忘れ咲き
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「あれ、柳くん今日は部活お休みなの?」
普段は朝練で琴璃より後に教室に入ってくる彼が、今日は既に自分の席に座って読書をしていた。
「もうテスト週間だからな。部活は一時停止期間になった」
「テスト週間……」
「もしかして忘れていたのか?」
「……うん」
転校してきたからと言って免除にはならない。琴璃にも他の生徒と同じように5教科プラスアルファが待ち構えている。
「本番は来週からだぞ」
「うわぁどうしよう、やばいかな」
「立海 に外部入学できたのだからそこまで神経質にならなくても大丈夫なんじゃないか?」
でもその時に受けた試験は1科目だけ危うかった。他の教科とトータルしたら余裕だったけど、唯一駄目なのが現代文だった。
「じゃあ俺が教えてあげるよ」
どこからともなく幸村が現れた。柳は大して驚きはしなかったけど琴璃はわっ、と声が出るほどだった。
「はい、蓮二。借りてた本返すね、ありがと」
用件をさっさと済まし、いつものように琴璃の前の席に勝手に座る幸村。
「琴璃さえ良ければ勉強、俺が教えてあげる」
「幸村くん、現代文得意なの?」
「勉強はどれも満遍なくできるよ。テニスよりは得意じゃないけどね」
「えー、すごい」
幸村がすました顔で言うのを柳は黙って見ていた。普段なら、勉強めんどくさい、とか、部活を潰してまで行われるテストというものに常に恨み節をたれていたというのに。今は親切心を存分に出して琴璃と話している。その様子を柳が静観しているうちに幸村は、
「じゃあ放課後、図書館で勉強しよう」
さっさとそう決めて教室を出ていった。タイミングよく予令が鳴る。琴璃はぽけーっと幸村が戻るのを見ているだけだった。
「無事に精市とは和解できたんだな」
「あ、うん。……色々、ありがとう」
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「精市に告白でもされたか?」
「なんで!」
「顔に書いてある」
彼女は隠し事が下手なんだなと思った。この様子じゃ、幸村も彼女の気持ちに気づいているだろう。何にせよ彼がさっきあんなにご機嫌だったのにも説明がついた。だが琴璃はと言うとあまり晴れやかな表情ではない。はにかむとか照れるとかじゃなく、どちらかというとそわそわしている。
「精市の気持ちは迷惑なのか?」
「ううん、違う。そんなことないの」
「なら悩む理由が分からないな」
琴璃は目を伏せてスカートの裾を無意識にいじりだす。
「だって……、前にね、私が初恋の人とか言われて、それで昨日好きだよって言われて……だから、どうしていいか」
「あいつの気持ちが重い、ということか」
「そんなふうには思ったりしてないんだけど、私は結局昔の幸村くんをちゃんと思い出したわけじゃないから、……なんか、申し訳なくて」
「別にあいつはそんなことを気にしてないと思うぞ」
「そう、かな」
「思い出そうが忘れたままでいようが、あいつは“今の藤白琴璃”に興味を持っているのは確かだからな」
確かに、きっかけは幸村が琴璃のことを覚えていたから接近してきた。そうでなきゃ互いに知り合いにすらならなかっただろう。でも、きっかけがどうあれ今の幸村はすごく琴璃のことを大切に思っている。それが真実なのに、琴璃はまだどこか後ろめたい気持ちを抱えている。過去の彼のことを思い出せないということが、どうしても自分の中で許せなかった。
「ちなみにもう1つ、良いことを教えてやろう」
「なに?」
「あいつがここまで分かりやすく誰かに興味を示すのは俺が知る限りで初めてだ。テニス以外で夢中になったものが今まで無い、と言っても過言ではないほど、精市は他人に無関心だったからな」
「そうなんだ……」
「そんなあいつがああやって毎日のように会いに来てくれるんだ。もうこの際、記憶が戻ろうが戻りまいがさして問題ではないと思うが」
「うん。そうだよね」
昨日の幸村の顔が浮かんだ。出会ってまだ1ヶ月ほどしか経たないが、いつだって彼は優しかった。自分に向けられる彼からの気持ちが嬉しいと思えた。早く放課後にならないかな、とも。
