ウソツキヨワムシアマノジャク
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30分ほど前に跡部は出て行ってしまった。時間的にテニス部に行ったのだろうと思った。
琴璃は1人残って生徒会室で資料を束ねていた。コピーしたものをホチキス止めする作業。黙々と、十数人分のものを作り上げてゆく。こんなものは本来なら1年にふればいいものだ。きっと、跡部が見たならそう言うと思う。
「そんなものは1年にやらせろ」
扉が開いて現れたのは跡部だった。帰ったと思ったのに。
「跡部くん。あれ、部活は」
「今日はもともとオフだ」
「あ、そうなんだ」
ここを出て行ったのは、テニス部顧問や教頭に用事があったからだった。それを聞いて琴璃は、この人は常に忙しい人なんだな、と思ってしまう。
「にしてもお前はいつもそういう役回りだな。何だ、誰かに押し付けられてるのか?」
「そんな、違うよちゃんと自分の意志だよ。だから平気」
「もう少し周りの人間を使うことを覚えたらどうだ」
使う、という表現が彼らしいなと思った。跡部にとって生徒会 の人間は頼るものではないのだ。
「でも、1人で終わる作業だし。こんなことで呼びつけるのも悪いし」
「どこまでもお人好しな女だぜ」
「あはは、ありがとう」
「別に褒めるつもりで言ったわけじゃねぇんだがな」
「え、そうなの?」
「あぁ」
そう言って琴璃のほうへ近付いてくる。ぼーっと見ていたら目の前に立たれた。琴璃を通り過ぎてパソコンのほうへ行くのかと思ったのに。思ったよりも直ぐ目の前で、近い。
「人が良すぎてすぐに騙されそうだっつってんだよ」
「あたっ」
額を小突かれた。全然痛くはないけど、反射的に痛いと言ってしまう。
「それで?あとどれくらいかかるんだ」
「あ、もうこれで全部です。ちょうど終わったとこなの」
「なら、帰るぞ」
窓の向こうは雨が降っていた。冬の冷たい雨。天気が悪いせいもあって空の色は暗い。作業に没頭していたせいか琴璃は今初めてそのことに気がついた。
「あれ、でも、跡部くんは何か用があって戻って来たんじゃないの?」
「別に。向かいの棟からここの灯りが点いてるのが見えた。ま、職員室にここの鍵が返されてなかったからまだお前が残っているのは予想できたがな」
「え、そうだったの。なんかわざわざごめんね」
熱心に残るような人種は、悲しいかな今の生徒会にはほぼ居なかった。会長である跡部が何でも手掛けてしまうというのもある。ただ、彼はこんな雑用作業はしない。そういう部分を補うのが下につく者達だと思っている。なのにいつまで経ってもやるのは琴璃。1年の時からずっとそうだった。きっと言えば後輩達は手伝ってくれるけれど、呼び集めてするほどの作業でもないから結局いつまでもこのままだ。
鍵を戻し、昇降口に着く頃には辺りはいっそう暗くなってしまった。冬らしくこの短時間で一気に夜になってしまう。生徒会室の窓から見た時と変わらず、外は細かな雨が降っている。もうほとんどの生徒は下校してしまった。暗くて静かで寒い。1人だったら少し心細いと感じていたかもしれない。
「跡部くん、傘は?」
「俺様がそんなものを持ち歩いていると思うか?」
「……あんまり想像できない」
「そうだろう」
ならば琴璃のとる行動は必然的に決まる。そこまで強い雨じゃない。これくらいなら、傘をささない選択をする人もいるくらいの霧に近い雨。でもこの人を雨晒しにさせるのは何となく許されないなと思って、聞いた。
「あの、良かったら入る?」
「そうしてもらえると有難いな」
言われるのを予想していたようで跡部は即答する。隣で琴璃は傘を開く。自分で聞いたくせに傘を広げる時の手が緊張していた。
「どうぞ」
「どうも」
