愛しさが背中を押す時
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こんな強運は生まれてこの方2度目だと思う。1度目は、車に轢かれたというのにあまり大事態にならなかったこと。2度目はそれから1ヶ月が経とうとしてるまさに今。前に恵里奈には厄払いを勧められけれど、それは必要ないと思った。
「琴璃ちゃんやん」
「……侑士くん」
偶然にも、彼と初めて出会った本屋で再会したのだ。たまたま琴璃は本屋に寄ったのだが、ふと背後から自分の名を呼ばれた。振り向くと、まさかの人間が居たから思わず後ずさってしまった。
今日の忍足はあの時とは違いジャージ姿だった。肩にはテニスバッグを背負っていたのだが、テニスをよく知らない琴璃にはそれが何なのか分かっていなかった。
「侑士くんも本買いに来たの?」
本屋にいるのだからそりゃそうなのに、さも当たり前なことを聞いてしまった。突然のことでどうしようもないほど緊張している。そんな琴璃を見て忍足は少し笑いながら左手に抱えてた本を見せてきた。
「せやで。これから会計するとこ。やっぱり岳人がおらんほうがじっくり選べて楽やな。あぁ、岳人っちゅーのはこないだ一緒にいた小さい子のこと」
小さい、と言うけど別にそんなふうには琴璃は思わなかった。あのおかっぱのヘアスタイルの子かあ、と思い浮かべながら、忍足の手にしている本を見た。医学書のようなものと文庫本。後者の方のその表紙に見覚えがあった。たまたまこないだ見たテレビで取り上げられていた恋愛小説だったからだ。
「侑士くん、恋愛小説を読むんだね」
「お、これ知ってる?」
「うん、たしか今度映画化するんだよね。テレビで特集してたの見たよ」
「映画始まる前に読んどこかなって思って」
「……私も久しぶりに何か読んでみようかなあ」
「琴璃ちゃんは普段小説読んだりすんの?」
「読むけど、恋愛小説はあんまり手を出したことないんだよね。なんか、難しそうで」
「そんなことないで。作家によっては読みやすいのもあるし。良かったら貸したろか」
「え。いいの?」
「勿論。今度姉ちゃんに渡しとくわ」
「あ、うん。ありがとう」
まさか。一瞬、「今から取り来る?」とか言われたらどうしようとか考えてしまった。けどそんなことあるわけがない。あくまで彼にとって自分は、“姉の友人”というポジションなのだ。その姉を差し置いて自分らが1対1で会う理由などない。
「そーいやこないだ全然聞けへんかったけど、怪我はもう平気なん?まだ通院とかしとんの?」
「あ、うん。また来週病院に行くけどもうほとんど問題ないよ。怪我した場所も、耳の後ろのほうだからそんなに目立たないところなんだ。髪の毛で隠せちゃうし」
「そか。姉ちゃんに聞いたで。いきなり車が突っ込んできたんやってな。怖かったやろ」
「うーん、怖いとか、感じる前に気づいたらもう事故に遭ってたから……正直よく、覚えてなくて」
痛みも恐怖も勿論あったけど何よりも、あの時の必死な忍足の顔が印象強い。事故への恐怖心があまり残っていないのは、助けてくれた忍足のことだけを覚えていたくてそっちへ全神経を使ってたのかもしれない。そんなこと決して彼にも恵里奈にも言えないけれど。思い出していたら、彼が不意に「スマン」と言ってきた。かたい表情をして見つめてくるから琴璃は思わずどきりとした。
「なんか、堪忍な。俺がこんな話したから逆に思い出させてしもたな」
「え、そんな全然大丈夫だよ。傷を手当するためにちょっと邪魔な髪の毛刈られたのはショックだったけど」
「そうなん?」
「そだよー。仕方ないんだけどね。美容院行って反対側も同じように整えてもらうのが大変だった」
ちょっと和ませたくて笑い話のようにおどけて話したのに。
