淡恋と夏の大三角
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夏休みに突入して初日の夜。
待ち合わせ場所は駅前になった。後になって知ったことだが、丸井と琴璃は最寄り駅が同じだけでなく、なんと互いの家同士は歩いて十数分の距離だった。こんなに近くに住んでいたのにもかかわらず、今まで登下校時に見かけることもなかったのは無理もない。テニス部はほぼ毎日練習があるから、朝家を出る時間も帰宅する時間も琴璃とかぶることなんてなかったのだ。
「丸井くん」
駅前なので夜でもわりと周囲は明るい。だから見間違うはずはないのだが、現れた琴璃を見て丸井は目を丸くした。彼女はまるで何処からか避難してきたような大きなリュックを背負ってやって来たのだ。
「お前、すげーなその荷物」
「逆に丸井くんはどう見ても身軽すぎじゃない?」
「だって、別に何もいらねーだろ?暗い中で教科書読むわけじゃねぇし」
「いやせめてノートとか筆記用具とか、灯りとか何かあるでしょ」
「あー……わり」
「まあ、それも私が持ってきたから別にいいけど」
「んじゃせめて荷物持ちやるよ」
そう言うと丸井は琴璃からリュックを取り上げる。思った通り、なかなかの重さだった。テニス部の特訓に比べたらこんな重さは大したことないのだが、どう考えても女の子が背負ってくる重量ではない。
「で、これからどこ行くとか決まってんの?」
「できれば高台になっててあんまり木とか邪魔なものがないところがいいんだけど……。学校にはさすがにこの時間入れないから」
「俺、いいとこ知ってるぜ」
少々得意げに言い丸井は先陣を切る。琴璃とともに改札をくぐり、やってきた各駅停車の電車に乗ると、ここからひとつ隣の駅で降りた。周辺は丸井たちの最寄り駅よりもいくらか静かで灯りもだいぶ減った。夏だからまだそんなに暗くない。それでも、西の空には白い月がぼんやりと見えた。駅から数分歩き住宅街を通り抜ける。すると小高い丘が見え、そこを登りきった先にはテニスコート4面分くらいの広さがあった。見晴らしが良く、空を見上げても視界を邪魔するものなど何もない。
「こんなんで、ど?」
「いい場所ね。風が吹くと気持ちいいし」
琴璃はおおよそ平らな地面の場所を探しだし、そこにレジャーシートを敷くとリュックから次々と中身を取り出した。
「おい藤白。なんでお前、望遠鏡とか持ってるわけ?」
「私、天文部だから」
「……まじ?へぇー」
まさか自前なのかと丸井は思ったが、琴璃はさも当然のように部で買ったものだと答えた。それよりも、彼女が部活に属していることのほうがびっくりしたくらいだ。勝手に帰宅部だと思い込んでいたから、まさかのカミングアウトにうまくリアクションができなかった。
琴璃は丸井からの視線に目もくれず、てきぱきと準備を始める。丸井は彼女の手を食い入る様に見ていた。慣れた手つきで三脚を組み立てファインダーを取り付けている。勉強以外のことをしている彼女を初めて見た気がする。ちょっと生き生きして見えるのは気のせいじゃない。
「できたよ」
「お、早っ」
「覗いてみて」
促され丸井は、ものの数分で設置してくれた彼女の天体望遠鏡を覗き込んだ。このころにはもう、空には夜の帳が降りていた。
「見える?」
「すっげぇな。星がうじゃうじゃいる」
「そんな虫みたいな言い方しないでよ……。じゃ、始めよう」
琴璃が指示するとおりに観測の位置を変えて夜空の星を見つける。そのたびに、感動の声が漏れてしまう。黙々と記録する琴璃とは反対に、丸井はいちいち声に出して騒ぎ立てる。ファインダーを覗くと肉眼では見られない光景が広がっていることに大いに感激した。
「なんか、こうやって夜の空見るのっていいもんだな」
「何しみじみ言ってるのよ」
「いや俺さ、いつもこの時間はだいたいゲームしてるか携帯いじってるから空なんてまず見ねぇもん。なんか今日、新発見した気分だわ。お前のおかげだな。ありがとな」
そう言って笑いかけたのに、琴璃は眉根を寄せて困ったような顔をした。
「……さすが、クラスの人気者」
「あ?」
「なんでもないです。今度は西側の空も観測しよう」
「オッケー」
琴璃の指示通り、丸井はぐるりと180度体を反転させると再び熱心に望遠鏡を覗き込む。そんな彼の様子を、琴璃は記録をするふりをして盗み見ていた。あんなに夢中になっちゃって、まるで子供みたい。そんなふうに思っていた。