幸村は放課後、琴璃を教室まで迎えに来てくれた。
「立海 の図書館て、もう行った?」
「ううん、まだ。でも外から見たら結構大きそうだね」
「まぁね。一貫学校だと利用者が俺らだけじゃないからね。普通に近所のおじさんとかもここに来るし」
「へぇー。あ、でも確かにこないだ子連れの人たちが普通に学校の敷地内歩いてるの見たよ」
地域の人も利用できるなんていいね、と話す琴璃を見て幸村がふっと笑う。
「ふふ。琴璃が立海のことに色々詳しくなっていくの、嬉しいな」
「そうなの?」
「そうだよ。同じ環境で過ごしてるのが実感できるからね。限られた高校生活の時間だけど、だからこそ今この時間は大切にしなくちゃね。キミとこうしてまためぐり逢えた奇跡とかさ」
こういうセリフでも茶化すことなくさらりと言うから、琴璃はまた照れてしまう。
本当に、柳の言った通りなんだなと思った。幸村はもう過去なんてどうでも良くて、今の自分に想いを寄せてくれているのだ。なのに自分だけが思い出せなくて気にしてる。過去にまだとらわれてるのは自分だけなんだと思い知った瞬間だった。そうしたら急に心が軽くなった。だから、気持ちが音になって口から出てきた。
「私も、好き」
琴璃がそれを言った時、2人は階段の踊り場にいた。自然と二人の足が止まる。他の誰かが聞いてたわけじゃないけど、こんな開けた場所で言ったことに琴璃は今さら気づいた。途端に恥ずかしさに襲われる。だが幸村は笑いもせず、まばたき1つせず、じっと琴璃の目を見ていた。ほんの少しだけ目が見開かれている。
「ご、ごめんね。行こう」
「駄目。待って」
「わ、」
琴璃は誤魔化そうと歩き出そうとしたが幸村に腕を引っ張られた。反動でよろけたのをそっと抱きとめてくれた。
「もう、許可なんて要らないよね」
幸村はそう言って両手を琴璃の背に回す。至近距離からの声、密着する体から伝わる温もりと振動。それら全てが琴璃の思考回路を麻痺させる。なんで抱き締められてるんだろうとか、考える余裕は最早皆無だった。
「すごい。ドクンドクン言ってる。どっちの音だろうね」
「……多分、私」
「そうかな?俺も負けないくらい緊張してるよ」
ほら、と言った幸村は片手で琴璃を抱き締めたまま反対の手で彼女の手を取り自身の左胸に当ててみせた。強い鼓動が手のひらに伝わってくる。
「ね?」
「うん」
本当に緊張しているのか。彼はどこまでも余裕に見える。真っ赤な琴璃とは正反対だ。勇気を出して顔を上げたらいつもの優しい笑みがそこにあった。
「……幸村くんのことをどうしても思い出せなくて、私って情けないなって感じてたの」
「そんなこと思ってたの?」
意外な琴璃の心境の吐露に幸村は目を丸くする。キミはいつだって優しいよね。そう言った後抱き締める腕の力を解く。
「いいんだもう、過去なんて。昔の俺との記憶がぽっかり抜けた分、これから先の俺との時間を沢山記憶していって。メモリーが足りなくなるくらいにね」
「……ありがとう」
「琴璃が俺のことを思い出せなくてももう寂しいなんて思わないよ。だってこうして今、一緒にいられるから。最初はさ、琴璃から俺だけの記憶を消した神様を恨んだけど、5年経ってまた巡り会わせてくれた運命に感謝したいって今は思ってるよ」
思い出せないことが不甲斐ないと思っていた。なんでだろうと自分を責めた。でも、今の彼の言葉にすごく救われた。あぁこの人のこと好きになれて良かった。心の底から思った。
「でも1つだけ寂しいことがあるんだ」
「なぁに?」
「昔の呼び名がどうしても恋しい。そこだけが、昔と比べちゃって不意に距離を感じてしまうんだよね」
だから、良いでしょ?にっこり笑って小首を傾げられたら、言うしかない。呼び慣れない、でも彼にとっては懐かしいと感じる呼称を琴璃は唱えた。
「精市くん。好きです」
「ありがとう」
幸村はくすぐったそうに笑うと、最初よりもっと強く愛しい彼女を抱き締めた。
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“忘れ咲き”は、返り咲きと同じ意味合いです。プラス、昔の幸村とのことを忘れてしまっても巡り巡って再び花は咲く=恋は成就する、という気持ちを込めて。
