時の丸井は終始楽観的な雰囲気しか見せない。けれど、さっきコートの中で試合をしていた彼はそんな柔らかな印象など微塵もなかった。そりゃ、大切な試合の中でのほほんとしていられるわけなどないのだけど。フェンスの外から見ていた琴璃でも、何かピリピリとしたものを感じた。
勝負は一度きり。負ければ後がない。そこで終了なのだ。勝ち負けの世界って大変なんだな。そんなことを思いながらぼーっとトーナメント表を見上げていたら、
「大丈夫ですか?」
「え?」
隣を見るといつのまにか女の子が立っていた。さっき道を教えてくれた子だった。琴璃に近寄ってきて、怪訝な顔を見せてきた。
「顔色が悪いですよ。熱中症じゃないですか?気分悪いですか?」
「は……えっと」
「医務室あるから一緒に行きましょう。歩けますか?」
「あ、はい。一応」
そうは答えたが、実際は少し体の不調を感じはじめていた。頭が痛いのと、軽い眩暈がする。他人に指摘されたこともあったせいか、途端に体が重たくなる。こうやっていつまでも炎天下の中でぼんやりとしているなんて、今更ながらあり得ない行動じゃないか。先ほどの丸井の試合を見て気持ちが昂って油断していたのかもしれない。親切な彼女に手を引かれながら、琴璃は施設の中の医務室にたどり着いた。中にいた白衣を着た女性が飲み物をくれ、横になるようにベッドに促してくれた。軽い脱水症状のようだから、水分をとって少し休んでいくように言われた。
「あの、色々とすみません」
琴璃は付き添ってくれた女の子に弱弱しく呟いた。彼女はここまで連れてきてくれた上に、代わって自分の容態を説明してくれた。とても頼りになる。それに引き換え自分は何ひとつうまく言えないだなんて。情けなくて、ふがいなくてどうしようもなかった。恥ずかしいような惨めな気持ちも感じた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。本当にすいません、こんなに迷惑をかけてしまって……」
「立海の生徒さんなんですか?試合、間に合いましたか?」
「間に合いました。ついたらちょうど試合をしてて、勝ちました」
「良かったですね」
彼女は小さく笑った。その時、誰かの携帯が着信を知らせる。琴璃のものではなかった。
「うわ、すいませんマナーモードにしてなかった……あ、手塚部長からだ」
ちょっと失礼します、と言うと彼女は真剣な表情でメールを打ち始めた。彼女もきっと何か予定があるだろうに、今の今までずっとついてくれていたのだ。これ以上は迷惑をかけられない。
「あの、私のせいで時間とらせてしまってすいません。もう大丈夫ですから行ってください。ご迷惑おかけしました」
「帰りはどうするんですか?」
「あと少し休ませてもらったら普通に電車で帰ります。時間的にも、もうだいぶ日差しも落ち着いてきてるんじゃないかと思うので」
「ひとりで?……大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
彼女は真剣な目で琴璃の顔を覗き込む。本気で心配してくれている瞳だった。自分のことを何も知らないのに、こんなに気にかけてくれる。彼女の優しさに触れて心がじんわりとした。
「本当に、迷惑かけてごめんなさい」
「そんなに気にしないでください。明日も立海は試合ですよね。見に来られるんですか?」
「できれば来たいと思ってます」
明日も丸井がテニスをしているところを目にしたい。できることなら、今日よりももっと近くで応援したい。
「そうですか。……うちもこのまま勝ち進めれば、立海とは決勝でぶつかるはずです。優勝の常連校なのは知ってますけど、全力でぶつからせてもらいます。お互いにベストを尽くせたらと思います」
「えっと……はい」
話の意味がよく分かってないくせに琴璃は返事をした。最後に「お大事に」と言って、青学の彼女は医務室を後にした。
係の人にもう少し休ませてもらう承諾を得て、琴璃は目を閉じた。それでも眠くはならなかった。気分的にはもう大分回復している。やはり長時間暑い場所に立っていたのが原因だろう。明日はちゃんと暑さ対策をして来ようと反省した。
