No waltz without you.
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忍足の手さばきに琴璃は「さすがです!」と感嘆しながら終始目を輝かせていた。
「ま、関西人ならこれくらいできんとアカンからな」
関西人の血が騒ぐのだろうか。琴璃から称賛されるたびに過度なパフォーマンスをする忍足。あんなに高い位置からかつおぶしをふりかける必要などないということくらい、跡部でも分かった。大人3人でタコ焼きプレートを囲みながら過ごす夜。間違いなく、跡部にとってこれまで歩んだ人生の中で初体験に当たる。不思議で新鮮な感覚だった。
「次の給料出たら洗濯機新しいの買おうと思ってん」
「もしかしてCMでよく見るやつですか?静かでエコで見た目もかっこいいやつ」
「それそれ。あれ、めっちゃええよなぁ。けど、ひくほど高いんやろなぁ」
琴璃も忍足も互いに一人暮らしなので、自然とそういった話題に花が咲く。跡部も1人で住んでいるが、生活らしい生活をあまりあの部屋で送っていない。部屋干しの悩みだとか、水回りの掃除頻度だとか可燃ごみの日がどうとか。跡部にとっては専門外もいいとこな分野である。
「最新のモデルってすごい値段しますよね」
「せやから俺は、いつも1こ型落ちのを買うんやけどな。性能も最新と比べてそんなに大きく変わらへんし」
「なるほど」
ピックでプレートの中のタコ焼きを突きながら、そんな話を延々と繰り広げている2人。生活感のある話題を絶えずしていて楽しいものなのか。跡部はタコ焼きも焼けなければ家電について語ることもできない。完全に蚊帳の外扱いだが、別に不満というわけではなかった。琴璃が楽しそうなら何でもいい。真剣に、でも楽し気に忍足の話に耳を傾けている。時折、跡部に気を遣ってか「景ちゃんもそうですか?」とか話題を振ってくるのだが、何が“そう”なのかよく分からなかったから、ひたすら「さぁな」とだけ返した。
結局忍足は2時間ほど滞在し、電車で帰るからいいと言って1人で帰っていった。言わずもがな、跡部に気を遣ってくれたのだ。
「忍足さん、素敵な人でしたね」
ご機嫌な様子で琴璃は食器類を棚にしまってゆく。跡部は、これほどまでに2人が息が合うとは正直思っていなかった。琴璃の愛嬌と忍足の関西魂の化学反応というわけでもないが、とにかく洗濯機についてあんなに語りあえるのは、波長が合うということなのだろう。
「思い出したんですけど、景ちゃんのおうちにある洗濯機。多分あれ忍足さんが欲しがってた新しいタイプのやつですよ!」
「そうなのか」
マンションにある洗濯機など、これまで一度も使ったことがない。あの部屋に住まうと決めた時、跡部家の者が生活に必要な家電一式を設置したわけだが、結局のところ衣服は全てクリーニングに出してしまうから洗濯機の必要性など皆無に等しい。洗濯なんて家事はもしかしたらこの先、一生やらないのかもしれない。
「使わなきゃもったいないですよ」
すごくいいやつなのに、と笑いながら琴璃が言う。けれど、少なくともこの先あと1年は使わないだろう。その話をする時がとうとうきてしまった。先ほど忍足に催促されたからというわけではないが、もう、この先あまりこんなふうに琴璃とゆっくりと時間を共有できるか怪しかった。
「琴璃」
呼ばれた彼女はご機嫌な顔で跡部のほうへ振り向く。その笑顔を見て、最後の最後まで揺らいだ。だけどもうこれ以上は先延ばしにできない。
「来週からまた出張になった」
恋人関係になってからもしょっちゅう海外出張はあった。月に1度ないし2度は必ず存在した。それらは大抵1週間くらいの期間であったけれど、今回のは今までのと少し状況が違う。だからこんなにも言うことをためらっていたのだ。
自分に向けられた円らな瞳を冷静に見返しながら、跡部は言った。
「今回はいつもよりも期間が長い。戻ってくるまで、早くても1年かかる」
”早くても”の枕詞の重みを、こうして自分で口にして再確認する。向こうでの仕事がどんなにスムーズにいったとしても1年間は離れ離れ。その期間が最低ラインであって、当然ながら1年よりも伸びる可能性は大いにあり得るのだ。
