No waltz without you.
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最後の日は実にあっけなく過ぎた。
琴璃は空港まで見送りに行くつもりだったのだが、それを跡部に断られた。結局その日は、いつも通り大学へ行ったのだった。最初は寂しい気持ちになったけれど、時間が経つとほっとしたのが本音だった。
きっと最初から彼には見抜かれていた。琴璃が見送りに来たら余計に寂しさを感じてしまうだろうから、来ることを拒否したんだと思う。仮にもし行ったとして、残された自分1人で空港から帰れる自信が無かった。きっと、心がぽっかり空いたままになってしまっていた気がする。今も、少なからずそうだけど。
最後に会った日に、跡部から「好きな時に使っていい」と差し出されたマンションのカードキーを差し出された。けれど琴璃は受け取らなかった。あの部屋は自分にとっては広すぎる。彼が居なくなったら尚更そう感じるだろう。本人が居ないあの部屋で、彼の香りに包まれるのはかなり気持ちに堪える。寂しさだって余計に膨張するし、毎日眠れなくなる気がする。だから断った。本当は、まだ付き合っていなかった頃バイトとして部屋の掃除を請負っていた時みたく、たまにそうしてあげたかった。だけどそれすらきっと、琴璃にはつらくてしょうがなくて。そんな心の内の全てを説明しなくとも跡部は分かってくれた。彼は「家のヤツに頼むから心配するな」とだけ言って琴璃の頭に手をおいた。
日頃から琴璃は自分のほうからは殆ど連絡をとろうとしなかった。跡部からは遠慮をするなと言われていたけど、いつも心のどこかで踏みとどまってしまう自分がいた。結局その気持ちが最後の最後まで居座ってしまって、甘えのひとつも言えなかった。最後のほうは無理して笑っていたことは、跡部にはとっくに見透かされていたと思う。彼にはもう自分のことは何でもお見通しなんだ。どれだけ寂しくて、好きなのかも。
しっかりしなくちゃ。1年なんて、きっとすぐだから。また会える時には、自分はもう学生じゃなくて社会人になっているのだから。その時には、少しは大人になったと思われたい。子ども扱いはされなくなったけど、まだまだ甘やかされているふうに感じるから。
「だから……がんばらなきゃ」
跡部と離れてからは、琴璃は大学の授業とバイトをどんどん入れた。もう卒業までの単位は足りているのに講義やゼミを増やしてみたりした。バイトもほぼ毎日のように行ったし友達ともなるべく会うようにした。とにかく頭の中が1人にならないように心掛けた。気を抜いたら、やっぱり寂しい気持ちに呑まれてしまうから。忙しくしていればそれが紛れる。少なくとも、あと1年間はそんなふうにやっていくしかない。
そんな今日も朝からバイトを入れていた。シフトは午前中のみで昼過ぎからは大学に向かう予定だった。店の中で早朝に店長が仕入れてきた花の水揚げ作業をしていた時だった。
「すいませーん」
扉が開いて1人の青年が入ってきた。
「花束を作ってほしいんですけど」
「かしこまりました。ご用途をお聞きしてもいいですか?」
「ようと?うーんとね、どうしよっかなぁ……説明するの難しいんだけど」
「お祝い事ですとかお見舞いですとか、そんな感じで大丈夫ですよ」
「あーそゆこと。じゃ、お祝いだ」
「お祝いですね。どんなイメージのものがよろしいですか?」
琴璃の質問に固まる青年。花束に対してイメージを求められても、慣れてない人間からしたら言葉にするのは難しい。小首をかしげて琴璃を見つめ返してきた。
「たとえば……その方は女性ですか?」
「うん」
「その方ってどんな色が似合いそうですか?」
「えっとねぇ……紫とかかな。緑も似合いそう。あ、でも緑の花なんかないか」
「グリーンを入れるのとてもいいと思います。紫とも相性いいですし。大人っぽい方の印象になりそうです」
「あー、それいいね。あの人俺より40近く上だから」
「そうなんですか」
「還暦で退職しちゃうの。だからそのお祝いにあげたいんだ。今までお疲れ様ーって気持ちと一緒にね」
彼は少しはにかんで言った。表情から、相手が大切な存在なのが伝わってくる。
「素敵ですね」
彼のイメージを聞きながら1本ずつ生花を選んでゆく。主役はラベンダーカラーの大きなトルコキキョウにした。薔薇やカーネーションも同系色でまとめ、他にリーフも束ねて、少し大人な雰囲気な花束が出来上がった。
「わお。すごいね」
「こんな感じで……いかがでしょうか」
「ばっちり!ありがとねー。なんかさ、俺、花なんて買いに来たことなかったから、どう注文していいか分かんなかったんだ。でも、キミがいろいろ聞いてくれたから助かったよ」
「そんなことないですよ。お話からすごく気持ちが伝わってきましたから、こちらも選びやすかったです」