それにしても、テニス部の人たちは、丸井は、この暑さでも毎日特訓に励んでいるのだ。もうそれだけですごいと思ってしまう。彼の口からは「毎日あちぃ」とか「すぐ腹減る」程度の文句は聞かされたことがあったが、部活に対する悪口は一度も聞いたことはなかった。本当にテニスが好きなのだと思う。こんなにストイックに取り組んでるのだから、この大会、どうか優勝してほしい。瞼の裏では今日見た試合する丸井の姿が焼き付いていた。やっぱり何か声にすればよかったな。恥ずかしがってなんかいないで、労う気持ちを伝えれば良かったんだと今さらに思った。だけどきっと、明日になればまたこの勇気は顔を引っ込めてしまうのだろう。言いたいことを素直に伝えるということは、琴璃にとってはこんなにも難しい。
するとまたノック音がした。さっき出て行った係の人が帰ってきたのか。だが、扉がそうっと開いて、姿を現したのはなんと丸井だった。
「失礼しまーっす……お、いた。やっぱ藤白だ。お前、大丈夫かよ?」
「……なんで」
「今さ、解散して帰るとこだったんだけど、俺らのとこに青学のマネージャーだっていう女子が来てさ。立海の試合を応援に来てた人が体調不良で医務室で休んでるって言うからよ。ひょっとして藤白かなって思ったんだよ。お前、あの炎天下の中でずーっとつっ立って見てたろ?」
よっこいせ、と丸井は手近にあったパイプ椅子を引き寄せ琴璃の寝ているベッドのそばまで持ってきた。そして心配そうに顔を覗き込んでくる。だけど琴璃は嬉しくはなかった。
「熱中症かよ?大丈夫か?」
いやだ、見られたくない。琴璃は咄嗟に丸井に背を向けるように体勢を変えた。こんな自分を見ないでほしい。惨めで情けなくて迷惑しかかけていない自分なんか、見られたくなんかない。さっきまであれほど前向きなことを思っていたのに、やっぱり本人を目の前にしたら影に隠れてしまう。いつも、そうだ。変わりたいと思っておきながらどうしたって踏み出せない。最後までやり通せない。今も、私のせいで丸井くんに迷惑をかけたと、ただただ自分自身を責め続けている。彼はきっと腹の内では呆れてるはずだ。幻滅しているはずだ。そんな被害妄想が次々と生まれるばかり。
「おい、藤白?」
「また私、丸井くんに迷惑かけてる」
小さく呟く声は届いたらしい。丸井は分かりやすく顔を歪めた。
「おいおい、なんだよ迷惑って。言うんなら“心配してくれた”って表現にしろよな」
「いつも、本当にめんどくさい女だよね、私って」
「はぁ?なに、ヤケクソなこと言ってんだよ。そーゆうキャラじゃねぇだろ?お前」
「じゃあどういうキャラなの?」
琴璃はそこで勢いよく身を起こし丸井に向けてまくし立てた。丸井の目は驚きで大きく見開かれていた。
「丸井くんの思ってる私のキャラって、どんななの?真面目で口数少なくてお世辞のひとつも言えなくて、ただひたすら勉強してるつまんない女ってこと?こんな弱音なんか吐いてる暇があったら教科書でも眺めてろって、本当はそう思ってるんじゃないの?」
まるで押さえていたものが弾け出すみたいに、次々と言葉が出るのだった。こんなことは言っちゃいけない。頭ではそれをわかっていた。でも、それでも止まってはくれなかった。彼が優しくしてくれるたびに、自分の姿を視界に入れてくれるたびに、心のメッキが剥げたみたいになってゆく。
胸の底に重たい澱が沈んでゆくような感覚だった。どうしてだろう。なんでこんなに嫌な感情ばかりが生まれるのだろう。ありがとうのひとつも素直に言えやしないのに、嫌味や不満は頭を使わずともこんなに容易く口から出てくるのは何故だろう。
「……ごめんなさい」
だけど本当は理解してほしくて。ひとりで考えるのが寂しい。本当は分かってほしい。もっと思いを吐露したい。その、切なる願いの裏返しでひどいことを言ってしまった。けれど、傷つきたくないからって相手を傷つけるのは間違っている。それは防衛行為にはならない。言ってしまってからの罪悪感がとてつもなく酷かった。