跡部の言葉を聞いて、琴璃から笑顔が消えてゆく。瞳がわずかに動揺の色を見せていた。折角ご機嫌な彼女だったのに。こんなふうに水を挿す話なんて本当はしたくなかった。けれど時間はどうしたって止められない。誰にでも平等に与えられ、過ぎてゆく。この長期出張が決定してから暫く時間はあったのに、気づけば来週には日本を発つという現実。琴璃に告げるタイムリミットは、もう今日を逃したらないかもしれない。だから、こんな時だけど言うことにしたのだ。
「そっかぁ」
しんとした部屋の中で琴璃の声が響く。でもそれは消え入りそうに小さかった。それだけ言ったきり琴璃は黙ってしまった。数十秒前とは180度変わってしまった表情で。言葉を探しているのか茫然としているのか、口を少し開けて微動だにせず胸元で手を握っている。片手には包帯が巻かれていた。先ほど忍足に手当てされたもの。その包帯の白が、やけに跡部の目に染みた。
沈黙がひどく長く感じた。だがやがて、琴璃はふぅと溜息のようなものを吐くと口を開いた。
「お仕事、とっても大変なんですね。体調には気を付けてくださいね」
そう言って無理矢理に笑顔を作るから、跡部はもう我慢ができなかった。琴璃の手を引っ張り胸の中に閉じ込めた。あまり味わうことのない、罪悪感にも似た感情が湧き出てくる。小さなこのリビングの部屋で寂しい空気が膨張してゆく。至極居心地が悪かった。
いつの間にか、こんなにも強がりを覚えさせてしまった。今寂しいかと跡部が問えば琴璃はなんと答えるのだろうか。お前は1年も会えなくても耐えられるのか。そんな愚問を投げかけたらきっと、彼女はもろくも崩れてしまうだろう。お前の強さなんて、そんなに強固なものじゃない。そんなことくらい知っている。
けれど、それでも彼女は言わないだろう。”寂しい”だなんて言葉は。言ってもしょうがない。言ったところで何が変わるわけでもない。それはただの我儘で跡部の負担になるだけだから。琴璃はそうやって、いつも割り切っている。だから自分の思いを言わない。世話のかからない、実に聞き分けのいい女だ。少し前の、琴璃と出会う前の跡部ならきっとそう思っただろう。だけど琴璃と出会って、彼女と様々な係わりをして、ただの“情”が愛に変わった時、跡部はそんなふうには考えられなくなっていた。今みたいにすぐに抱きしめられなくなる未来が、こんなにも受容できない。何も喋らずただただ彼女の身体を強く抱きしめた。今ここにいることを確かめるかのように。すると琴璃は僅かに身じろぎ両腕をそっと跡部の背にまわしてきた。それだけで跡部の心は少し救われた。
「私、だいじょうぶですから」
それでいて、こういう時に平気で見え見えな嘘をつく。いじらしい女だと思う。跡部は何も言わず琴璃の肩口に顔をうずめた。どんな言葉を投げかけたとしても、今は何の役にも立たない気がした。
琴璃はいつも跡部の出張に関して深いことまで詮索してこない。跡部の仕事に興味がないというよりも、忙しいのを理解しているからという理由で余計な口を挟んだりしない。冗談でも寂しいとすら言ってこない。表情や声には寂しい気持ちがありありと出ているのに。余計なことを言って跡部を困らせたくないと考えているに違いない。自分は口を出す身分ではないとでも思っているのか。――馬鹿馬鹿しい。身分ってなんだと思った。
本当は、甘えていいし我儘だって言ったって構わない。琴璃が発する“さびしい”なんて我儘のうちに入らない。それでも、やっぱり彼女は弱音や不安を頑なに言おうとはしないだろう。今もそうやって、自分の気持ちを押し殺してでも、明るく送り出そうという選択を選んだのだ。その寂しさを跡部に見透かされてると分かっていても。きっと彼女は最後まで寂しいだなんて言わないのだ。
「今日は、ここに泊まる」
「え……」
「こんなお前を1人にさせられるか」
跡部の腕の中で琴璃は俯く。やがて細い方が小さく震えだした。泣いてるんだと分かった。跡部は抱きしめる腕に力を込めた。何も言葉をかけなかったけれど、彼女の気が済むまで抱擁を解かなかった。せめて一緒にいる今この瞬間だけでも、彼女の寂しさが和らぐように。
