淡恋と夏の大三角
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2限目が終わっても、昼休みの間も放課後の掃除の時間になっても、謎に忙しそうにする隣の彼女。さらには話しかけるなというオーラがありありと出ていた。そのせいでチャンスを掴めないまま日中が終わってしまった。情けない話だが、彼女の気迫に気負けしたのだ。
だが、流石にこのままで大人しく今日を終えるわけにはいかない。そんなに俺と話したかねーのかよ。僅かに苛立ちを燻らせながらも丸井は意を決して、平然と帰ろうとする琴璃の前に立ち塞がる。
「いい加減俺の話を聞けって」
「……話なんてあるの?」
琴璃はさも迷惑そうな視線を向けてきた。そんな顔されたらまるでこっちが全面的に悪いみたいじゃないか。俺は何もしてねぇぞ、と心中で言い聞かせ丸井は迎え撃つ。
「お前がちっとも聞く耳持とうとしないからだろが」
「別に、話があるって言ってくれれば聞くけど」
これにもうんざり顔で答える琴璃。彼女には真面目で物静かな印象しかなかったのに、今日で一気に塗り替えられた。やはり話をしてみなければ相手がどんな人間か見抜くなんて無理だ。そんな当たり前なことを身をもって知った。
「とにかく、俺もちゃんとやるから詳細教えろよ。地学で言われた、2人で組んでやるやつ」
「あぁ、その話。でも、そもそも丸井くんって理数系苦手じゃなかったっけ」
「……なんで、そんなことお前が知ってんだよ」
「この前の中間考査返された時に大きな声で喚いてたから。数学と理科はマジやばかったー、って。子供みたいに飛び跳ねながら、赤点にならなきゃなんでもいいぜー、って。聞きたくなくても大騒ぎしてたから聞こえちゃったの」
「そーかよ、そりゃ悪かったな……」
厄介なことにテニス部には風紀委員がいるため、成績があまりにも悪いとお咎めを喰らうのが常だった。酷い点を取ろうものなら部活動参加に待ったがかかる程で、いつもテスト期間は皆ピリピリしていた。そしてこの間中間考査が終わりテストが返された時、丸井の大嫌いな数学理科はどうにか赤点ラインを免れた。その時に嬉しすぎて馬鹿騒ぎしていたところを、琴璃に目撃されていたのだ。
「だからさ、苦手なことなのに他人と取り組むなんて耐えられないでしょ?私だって隣でいきなり、マジ無理ー、って喚かれても迷惑だし」
「ぐっ……」
「だから課題は私がひとりでやっておくから。勿論、丸井くんと共同で取り組んだことにするから心配しないで」
彼女の言葉に何も言い返せない。痛いところを突かれ、挙句に課題を代わりにやっておくとまで言われて何の文句が出よう。ありがたい提案じゃないかと思う。だがそうであってもこのまま彼女の言うとおりにしたくはない。別に、彼女の言いなりになりたくないという理由じゃない。このまま何もかも彼女に丸投げ状態ではみっともないじゃないか。自分にだって多少のプライドはある。
「ごちゃごちゃうるせーな、俺もやるっつってんだから仲間に入れろ。心配しなくとも途中で投げ出すとかだっせぇことしねーよっ。いいから行くぞっ」
「……どこに?」
「どこにってお前、そりゃ……え、俺ら何すればいいの?」
勢い任せに動き出そうとしていた丸井の反応に、琴璃はわかりやすく呆れる。
「課題は夏休み入ってからだよ。そもそも何のテーマにするかも話してなかったけど。丸井くんは何かやりたいのあるの?先生が言ってた通りで、中間考査までに習った範囲から選べばいいんだけど」
唸る丸井。それっきり何も言わない彼を見て、琴璃はため息を吐きそうになる。だがそれを堪えて再び口を開いた。
「特にないなら、私が決めちゃうね」
「お、おお」
琴璃は鞄から地学の教科書を取り出し、とあるページを丸井に広げて見せる。
「これにしようと思うんだけど。星の移動した距離を毎日観測したらどうかなって」
「……こんなん習ったっけ?」
「4月のわりと初めのほうにね」
「マジかよ。全然覚えてねぇ。つうかよ、星ってことは夜にやるしかねぇよな?」
「……都合悪いなら変えてもいいよ」