「私、丸井くんにも嫌われちゃう……」
呟いた琴璃の肩が強く掴まれる。項垂れた顔を上げると、丸井はまっすぐと琴璃を見つめていた。これ以上ないほどの真剣な顔つきで。
「とりあえず、聞けよ」
その声は、有無を言わさない雰囲気をまとっていた。
「……キャラじゃねぇとかいう言い方して悪かった。勝手に決めつけるような言い方した俺が悪い。だけど、俺はお前のことをそんなふうに思っちゃいねーよ。迷惑でもねぇし、こんなんで嫌われるだなんて思うな。何を言おうが考えようが、全部お前なんだからいいんだよ」
琴璃は息を呑む。丸井の瞳の中に沈痛な表情の自分が映っているのが見えた。
「けど、あんまネガティブなことばっか言うなよな。運も逃げるぞぃ」
丸井はようやくそこでニカッと笑った。いつもの、太陽みたいな屈託のない笑顔が琴璃に向けられる。
「もっと自信持てって。お前はちっとも根暗じゃねーよ。じゃなきゃ、あんなに俺に向かって手ぇ振ってくれるかよ。お前が試合見に来てくれて、俺すっげーテンション上がったんだぜ。気づいたのはマッチポイントの時だったんだけどさ、おかげで最後のスマッシュ、めちゃくちゃ力入ったわ」
「……丸井くん」
「少しは落ち着いたか?」
「うん。ごめんね」
「いーって。あ、そだ」
言いながら丸井がバッグから何かを取り出すと、それを琴璃に渡す。何かのお菓子のパッケージだった。
「これやるよ。新発売ってなってたからつい買っちまったんだよな。お前甘いもん好きだって言ってたじゃん?」
「……覚えててくれたの?」
「そりゃあな。俺と同じ甘党なんだから、忘れるわけがないだろぃ」
得意げに答える丸井だったが。
「ねぇ、ちょっと。……これ、半分溶けてるよ」
中身は原型をとどめてないほどに溶けていた。
「でぇっ、まじ?……あー、駄目だこりゃ。そうだよな、こんなに暑かったら、チョコじゃなくともそりゃ溶けるわな」
「ふふふ」
これには琴璃も思わず笑ってしまう。ようやく身体の力が抜けた瞬間だった。彼は無意識的に周りを和ませる力を発揮しているのか。そばにいると自然と前向きになれる。だから琴璃は丸井に嫌われたくなんかなかった。また自分に笑いかけてほしかった。その感情の意味なんて、微塵も気づけていないけれど。
「なんか、お腹すいてきたかも」
「んじゃあ、なんか食いに行くか。どこにする?」
「ファミレス」
そう答えた琴璃に丸井は声をあげて笑った。
「お前、何気にファミレス気に入ってんじゃん。じゃーそうするか。いつものとこ?」
「うん。どりば、付ける」
「よっしゃ。んじゃ帰ろうぜぃ。つうか、具合はどーよ?藤白」
「もう平気だよ。じゃなきゃお腹減ったりしないでしょ」
「いや、それあんま関係ないぜ?俺こないだ寝込んでた時、常に腹減ってたし。空腹ってのは、熱とか関係ねーのな」
「それは丸井くんだけだよ」
「いやいやマジだって。不思議なことに風邪で寝込もうが食欲は落ちねーんだわ」
丸井が真顔で言うから、琴璃はまた可笑しくなって勝手に口元が緩んでしまう。本当に、この人の近くにいると、勝手に前向きになれる。自分に少し優しくなれる。
だから、課題が終わっても、夏休みが終わっても。そばにいられたらいいのにな。
===============================================================
7・8話で登場した”青学の女の子”は「セレスティアルブルー」の主人公です。
まだ合宿前なので跡部様とも面識がない状態。
琴璃は勝ち残っている学校たちの名前を順々に確認した。その中に、『青春学園』という学校を見つける。最後の対戦相手がこの学校になるかはまだ分からないのに何故か目に留まった。青春学園ってどんな学校なんだろう。丸井はどの学校が強いとか、特に何も言っていなかった。多分、琴璃がこの大会に出場している学校を全くと言っていいほど知らなかったからというのもある。だけど、あの日彼が淀みなく言った言葉は今も覚えていた。
