忘れ咲き
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今週はクラスの掃除当番だった。幸村の他にも何人かが放課後一緒に残って教室の掃除をする。換気をしようと窓を開けた時、ちょうど外を歩いてる琴璃が見えた。学校指定のジャージ姿でクラスメイトらしき女子生徒と一緒に歩いている。彼女も掃除当番らしく、ゴミ袋と箒を持っていた。2人は足を揃えて歩きながら談笑している。
もう仲の良い子ができてる。俺のほうが先に知ってるのに。あの友達のほうが自分よりもずっと距離が近いだなんて信じたくない。そんなふうに、変に悲観的になる。きっと、さっきから掃除をしてるつもりでも頭のどこかで琴璃のことを考えていたのだ。勿論自覚なんてない。そこへたまたま本物を見かけて、その彼女がどんどん別の生徒たちとは親密になっていることを知る。彼女らが羨ましくもあり、僅かながら妬ましい。嫉妬に近いようなものなのか。自分がこんな感情を覚えるだなんてびっくりだ。何かにとことん夢中になるということがテニス以上に無かったから。しかもその対象が“物”ではなく1人の異性なのだ。
でも、ふと思う。
琴璃は俺のこと忘れちゃってるんだから、俺も他の子とスタート地点は同じということなんだ。自分は別に特別なんかじゃない。他の子と同じ、“はじめまして”からのスタート。
そこまで考えて、更には昼休みの柳から言われた言葉を思い出して、幸村は気付いてしまった。もしも琴璃に特別な存在ができたとしても、自分のことを思い出してほしいのだろうか。昼休みに聞かれたことを頭の中でもう一度繰り返す。そんなの、当たり前じゃん。本当は、そう答えるつもりでいた。けれど躊躇ってしまった。琴璃に特別な存在ができたら、というところが妙に引っ掛かった。そんなこと、あるわけないよね。そればかりが頭の中を先行して上手く答えられなかった。琴璃に自分のことを思い出してほしいとも思うけど、特別な存在を認められない自分がいる。
違う。
“俺が”、琴璃の特別になりたいんだ。
それが分かってしまったら、ここでのんびりしていられなくなる。
「ねぇ。掃除ってもう終わりにしてもいい?俺ちょっと、行かなきゃならなくて」
「へっ、あ、うん。平気だよ、あと私がやっとくから」
「ありがとう」
幸村に話しかけられた女子生徒はほんのり顔を赤らめた。
でも、そんなこと幸村は気づきもしないでさっさと鞄を持って教室を後にする。今ならまだこの辺りにいるかもしれない。昇降口から出てコートへの道を歩いていると、予想通り反対側から琴璃がやって来るのが見えた。さっきまで持っていたゴミ袋や箒は消えているけどまだジャージ姿だった。琴璃も、幸村の存在に気付いて声を掛けてきた。
「幸村くん」
嬉しいのにどこか複雑な気持ちが尾を引く。もともと感情があまり顔には出ないタイプだ。だけど変に黙っていたら琴璃のほうが勘づいた。
「どうかしたの?」
「琴璃、今日の昼休みいなかったね」
「あ、うん、そうなの。隣のクラスに行ってて。……もしかして今日も会いに来てくれてたの?」
「会いに行ったよ。でもキミはいなかった」
「そっか……ごめんね」
ほら、また、俺の前で謝ってる。でも、それを言うよりももっと、聞きたいことがある。
「男子といたって蓮二から聞いたよ」
「あ、うん。それがね、小学校時代のクラスメイトの人だったの。まさかこんなとこで会うなんてびっくりして。そしたら隣のクラスにももう1人いるよ、って教えてくれて案内してくれたんだ」
「その人たちのことは、覚えてたんだね」
「うん。まだ低学年のころだったから」
琴璃は嫌な顔せず説明する。すごく懐かしかったよ、と、笑って答える彼女が幸村の目にも楽しげに映る。でも、それとは別に穏やかじゃない感情が沸々としている。スタート地点は皆同じ。さっきまではそう思い込んでたのに、琴璃の嬉しそうな顔を見たら打ちのめされたような感覚を覚えた。