「ま、関西人ならこれくらいできんとアカンからな」
関西人の血が騒ぐのだろうか。琴璃から称賛されるたびに過度なパフォーマンスをする忍足。あんなに高い位置からかつおぶしをふりかける必要などないということくらい、跡部でも分かった。大人3人でタコ焼きプレートを囲みながら過ごす夜。間違いなく、跡部にとってこれまで歩んだ人生の中で初体験に当たる。不思議で新鮮な感覚だった。
「次の給料出たら洗濯機新しいの買おうと思ってん」
「もしかしてCMでよく見るやつですか?静かでエコで見た目もかっこいいやつ」
「それそれ。あれ、めっちゃええよなぁ。けど、ひくほど高いんやろなぁ」
琴璃も忍足も互いに一人暮らしなので、自然とそういった話題に花が咲く。跡部も1人で住んでいるが、生活らしい生活をあまりあの部屋で送っていない。部屋干しの悩みだとか、水回りの掃除頻度だとか可燃ごみの日がどうとか。跡部にとっては専門外もいいとこな分野である。
「最新のモデルってすごい値段しますよね」
「せやから俺は、いつも1こ型落ちのを買うんやけどな。性能も最新と比べてそんなに大きく変わらへんし」
「なるほど」
ピックでプレートの中のタコ焼きを突きながら、そんな話を延々と繰り広げている2人。生活感のある話題を絶えずしていて楽しいものなのか。跡部はタコ焼きも焼けなければ家電について語ることもできない。完全に蚊帳の外扱いだが、別に不満というわけではなかった。琴璃が楽しそうなら何でもいい。真剣に、でも楽し気に忍足の話に耳を傾けている。時折、跡部に気を遣ってか「景ちゃんもそうですか?」とか話題を振ってくるのだが、何が“そう”なのかよく分からなかったから、ひたすら「さぁな」とだけ返した。
結局忍足は2時間ほど滞在し、電車で帰るからいいと言って1人で帰っていった。言わずもがな、跡部に気を遣ってくれたのだ。
「忍足さん、素敵な人でしたね」
ご機嫌な様子で琴璃は食器類を棚にしまってゆく。跡部は、これほどまでに2人が息が合うとは正直思っていなかった。琴璃の愛嬌と忍足の関西魂の化学反応というわけでもないが、とにかく洗濯機についてあんなに語りあえるのは、波長が合うということなのだろう。
「思い出したんですけど、景ちゃんのおうちにある洗濯機。多分あれ忍足さんが欲しがってた新しいタイプのやつですよ!」
「そうなのか」
マンションにある洗濯機など、これまで一度も使ったことがない。あの部屋に住まうと決めた時、跡部家の者が生活に必要な家電一式を設置したわけだが、結局のところ衣服は全てクリーニングに出してしまうから洗濯機の必要性など皆無に等しい。洗濯なんて家事はもしかしたらこの先、一生やらないのかもしれない。
「使わなきゃもったいないですよ」
すごくいいやつなのに、と笑いながら琴璃が言う。けれど、少なくともこの先あと1年は使わないだろう。その話をする時がとうとうきてしまった。先ほど忍足に催促されたからというわけではないが、もう、この先あまりこんなふうに琴璃とゆっくりと時間を共有できるか怪しかった。
「琴璃」
呼ばれた彼女はご機嫌な顔で跡部のほうへ振り向く。その笑顔を見て、最後の最後まで揺らいだ。だけどもうこれ以上は先延ばしにできない。
「来週からまた出張になった」
恋人関係になってからもしょっちゅう海外出張はあった。月に1度ないし2度は必ず存在した。それらは大抵1週間くらいの期間であったけれど、今回のは今までのと少し状況が違う。だからこんなにも言うことをためらっていたのだ。
自分に向けられた円らな瞳を冷静に見返しながら、跡部は言った。
「今回はいつもよりも期間が長い。戻ってくるまで、早くても1年かかる」
”早くても”の枕詞の重みを、こうして自分で口にして再確認する。向こうでの仕事がどんなにスムーズにいったとしても1年間は離れ離れ。その期間が最低ラインであって、当然ながら1年よりも伸びる可能性は大いにあり得るのだ。