“関東大会の優勝は俺らで問題ない”。昨日一緒にファミレスで食事した時に彼はそう言っていた。けれど、口ではそう言っても、きっとそれなりに緊張しているのではないかと琴璃は思う。事情はよく知らないが、この関東大会というものにテニス部の部長は参加しないのだそうだ。いつぞやの星の観測の日に丸井が教えてくれた。部長なのだからその人が一番立海テニス部の中で強いんだろう。そんな人が大事な大会には不在で大丈夫なのだろうか。余計なお世話だとわきまえていたから丸井には決して聞かなかったけど、本当に優勝には問題ないのかな。そんなふうに思っていた。
琴璃と2人でいる時の丸井は終始楽観的な雰囲気しか見せない。けれど、さっきコートの中で試合をしていた彼はそんな柔らかな印象など微塵もなかった。そりゃ、大切な試合の中でのほほんとしていられるわけなどないのだけど。フェンスの外から見ていた琴璃でも、何かピリピリとしたものを感じた。
勝負は一度きり。負ければ後がない。そこで終了なのだ。勝ち負けの世界って大変なんだな。そんなことを思いながらぼーっとトーナメント表を見上げていたら、
「大丈夫ですか?」
「え?」
隣を見るといつのまにか女の子が立っていた。さっき道を教えてくれた子だった。琴璃に近寄ってきて、怪訝な顔を見せてきた。
「顔色が悪いですよ。熱中症じゃないですか?気分悪いですか?」
「は……えっと」
「医務室あるから一緒に行きましょう。歩けますか?」
「あ、はい。一応」
そうは答えたが、実際は少し体の不調を感じはじめていた。頭が痛いのと、軽い眩暈がする。他人に指摘されたこともあったせいか、途端に体が重たくなる。こうやっていつまでも炎天下の中でぼんやりとしているなんて、今更ながらあり得ない行動じゃないか。先ほどの丸井の試合を見て気持ちが昂って油断していたのかもしれない。親切な彼女に手を引かれながら、琴璃は施設の中の医務室にたどり着いた。中にいた白衣を着た女性が飲み物をくれ、横になるようにベッドに促してくれた。軽い脱水症状のようだから、水分をとって少し休んでいくように言われた。
「あの、色々とすみません」
琴璃は付き添ってくれた女の子に弱弱しく呟いた。彼女はここまで連れてきてくれた上に、代わって自分の容態を説明してくれた。とても頼りになる。それに引き換え自分は何ひとつうまく言えないだなんて。情けなくて、ふがいなくてどうしようもなかった。恥ずかしいような惨めな気持ちも感じた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫です。本当にすいません、こんなに迷惑をかけてしまって……」
「立海の生徒さんなんですか?試合、間に合いましたか?」
「間に合いました。ついたらちょうど試合をしてて、勝ちました」
「良かったですね」
彼女は小さく笑った。その時、誰かの携帯が着信を知らせる。琴璃のものではなかった。
「うわ、すいませんマナーモードにしてなかった……あ、手塚部長からだ」
ちょっと失礼します、と言うと彼女は真剣な表情でメールを打ち始めた。彼女もきっと何か予定があるだろうに、今の今までずっとついてくれていたのだ。これ以上は迷惑をかけられない。
「あの、私のせいで時間とらせてしまってすいません。もう大丈夫ですから行ってください。ご迷惑おかけしました」
「帰りはどうするんですか?」
「あと少し休ませてもらったら普通に電車で帰ります。時間的にも、もうだいぶ日差しも落ち着いてきてるんじゃないかと思うので」
「ひとりで?……大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
彼女は真剣な目で琴璃の顔を覗き込む。本気で心配してくれている瞳だった。自分のことを何も知らないのに、こんなに気にかけてくれる。彼女の優しさに触れて心がじんわりとした。
「本当に、迷惑かけてごめんなさい」
「そんなに気にしないでください。明日も立海は試合ですよね。見に来られるんですか?」
「できれば来たいと思ってます」
明日も丸井がテニスをしているところを目にしたい。できることなら、今日よりももっと近くで応援したい。