跡部はニッと笑って少し屈んできた。身長の差を実感する。いつもより高くさして静かに降る雨の中を並んで歩く。不思議な感覚だった。正門に彼の迎えの車が待っているらしく、そこまで一緒に歩くことになった。
「今朝の天気予報で、もしかしたら雪になるかもって言ってたよ」
「確かにこの寒さじゃ降るかもな」
「跡部くんは?雪は好き?」
「好きでも嫌いでもない」
「そ、そっか」
琴璃の傘は特別大きいものではない。ごく普通の1人用のサイズ。密着しないと濡れてしまう。
「もう少し、上だ」
「あ、ごめん。このへんかな」
「貸せ。俺が持つ」
そう言って跡部は琴璃の手から傘の柄を取り上げる。仄かに香る彼の纏う香水。どきりとした。今更だけどこんなにも近い。同じ傘に入っているのだから当たり前なのだが。別に、彼と相合傘をしたいという下心なんかは1ミリもなかった。でも流石に相手が跡部景吾では緊張する。ここまで意識してなかったのに、気になりだすと途端に心が騒がしくなる。沈黙を作りたくなくて何か話そうと思った。何か、天気のような世間話を。なのに口をついて出たのはまるで正反対の言葉だった。
「こうやって雨の日は同じ傘に入れるから、跡部くんの彼女は幸せだろうな」
変なことを言っているのだと自覚するのに数秒のタイムラグがあった。言ってしまってから気まずさを感じる。
「なら、なるか?」
「え?」
「お前を俺の女にしてやるよ」
冗談だと思った。思わず隣を見る。淡い水色の傘を持つ跡部が微笑んでいる。上からの物の言い方なのに笑い方は優しかった。琴璃はその場で立ち止まってしまった。同じように、跡部も止まる。
「どうした。お前はそれを望んでいたんじゃねぇのか?」
問いかけられてようやく琴璃はハッとした。信じられない、という感情が圧倒的に大きすぎて、嬉しさとか喜びなんてものは呑み込まれてしまっていた。跡部くんの彼女に、私が。頭の中はなんで、どうして、とかそういうことばかりで埋め尽くされていた。冗談だよね。きっとこれは彼の気まぐれみたいなものだ。
彼のことは好きだけど、正直、琴璃は見つめているだけで良かった。自分の気持ちを伝えるつもりははじめから無かった。琴璃の持つ跡部への“好き”は、恋愛感情もあるけど憧れに近いようなものもあった。だから跡部と付き合うとか、そんなのは夢のまた夢で考えたこともなかった。こんな時に、なんとなく知っていた彼の恋愛遍歴を思い出す。あれが本当のことなら自信がない。だから、勇気が出なかったのも事実。
きっと彼には私の気持ちが分かっている。だからそんな甘い提案をしてきたんだ。じゃなきゃ、俺の女にしてやろうかなんて簡単に言わない。言わないでほしい。次の穴埋めが誰でも良かったなんて、思いたくない。心の中でそう言い聞かせていた。嬉しいはずなのに手放しで喜べない。なのに不安よりも憧れが勝る。期待と好奇心が全てを盲目にさせる。
断る理由が見つからなかった。
「よろしくお願いします」
夢みたいな展開になってしまった。跡部景吾の彼女になった。死ぬまでないだろうと思っていた呼称を手にした。少しは話をする程度の間柄だったのが、こんなに近い距離へと変化した。いろいろ噂を聞いてたのに気持ちは抑えられなかった。分かっているのに。断れなかった。逆らえなかったという表現のほうが正しいのかもしれない。好きな人に、そんな目と声で見つめられ囁かれれば堕ちるしかない。相手が跡部なら尚更だ。琴璃も例外じゃなかった。差し出された彼の手を取らない理由が見つからなかった。だって本当に好きだったから。憧れだろうが遠い存在に思えていようが、ずっと、影から彼のことを見つめていたから。
けれどそれから1ヶ月と経たないうちに。
よろしくと言ったあの時と真逆の言葉を琴璃は跡部に告げた。ごめんなさい。拒否の言葉を言って跡部から離れた。やっぱり、無理だった。