俺だって。琴璃の小学時代の、クラスメイトじゃないけど知ってる間柄で。あぁでも、そっか。俺のことは分かんないんだもんね。どうせ琴璃は覚えていないんだから。
でも、そんなふうに言ったら彼女は悲しむ。すんでのところで思い立って言葉を飲み込んだ。
――スタート地点は、同じじゃないのか。
琴璃の記憶の全てが解離されてるわけじゃない。小5の秋の、あのごく僅かな期間だけが失われたんだ。そのピンポイントな期間に自分がいたというのに。そこだけ彼女の頭の中から抹消されている。なんて意地悪な神様なんだろうと思った。
別に琴璃はこのまま幸村とのことを思い出さなくたって、私生活には何ら影響はない。自分のことを忘れたままでいても彼女の人生に支障は出ない。そのことに気付いてしまったから、幸村は急にやるせなくなってしまった。なんでこんなに躍起になっているんだと。客観的に自分を見つめることができた途端、一気に冷めた。
少しでも自惚れていた自分が情けない。一方的に琴璃の“特別”になりたくて前のめりになっていたけど。それ以前に自分は、琴璃が忘れてしまう、その程度の存在だったんじゃないか。だいたい、思い出したいだなんて彼女からは言ってないじゃないか。彼女が強く望んでもないのに、無理矢理失くした思い出を掘り起こそうとしている。それを思い知ったから、気持ちが“無”になった。
「幸村くん?」
「もう、いいや」
たった一言の、無機質な声だった。無表情で無関心なその一言が幸村の口から発せられて。目の前の琴璃は体が動かなかった。今の彼は怖いくらいに目が据わっていた。その2つの瞳でじっと見つめられている。全く感情が読めなかった。機嫌の善し悪しの区別も見抜けないほど、今の彼はとにかく“無”だった。
でもその中に、琴璃はかすかに面影を見つけた。もういいや、と言って悔し涙を流した男の子を思い浮かべていた。あれはいつだったか。どこか懐かしくて知っている気がする。すごくすごく身近な気がするのに、思い出せない。
もう仲の良い子ができてる。俺のほうが先に知ってるのに。あの友達のほうが自分よりもずっと距離が近いだなんて信じたくない。そんなふうに、変に悲観的になる。きっと、さっきから掃除をしてるつもりでも頭のどこかで琴璃のことを考えていたのだ。勿論自覚なんてない。そこへたまたま本物を見かけて、その彼女がどんどん別の生徒たちとは親密になっていることを知る。彼女らが羨ましくもあり、僅かながら妬ましい。嫉妬に近いようなものなのか。自分がこんな感情を覚えるだなんてびっくりだ。何かにとことん夢中になるということがテニス以上に無かったから。しかもその対象が“物”ではなく1人の異性なのだ。
でも、ふと思う。
琴璃は俺のこと忘れちゃってるんだから、俺も他の子とスタート地点は同じということなんだ。自分は別に特別なんかじゃない。他の子と同じ、“はじめまして”からのスタート。
そこまで考えて、更には昼休みの柳から言われた言葉を思い出して、幸村は気付いてしまった。もしも琴璃に特別な存在ができたとしても、自分のことを思い出してほしいのだろうか。昼休みに聞かれたことを頭の中でもう一度繰り返す。そんなの、当たり前じゃん。本当は、そう答えるつもりでいた。けれど躊躇ってしまった。琴璃に特別な存在ができたら、というところが妙に引っ掛かった。そんなこと、あるわけないよね。そればかりが頭の中を先行して上手く答えられなかった。琴璃に自分のことを思い出してほしいとも思うけど、特別な存在を認められない自分がいる。
違う。
“俺が”、琴璃の特別になりたいんだ。
それが分かってしまったら、ここでのんびりしていられなくなる。