ちなみに、昔の呼び名を琴璃が知ってたのは、幸村に昔の思い出話をされた時散々教えられたから。(幸村はずっと呼んでほしかった。)
普段は朝練で琴璃より後に教室に入ってくる彼が、今日は既に自分の席に座って読書をしていた。
「もうテスト週間だからな。部活は一時停止期間になった」
「テスト週間……」
「もしかして忘れていたのか?」
「……うん」
転校してきたからと言って免除にはならない。琴璃にも他の生徒と同じように5教科プラスアルファが待ち構えている。
「本番は来週からだぞ」
「うわぁどうしよう、やばいかな」
「
でもその時に受けた試験は1科目だけ危うかった。他の教科とトータルしたら余裕だったけど、唯一駄目なのが現代文だった。
「じゃあ俺が教えてあげるよ」
どこからともなく幸村が現れた。柳は大して驚きはしなかったけど琴璃はわっ、と声が出るほどだった。
「はい、蓮二。借りてた本返すね、ありがと」
用件をさっさと済まし、いつものように琴璃の前の席に勝手に座る幸村。
「琴璃さえ良ければ勉強、俺が教えてあげる」
「幸村くん、現代文得意なの?」
「勉強はどれも満遍なくできるよ。テニスよりは得意じゃないけどね」
「えー、すごい」
幸村がすました顔で言うのを柳は黙って見ていた。普段なら、勉強めんどくさい、とか、部活を潰してまで行われるテストというものに常に恨み節をたれていたというのに。今は親切心を存分に出して琴璃と話している。その様子を柳が静観しているうちに幸村は、
「じゃあ放課後、図書館で勉強しよう」
さっさとそう決めて教室を出ていった。タイミングよく予令が鳴る。琴璃はぽけーっと幸村が戻るのを見ているだけだった。
「無事に精市とは和解できたんだな」
「あ、うん。……色々、ありがとう」
「どうした?」
「ううん、なんでもない」
「精市に告白でもされたか?」
「なんで!」
「顔に書いてある」
彼女は隠し事が下手なんだなと思った。この様子じゃ、幸村も彼女の気持ちに気づいているだろう。何にせよ彼がさっきあんなにご機嫌だったのにも説明がついた。だが琴璃はと言うとあまり晴れやかな表情ではない。はにかむとか照れるとかじゃなく、どちらかというとそわそわしている。
「精市の気持ちは迷惑なのか?」
「ううん、違う。そんなことないの」
「なら悩む理由が分からないな」
琴璃は目を伏せてスカートの裾を無意識にいじりだす。
「だって……、前にね、私が初恋の人とか言われて、それで昨日好きだよって言われて……だから、どうしていいか」
「あいつの気持ちが重い、ということか」
「そんなふうには思ったりしてないんだけど、私は結局昔の幸村くんをちゃんと思い出したわけじゃないから、……なんか、申し訳なくて」
「別にあいつはそんなことを気にしてないと思うぞ」
「そう、かな」
「思い出そうが忘れたままでいようが、あいつは“今の藤白琴璃”に興味を持っているのは確かだからな」
確かに、きっかけは幸村が琴璃のことを覚えていたから接近してきた。そうでなきゃ互いに知り合いにすらならなかっただろう。でも、きっかけがどうあれ今の幸村はすごく琴璃のことを大切に思っている。それが真実なのに、琴璃はまだどこか後ろめたい気持ちを抱えている。過去の彼のことを思い出せないということが、どうしても自分の中で許せなかった。
「ちなみにもう1つ、良いことを教えてやろう」
「なに?」
「あいつがここまで分かりやすく誰かに興味を示すのは俺が知る限りで初めてだ。テニス以外で夢中になったものが今まで無い、と言っても過言ではないほど、精市は他人に無関心だったからな」
「そうなんだ……」
「そんなあいつがああやって毎日のように会いに来てくれるんだ。もうこの際、記憶が戻ろうが戻りまいがさして問題ではないと思うが」
「うん。そうだよね」
昨日の幸村の顔が浮かんだ。出会ってまだ1ヶ月ほどしか経たないが、いつだって彼は優しかった。自分に向けられる彼からの気持ちが嬉しいと思えた。早く放課後にならないかな、とも。
幸村は放課後、琴璃を教室まで迎えに来てくれた。
「
「ううん、まだ。でも外から見たら結構大きそうだね」
「まぁね。一貫学校だと利用者が俺らだけじゃないからね。普通に近所のおじさんとかもここに来るし」