「どれ、見せて」
「え?」
「縫ったとこ」
「あ、うん」
琴璃は髪を耳にかけくるりと後ろを向く。少しだけ、歪に髪の毛が失くなった部分がある。普段は隠れて見えないし、髪はまた伸びるけど、女の子にとってはなかなかショックなものである。そんな場所を見せることになるとは。けれど彼がとても真剣な顔つきだったので言われたとおりにしてしまった。見せたって彼は決して揶揄うような人ではないから。
「あぁ、大丈夫。全然目立たん。これなら消えるまでそんなに時間かからへんやろ。普段髪おろしてるなら全く気づかんし。このまま放置しとけば2、3週間くらいで内出血の色も落ち着くと思うで」
「なんか……詳しいんだね、侑士くん。あの日の応急処置のこととかも」
「まぁ、あれくらいは。一応、医者目指しとるからな」
「へー!すごい。だから血を見てもそこまで慌てなかったの?」
「いや、慌てんでそれは。俺、血ぃ嫌いやもん。あん時は、琴璃ちゃんを助けなあかんって気持ちでいっぱいやったからどうにかなったんやろな」
こんなことが計算じゃなく素で言えるものなのか。やっぱり歳下だなんて嘘だ。
どういうわけか、琴璃は忍足と出会って、彼の実年齢を知ってから“自分より歳下”だということを無駄に気にしてしまう。自分よりしっかりしているからという理由も勿論あるのだが。自分よりも歳下の高校生の彼に助けてもらって、何ひとつ恩返しができぬままでいる。そのことが、小さな罪悪感を生み出していた。
歳の差なんて関係ないのに。たとえ歳下であってもなくても、彼の大人っぽさとか冷静さは性格から表れているものだ。いつも彼は余裕で、自分ばかりがドキドキしてしまっている。
今も、琴璃を気にかけるような会話をしてくれる。会計を済ませた忍足と駅まで一緒に向かうことになった。その道中でも、彼は自分の話題をするよりも、琴璃の体調だったり今日の出来事だったりを話題にしてくれる。大学の授業なんて彼が興味あるはずないのに熱心に話を聞いてくれる。だから好きになっちゃうんだよ、と思う。
ちょっとくらいは琴璃も見栄を張りたいのだ。自分ばかりがいい気分になっていることがどこかやるせない。自分も彼を喜ばせられたらいいのにと思う。せめて会話くらいは“お姉さんらしく”いたい。
「じゃあ、侑士くんは将来は医療の道に進むんだね」
「まぁ、そうなるんやろな」
「凄いなあ、お医者さんになるんだ。そういえば、恵里奈ちゃんもそういう道に進みたいんだってね」
「まーあの人は医療の中でも俺とはまた別の道なんやろうけど。けどこないだ、研修と課題が多すぎてちっとも遊べなくて彼氏と別れたってキレとったで」
この話題は、恵里奈には言ったらいけないと思った。当然琴璃もこの事実は知っている。相当ひどい振られ方だったらしい。忙しい時期に恋人に振られて大泣きした彼女を、琴璃は電話で夜が明けるまで慰めたのをよく覚えている。
「侑士くんは?彼女っているの?」
「おるよ」
「そ、そっか」
即答だった。流れでつい聞いてしまったけど、彼は不意のこんな質問にも堂々としている。変に恥じらったりしない。あまりにもあっさりした回答に、琴璃は次の言葉がうまく出なかった。分かりやすく狼狽えてしまった。今、それなりに衝撃を受けている。じわじわと次第に昇り詰めてくる感情。その正体は単純に“ショック”というものだった。何故なら正直な話、頭を打った時よりも痛みを感じている。もちろん、外傷的なものじゃなくてもっと、頭の奥の奥が痛いような感じ。さっきまでの嬉しさは顔を隠し、途方に暮れてしまった。
だから、その後の忍足の言葉を琴璃はちっとも聞いちゃいなかった。
「もうすぐでかい大会控えとるから、たっぷり時間作って大事にしてやらんと」