「んーん。キミの聞き出し方が上手なんだよ。雰囲気が優しいもん」
「……ありがとうございます」
会計後、青年は満足そうに笑って店から出て行った。抱える花束に向ける目が、とても優しくて温かかかった。誰かの役に立てるとそれだけで嬉しくなる。彼の背を見送りながら琴璃は仕事に戻った。
「やっぱりそうだ!」
「へっ」
昼過ぎから大学へ行き、講義を1つ受けて館内の廊下を歩いている時だった。突然背後から声がかかる。最初は琴璃にかけられたものだとは分からず歩き続けていたが、視界に誰かが飛び込んできた。
「花屋さんの子でしょ。今朝、俺が買いに行ったら相手してくれた」
「……あ」
ふわふわの髪型が印象的だったから琴璃はすぐに思い出した。彼はにっこり笑うと琴璃の真正面に立った。
「どうしてこんなところに?ここの生徒ってことですか?」
「へへ、そう見える?嬉しいなぁ。でもね、俺キミより年上。もう卒業してるんだー。OBってやつ」
「なるほど!」
彼はまた歯を見せて笑う。
「キミは?氷帝 の学生なの?」
「あ、はい。今4年です」
「そっかそっか。いやー、世界って狭いもんだね。今日の今日にまた会えるなんて」
「ですね。私もびっくりしました」
「キミのお陰であの花束すっごく喜んでもらえたよ。あれ贈った人、俺がここに在籍してた時のゼミの先生でさ。めちゃくちゃ迷惑かけまくったんだよねぇ。で、その先生が次の誕生日で定年退職するんだって聞いて」
「それで花束を贈ったんですね」
「そ。今日さ、すっげー久しぶりに会いに行ったらめちゃくちゃ喜んでくれた。お花も感動してくれて、今の今までずーっと話してたんだ。涙まで流してくれてさ。全部キミのおかげ。ありがとね」
「い、いえ、そんな私は別に」
「先生、お花見ながら『センスいいわね』って言ってたよ」
言いながら琴璃にウインクをする青年。若々しくて、先輩というよりかは友人みたいな感覚になった。彼のことを何も知らないけれど、感謝されたことに琴璃は嬉しくなった。「ありがとうございます」と、少し畏まりつつも青年に向って頭を下げた。
「……んー?」
「え?」
「なんか……知ってるなぁ、この匂い」
不意に、彼がぶつぶつ言いながら琴璃に近寄ってくる。もう隙間などないくらいに体を近づけてきた。琴璃が何だろうと思っているうちに、今度はまるで犬みたいに鼻をひくひくさせ顔を近づけてくる。
「あ、あの……」
困っている琴璃を余所に、彼は琴璃の耳元のほうに鼻を近づけ匂いをかいだ。そして、
「…………あとべぇ?」
「え」
「やっぱそうだ。これ、俺の友達の香水とおんなじ匂い。すげーいい匂いだからどこで売ってるか聞いたら、たしかオーダーメードとか言ってた。それがなんでキミからするの?」
今朝の花屋での時みたいに、彼は小首を傾げて琴璃に問う。琴璃は何も答えられなかった。頭が働かなくなったからだ。ただ間抜けに、口を半開きにして突っ立っているのみだった。
「え?……どしたの?だいじょぶ?」
「え、あ……?すいません」
彼に言われて琴璃は我に返る。自分が泣いていることにようやく気付いた。
「……びっくりした」
「それ俺のセリフだよー、ほんとに大丈夫?」
「はい。いきなりすみませんでした」
慌ててハンカチを取り出して頬を拭う。こんなはずじゃなかった。まさかこんな、他人の前でいきなり泣き出すとは。でもまさか、目の前の人が跡部の名を言うとは思わなかった。意図せぬ展開と、不意に襲ってきた寂しさが琴璃の涙を誘ったのだった。青年はまだ心配そうに琴璃の顔を覗き込んでいたが、「そうだ」と閃いたように言うと、
「ねえ。まだ時間、ある?」
「え……あります、けど」
「じゃさ、どっか座って話せるとこ行かない?ここのラウンジとか。どっか別の店でもいーよ。キミに聞きたいこととかあるし。ね?」
「はい……」
「もしかして、俺のこと警戒してる?」
「いえ、そうじゃなくて……あの、なんで」
戸惑う琴璃に向かって、彼は最初のようににかっと笑ってみせた。
「心配しなくていいよ。俺、あとべの友達だから。芥川ジローっていうの。よろしくね」
琴璃は空港まで見送りに行くつもりだったのだが、それを跡部に断られた。結局その日は、いつも通り大学へ行ったのだった。最初は寂しい気持ちになったけれど、時間が経つとほっとしたのが本音だった。
きっと最初から彼には見抜かれていた。琴璃が見送りに来たら余計に寂しさを感じてしまうだろうから、来ることを拒否したんだと思う。仮にもし行ったとして、残された自分1人で空港から帰れる自信が無かった。きっと、心がぽっかり空いたままになってしまっていた気がする。今も、少なからずそうだけど。