「そうですか。……うちもこのまま勝ち進めれば、立海とは決勝でぶつかるはずです。優勝の常連校なのは知ってますけど、全力でぶつからせてもらいます。お互いにベストを尽くせたらと思います」
「えっと……はい」
話の意味がよく分かってないくせに琴璃は返事をした。最後に「お大事に」と言って、青学の彼女は医務室を後にした。
係の人にもう少し休ませてもらう承諾を得て、琴璃は目を閉じた。それでも眠くはならなかった。気分的にはもう大分回復している。やはり長時間暑い場所に立っていたのが原因だろう。明日はちゃんと暑さ対策をして来ようと反省した。
それにしても、テニス部の人たちは、丸井は、この暑さでも毎日特訓に励んでいるのだ。もうそれだけですごいと思ってしまう。彼の口からは「毎日あちぃ」とか「すぐ腹減る」程度の文句は聞かされたことがあったが、部活に対する悪口は一度も聞いたことはなかった。本当にテニスが好きなのだと思う。こんなにストイックに取り組んでるのだから、この大会、どうか優勝してほしい。瞼の裏では今日見た試合する丸井の姿が焼き付いていた。やっぱり何か声にすればよかったな。恥ずかしがってなんかいないで、労う気持ちを伝えれば良かったんだと今さらに思った。だけどきっと、明日になればまたこの勇気は顔を引っ込めてしまうのだろう。言いたいことを素直に伝えるということは、琴璃にとってはこんなにも難しい。
するとまたノック音がした。さっき出て行った係の人が帰ってきたのか。だが、扉がそうっと開いて、姿を現したのはなんと丸井だった。
「失礼しまーっす……お、いた。やっぱ藤白だ。お前、大丈夫かよ?」
「……なんで」
「今さ、解散して帰るとこだったんだけど、俺らのとこに青学のマネージャーだっていう女子が来てさ。立海の試合を応援に来てた人が体調不良で医務室で休んでるって言うからよ。ひょっとして藤白かなって思ったんだよ。お前、あの炎天下の中でずーっとつっ立って見てたろ?」
よっこいせ、と丸井は手近にあったパイプ椅子を引き寄せ琴璃の寝ているベッドのそばまで持ってきた。そして心配そうに顔を覗き込んでくる。だけど琴璃は嬉しくはなかった。
「熱中症かよ?大丈夫か?」
いやだ、見られたくない。琴璃は咄嗟に丸井に背を向けるように体勢を変えた。こんな自分を見ないでほしい。惨めで情けなくて迷惑しかかけていない自分なんか、見られたくなんかない。さっきまであれほど前向きなことを思っていたのに、やっぱり本人を目の前にしたら影に隠れてしまう。いつも、そうだ。変わりたいと思っておきながらどうしたって踏み出せない。最後までやり通せない。今も、私のせいで丸井くんに迷惑をかけたと、ただただ自分自身を責め続けている。彼はきっと腹の内では呆れてるはずだ。幻滅しているはずだ。そんな被害妄想が次々と生まれるばかり。
「おい、藤白?」
「また私、丸井くんに迷惑かけてる」
小さく呟く声は届いたらしい。丸井は分かりやすく顔を歪めた。
「おいおい、なんだよ迷惑って。言うんなら“心配してくれた”って表現にしろよな」
「いつも、本当にめんどくさい女だよね、私って」
「はぁ?なに、ヤケクソなこと言ってんだよ。そーゆうキャラじゃねぇだろ?お前」
「じゃあどういうキャラなの?」
琴璃はそこで勢いよく身を起こし丸井に向けてまくし立てた。丸井の目は驚きで大きく見開かれていた。
「丸井くんの思ってる私のキャラって、どんななの?真面目で口数少なくてお世辞のひとつも言えなくて、ただひたすら勉強してるつまんない女ってこと?こんな弱音なんか吐いてる暇があったら教科書でも眺めてろって、本当はそう思ってるんじゃないの?」
まるで押さえていたものが弾け出すみたいに、次々と言葉が出るのだった。こんなことは言っちゃいけない。頭ではそれをわかっていた。でも、それでも止まってはくれなかった。彼が優しくしてくれるたびに、自分の姿を視界に入れてくれるたびに、心のメッキが剥げたみたいになってゆく。