言いながら忍足は背負っていたテニスバッグを親指で指したけれど、琴璃はそんな彼をも見ていなかった。ショックのせいで、何も耳に入らなかった。その肝心なところを聞いてすらいなかったのだ。
「琴璃ちゃんやん」
「……侑士くん」
偶然にも、彼と初めて出会った本屋で再会したのだ。たまたま琴璃は本屋に寄ったのだが、ふと背後から自分の名を呼ばれた。振り向くと、まさかの人間が居たから思わず後ずさってしまった。
今日の忍足はあの時とは違いジャージ姿だった。肩にはテニスバッグを背負っていたのだが、テニスをよく知らない琴璃にはそれが何なのか分かっていなかった。
「侑士くんも本買いに来たの?」
本屋にいるのだからそりゃそうなのに、さも当たり前なことを聞いてしまった。突然のことでどうしようもないほど緊張している。そんな琴璃を見て忍足は少し笑いながら左手に抱えてた本を見せてきた。
「せやで。これから会計するとこ。やっぱり岳人がおらんほうがじっくり選べて楽やな。あぁ、岳人っちゅーのはこないだ一緒にいた小さい子のこと」
小さい、と言うけど別にそんなふうには琴璃は思わなかった。あのおかっぱのヘアスタイルの子かあ、と思い浮かべながら、忍足の手にしている本を見た。医学書のようなものと文庫本。後者の方のその表紙に見覚えがあった。たまたまこないだ見たテレビで取り上げられていた恋愛小説だったからだ。
「侑士くん、恋愛小説を読むんだね」
「お、これ知ってる?」
「うん、たしか今度映画化するんだよね。テレビで特集してたの見たよ」
「映画始まる前に読んどこかなって思って」
「……私も久しぶりに何か読んでみようかなあ」
「琴璃ちゃんは普段小説読んだりすんの?」
「読むけど、恋愛小説はあんまり手を出したことないんだよね。なんか、難しそうで」
「そんなことないで。作家によっては読みやすいのもあるし。良かったら貸したろか」
「え。いいの?」
「勿論。今度姉ちゃんに渡しとくわ」
「あ、うん。ありがとう」
まさか。一瞬、「今から取り来る?」とか言われたらどうしようとか考えてしまった。けどそんなことあるわけがない。あくまで彼にとって自分は、“姉の友人”というポジションなのだ。その姉を差し置いて自分らが1対1で会う理由などない。
「そーいやこないだ全然聞けへんかったけど、怪我はもう平気なん?まだ通院とかしとんの?」
「あ、うん。また来週病院に行くけどもうほとんど問題ないよ。怪我した場所も、耳の後ろのほうだからそんなに目立たないところなんだ。髪の毛で隠せちゃうし」
「そか。姉ちゃんに聞いたで。いきなり車が突っ込んできたんやってな。怖かったやろ」
「うーん、怖いとか、感じる前に気づいたらもう事故に遭ってたから……正直よく、覚えてなくて」
痛みも恐怖も勿論あったけど何よりも、あの時の必死な忍足の顔が印象強い。事故への恐怖心があまり残っていないのは、助けてくれた忍足のことだけを覚えていたくてそっちへ全神経を使ってたのかもしれない。そんなこと決して彼にも恵里奈にも言えないけれど。思い出していたら、彼が不意に「スマン」と言ってきた。かたい表情をして見つめてくるから琴璃は思わずどきりとした。
「なんか、堪忍な。俺がこんな話したから逆に思い出させてしもたな」
「え、そんな全然大丈夫だよ。傷を手当するためにちょっと邪魔な髪の毛刈られたのはショックだったけど」
「そうなん?」
「そだよー。仕方ないんだけどね。美容院行って反対側も同じように整えてもらうのが大変だった」
ちょっと和ませたくて笑い話のようにおどけて話したのに。
「どれ、見せて」
「え?」
「縫ったとこ」
「あ、うん」
