忘れ咲き
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
幸村の初恋は小5の秋だった。
それはまだ病に倒れる前、元気にテニスができていた頃。小学校が休みの日は近所のテニススクールへ朝早くから行って日の沈むまで練習に励んでいた。あの頃が1番テニスを楽しんでいた時代だったと思う。毎日何も考えずに黄色いボールを追い掛けるのが好きだった。どこに打とうか、どんなスマッシュを決めようか。そんなふうに考えて、兎に角わくわくしながらやっていた。でも、それが今はもう変わってしまって。あれから成長した今はどこまでも“勝つこと”を追求するテニスになってしまった。戦略的だったり相手の作戦の裏を突いたり、頭脳を使ったプレーへと変化した。楽しくて続けてきたテニスは今や自分の将来にも関係してくるようになった。自然と、ただ“楽しい”だけじゃやっていられなくなったのだ。それを目の当たりにした時にふとあの頃のことを思い出す。やっぱり純粋な楽しさを感じられたはあの時が1番だった。何も深く考えずにひたすら打ち込んでたあの頃を。
そんな時に1人の女の子に出会った。彼女の名前は琴璃と言った。幸村が通うテニススクールのすぐそばに公園があって、そこで出会った。初めて見た時、彼女はベンチに座ってぼーっと明後日の方向を見つめていた。空を見ているのかな。いや違う。今日は暖かいけどやや厚めの雲に覆われている。特に見上げるような空じゃなかった。じゃあ何を、と思って彼女の後ろに周って同じように見上げてみた。
「咲いてる」
「え?」
琴璃はいきなり背後から声がしたので驚いて幸村のほうへ振り向いた。まさかすぐ後ろに人がいるなんて思わなかったから警戒心を露わにしてきた。けれど、相手が自分と同じ子供だったのが分かるといくらか落ち着きのある顔に戻った。
「あれでしょ、キミが見てたの」
「うん」
指差した方向にわりと大きな1本の樹があった。秋の深まる季節。葉は落ち淋しい姿になっている。だがよく見ると先端のほうに小さな花をつけている。桜の花だった。
「狂い咲きとか返り咲きって言うんだって」
「あ、知ってる。季節はずれに花が咲いちゃうことでしょ」
「うん、面白いよね」
にこりと笑った琴璃が可愛いと思った。その笑顔にやられた。いわゆる一目惚れというやつだった。彼女はいつもにこにこしていた。幸村と会う時は、いつも。だから思い出そうとすると笑顔の彼女しか思い出せない。
けれど昼休みに見た彼女はとても怪訝そうな表情をしていた。幸村を初めて見たような顔つきだった。あの出会いからたびたび遊んだりして、自分を“精市くん”と呼んでくれるまでになったのに。まさか別人なのか。ちゃんと名前を聞かなかったからその可能性も否めないけど、でも、そんなはずないと思った。間違えるはずがない。だって昨日の彼女は琴璃そのものだった。5年経てば外見もそれなりに成長する。それでも琴璃だとすぐに分かった。根拠のない自信だけど、彼女はあの時の琴璃なのだ。なのに。
そんなことを悶々と考えていたら部室のドアが開いた。入ってきた人物と目が合う。
「そうやって俺を睨んでも何の意味もないぞ」
「……俺、睨んでた?」
「あぁ。おまけにそんな行儀の悪い座り方をしていたら、皆がどうしたんだと思うだろうな。とは言っても、もうここにはお前以外いないのか」
柳の言う通りで、他の部員たちはとっくにコートで練習をしている。部活時間なのにまだここにいる幸村のほうがおかしい。今の幸村の格好は、足を大きく広げて、部室のパイプ椅子の背もたれを前にして両手で抱えるようにして逆向きに座っていた。いつもはこんなことしないのに。指摘されてしまってはそのままこの格好でいるわけにはいかないので、大人しくきちんと座り直す。
「お前と彼女は顔見知りなのか?」
そばで柳は自分のロッカーを開け着替えだす。
「そうだよ。そのはずなんたけど。……やっぱり違うのかな」
「何だそれは」
わけの分からない独り言をぶつぶつ言って再び幸村は黙り込む。試合の時に見せるような、なかなか真剣な表情だった。