胸の底に重たい澱が沈んでゆくような感覚だった。どうしてだろう。なんでこんなに嫌な感情ばかりが生まれるのだろう。ありがとうのひとつも素直に言えやしないのに、嫌味や不満は頭を使わずともこんなに容易く口から出てくるのは何故だろう。
「……ごめんなさい」
だけど本当は理解してほしくて。ひとりで考えるのが寂しい。本当は分かってほしい。もっと思いを吐露したい。その、切なる願いの裏返しでひどいことを言ってしまった。けれど、傷つきたくないからって相手を傷つけるのは間違っている。それは防衛行為にはならない。言ってしまってからの罪悪感がとてつもなく酷かった。
「私、丸井くんにも嫌われちゃう……」
呟いた琴璃の肩が強く掴まれる。項垂れた顔を上げると、丸井はまっすぐと琴璃を見つめていた。これ以上ないほどの真剣な顔つきで。
「とりあえず、聞けよ」
その声は、有無を言わさない雰囲気をまとっていた。
「……キャラじゃねぇとかいう言い方して悪かった。勝手に決めつけるような言い方した俺が悪い。だけど、俺はお前のことをそんなふうに思っちゃいねーよ。迷惑でもねぇし、こんなんで嫌われるだなんて思うな。何を言おうが考えようが、全部お前なんだからいいんだよ」
琴璃は息を呑む。丸井の瞳の中に沈痛な表情の自分が映っているのが見えた。
「けど、あんまネガティブなことばっか言うなよな。運も逃げるぞぃ」
丸井はようやくそこでニカッと笑った。いつもの、太陽みたいな屈託のない笑顔が琴璃に向けられる。
「もっと自信持てって。お前はちっとも根暗じゃねーよ。じゃなきゃ、あんなに俺に向かって手ぇ振ってくれるかよ。お前が試合見に来てくれて、俺すっげーテンション上がったんだぜ。気づいたのはマッチポイントの時だったんだけどさ、おかげで最後のスマッシュ、めちゃくちゃ力入ったわ」
「……丸井くん」
「少しは落ち着いたか?」
「うん。ごめんね」
「いーって。あ、そだ」
言いながら丸井がバッグから何かを取り出すと、それを琴璃に渡す。何かのお菓子のパッケージだった。
「これやるよ。新発売ってなってたからつい買っちまったんだよな。お前甘いもん好きだって言ってたじゃん?」
「……覚えててくれたの?」
「そりゃあな。俺と同じ甘党なんだから、忘れるわけがないだろぃ」
得意げに答える丸井だったが。
「ねぇ、ちょっと。……これ、半分溶けてるよ」
中身は原型をとどめてないほどに溶けていた。
「でぇっ、まじ?……あー、駄目だこりゃ。そうだよな、こんなに暑かったら、チョコじゃなくともそりゃ溶けるわな」
「ふふふ」
これには琴璃も思わず笑ってしまう。ようやく身体の力が抜けた瞬間だった。彼は無意識的に周りを和ませる力を発揮しているのか。そばにいると自然と前向きになれる。だから琴璃は丸井に嫌われたくなんかなかった。また自分に笑いかけてほしかった。その感情の意味なんて、微塵も気づけていないけれど。
「なんか、お腹すいてきたかも」
「んじゃあ、なんか食いに行くか。どこにする?」
「ファミレス」
そう答えた琴璃に丸井は声をあげて笑った。
「お前、何気にファミレス気に入ってんじゃん。じゃーそうするか。いつものとこ?」
「うん。どりば、付ける」
「よっしゃ。んじゃ帰ろうぜぃ。つうか、具合はどーよ?藤白」
「もう平気だよ。じゃなきゃお腹減ったりしないでしょ」
「いや、それあんま関係ないぜ?俺こないだ寝込んでた時、常に腹減ってたし。空腹ってのは、熱とか関係ねーのな」
「それは丸井くんだけだよ」
「いやいやマジだって。不思議なことに風邪で寝込もうが食欲は落ちねーんだわ」
丸井が真顔で言うから、琴璃はまた可笑しくなって勝手に口元が緩んでしまう。本当に、この人の近くにいると、勝手に前向きになれる。自分に少し優しくなれる。
だから、課題が終わっても、夏休みが終わっても。そばにいられたらいいのにな。
===============================================================
7・8話で登場した”青学の女の子”は「セレスティアルブルー」の主人公です。
まだ合宿前なので跡部様とも面識がない状態。
