淡恋と夏の大三角
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夏休みも後半に差し掛かる日。今日も神奈川は連続何日めかの猛暑日をたたき出していた。ここ数日は特に気温の上昇がすさまじい。立っているだけでも汗が噴き出してくるのは当然のこと。でも、こんな炎天下の中琴璃は外にいる。それも東京。電車を乗り継いで都内のとある駅で降りそこからバスに揺られて数十分の場所。
”関東学生テニストーナメント大会会場”。目印の看板が大きかったお陰で迷うことなくたどり着けた。だが問題はここからどうやって立海が試合しているコートに向かえばいいのだろうか。
「ひょっとして、迷われてますか?」
うろうろしていたら1人の女の子に話しかけられた。
「あ……立海大付属高校の試合を見に来たんですけど」
「ちょっと待ってください、今調べますね」
彼女はポケットから取り出した紙を広げて立海が試合しているコートを探してくれた。聞くと、今いる場所から1番奥のコートになるらしい。そこまでの道順を丁寧に教えてもらった。
「暑いので、熱中症に気をつけてくださいね」
踵を返した彼女が着ているシャツには赤と青と白の3色のラインがあり背中に“SEIGAKU”と刺繍が入っていた。優しい子だな。多分、自分よりちょっと歳下だと思う。彼女と別れ、教えられた道を琴璃は1人歩いてゆく。その間も高温と日差しにやられそうになる。こんなに暑いのに日傘も帽子も持ってきていなかった。何せ、こんな真っ昼間に出歩くことなんて今までになかった。プールや海、山登りなんてアウトドアとは当然に無縁だったのだ。でなければ”根暗”だなんてイメージがつかないだろう。何にしても、そんな自分がこんなふうに、1人でテニスコートを訪れる日がこようとは。間違いなく今1番びっくりしているのは琴璃自身だ。
そもそもこうなった経緯は昨日の丸井との話の中でのことだった。一緒に図書館で課題のまとめをして、昼食を食べにまた2人でファミレスに行った。丸井が「課題が終わった打ち上げだ」と言って、お礼も兼ねて奢ってくれたかき氷を食後に食べていると、彼がまたスマホの画像を見せてきた。それはトーナメントのような図で、聞けば、明日はテニスの試合があるのだという。
『次が確か2回戦だったかな?……たぶん』
『なんだかあんまり意識していない口ぶりだね、丸井くん』
『立海 は常勝を掲げてるんだぜ?優勝以外はあり得ねぇんだよ』
その時だけ、彼が琴璃の目にはいつもと違うふうに映った。賑やかでお調子者っぽくて愛想満点の丸井ブン太ではなくて、強豪テニス部のレギュラーを任されている、優勝への責任を背負った丸井ブン太だった。
『明日はここで試合なんだよ。今日は試合前日だから、敢えて休みになったってワケ。体をしっかり休めとけとさ。まあ言っちゃわりぃけど、相手もそこまで警戒するレベルじゃねぇから根詰めて特訓しとく必要ねーしな』
『そうなんだ』
『藤白、暇なら見に来いよ。あー、でも暑いし会場は東京だからめんどくせぇか』
『行く』
あの時どうして二つ返事ができたのか、驚くばかりだった。誘ってもらえてうれしかったのもある。彼のテニスする姿を見たかったのもある。あとは、行動をすることで自分が何か変われるのかもしれない。そう思ったからだ。決心の気持ちに暑さの問題はどうでもよかった。
謎の高揚感をほのかに抱えながらコートまでの道を歩く。だんだんと歓声が聞こえてきた。誰かの名前をみんなで叫んでいるようだった。近づくにつれてそれはどんどん大きくなってゆく。琴璃の足どりは自然と早くなっていた。やがて見えてきたテニスコートの中には、動いている人間が4人ほどいた。琴璃は全くと言っていいほどテニスの知識がない。けれどあれはダブルスなのだというのぐらいは分かる。そして、黄色いユニフォームが立海だというのも分かる。そのうち1人が、見覚えのある赤い髪をした青年だった。なんとタイミングよく丸井が試合をしていたのだ。琴璃は試合開始時間まで聞かなかったから、奇跡的だった。
丸井が高々と打ち上げたボールを相手選手が必死に拾う。コートの端から端を何度も行ったり来たりしていた。丸井も前後左右に巧みに身体を動かしながら返ってくる球を見逃すことなく打ち返す。こんなに暑くてもパフォーマンスには支障がないのか。あれほど動くのなら、やはりファミレスで食べてたあの量も妥当なんだなと思った。
琴璃はフェンスの前まで近づき何度も行来するボールを目で追った。相手もけっこうなショットを打ってくるけれど、それでもなかなか決まらない。丸井が、相手へ返す球を左右に打ち分けて揺さぶりをかけているからだ。お陰で相手選手は無駄に走らされている。テニスは力だけでは成立しないスポーツなんだと分かった。
