“Sakura-saku”
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
夕方、大学のカフェテリアにて。琴璃は友人と一緒にいた。本日の講義はもう残っていない。だけど今日はなかなかハードスケジュールだった。午前中に1社面接と、そことは別の説明会を受けてから大学に来たために今日はリクルートスーツの格好だった。
就活はまだもう少し続けるつもりでいようと思っている。内定をもらったところが結構本命の企業だったから、ここで終了してもいいのだけれど、選考が進んでいるものは途中で辞退せずに最後まで受けようと思った。けど気持ちは以前よりずっと軽いからそこまで追い詰めてはいない。内定を持っているからというのもあるけれど、跡部とのことも解決したというのが精神的にも大きい。
実際のところ、跡部とはあの日からまだ1度も会えてない。あれからひと月程が経ち、もうすっかり春になってしまった。だけど仕方がない、彼は忙しい人だ。掃除の為に通っていた時だって、彼は頻繁に出張で海外に飛んでいた。夜中だろうが構わず仕事の連絡も受けていた。とてつもなく不規則な時間で動いているんだろうなと察しがつく。すごいなあ、としか琴璃は言えない。だからそこに、“会えなくて寂しい”という考えは1ミリも生まれなかった。ただただ、尊敬するばかりだった。
あとは休める時間があるのかな、と心配になる。あの日だって、真夜中に帰っていったのは仕事の関係で仕方なくだったから。だけど琴璃が出る幕じゃないくらい自己管理を徹底している気がする。じゃなきゃあんな目まぐるしくスケジュールを毎日こなせない。本当に、凄い人なんだなあ。ぼうっとしながらカフェで買った紅茶を飲んでいると携帯が震えた。
「……あ!」
「どしたの?」
思わず声が出てしまった。こんなタイミング良く跡部から連絡が来たからだ。それだけでもびっくりするのに、内容に2度びっくりする。
『氷帝に来ている』
ということはつまり彼はこの敷地内にいるということなわけだが。琴璃は返事を送ろうと指を動かす、が、それよりも前にまたも向こうからメッセージが届いた。
『助けてくれ』
「……え、どういうこと」
分からない。さらに一言のメッセージは続く。
『理事長室』
「琴璃ー?どしたの」
「ごめん、ちょっと行ってくる」
友人を残し、琴璃は理事長室のある棟まですっ飛んでいった。だが、着いたはいいがどうしようか。いちおう『つきました』と送り、部屋の前でウロウロしていたら扉が開いたので驚いた。中から出てきたのは本物の跡部だった。
「やっと来たか」
今日も普段と変わらずの、スーツを着こなした格好良い彼がいた。琴璃の到着に満足そうに目を細める。
「ではこれで」
跡部が部屋の中の人物に挨拶を返す。それに対して中から朗らかな返事が聞こえた。琴璃の場所からは姿が見えなかったが多分、理事長のものだ。扉を閉めると彼は早速はーっと溜息をつく。ついでに作り笑いも消えた。
「前々から大学の運営関係の方で呼ばれていたから来たんだが、途中で理事長に捕まった。あの爺さんは幾つになっても話が長ぇな」
「だから助けてくれなんて言ったんですね」
「お前が来なけりゃ夜まで付き合わされるところだった」
言いながら跡部は琴璃の手から荷物を取り上げる。
「あ、ありがとうございます」
「大層な荷物だな」
「今日は就活と講義とゼミがありまして……」
珍しく盛り沢山な1日だった。だから内心へとへとだったけど、予想外に跡部と会えたことに疲労感は一気に吹っ飛んだ。
「でも、今日はもう帰るだけです」
「知ってる。だからお前を迎えに来た」
そう言えば先週あたりに今日の予定を聞かれて、バイトが無いことを答えた気がする。彼がここにいるということは、今日たまたま都合がついたのだろう。迎えに来た、と跡部はさっき琴璃に言った。ということは大学の用事のほうはついでで、自分のことを迎えに来てくれたほうが本当の目的。そう思うと嬉しさが隠せない。
駐車場について、彼の車のドアに手をかけた時だった。
「あれ?」
助手席に花束が乗っている。お仕事の関係で貰ったのかな。琴璃がそう思っていると、
「ああ、そうだった」
琴璃の代わりに跡部が扉を開け、その花束を手にし、そのまま琴璃に向かって差し出した。
「ほら」
「え、わたし、ですか」
「無事に内定を貰えたんだろう?良かったな」
「あ……りがとう、ございます」
「あの日以来今日まで会えていなかったからな。直接祝福できてなかった」