跡部の言葉を聞いて、琴璃から笑顔が消えてゆく。瞳がわずかに動揺の色を見せていた。折角ご機嫌な彼女だったのに。こんなふうに水を挿す話なんて本当はしたくなかった。けれど時間はどうしたって止められない。誰にでも平等に与えられ、過ぎてゆく。この長期出張が決定してから暫く時間はあったのに、気づけば来週には日本を発つという現実。琴璃に告げるタイムリミットは、もう今日を逃したらないかもしれない。だから、こんな時だけど言うことにしたのだ。
「そっかぁ」
しんとした部屋の中で琴璃の声が響く。でもそれは消え入りそうに小さかった。それだけ言ったきり琴璃は黙ってしまった。数十秒前とは180度変わってしまった表情で。言葉を探しているのか茫然としているのか、口を少し開けて微動だにせず胸元で手を握っている。片手には包帯が巻かれていた。先ほど忍足に手当てされたもの。その包帯の白が、やけに跡部の目に染みた。
沈黙がひどく長く感じた。だがやがて、琴璃はふぅと溜息のようなものを吐くと口を開いた。
「お仕事、とっても大変なんですね。体調には気を付けてくださいね」
そう言って無理矢理に笑顔を作るから、跡部はもう我慢ができなかった。琴璃の手を引っ張り胸の中に閉じ込めた。あまり味わうことのない、罪悪感にも似た感情が湧き出てくる。小さなこのリビングの部屋で寂しい空気が膨張してゆく。至極居心地が悪かった。
いつの間にか、こんなにも強がりを覚えさせてしまった。今寂しいかと跡部が問えば琴璃はなんと答えるのだろうか。お前は1年も会えなくても耐えられるのか。そんな愚問を投げかけたらきっと、彼女はもろくも崩れてしまうだろう。お前の強さなんて、そんなに強固なものじゃない。そんなことくらい知っている。
けれど、それでも彼女は言わないだろう。”寂しい”だなんて言葉は。言ってもしょうがない。言ったところで何が変わるわけでもない。それはただの我儘で跡部の負担になるだけだから。琴璃はそうやって、いつも割り切っている。だから自分の思いを言わない。世話のかからない、実に聞き分けのいい女だ。少し前の、琴璃と出会う前の跡部ならきっとそう思っただろう。だけど琴璃と出会って、彼女と様々な係わりをして、ただの“情”が愛に変わった時、跡部はそんなふうには考えられなくなっていた。今みたいにすぐに抱きしめられなくなる未来が、こんなにも受容できない。何も喋らずただただ彼女の身体を強く抱きしめた。今ここにいることを確かめるかのように。すると琴璃は僅かに身じろぎ両腕をそっと跡部の背にまわしてきた。それだけで跡部の心は少し救われた。
「私、だいじょうぶですから」
それでいて、こういう時に平気で見え見えな嘘をつく。いじらしい女だと思う。跡部は何も言わず琴璃の肩口に顔をうずめた。どんな言葉を投げかけたとしても、今は何の役にも立たない気がした。
琴璃はいつも跡部の出張に関して深いことまで詮索してこない。跡部の仕事に興味がないというよりも、忙しいのを理解しているからという理由で余計な口を挟んだりしない。冗談でも寂しいとすら言ってこない。表情や声には寂しい気持ちがありありと出ているのに。余計なことを言って跡部を困らせたくないと考えているに違いない。自分は口を出す身分ではないとでも思っているのか。――馬鹿馬鹿しい。身分ってなんだと思った。
本当は、甘えていいし我儘だって言ったって構わない。琴璃が発する“さびしい”なんて我儘のうちに入らない。それでも、やっぱり彼女は弱音や不安を頑なに言おうとはしないだろう。今もそうやって、自分の気持ちを押し殺してでも、明るく送り出そうという選択を選んだのだ。その寂しさを跡部に見透かされてると分かっていても。きっと彼女は最後まで寂しいだなんて言わないのだ。
「今日は、ここに泊まる」
「え……」
「こんなお前を1人にさせられるか」
跡部の腕の中で琴璃は俯く。やがて細い方が小さく震えだした。泣いてるんだと分かった。跡部は抱きしめる腕に力を込めた。何も言葉をかけなかったけれど、彼女の気が済むまで抱擁を解かなかった。せめて一緒にいる今この瞬間だけでも、彼女の寂しさが和らぐように。