琴璃は髪を耳にかけくるりと後ろを向く。少しだけ、歪に髪の毛が失くなった部分がある。普段は隠れて見えないし、髪はまた伸びるけど、女の子にとってはなかなかショックなものである。そんな場所を見せることになるとは。けれど彼がとても真剣な顔つきだったので言われたとおりにしてしまった。見せたって彼は決して揶揄うような人ではないから。
「あぁ、大丈夫。全然目立たん。これなら消えるまでそんなに時間かからへんやろ。普段髪おろしてるなら全く気づかんし。このまま放置しとけば2、3週間くらいで内出血の色も落ち着くと思うで」
「なんか……詳しいんだね、侑士くん。あの日の応急処置のこととかも」
「まぁ、あれくらいは。一応、医者目指しとるからな」
「へー!すごい。だから血を見てもそこまで慌てなかったの?」
「いや、慌てんでそれは。俺、血ぃ嫌いやもん。あん時は、琴璃ちゃんを助けなあかんって気持ちでいっぱいやったからどうにかなったんやろな」
こんなことが計算じゃなく素で言えるものなのか。やっぱり歳下だなんて嘘だ。
どういうわけか、琴璃は忍足と出会って、彼の実年齢を知ってから“自分より歳下”だということを無駄に気にしてしまう。自分よりしっかりしているからという理由も勿論あるのだが。自分よりも歳下の高校生の彼に助けてもらって、何ひとつ恩返しができぬままでいる。そのことが、小さな罪悪感を生み出していた。
歳の差なんて関係ないのに。たとえ歳下であってもなくても、彼の大人っぽさとか冷静さは性格から表れているものだ。いつも彼は余裕で、自分ばかりがドキドキしてしまっている。
今も、琴璃を気にかけるような会話をしてくれる。会計を済ませた忍足と駅まで一緒に向かうことになった。その道中でも、彼は自分の話題をするよりも、琴璃の体調だったり今日の出来事だったりを話題にしてくれる。大学の授業なんて彼が興味あるはずないのに熱心に話を聞いてくれる。だから好きになっちゃうんだよ、と思う。
ちょっとくらいは琴璃も見栄を張りたいのだ。自分ばかりがいい気分になっていることがどこかやるせない。自分も彼を喜ばせられたらいいのにと思う。せめて会話くらいは“お姉さんらしく”いたい。
「じゃあ、侑士くんは将来は医療の道に進むんだね」
「まぁ、そうなるんやろな」
「凄いなあ、お医者さんになるんだ。そういえば、恵里奈ちゃんもそういう道に進みたいんだってね」
「まーあの人は医療の中でも俺とはまた別の道なんやろうけど。けどこないだ、研修と課題が多すぎてちっとも遊べなくて彼氏と別れたってキレとったで」
この話題は、恵里奈には言ったらいけないと思った。当然琴璃もこの事実は知っている。相当ひどい振られ方だったらしい。忙しい時期に恋人に振られて大泣きした彼女を、琴璃は電話で夜が明けるまで慰めたのをよく覚えている。
「侑士くんは?彼女っているの?」
「おるよ」
「そ、そっか」
即答だった。流れでつい聞いてしまったけど、彼は不意のこんな質問にも堂々としている。変に恥じらったりしない。あまりにもあっさりした回答に、琴璃は次の言葉がうまく出なかった。分かりやすく狼狽えてしまった。今、それなりに衝撃を受けている。じわじわと次第に昇り詰めてくる感情。その正体は単純に“ショック”というものだった。何故なら正直な話、頭を打った時よりも痛みを感じている。もちろん、外傷的なものじゃなくてもっと、頭の奥の奥が痛いような感じ。さっきまでの嬉しさは顔を隠し、途方に暮れてしまった。
だから、その後の忍足の言葉を琴璃はちっとも聞いちゃいなかった。
「もうすぐでかい大会控えとるから、たっぷり時間作って大事にしてやらんと」
言いながら忍足は背負っていたテニスバッグを親指で指したけれど、琴璃はそんな彼をも見ていなかった。ショックのせいで、何も耳に入らなかった。その肝心なところを聞いてすらいなかったのだ。