課題を一緒にやると約束したけれど、どうせサボるだろうと琴璃は思ってた。でも、案外彼は真面目で約束した時間にきっちり現れた。今日は部活が終わると、一旦家に帰りシャワーを浴びてから来たらしいのだが、約束の時間に遅刻することはなかった。手ぶらで現れたことは正直信じられなかったけど、ちゃんとやる気はあるようだ。今のところ琴璃の指示も素直に聞くし、分からないことは分からないと真っ先に言う。あまり裏表のなさそうな性格で、こう言っちゃあ何だがとても扱いやすかった。
翌日の夜からは、丸井はちゃんと筆記用具などを持参してきた。琴璃が毎回望遠鏡を担いでくるのは大変だからと、丸井が琴璃のリュックごと家まで持ち帰ってまた持参してくれるようになった。そういう気配りをしてくれるのが、ちょっと意外だった。周りをよく見てるんだなと思った。それに、今のところこの課題を楽しそうに取り組んでくれているようだ。だるいとかめんどいとか、小言や文句をそのうち言われるだろうなと思っていたがそんな素振りはなく。毎晩夜空を見上げては、「うおー」とか、「やべぇな」などと感嘆している。よくもそんなに同じ景色に喜べるなと思ったけど、それが彼の素直な感想なのだ。最初は小学生みたいなことしか言えないのかと琴璃は思ったけれど、彼が歓声をあげる時はなかなかの感動レベルなのだと最近になって分かった。
「なぁ。あの星の並び、食いもんみてぇ。なんかうまそうじゃね?」
「……星を見てうまそうだなんて感想持つ人初めて見た」
何日めかの観測の夜。いつものように、ああだこうだと言ってくる丸井と並びながら夏の夜空を見上げている。彼もだいぶ慣れたもので、望遠鏡の扱いや記録にいちいち琴璃が口出ししなくても自らやってくれた。毎回同じ動作でも手を抜くことなくやってくれる。男子はこういう決まりきった作業なんて嫌いなのかと思っていたけど、そんな琴璃の偏見を彼はいい方向へと覆してくれた。つまり、見直したというわけだ。
「なぁ藤白、あれ見てみ?やばくね?」
「え、うん」
どういう意味での“やばい”なのか琴璃には皆目見当がつかなかった。でも多分、いい意味で捉えていいのだと思う。その証拠というように彼の表情はずっと柔らかい。
この数日間、といっても毎日小一時間程度だが、一緒に居て気づいたことがある。彼は結構思ったことを口にするタイプのようだ。根が素直なんだろう。ただの単純な性格の持ち主なだけというわけではなく、物事に対してちゃんと意識を向けている。だけど口にする内容も、周りの気分を害するようなことは決して言わない。無意識にどこかで言動に一線を引いているのかは分からないけど、相手が傷つくようなことは絶対に言うことはない。だから知らぬ間に敵を作ることもない。ひとつまた、彼がみんなから愛されてる理由を知った。綺麗な星には綺麗だと素直に言える彼が琴璃は少しうらやましいとさえ感じた。星空を見て綺麗だとは同じように感じるけど、ここまで心の底から感動できることに感心してしまう。
「藤白んちって門限とかあんの?」
天の川がたくさんの星の集まりだと教えてあげると、丸井は今日1番の騒ぎっぷりで目を輝かせた。「マジかすげー」と言いながら嬉々としてレンズを覗き込んでいたのだが、不意に彼は望遠鏡から顔を離し、琴璃のほうへ振り向くとそんなことを聞いてきた。
「日付をまたがなければ特に言われないと思うけど。どうして?」
「帰りにメシ食ってかね?うち今日、親が弟たち連れてばぁちゃんち行ってんの。帰っても俺1人だから、なんか外で食って帰ろうかと思ってんだけどさ」
丸井の顔を琴璃はじっと見つめた。沈黙の見つめ合いが10秒間ほど続く。
「え、何」
「それって私を食事に誘ってるってこと?」
「そうだけど……なんだよ、そんなふうにかしこまった言い方されたらなんか気まずくなるだろが。嫌だったらいいよ、別に」
「ううん、行く。……お腹、空いてるし」
「おー、んじゃ行こうぜ」
緊張の解けた琴璃を見て、丸井はようやく頬を緩めた。つられて琴璃も笑う、わけではなく、さっさと片付け始める。隣では「何食おっかなー」と呑気なことを言ってる人間がいる。こっちはいきなりそんなこと聞かれて驚いたっていうのに、そうとは知らず彼は食べるもののことばかり考えてる。