「気になるなら直接彼女に聞いてみたらどうだ?」
そんな提案を柳がするから、幸村は顔をあげる。
「その口ぶり、蓮二は何か知ってるんだね」
「口外して良い内容か分かりかねるから俺からは言えないな」
「なにそれ。余計気になるじゃないか。教えてよ」
「だから自分で聞いてみろ。俺に話したのなら、聞いたらお前にも教えてくれるだろう」
「……気が進まない。だって、あんな顔されたら聞くに聞けないじゃないか」
そうぼやく幸村を柳はまじまじと見た。彼がこんなふうに1人の女子に翻弄されているだなんて。仁王あたりが知ったら弱みを握ったとでも言って喜びそうだと思った。
「ねぇ。あの子の名前、藤白琴璃で合ってる?」
「そう言っていたな」
「じゃあ、同姓同名ってだけで俺の知ってる琴璃と違う子なのかな。いや、でもあんなに似てる子っている?ドッペルゲンガー?」
「……ひとまず、お前はそろそろコートに行かないと不味いんじゃないのか。弦一郎が様子を見に来るぞ」
柳につられて壁の時計を見ると、もう練習開始から30分ほど経過していた。彼は今日、遅れることを報告していたから良いとして。部長たる者がこんなところで油を売っていて良いわけがない。
「はぁ。しょうがないなぁ」
部長なのにそんなことを言う。よいしょ、と立ち上がると幸村はラケットを持ってゆるゆると部室から出て行った。いかにも彼らしくない。普段はこんなことないのに。
幸村がたとえ真面目に取り組まなくても、彼の強さは誰もが知っているから小言を言えない。先ほど柳も注意をしたけれど、別に幸村に対して怒っているわけでもなかった。むしろ良いデータが取れた。そんなふうに思っていた。それなりに長い付き合いの友人が、テニスの他にはあまり興味を示さないのに1人の転校生に関心を寄せている。あんな彼はなかなか見ることがない。
ロッカーを閉じながらふと柳は昼休みのことを思い出した。そう言えば。
「小5でまだ花冠を作って遊んでいたのか、あいつは」
独り言が出てしまうほど、なかなか驚愕に値する情報だった。だが、精市らしいな、とも思った。
それはまだ病に倒れる前、元気にテニスができていた頃。小学校が休みの日は近所のテニススクールへ朝早くから行って日の沈むまで練習に励んでいた。あの頃が1番テニスを楽しんでいた時代だったと思う。毎日何も考えずに黄色いボールを追い掛けるのが好きだった。どこに打とうか、どんなスマッシュを決めようか。そんなふうに考えて、兎に角わくわくしながらやっていた。でも、それが今はもう変わってしまって。あれから成長した今はどこまでも“勝つこと”を追求するテニスになってしまった。戦略的だったり相手の作戦の裏を突いたり、頭脳を使ったプレーへと変化した。楽しくて続けてきたテニスは今や自分の将来にも関係してくるようになった。自然と、ただ“楽しい”だけじゃやっていられなくなったのだ。それを目の当たりにした時にふとあの頃のことを思い出す。やっぱり純粋な楽しさを感じられたはあの時が1番だった。何も深く考えずにひたすら打ち込んでたあの頃を。
そんな時に1人の女の子に出会った。彼女の名前は琴璃と言った。幸村が通うテニススクールのすぐそばに公園があって、そこで出会った。初めて見た時、彼女はベンチに座ってぼーっと明後日の方向を見つめていた。空を見ているのかな。いや違う。今日は暖かいけどやや厚めの雲に覆われている。特に見上げるような空じゃなかった。じゃあ何を、と思って彼女の後ろに周って同じように見上げてみた。
「咲いてる」
「え?」
琴璃はいきなり背後から声がしたので驚いて幸村のほうへ振り向いた。まさかすぐ後ろに人がいるなんて思わなかったから警戒心を露わにしてきた。けれど、相手が自分と同じ子供だったのが分かるといくらか落ち着きのある顔に戻った。
「あれでしょ、キミが見てたの」
「うん」
指差した方向にわりと大きな1本の樹があった。秋の深まる季節。葉は落ち淋しい姿になっている。だがよく見ると先端のほうに小さな花をつけている。桜の花だった。