スコアボードは『5-0』となっていた。立海が勝っているのは分かったけれど、いったいどこまでいけばゲームセットなのか。琴璃がこのコートにたどり着いてから彼らはずっと走り続けている。あまりにもルールに無知ゆえに、こんなに走り続けていて大丈夫なのか、とはらはらしてしまう。
不意に、ボールの軌道が高くなった。相手チームがミスショットをしたのだ。それを見た丸井は、コートのやや後方に居たのだがそこから急に走りだした。あの球をとらえるんだと、琴璃も分かった。全速力で向かってゆく丸井の姿を見ているうちに、いつのまにか琴璃は両手を組んで祈っていた。
「いけー!」
声を張り上げたのはいつぶりだろう。腹の底からひとりでに叫び声が出ていた。
丸井のスマッシュは綺麗に決まり、同時にわぁっと大きな歓声が響き渡った。審判が手を振り上げ「ゲームアンドマッチ」と叫んでいる。試合が終了したのだと分かった。立海が、丸井が勝ったのだと知り琴璃はほっとする。コートの中央で選手たち同士が握手を交わしているのを見つめながら、周りに混ざって拍手をおくった。挨拶を終えて各々がベンチに戻る中、丸井はなぜか歩いてゆかない。コートに残ったまま大きく手を振っているではないか。
「…………私?」
間違いない。琴璃に向かって手を振っている。そして何かを叫んでいる。けれど周りの歓声にかき消されて何を言ってるかまでは分からなかった。それでも丸井はいつまでも手を振ってくる。琴璃はそろりと胸の位置から右手を上げた。広い夏の青空に高く掲げ、そこから左右にゆっくりと振り子のように降る。その動作は丸井に届いたらしい。彼は一瞬だけ両目を見開き今度は両手で振り返してきた。さっきよりも大きく、速度も速く。だから琴璃も負けじと、左手も同様に突き上げる。両手でめいっぱい空を掻くと、彼の口がまた動いた。
「ありがとな」
音では聞き取れなかったけど、口の動きで分かった。だけどその言葉に、琴璃はなんて答えていいかまでは分からなかった。感動をこんな間近で見せてもらったというのに、まだ、感情を素直に表現できなかった。琴璃は何も叫ぶことなくただ一生懸命に両手を振った。いつまでも素直になれないけど。こんなにも不器用な自分だけど。せめて精一杯手を振り返すことで許してもらおうと思った。
「おめでとう」
そして琴璃も一言呟いた。当然この距離じゃ丸井には聞こえていない。でも、彼は分かってくれたような気がした。ささやかな祝福の気持ちを受け取ってくれたような、そんな気がした。
”関東学生テニストーナメント大会会場”。目印の看板が大きかったお陰で迷うことなくたどり着けた。だが問題はここからどうやって立海が試合しているコートに向かえばいいのだろうか。
「ひょっとして、迷われてますか?」
うろうろしていたら1人の女の子に話しかけられた。
「あ……立海大付属高校の試合を見に来たんですけど」
「ちょっと待ってください、今調べますね」
彼女はポケットから取り出した紙を広げて立海が試合しているコートを探してくれた。聞くと、今いる場所から1番奥のコートになるらしい。そこまでの道順を丁寧に教えてもらった。
「暑いので、熱中症に気をつけてくださいね」
踵を返した彼女が着ているシャツには赤と青と白の3色のラインがあり背中に“SEIGAKU”と刺繍が入っていた。優しい子だな。多分、自分よりちょっと歳下だと思う。彼女と別れ、教えられた道を琴璃は1人歩いてゆく。その間も高温と日差しにやられそうになる。こんなに暑いのに日傘も帽子も持ってきていなかった。何せ、こんな真っ昼間に出歩くことなんて今までになかった。プールや海、山登りなんてアウトドアとは当然に無縁だったのだ。でなければ”根暗”だなんてイメージがつかないだろう。何にしても、そんな自分がこんなふうに、1人でテニスコートを訪れる日がこようとは。間違いなく今1番びっくりしているのは琴璃自身だ。
そもそもこうなった経緯は昨日の丸井との話の中でのことだった。一緒に図書館で課題のまとめをして、昼食を食べにまた2人でファミレスに行った。丸井が「課題が終わった打ち上げだ」と言って、お礼も兼ねて奢ってくれたかき氷を食後に食べていると、彼がまたスマホの画像を見せてきた。それはトーナメントのような図で、聞けば、明日はテニスの試合があるのだという。
『次が確か2回戦だったかな?……たぶん』
『なんだかあんまり意識していない口ぶりだね、丸井くん』
『
その時だけ、彼が琴璃の目にはいつもと違うふうに映った。賑やかでお調子者っぽくて愛想満点の丸井ブン太ではなくて、強豪テニス部のレギュラーを任されている、優勝への責任を背負った丸井ブン太だった。