最後に会った日に、跡部から「好きな時に使っていい」と差し出されたマンションのカードキーを差し出された。けれど琴璃は受け取らなかった。あの部屋は自分にとっては広すぎる。彼が居なくなったら尚更そう感じるだろう。本人が居ないあの部屋で、彼の香りに包まれるのはかなり気持ちに堪える。寂しさだって余計に膨張するし、毎日眠れなくなる気がする。だから断った。本当は、まだ付き合っていなかった頃バイトとして部屋の掃除を請負っていた時みたく、たまにそうしてあげたかった。だけどそれすらきっと、琴璃にはつらくてしょうがなくて。そんな心の内の全てを説明しなくとも跡部は分かってくれた。彼は「家のヤツに頼むから心配するな」とだけ言って琴璃の頭に手をおいた。
日頃から琴璃は自分のほうからは殆ど連絡をとろうとしなかった。跡部からは遠慮をするなと言われていたけど、いつも心のどこかで踏みとどまってしまう自分がいた。結局その気持ちが最後の最後まで居座ってしまって、甘えのひとつも言えなかった。最後のほうは無理して笑っていたことは、跡部にはとっくに見透かされていたと思う。彼にはもう自分のことは何でもお見通しなんだ。どれだけ寂しくて、好きなのかも。
しっかりしなくちゃ。1年なんて、きっとすぐだから。また会える時には、自分はもう学生じゃなくて社会人になっているのだから。その時には、少しは大人になったと思われたい。子ども扱いはされなくなったけど、まだまだ甘やかされているふうに感じるから。
「だから……がんばらなきゃ」
跡部と離れてからは、琴璃は大学の授業とバイトをどんどん入れた。もう卒業までの単位は足りているのに講義やゼミを増やしてみたりした。バイトもほぼ毎日のように行ったし友達ともなるべく会うようにした。とにかく頭の中が1人にならないように心掛けた。気を抜いたら、やっぱり寂しい気持ちに呑まれてしまうから。忙しくしていればそれが紛れる。少なくとも、あと1年間はそんなふうにやっていくしかない。
そんな今日も朝からバイトを入れていた。シフトは午前中のみで昼過ぎからは大学に向かう予定だった。店の中で早朝に店長が仕入れてきた花の水揚げ作業をしていた時だった。
「すいませーん」
扉が開いて1人の青年が入ってきた。
「花束を作ってほしいんですけど」
「かしこまりました。ご用途をお聞きしてもいいですか?」
「ようと?うーんとね、どうしよっかなぁ……説明するの難しいんだけど」
「お祝い事ですとかお見舞いですとか、そんな感じで大丈夫ですよ」
「あーそゆこと。じゃ、お祝いだ」
「お祝いですね。どんなイメージのものがよろしいですか?」
琴璃の質問に固まる青年。花束に対してイメージを求められても、慣れてない人間からしたら言葉にするのは難しい。小首をかしげて琴璃を見つめ返してきた。
「たとえば……その方は女性ですか?」
「うん」
「その方ってどんな色が似合いそうですか?」
「えっとねぇ……紫とかかな。緑も似合いそう。あ、でも緑の花なんかないか」
「グリーンを入れるのとてもいいと思います。紫とも相性いいですし。大人っぽい方の印象になりそうです」
「あー、それいいね。あの人俺より40近く上だから」
「そうなんですか」
「還暦で退職しちゃうの。だからそのお祝いにあげたいんだ。今までお疲れ様ーって気持ちと一緒にね」
彼は少しはにかんで言った。表情から、相手が大切な存在なのが伝わってくる。
「素敵ですね」
彼のイメージを聞きながら1本ずつ生花を選んでゆく。主役はラベンダーカラーの大きなトルコキキョウにした。薔薇やカーネーションも同系色でまとめ、他にリーフも束ねて、少し大人な雰囲気な花束が出来上がった。
「わお。すごいね」
「こんな感じで……いかがでしょうか」
「ばっちり!ありがとねー。なんかさ、俺、花なんて買いに来たことなかったから、どう注文していいか分かんなかったんだ。でも、キミがいろいろ聞いてくれたから助かったよ」
「そんなことないですよ。お話からすごく気持ちが伝わってきましたから、こちらも選びやすかったです」
「んーん。キミの聞き出し方が上手なんだよ。雰囲気が優しいもん」
「……ありがとうございます」
会計後、青年は満足そうに笑って店から出て行った。抱える花束に向ける目が、とても優しくて温かかかった。誰かの役に立てるとそれだけで嬉しくなる。彼の背を見送りながら琴璃は仕事に戻った。
「やっぱりそうだ!」
「へっ」
昼過ぎから大学へ行き、講義を1つ受けて館内の廊下を歩いている時だった。突然背後から声がかかる。最初は琴璃にかけられたものだとは分からず歩き続けていたが、視界に誰かが飛び込んできた。
「花屋さんの子でしょ。今朝、俺が買いに行ったら相手してくれた」
「……あ」
ふわふわの髪型が印象的だったから琴璃はすぐに思い出した。彼はにっこり笑うと琴璃の真正面に立った。
「どうしてこんなところに?ここの生徒ってことですか?」
「へへ、そう見える?嬉しいなぁ。でもね、俺キミより年上。もう卒業してるんだー。OBってやつ」
「なるほど!」
彼はまた歯を見せて笑う。
「キミは?