跡部は琴璃を責めなかった。というか琴璃が一方的に終わらせた。やっぱり無理ですごめんなさい。ひと息に言った後に彼の前から逃げ出した。冬の寒い日だった。
琴璃は1人残って生徒会室で資料を束ねていた。コピーしたものをホチキス止めする作業。黙々と、十数人分のものを作り上げてゆく。こんなものは本来なら1年にふればいいものだ。きっと、跡部が見たならそう言うと思う。
「そんなものは1年にやらせろ」
扉が開いて現れたのは跡部だった。帰ったと思ったのに。
「跡部くん。あれ、部活は」
「今日はもともとオフだ」
「あ、そうなんだ」
ここを出て行ったのは、テニス部顧問や教頭に用事があったからだった。それを聞いて琴璃は、この人は常に忙しい人なんだな、と思ってしまう。
「にしてもお前はいつもそういう役回りだな。何だ、誰かに押し付けられてるのか?」
「そんな、違うよちゃんと自分の意志だよ。だから平気」
「もう少し周りの人間を使うことを覚えたらどうだ」
使う、という表現が彼らしいなと思った。跡部にとって
「でも、1人で終わる作業だし。こんなことで呼びつけるのも悪いし」
「どこまでもお人好しな女だぜ」
「あはは、ありがとう」
「別に褒めるつもりで言ったわけじゃねぇんだがな」
「え、そうなの?」
「あぁ」
そう言って琴璃のほうへ近付いてくる。ぼーっと見ていたら目の前に立たれた。琴璃を通り過ぎてパソコンのほうへ行くのかと思ったのに。思ったよりも直ぐ目の前で、近い。
「人が良すぎてすぐに騙されそうだっつってんだよ」
「あたっ」
額を小突かれた。全然痛くはないけど、反射的に痛いと言ってしまう。
「それで?あとどれくらいかかるんだ」
「あ、もうこれで全部です。ちょうど終わったとこなの」
「なら、帰るぞ」
窓の向こうは雨が降っていた。冬の冷たい雨。天気が悪いせいもあって空の色は暗い。作業に没頭していたせいか琴璃は今初めてそのことに気がついた。
「あれ、でも、跡部くんは何か用があって戻って来たんじゃないの?」
「別に。向かいの棟からここの灯りが点いてるのが見えた。ま、職員室にここの鍵が返されてなかったからまだお前が残っているのは予想できたがな」
「え、そうだったの。なんかわざわざごめんね」
熱心に残るような人種は、悲しいかな今の生徒会にはほぼ居なかった。会長である跡部が何でも手掛けてしまうというのもある。ただ、彼はこんな雑用作業はしない。そういう部分を補うのが下につく者達だと思っている。なのにいつまで経ってもやるのは琴璃。1年の時からずっとそうだった。きっと言えば後輩達は手伝ってくれるけれど、呼び集めてするほどの作業でもないから結局いつまでもこのままだ。
鍵を戻し、昇降口に着く頃には辺りはいっそう暗くなってしまった。冬らしくこの短時間で一気に夜になってしまう。生徒会室の窓から見た時と変わらず、外は細かな雨が降っている。もうほとんどの生徒は下校してしまった。暗くて静かで寒い。1人だったら少し心細いと感じていたかもしれない。
「跡部くん、傘は?」
「俺様がそんなものを持ち歩いていると思うか?」
「……あんまり想像できない」
「そうだろう」
ならば琴璃のとる行動は必然的に決まる。そこまで強い雨じゃない。これくらいなら、傘をささない選択をする人もいるくらいの霧に近い雨。でもこの人を雨晒しにさせるのは何となく許されないなと思って、聞いた。
「あの、良かったら入る?」
「そうしてもらえると有難いな」
言われるのを予想していたようで跡部は即答する。隣で琴璃は傘を開く。自分で聞いたくせに傘を広げる時の手が緊張していた。
「どうぞ」
「どうも」
跡部はニッと笑って少し屈んできた。身長の差を実感する。いつもより高くさして静かに降る雨の中を並んで歩く。不思議な感覚だった。正門に彼の迎えの車が待っているらしく、そこまで一緒に歩くことになった。