「いや、むしろそのほうが助かるわ。ほら、お前が言った通り昼間はほとんどテニスで動けねぇからよ」
一緒にやるとは言ったもののテニスは休みたくないのが本音だった。なので部活動時間以外に行動するのは丸井にとって願ったりだった。
「じゃあ、週明けの、夏休み入ったら早速始めようと思う」
「おうよ。つってもあと3日そこらか。あ、そだ藤白、これサンキュな」
言いながら丸井は机の引き出しからノートの束を出した。朝に彼女から借りたものだ。
「見やすくてめっちゃ写しやすかったわ」
「……もう、写し終わったの?」
「おう。貸してもらったんだからなる早で返さねーと。午後の古典の授業中せっせと書いてたぜ。ま、おかげで今日の内容聞いてなかったんだけどさ」
カラカラ笑っている丸井に対し、琴璃は半口を開けて丸井を見ていた。
「あ、あとこれ。購買でテキトーに買ってきたんだけど」
「……なぁに、これ」
琴璃は丸井からビニール袋を渡される。袋の中にはチョコやらクッキーやらグミやら、様々なお菓子がぎっしりと入っていた。
「こんなに沢山。どうしたの」
「一応ノートの礼のつもりなんだけど。お前、こーゆうの嫌いだった?」
「ううん。……お菓子は勉強中とかよく食べるから」
まるで興味がないような態度で琴璃は言った。けれど、それでも丸井はほっとした。もしかしたら突き返されるかもしれないんじゃないかと、1ミリくらいは思っていたから。
「んじゃあ来週からよろしくな。ま、明日もまだ学校あるから来るんだけどよ」
「……うん」
丸井は、じゃーなーと言って軽快に廊下を駆け抜けて行った。あんなに猛ダッシュして、生徒指導の先生に見つかったりしたらただでは済まないんじゃないか。琴璃は遠のく後ろ姿を見送り、見えなくなると彼とは反対方向へ歩き出す。自分はもう今日は何の予定もないので帰宅するだけだ。校舎内はまだ賑やかさが残っている。けれど1人真っ直ぐと歩き出した。特に誰にも呼び止められることはなかった。それもいつもの事である。
どくどくどく。
最初、これはなんの音なのか分からなかった。廊下を進んで階段を降りて昇降口にたどり着いた。その間もずっと鳴り続ける音の正体は、下駄箱から靴を出すために屈んだ時にようやく分かった。自分の心臓がもの凄く早く脈打っていることに。まさか実際に心臓からそんな音が出てるわけじゃない。それくらい分かっているが、普段と考えられないくらいの速度で動いている。原因は紛れもなく、さっきの彼のせいだということにも気づいている。
今まで貸したノートをこんなに早く返してくれた人はいなかった。お礼をちゃんと言ってくれた人もいなければ、琴璃の大好きな甘いお菓子をくれた人なんてもっての外だった。そして極め付けに、にかっと最高の笑顔で「よろしく」とか言ってくる男子と対面するようなことにもなれば。そりゃあ、心臓はびっくりするしかないじゃないか。何もかもが想定外すぎて、思考が追いつけなかった。だから、“ドキドキ”というより“どくどく”なのだ。琴璃にとって無いものを彼は沢山持っている。そんな印象を受けた。そんなことは前々から知っていたけど、直接目の当たりにしたから改めて思った。
彼を見ていると、あんなふうに自然な流れで他人と距離を詰められる人種もいるんだな、と感じる。特別に見ていたわけじゃない。いつもクラスの中心にいて、楽しそうに笑っていて、そんな彼を取り巻く友人たちも沢山居て。人見知りで引っ込み思案で、今時の言葉を借りるならば“コミュ障”を拗らせたような自分とは正反対の星の下にいるんだろうなあと思っていた。そういう人とは、自分が高校生活を送る上で関わらないと思っていたのに。
席が隣になるのはあり得る確率だから理解できる。病欠していた間のノートを見せてくれと頼まれるのも想定内だった。けれど、授業の課題のためであれ、あんな対極な人と夏休みにこれから何度も会う展開になることだけは想定外だった。