「ねぇ。掃除ってもう終わりにしてもいい?俺ちょっと、行かなきゃならなくて」
「へっ、あ、うん。平気だよ、あと私がやっとくから」
「ありがとう」
幸村に話しかけられた女子生徒はほんのり顔を赤らめた。
でも、そんなこと幸村は気づきもしないでさっさと鞄を持って教室を後にする。今ならまだこの辺りにいるかもしれない。昇降口から出てコートへの道を歩いていると、予想通り反対側から琴璃がやって来るのが見えた。さっきまで持っていたゴミ袋や箒は消えているけどまだジャージ姿だった。琴璃も、幸村の存在に気付いて声を掛けてきた。
「幸村くん」
嬉しいのにどこか複雑な気持ちが尾を引く。もともと感情があまり顔には出ないタイプだ。だけど変に黙っていたら琴璃のほうが勘づいた。
「どうかしたの?」
「琴璃、今日の昼休みいなかったね」
「あ、うん、そうなの。隣のクラスに行ってて。……もしかして今日も会いに来てくれてたの?」
「会いに行ったよ。でもキミはいなかった」
「そっか……ごめんね」
ほら、また、俺の前で謝ってる。でも、それを言うよりももっと、聞きたいことがある。
「男子といたって蓮二から聞いたよ」
「あ、うん。それがね、小学校時代のクラスメイトの人だったの。まさかこんなとこで会うなんてびっくりして。そしたら隣のクラスにももう1人いるよ、って教えてくれて案内してくれたんだ」
「その人たちのことは、覚えてたんだね」
「うん。まだ低学年のころだったから」
琴璃は嫌な顔せず説明する。すごく懐かしかったよ、と、笑って答える彼女が幸村の目にも楽しげに映る。でも、それとは別に穏やかじゃない感情が沸々としている。スタート地点は皆同じ。さっきまではそう思い込んでたのに、琴璃の嬉しそうな顔を見たら打ちのめされたような感覚を覚えた。
俺だって。琴璃の小学時代の、クラスメイトじゃないけど知ってる間柄で。あぁでも、そっか。俺のことは分かんないんだもんね。どうせ琴璃は覚えていないんだから。
でも、そんなふうに言ったら彼女は悲しむ。すんでのところで思い立って言葉を飲み込んだ。
――スタート地点は、同じじゃないのか。
琴璃の記憶の全てが解離されてるわけじゃない。小5の秋の、あのごく僅かな期間だけが失われたんだ。そのピンポイントな期間に自分がいたというのに。そこだけ彼女の頭の中から抹消されている。なんて意地悪な神様なんだろうと思った。
別に琴璃はこのまま幸村とのことを思い出さなくたって、私生活には何ら影響はない。自分のことを忘れたままでいても彼女の人生に支障は出ない。そのことに気付いてしまったから、幸村は急にやるせなくなってしまった。なんでこんなに躍起になっているんだと。客観的に自分を見つめることができた途端、一気に冷めた。
少しでも自惚れていた自分が情けない。一方的に琴璃の“特別”になりたくて前のめりになっていたけど。それ以前に自分は、琴璃が忘れてしまう、その程度の存在だったんじゃないか。だいたい、思い出したいだなんて彼女からは言ってないじゃないか。彼女が強く望んでもないのに、無理矢理失くした思い出を掘り起こそうとしている。それを思い知ったから、気持ちが“無”になった。
「幸村くん?」
「もう、いいや」
たった一言の、無機質な声だった。無表情で無関心なその一言が幸村の口から発せられて。目の前の琴璃は体が動かなかった。今の彼は怖いくらいに目が据わっていた。その2つの瞳でじっと見つめられている。全く感情が読めなかった。機嫌の善し悪しの区別も見抜けないほど、今の彼はとにかく“無”だった。
でもその中に、琴璃はかすかに面影を見つけた。もういいや、と言って悔し涙を流した男の子を思い浮かべていた。あれはいつだったか。どこか懐かしくて知っている気がする。すごくすごく身近な気がするのに、思い出せない。