「へぇー。あ、でも確かにこないだ子連れの人たちが普通に学校の敷地内歩いてるの見たよ」
地域の人も利用できるなんていいね、と話す琴璃を見て幸村がふっと笑う。
「ふふ。琴璃が立海のことに色々詳しくなっていくの、嬉しいな」
「そうなの?」
「そうだよ。同じ環境で過ごしてるのが実感できるからね。限られた高校生活の時間だけど、だからこそ今この時間は大切にしなくちゃね。キミとこうしてまためぐり逢えた奇跡とかさ」
こういうセリフでも茶化すことなくさらりと言うから、琴璃はまた照れてしまう。
本当に、柳の言った通りなんだなと思った。幸村はもう過去なんてどうでも良くて、今の自分に想いを寄せてくれているのだ。なのに自分だけが思い出せなくて気にしてる。過去にまだとらわれてるのは自分だけなんだと思い知った瞬間だった。そうしたら急に心が軽くなった。だから、気持ちが音になって口から出てきた。
「私も、好き」
琴璃がそれを言った時、2人は階段の踊り場にいた。自然と二人の足が止まる。他の誰かが聞いてたわけじゃないけど、こんな開けた場所で言ったことに琴璃は今さら気づいた。途端に恥ずかしさに襲われる。だが幸村は笑いもせず、まばたき1つせず、じっと琴璃の目を見ていた。ほんの少しだけ目が見開かれている。
「ご、ごめんね。行こう」
「駄目。待って」
「わ、」
琴璃は誤魔化そうと歩き出そうとしたが幸村に腕を引っ張られた。反動でよろけたのをそっと抱きとめてくれた。
「もう、許可なんて要らないよね」
幸村はそう言って両手を琴璃の背に回す。至近距離からの声、密着する体から伝わる温もりと振動。それら全てが琴璃の思考回路を麻痺させる。なんで抱き締められてるんだろうとか、考える余裕は最早皆無だった。
「すごい。ドクンドクン言ってる。どっちの音だろうね」
「……多分、私」
「そうかな?俺も負けないくらい緊張してるよ」
ほら、と言った幸村は片手で琴璃を抱き締めたまま反対の手で彼女の手を取り自身の左胸に当ててみせた。強い鼓動が手のひらに伝わってくる。
「ね?」
「うん」
本当に緊張しているのか。彼はどこまでも余裕に見える。真っ赤な琴璃とは正反対だ。勇気を出して顔を上げたらいつもの優しい笑みがそこにあった。
「……幸村くんのことをどうしても思い出せなくて、私って情けないなって感じてたの」
「そんなこと思ってたの?」
意外な琴璃の心境の吐露に幸村は目を丸くする。キミはいつだって優しいよね。そう言った後抱き締める腕の力を解く。
「いいんだもう、過去なんて。昔の俺との記憶がぽっかり抜けた分、これから先の俺との時間を沢山記憶していって。メモリーが足りなくなるくらいにね」
「……ありがとう」
「琴璃が俺のことを思い出せなくてももう寂しいなんて思わないよ。だってこうして今、一緒にいられるから。最初はさ、琴璃から俺だけの記憶を消した神様を恨んだけど、5年経ってまた巡り会わせてくれた運命に感謝したいって今は思ってるよ」
思い出せないことが不甲斐ないと思っていた。なんでだろうと自分を責めた。でも、今の彼の言葉にすごく救われた。あぁこの人のこと好きになれて良かった。心の底から思った。
「でも1つだけ寂しいことがあるんだ」
「なぁに?」
「昔の呼び名がどうしても恋しい。そこだけが、昔と比べちゃって不意に距離を感じてしまうんだよね」
だから、良いでしょ?にっこり笑って小首を傾げられたら、言うしかない。呼び慣れない、でも彼にとっては懐かしいと感じる呼称を琴璃は唱えた。
「精市くん。好きです」
「ありがとう」
幸村はくすぐったそうに笑うと、最初よりもっと強く愛しい彼女を抱き締めた。
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“忘れ咲き”は、返り咲きと同じ意味合いです。プラス、昔の幸村とのことを忘れてしまっても巡り巡って再び花は咲く=恋は成就する、という気持ちを込めて。
ちなみに、昔の呼び名を琴璃が知ってたのは、幸村に昔の思い出話をされた時散々教えられたから。(幸村はずっと呼んでほしかった。)
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