ふと、手にぶら下げていたビニール袋に視線を落とす。琴璃もよく食べるお菓子のパッケージが袋の隙間から顔をのぞかせている。本当は、琴璃は甘いものが大好物だ。さっき受け取った時、ちゃんと素直に「ありがとう」と言うべきだったのに。彼が近すぎて、眩しすぎて。つい可愛くない答え方をしてしまった。それだけが、家に帰ってからも、寝る直前になっても、いつまでも心残りになっていた。
だが、流石にこのままで大人しく今日を終えるわけにはいかない。そんなに俺と話したかねーのかよ。僅かに苛立ちを燻らせながらも丸井は意を決して、平然と帰ろうとする琴璃の前に立ち塞がる。
「いい加減俺の話を聞けって」
「……話なんてあるの?」
琴璃はさも迷惑そうな視線を向けてきた。そんな顔されたらまるでこっちが全面的に悪いみたいじゃないか。俺は何もしてねぇぞ、と心中で言い聞かせ丸井は迎え撃つ。
「お前がちっとも聞く耳持とうとしないからだろが」
「別に、話があるって言ってくれれば聞くけど」
これにもうんざり顔で答える琴璃。彼女には真面目で物静かな印象しかなかったのに、今日で一気に塗り替えられた。やはり話をしてみなければ相手がどんな人間か見抜くなんて無理だ。そんな当たり前なことを身をもって知った。
「とにかく、俺もちゃんとやるから詳細教えろよ。地学で言われた、2人で組んでやるやつ」
「あぁ、その話。でも、そもそも丸井くんって理数系苦手じゃなかったっけ」
「……なんで、そんなことお前が知ってんだよ」
「この前の中間考査返された時に大きな声で喚いてたから。数学と理科はマジやばかったー、って。子供みたいに飛び跳ねながら、赤点にならなきゃなんでもいいぜー、って。聞きたくなくても大騒ぎしてたから聞こえちゃったの」
「そーかよ、そりゃ悪かったな……」
厄介なことにテニス部には風紀委員がいるため、成績があまりにも悪いとお咎めを喰らうのが常だった。酷い点を取ろうものなら部活動参加に待ったがかかる程で、いつもテスト期間は皆ピリピリしていた。そしてこの間中間考査が終わりテストが返された時、丸井の大嫌いな数学理科はどうにか赤点ラインを免れた。その時に嬉しすぎて馬鹿騒ぎしていたところを、琴璃に目撃されていたのだ。
「だからさ、苦手なことなのに他人と取り組むなんて耐えられないでしょ?私だって隣でいきなり、マジ無理ー、って喚かれても迷惑だし」
「ぐっ……」
「だから課題は私がひとりでやっておくから。勿論、丸井くんと共同で取り組んだことにするから心配しないで」
彼女の言葉に何も言い返せない。痛いところを突かれ、挙句に課題を代わりにやっておくとまで言われて何の文句が出よう。ありがたい提案じゃないかと思う。だがそうであってもこのまま彼女の言うとおりにしたくはない。別に、彼女の言いなりになりたくないという理由じゃない。このまま何もかも彼女に丸投げ状態ではみっともないじゃないか。自分にだって多少のプライドはある。
「ごちゃごちゃうるせーな、俺もやるっつってんだから仲間に入れろ。心配しなくとも途中で投げ出すとかだっせぇことしねーよっ。いいから行くぞっ」
「……どこに?」
「どこにってお前、そりゃ……え、俺ら何すればいいの?」
勢い任せに動き出そうとしていた丸井の反応に、琴璃はわかりやすく呆れる。
「課題は夏休み入ってからだよ。そもそも何のテーマにするかも話してなかったけど。丸井くんは何かやりたいのあるの?先生が言ってた通りで、中間考査までに習った範囲から選べばいいんだけど」
唸る丸井。それっきり何も言わない彼を見て、琴璃はため息を吐きそうになる。だがそれを堪えて再び口を開いた。
「特にないなら、私が決めちゃうね」
「お、おお」
琴璃は鞄から地学の教科書を取り出し、とあるページを丸井に広げて見せる。
「これにしようと思うんだけど。星の移動した距離を毎日観測したらどうかなって」
「……こんなん習ったっけ?」
「4月のわりと初めのほうにね」
「マジかよ。全然覚えてねぇ。つうかよ、星ってことは夜にやるしかねぇよな?」
「……都合悪いなら変えてもいいよ」
「いや、むしろそのほうが助かるわ。ほら、お前が言った通り昼間はほとんどテニスで動けねぇからよ」
一緒にやるとは言ったもののテニスは休みたくないのが本音だった。なので部活動時間以外に行動するのは丸井にとって願ったりだった。