「狂い咲きとか返り咲きって言うんだって」
「あ、知ってる。季節はずれに花が咲いちゃうことでしょ」
「うん、面白いよね」
にこりと笑った琴璃が可愛いと思った。その笑顔にやられた。いわゆる一目惚れというやつだった。彼女はいつもにこにこしていた。幸村と会う時は、いつも。だから思い出そうとすると笑顔の彼女しか思い出せない。
けれど昼休みに見た彼女はとても怪訝そうな表情をしていた。幸村を初めて見たような顔つきだった。あの出会いからたびたび遊んだりして、自分を“精市くん”と呼んでくれるまでになったのに。まさか別人なのか。ちゃんと名前を聞かなかったからその可能性も否めないけど、でも、そんなはずないと思った。間違えるはずがない。だって昨日の彼女は琴璃そのものだった。5年経てば外見もそれなりに成長する。それでも琴璃だとすぐに分かった。根拠のない自信だけど、彼女はあの時の琴璃なのだ。なのに。
そんなことを悶々と考えていたら部室のドアが開いた。入ってきた人物と目が合う。
「そうやって俺を睨んでも何の意味もないぞ」
「……俺、睨んでた?」
「あぁ。おまけにそんな行儀の悪い座り方をしていたら、皆がどうしたんだと思うだろうな。とは言っても、もうここにはお前以外いないのか」
柳の言う通りで、他の部員たちはとっくにコートで練習をしている。部活時間なのにまだここにいる幸村のほうがおかしい。今の幸村の格好は、足を大きく広げて、部室のパイプ椅子の背もたれを前にして両手で抱えるようにして逆向きに座っていた。いつもはこんなことしないのに。指摘されてしまってはそのままこの格好でいるわけにはいかないので、大人しくきちんと座り直す。
「お前と彼女は顔見知りなのか?」
そばで柳は自分のロッカーを開け着替えだす。
「そうだよ。そのはずなんたけど。……やっぱり違うのかな」
「何だそれは」
わけの分からない独り言をぶつぶつ言って再び幸村は黙り込む。試合の時に見せるような、なかなか真剣な表情だった。
「気になるなら直接彼女に聞いてみたらどうだ?」
そんな提案を柳がするから、幸村は顔をあげる。
「その口ぶり、蓮二は何か知ってるんだね」
「口外して良い内容か分かりかねるから俺からは言えないな」
「なにそれ。余計気になるじゃないか。教えてよ」
「だから自分で聞いてみろ。俺に話したのなら、聞いたらお前にも教えてくれるだろう」
「……気が進まない。だって、あんな顔されたら聞くに聞けないじゃないか」
そうぼやく幸村を柳はまじまじと見た。彼がこんなふうに1人の女子に翻弄されているだなんて。仁王あたりが知ったら弱みを握ったとでも言って喜びそうだと思った。
「ねぇ。あの子の名前、藤白琴璃で合ってる?」
「そう言っていたな」
「じゃあ、同姓同名ってだけで俺の知ってる琴璃と違う子なのかな。いや、でもあんなに似てる子っている?ドッペルゲンガー?」
「……ひとまず、お前はそろそろコートに行かないと不味いんじゃないのか。弦一郎が様子を見に来るぞ」
柳につられて壁の時計を見ると、もう練習開始から30分ほど経過していた。彼は今日、遅れることを報告していたから良いとして。部長たる者がこんなところで油を売っていて良いわけがない。
「はぁ。しょうがないなぁ」
部長なのにそんなことを言う。よいしょ、と立ち上がると幸村はラケットを持ってゆるゆると部室から出て行った。いかにも彼らしくない。普段はこんなことないのに。
幸村がたとえ真面目に取り組まなくても、彼の強さは誰もが知っているから小言を言えない。先ほど柳も注意をしたけれど、別に幸村に対して怒っているわけでもなかった。むしろ良いデータが取れた。そんなふうに思っていた。それなりに長い付き合いの友人が、テニスの他にはあまり興味を示さないのに1人の転校生に関心を寄せている。あんな彼はなかなか見ることがない。
ロッカーを閉じながらふと柳は昼休みのことを思い出した。そう言えば。
「小5でまだ花冠を作って遊んでいたのか、あいつは」
独り言が出てしまうほど、なかなか驚愕に値する情報だった。だが、精市らしいな、とも思った。