「今朝の天気予報で、もしかしたら雪になるかもって言ってたよ」
「確かにこの寒さじゃ降るかもな」
「跡部くんは?雪は好き?」
「好きでも嫌いでもない」
「そ、そっか」
琴璃の傘は特別大きいものではない。ごく普通の1人用のサイズ。密着しないと濡れてしまう。
「もう少し、上だ」
「あ、ごめん。このへんかな」
「貸せ。俺が持つ」
そう言って跡部は琴璃の手から傘の柄を取り上げる。仄かに香る彼の纏う香水。どきりとした。今更だけどこんなにも近い。同じ傘に入っているのだから当たり前なのだが。別に、彼と相合傘をしたいという下心なんかは1ミリもなかった。でも流石に相手が跡部景吾では緊張する。ここまで意識してなかったのに、気になりだすと途端に心が騒がしくなる。沈黙を作りたくなくて何か話そうと思った。何か、天気のような世間話を。なのに口をついて出たのはまるで正反対の言葉だった。
「こうやって雨の日は同じ傘に入れるから、跡部くんの彼女は幸せだろうな」
変なことを言っているのだと自覚するのに数秒のタイムラグがあった。言ってしまってから気まずさを感じる。
「なら、なるか?」
「え?」
「お前を俺の女にしてやるよ」
冗談だと思った。思わず隣を見る。淡い水色の傘を持つ跡部が微笑んでいる。上からの物の言い方なのに笑い方は優しかった。琴璃はその場で立ち止まってしまった。同じように、跡部も止まる。
「どうした。お前はそれを望んでいたんじゃねぇのか?」
問いかけられてようやく琴璃はハッとした。信じられない、という感情が圧倒的に大きすぎて、嬉しさとか喜びなんてものは呑み込まれてしまっていた。跡部くんの彼女に、私が。頭の中はなんで、どうして、とかそういうことばかりで埋め尽くされていた。冗談だよね。きっとこれは彼の気まぐれみたいなものだ。
彼のことは好きだけど、正直、琴璃は見つめているだけで良かった。自分の気持ちを伝えるつもりははじめから無かった。琴璃の持つ跡部への“好き”は、恋愛感情もあるけど憧れに近いようなものもあった。だから跡部と付き合うとか、そんなのは夢のまた夢で考えたこともなかった。こんな時に、なんとなく知っていた彼の恋愛遍歴を思い出す。あれが本当のことなら自信がない。だから、勇気が出なかったのも事実。
きっと彼には私の気持ちが分かっている。だからそんな甘い提案をしてきたんだ。じゃなきゃ、俺の女にしてやろうかなんて簡単に言わない。言わないでほしい。次の穴埋めが誰でも良かったなんて、思いたくない。心の中でそう言い聞かせていた。嬉しいはずなのに手放しで喜べない。なのに不安よりも憧れが勝る。期待と好奇心が全てを盲目にさせる。
断る理由が見つからなかった。
「よろしくお願いします」
夢みたいな展開になってしまった。跡部景吾の彼女になった。死ぬまでないだろうと思っていた呼称を手にした。少しは話をする程度の間柄だったのが、こんなに近い距離へと変化した。いろいろ噂を聞いてたのに気持ちは抑えられなかった。分かっているのに。断れなかった。逆らえなかったという表現のほうが正しいのかもしれない。好きな人に、そんな目と声で見つめられ囁かれれば堕ちるしかない。相手が跡部なら尚更だ。琴璃も例外じゃなかった。差し出された彼の手を取らない理由が見つからなかった。だって本当に好きだったから。憧れだろうが遠い存在に思えていようが、ずっと、影から彼のことを見つめていたから。
けれどそれから1ヶ月と経たないうちに。
よろしくと言ったあの時と真逆の言葉を琴璃は跡部に告げた。ごめんなさい。拒否の言葉を言って跡部から離れた。やっぱり、無理だった。
跡部は琴璃を責めなかった。というか琴璃が一方的に終わらせた。やっぱり無理ですごめんなさい。ひと息に言った後に彼の前から逃げ出した。冬の寒い日だった。