『明日はここで試合なんだよ。今日は試合前日だから、敢えて休みになったってワケ。体をしっかり休めとけとさ。まあ言っちゃわりぃけど、相手もそこまで警戒するレベルじゃねぇから根詰めて特訓しとく必要ねーしな』
『そうなんだ』
『藤白、暇なら見に来いよ。あー、でも暑いし会場は東京だからめんどくせぇか』
『行く』
あの時どうして二つ返事ができたのか、驚くばかりだった。誘ってもらえてうれしかったのもある。彼のテニスする姿を見たかったのもある。あとは、行動をすることで自分が何か変われるのかもしれない。そう思ったからだ。決心の気持ちに暑さの問題はどうでもよかった。
謎の高揚感をほのかに抱えながらコートまでの道を歩く。だんだんと歓声が聞こえてきた。誰かの名前をみんなで叫んでいるようだった。近づくにつれてそれはどんどん大きくなってゆく。琴璃の足どりは自然と早くなっていた。やがて見えてきたテニスコートの中には、動いている人間が4人ほどいた。琴璃は全くと言っていいほどテニスの知識がない。けれどあれはダブルスなのだというのぐらいは分かる。そして、黄色いユニフォームが立海だというのも分かる。そのうち1人が、見覚えのある赤い髪をした青年だった。なんとタイミングよく丸井が試合をしていたのだ。琴璃は試合開始時間まで聞かなかったから、奇跡的だった。
丸井が高々と打ち上げたボールを相手選手が必死に拾う。コートの端から端を何度も行ったり来たりしていた。丸井も前後左右に巧みに身体を動かしながら返ってくる球を見逃すことなく打ち返す。こんなに暑くてもパフォーマンスには支障がないのか。あれほど動くのなら、やはりファミレスで食べてたあの量も妥当なんだなと思った。
琴璃はフェンスの前まで近づき何度も行来するボールを目で追った。相手もけっこうなショットを打ってくるけれど、それでもなかなか決まらない。丸井が、相手へ返す球を左右に打ち分けて揺さぶりをかけているからだ。お陰で相手選手は無駄に走らされている。テニスは力だけでは成立しないスポーツなんだと分かった。
スコアボードは『5-0』となっていた。立海が勝っているのは分かったけれど、いったいどこまでいけばゲームセットなのか。琴璃がこのコートにたどり着いてから彼らはずっと走り続けている。あまりにもルールに無知ゆえに、こんなに走り続けていて大丈夫なのか、とはらはらしてしまう。
不意に、ボールの軌道が高くなった。相手チームがミスショットをしたのだ。それを見た丸井は、コートのやや後方に居たのだがそこから急に走りだした。あの球をとらえるんだと、琴璃も分かった。全速力で向かってゆく丸井の姿を見ているうちに、いつのまにか琴璃は両手を組んで祈っていた。
「いけー!」
声を張り上げたのはいつぶりだろう。腹の底からひとりでに叫び声が出ていた。
丸井のスマッシュは綺麗に決まり、同時にわぁっと大きな歓声が響き渡った。審判が手を振り上げ「ゲームアンドマッチ」と叫んでいる。試合が終了したのだと分かった。立海が、丸井が勝ったのだと知り琴璃はほっとする。コートの中央で選手たち同士が握手を交わしているのを見つめながら、周りに混ざって拍手をおくった。挨拶を終えて各々がベンチに戻る中、丸井はなぜか歩いてゆかない。コートに残ったまま大きく手を振っているではないか。
「…………私?」
間違いない。琴璃に向かって手を振っている。そして何かを叫んでいる。けれど周りの歓声にかき消されて何を言ってるかまでは分からなかった。それでも丸井はいつまでも手を振ってくる。琴璃はそろりと胸の位置から右手を上げた。広い夏の青空に高く掲げ、そこから左右にゆっくりと振り子のように降る。その動作は丸井に届いたらしい。彼は一瞬だけ両目を見開き今度は両手で振り返してきた。さっきよりも大きく、速度も速く。だから琴璃も負けじと、左手も同様に突き上げる。両手でめいっぱい空を掻くと、彼の口がまた動いた。
「ありがとな」
音では聞き取れなかったけど、口の動きで分かった。だけどその言葉に、琴璃はなんて答えていいかまでは分からなかった。感動をこんな間近で見せてもらったというのに、まだ、感情を素直に表現できなかった。琴璃は何も叫ぶことなくただ一生懸命に両手を振った。いつまでも素直になれないけど。こんなにも不器用な自分だけど。せめて精一杯手を振り返すことで許してもらおうと思った。
「おめでとう」
そして琴璃も一言呟いた。当然この距離じゃ丸井には聞こえていない。でも、彼は分かってくれたような気がした。ささやかな祝福の気持ちを受け取ってくれたような、そんな気がした。