「あ、はい。今4年です」
「そっかそっか。いやー、世界って狭いもんだね。今日の今日にまた会えるなんて」
「ですね。私もびっくりしました」
「キミのお陰であの花束すっごく喜んでもらえたよ。あれ贈った人、俺がここに在籍してた時のゼミの先生でさ。めちゃくちゃ迷惑かけまくったんだよねぇ。で、その先生が次の誕生日で定年退職するんだって聞いて」
「それで花束を贈ったんですね」
「そ。今日さ、すっげー久しぶりに会いに行ったらめちゃくちゃ喜んでくれた。お花も感動してくれて、今の今までずーっと話してたんだ。涙まで流してくれてさ。全部キミのおかげ。ありがとね」
「い、いえ、そんな私は別に」
「先生、お花見ながら『センスいいわね』って言ってたよ」
言いながら琴璃にウインクをする青年。若々しくて、先輩というよりかは友人みたいな感覚になった。彼のことを何も知らないけれど、感謝されたことに琴璃は嬉しくなった。「ありがとうございます」と、少し畏まりつつも青年に向って頭を下げた。
「……んー?」
「え?」
「なんか……知ってるなぁ、この匂い」
不意に、彼がぶつぶつ言いながら琴璃に近寄ってくる。もう隙間などないくらいに体を近づけてきた。琴璃が何だろうと思っているうちに、今度はまるで犬みたいに鼻をひくひくさせ顔を近づけてくる。
「あ、あの……」
困っている琴璃を余所に、彼は琴璃の耳元のほうに鼻を近づけ匂いをかいだ。そして、
「…………あとべぇ?」
「え」
「やっぱそうだ。これ、俺の友達の香水とおんなじ匂い。すげーいい匂いだからどこで売ってるか聞いたら、たしかオーダーメードとか言ってた。それがなんでキミからするの?」
今朝の花屋での時みたいに、彼は小首を傾げて琴璃に問う。琴璃は何も答えられなかった。頭が働かなくなったからだ。ただ間抜けに、口を半開きにして突っ立っているのみだった。
「え?……どしたの?だいじょぶ?」
「え、あ……?すいません」
彼に言われて琴璃は我に返る。自分が泣いていることにようやく気付いた。
「……びっくりした」
「それ俺のセリフだよー、ほんとに大丈夫?」
「はい。いきなりすみませんでした」
慌ててハンカチを取り出して頬を拭う。こんなはずじゃなかった。まさかこんな、他人の前でいきなり泣き出すとは。でもまさか、目の前の人が跡部の名を言うとは思わなかった。意図せぬ展開と、不意に襲ってきた寂しさが琴璃の涙を誘ったのだった。青年はまだ心配そうに琴璃の顔を覗き込んでいたが、「そうだ」と閃いたように言うと、
「ねえ。まだ時間、ある?」
「え……あります、けど」
「じゃさ、どっか座って話せるとこ行かない?ここのラウンジとか。どっか別の店でもいーよ。キミに聞きたいこととかあるし。ね?」
「はい……」
「もしかして、俺のこと警戒してる?」
「いえ、そうじゃなくて……あの、なんで」
戸惑う琴璃に向かって、彼は最初のようににかっと笑ってみせた。
「心配しなくていいよ。俺、あとべの友達だから。芥川ジローっていうの。よろしくね」