一瞬でも、緊張したのがバカみたいじゃない。だけど琴璃は黙ってリュックに荷物を詰め込んだ。彼に言いたかった言葉も一緒に。
待ち合わせ場所は駅前になった。後になって知ったことだが、丸井と琴璃は最寄り駅が同じだけでなく、なんと互いの家同士は歩いて十数分の距離だった。こんなに近くに住んでいたのにもかかわらず、今まで登下校時に見かけることもなかったのは無理もない。テニス部はほぼ毎日練習があるから、朝家を出る時間も帰宅する時間も琴璃とかぶることなんてなかったのだ。
「丸井くん」
駅前なので夜でもわりと周囲は明るい。だから見間違うはずはないのだが、現れた琴璃を見て丸井は目を丸くした。彼女はまるで何処からか避難してきたような大きなリュックを背負ってやって来たのだ。
「お前、すげーなその荷物」
「逆に丸井くんはどう見ても身軽すぎじゃない?」
「だって、別に何もいらねーだろ?暗い中で教科書読むわけじゃねぇし」
「いやせめてノートとか筆記用具とか、灯りとか何かあるでしょ」
「あー……わり」
「まあ、それも私が持ってきたから別にいいけど」
「んじゃせめて荷物持ちやるよ」
そう言うと丸井は琴璃からリュックを取り上げる。思った通り、なかなかの重さだった。テニス部の特訓に比べたらこんな重さは大したことないのだが、どう考えても女の子が背負ってくる重量ではない。
「で、これからどこ行くとか決まってんの?」
「できれば高台になっててあんまり木とか邪魔なものがないところがいいんだけど……。学校にはさすがにこの時間入れないから」
「俺、いいとこ知ってるぜ」
少々得意げに言い丸井は先陣を切る。琴璃とともに改札をくぐり、やってきた各駅停車の電車に乗ると、ここからひとつ隣の駅で降りた。周辺は丸井たちの最寄り駅よりもいくらか静かで灯りもだいぶ減った。夏だからまだそんなに暗くない。それでも、西の空には白い月がぼんやりと見えた。駅から数分歩き住宅街を通り抜ける。すると小高い丘が見え、そこを登りきった先にはテニスコート4面分くらいの広さがあった。見晴らしが良く、空を見上げても視界を邪魔するものなど何もない。
「こんなんで、ど?」
「いい場所ね。風が吹くと気持ちいいし」
琴璃はおおよそ平らな地面の場所を探しだし、そこにレジャーシートを敷くとリュックから次々と中身を取り出した。
「おい藤白。なんでお前、望遠鏡とか持ってるわけ?」
「私、天文部だから」
「……まじ?へぇー」
まさか自前なのかと丸井は思ったが、琴璃はさも当然のように部で買ったものだと答えた。それよりも、彼女が部活に属していることのほうがびっくりしたくらいだ。勝手に帰宅部だと思い込んでいたから、まさかのカミングアウトにうまくリアクションができなかった。
琴璃は丸井からの視線に目もくれず、てきぱきと準備を始める。丸井は彼女の手を食い入る様に見ていた。慣れた手つきで三脚を組み立てファインダーを取り付けている。勉強以外のことをしている彼女を初めて見た気がする。ちょっと生き生きして見えるのは気のせいじゃない。
「できたよ」
「お、早っ」
「覗いてみて」
促され丸井は、ものの数分で設置してくれた彼女の天体望遠鏡を覗き込んだ。このころにはもう、空には夜の帳が降りていた。
「見える?」
「すっげぇな。星がうじゃうじゃいる」
「そんな虫みたいな言い方しないでよ……。じゃ、始めよう」
琴璃が指示するとおりに観測の位置を変えて夜空の星を見つける。そのたびに、感動の声が漏れてしまう。黙々と記録する琴璃とは反対に、丸井はいちいち声に出して騒ぎ立てる。ファインダーを覗くと肉眼では見られない光景が広がっていることに大いに感激した。
「なんか、こうやって夜の空見るのっていいもんだな」
「何しみじみ言ってるのよ」
「いや俺さ、いつもこの時間はだいたいゲームしてるか携帯いじってるから空なんてまず見ねぇもん。なんか今日、新発見した気分だわ。お前のおかげだな。ありがとな」
そう言って笑いかけたのに、琴璃は眉根を寄せて困ったような顔をした。
「……さすが、クラスの人気者」
「あ?」
「なんでもないです。今度は西側の空も観測しよう」
「オッケー」
琴璃の指示通り、丸井はぐるりと180度体を反転させると再び熱心に望遠鏡を覗き込む。そんな彼の様子を、琴璃は記録をするふりをして盗み見ていた。あんなに夢中になっちゃって、まるで子供みたい。そんなふうに思っていた。