「じゃあ、週明けの、夏休み入ったら早速始めようと思う」
「おうよ。つってもあと3日そこらか。あ、そだ藤白、これサンキュな」
言いながら丸井は机の引き出しからノートの束を出した。朝に彼女から借りたものだ。
「見やすくてめっちゃ写しやすかったわ」
「……もう、写し終わったの?」
「おう。貸してもらったんだからなる早で返さねーと。午後の古典の授業中せっせと書いてたぜ。ま、おかげで今日の内容聞いてなかったんだけどさ」
カラカラ笑っている丸井に対し、琴璃は半口を開けて丸井を見ていた。
「あ、あとこれ。購買でテキトーに買ってきたんだけど」
「……なぁに、これ」
琴璃は丸井からビニール袋を渡される。袋の中にはチョコやらクッキーやらグミやら、様々なお菓子がぎっしりと入っていた。
「こんなに沢山。どうしたの」
「一応ノートの礼のつもりなんだけど。お前、こーゆうの嫌いだった?」
「ううん。……お菓子は勉強中とかよく食べるから」
まるで興味がないような態度で琴璃は言った。けれど、それでも丸井はほっとした。もしかしたら突き返されるかもしれないんじゃないかと、1ミリくらいは思っていたから。
「んじゃあ来週からよろしくな。ま、明日もまだ学校あるから来るんだけどよ」
「……うん」
丸井は、じゃーなーと言って軽快に廊下を駆け抜けて行った。あんなに猛ダッシュして、生徒指導の先生に見つかったりしたらただでは済まないんじゃないか。琴璃は遠のく後ろ姿を見送り、見えなくなると彼とは反対方向へ歩き出す。自分はもう今日は何の予定もないので帰宅するだけだ。校舎内はまだ賑やかさが残っている。けれど1人真っ直ぐと歩き出した。特に誰にも呼び止められることはなかった。それもいつもの事である。
どくどくどく。
最初、これはなんの音なのか分からなかった。廊下を進んで階段を降りて昇降口にたどり着いた。その間もずっと鳴り続ける音の正体は、下駄箱から靴を出すために屈んだ時にようやく分かった。自分の心臓がもの凄く早く脈打っていることに。まさか実際に心臓からそんな音が出てるわけじゃない。それくらい分かっているが、普段と考えられないくらいの速度で動いている。原因は紛れもなく、さっきの彼のせいだということにも気づいている。
今まで貸したノートをこんなに早く返してくれた人はいなかった。お礼をちゃんと言ってくれた人もいなければ、琴璃の大好きな甘いお菓子をくれた人なんてもっての外だった。そして極め付けに、にかっと最高の笑顔で「よろしく」とか言ってくる男子と対面するようなことにもなれば。そりゃあ、心臓はびっくりするしかないじゃないか。何もかもが想定外すぎて、思考が追いつけなかった。だから、“ドキドキ”というより“どくどく”なのだ。琴璃にとって無いものを彼は沢山持っている。そんな印象を受けた。そんなことは前々から知っていたけど、直接目の当たりにしたから改めて思った。
彼を見ていると、あんなふうに自然な流れで他人と距離を詰められる人種もいるんだな、と感じる。特別に見ていたわけじゃない。いつもクラスの中心にいて、楽しそうに笑っていて、そんな彼を取り巻く友人たちも沢山居て。人見知りで引っ込み思案で、今時の言葉を借りるならば“コミュ障”を拗らせたような自分とは正反対の星の下にいるんだろうなあと思っていた。そういう人とは、自分が高校生活を送る上で関わらないと思っていたのに。
席が隣になるのはあり得る確率だから理解できる。病欠していた間のノートを見せてくれと頼まれるのも想定内だった。けれど、授業の課題のためであれ、あんな対極な人と夏休みにこれから何度も会う展開になることだけは想定外だった。
ふと、手にぶら下げていたビニール袋に視線を落とす。琴璃もよく食べるお菓子のパッケージが袋の隙間から顔をのぞかせている。本当は、琴璃は甘いものが大好物だ。さっき受け取った時、ちゃんと素直に「ありがとう」と言うべきだったのに。彼が近すぎて、眩しすぎて。つい可愛くない答え方をしてしまった。それだけが、家に帰ってからも、寝る直前になっても、いつまでも心残りになっていた。