課題を一緒にやると約束したけれど、どうせサボるだろうと琴璃は思ってた。でも、案外彼は真面目で約束した時間にきっちり現れた。今日は部活が終わると、一旦家に帰りシャワーを浴びてから来たらしいのだが、約束の時間に遅刻することはなかった。手ぶらで現れたことは正直信じられなかったけど、ちゃんとやる気はあるようだ。今のところ琴璃の指示も素直に聞くし、分からないことは分からないと真っ先に言う。あまり裏表のなさそうな性格で、こう言っちゃあ何だがとても扱いやすかった。
翌日の夜からは、丸井はちゃんと筆記用具などを持参してきた。琴璃が毎回望遠鏡を担いでくるのは大変だからと、丸井が琴璃のリュックごと家まで持ち帰ってまた持参してくれるようになった。そういう気配りをしてくれるのが、ちょっと意外だった。周りをよく見てるんだなと思った。それに、今のところこの課題を楽しそうに取り組んでくれているようだ。だるいとかめんどいとか、小言や文句をそのうち言われるだろうなと思っていたがそんな素振りはなく。毎晩夜空を見上げては、「うおー」とか、「やべぇな」などと感嘆している。よくもそんなに同じ景色に喜べるなと思ったけど、それが彼の素直な感想なのだ。最初は小学生みたいなことしか言えないのかと琴璃は思ったけれど、彼が歓声をあげる時はなかなかの感動レベルなのだと最近になって分かった。
「なぁ。あの星の並び、食いもんみてぇ。なんかうまそうじゃね?」
「……星を見てうまそうだなんて感想持つ人初めて見た」
何日めかの観測の夜。いつものように、ああだこうだと言ってくる丸井と並びながら夏の夜空を見上げている。彼もだいぶ慣れたもので、望遠鏡の扱いや記録にいちいち琴璃が口出ししなくても自らやってくれた。毎回同じ動作でも手を抜くことなくやってくれる。男子はこういう決まりきった作業なんて嫌いなのかと思っていたけど、そんな琴璃の偏見を彼はいい方向へと覆してくれた。つまり、見直したというわけだ。
「なぁ藤白、あれ見てみ?やばくね?」
「え、うん」
どういう意味での“やばい”なのか琴璃には皆目見当がつかなかった。でも多分、いい意味で捉えていいのだと思う。その証拠というように彼の表情はずっと柔らかい。
この数日間、といっても毎日小一時間程度だが、一緒に居て気づいたことがある。彼は結構思ったことを口にするタイプのようだ。根が素直なんだろう。ただの単純な性格の持ち主なだけというわけではなく、物事に対してちゃんと意識を向けている。だけど口にする内容も、周りの気分を害するようなことは決して言わない。無意識にどこかで言動に一線を引いているのかは分からないけど、相手が傷つくようなことは絶対に言うことはない。だから知らぬ間に敵を作ることもない。ひとつまた、彼がみんなから愛されてる理由を知った。綺麗な星には綺麗だと素直に言える彼が琴璃は少しうらやましいとさえ感じた。星空を見て綺麗だとは同じように感じるけど、ここまで心の底から感動できることに感心してしまう。
「藤白んちって門限とかあんの?」
天の川がたくさんの星の集まりだと教えてあげると、丸井は今日1番の騒ぎっぷりで目を輝かせた。「マジかすげー」と言いながら嬉々としてレンズを覗き込んでいたのだが、不意に彼は望遠鏡から顔を離し、琴璃のほうへ振り向くとそんなことを聞いてきた。
「日付をまたがなければ特に言われないと思うけど。どうして?」
「帰りにメシ食ってかね?うち今日、親が弟たち連れてばぁちゃんち行ってんの。帰っても俺1人だから、なんか外で食って帰ろうかと思ってんだけどさ」
丸井の顔を琴璃はじっと見つめた。沈黙の見つめ合いが10秒間ほど続く。
「え、何」
「それって私を食事に誘ってるってこと?」
「そうだけど……なんだよ、そんなふうにかしこまった言い方されたらなんか気まずくなるだろが。嫌だったらいいよ、別に」
「ううん、行く。……お腹、空いてるし」
「おー、んじゃ行こうぜ」
緊張の解けた琴璃を見て、丸井はようやく頬を緩めた。つられて琴璃も笑う、わけではなく、さっさと片付け始める。隣では「何食おっかなー」と呑気なことを言ってる人間がいる。こっちはいきなりそんなこと聞かれて驚いたっていうのに、そうとは知らず彼は食べるもののことばかり考えてる。
一瞬でも、緊張したのがバカみたいじゃない。だけど琴璃は黙ってリュックに荷物を詰め込んだ。彼に言いたかった言葉も一緒に。