綺麗で可憐な春色のスパイラルブーケ。生花の優しい香りがいっぱいして思わず顔が緩む。
「お前は花束を作るのは慣れっこだろうが、贈られる経験は少ないんじゃないのか?」
その通りだった。誰かの誕生日や記念日に店で数々の花束を作ったけど、自分にとっての大切な日に貰うことなんて殆どなかった。それがこんなに嬉しいことだなんて。何よりも、くれたのが大好きな人だから嬉しさはひときわだ。
就活の大変さの記憶も相まって、こみ上げてくる何かがあった。琴璃はそっと花束を抱き締める。春の花がいっぱい詰まっていた。どの花ももちろん全部知っている。でも、見慣れたいつもの花たちを贈られる立場になると、特別に綺麗で愛おしく感じた。
「ほら、行くぞ」
いつまでもニマニマしていたら乗るように促される。高級車は滑らかに都内の道を進みだした。陽が傾き外は次第に夜になろうとしているところだった。車窓からは街のあちらこちらにある桜の樹が見える。大通り沿いの満開の桜の樹には自然と人が集まっていた。跡部がくれた花束の中にも桜の枝が1本入っていた。小さな花だけれど他の花たちに負けず存在感がある。桜は琴璃の好きな花のひとつだった。
「もう春なんだなぁ」
今さらだが、今年の桜はちょうど今週が見頃なのだとニュースで言っていた気がする。なんだか慌ただしくて、今年は花見にも行けなかった。去年はゼミの子たちと氷帝のそばの公園に行ったりしたけれど、今年は各々就活があるから皆あえて誘ってこなかったのかもしれない。
「今年はお花見無理かなあ」
行きたいけれど、当然だが今からじゃどこも混んでいそうだ。都内の有名なお花見スポットは断念するしかない。
「名所じゃなくとも、桜が何本が纏まってあれば、お前には花見になるのか?」
「へ。どういう意味ですか」
「うちにも桜の樹はある」
跡部の言った“うち”というのは、彼の家のことを指している。前に1度泊めてもらったが、あの時は桜なんて気がつかなかった。季節が違って咲いていなかったのもあるし、何よりあの家は広すぎて、まだ全てを見たわけじゃなかった。あの広大な敷地の中に桜の樹が植わっていても何ら驚くことはない。
「ただ、この時間だと着く頃には完全に日が暮れちまうな」
先月より伸びたとは言えまだ日の入りは6時より前。今の時点で太陽はもう半分近く隠れてしまっている。
赤信号になり、跡部は琴璃のほうを見た。どうする、と聞こうと思った。何やら今日は動き回って疲れてそうだったから、気乗りしないのならこのまま家に送り届けてやるつもりだった。だがその心配は杞憂だった。
「夜桜見物ですね」
琴璃は目を輝かせて嬉しそうに笑う。なのに跡部はじっと彼女の顔を見つめる。
「どうかしました?」
喜んでいる顔を久しぶりに見た。ただそれだけなのに無条件にほっとした。ひと月ぶりというのはこんなにも時間の経過を感じさせるものなのか。やっぱりメールだけでは、声だけでは、どうしたって伝わらないものがある。生身の彼女に会ってそれを実感する。
信号がもうすぐ変わろうとしている。跡部はハンドルから手を離し、そのまま琴璃の頬へと伸ばす。柔らかくて滑らかで、それが自分のものであるのだと思うと心の底から満たされゆく。
「惜しかったな」
「何がです?」
あと数秒赤信号が続いてたらその無防備な唇を塞いでいた。跡部がそんなことを思ってるだなんて、彼女はきっと想像もしていない。無邪気な笑顔がその証拠だ。跡部は琴璃に何も答えることなく、触れるのをやめ何事もなくアクセルを踏んだ。車が静かに動き出す。街にはまさに夜の帳が下りようとしていた。明るいうちの花見はもう間に合わない。けれど彼女の言った通り、夜空の下で見るのも悪くないと思った。彼女と一緒なら、何だっていい。
就活はまだもう少し続けるつもりでいようと思っている。内定をもらったところが結構本命の企業だったから、ここで終了してもいいのだけれど、選考が進んでいるものは途中で辞退せずに最後まで受けようと思った。けど気持ちは以前よりずっと軽いからそこまで追い詰めてはいない。内定を持っているからというのもあるけれど、跡部とのことも解決したというのが精神的にも大きい。
実際のところ、跡部とはあの日からまだ1度も会えてない。あれからひと月程が経ち、もうすっかり春になってしまった。だけど仕方がない、彼は忙しい人だ。掃除の為に通っていた時だって、彼は頻繁に出張で海外に飛んでいた。夜中だろうが構わず仕事の連絡も受けていた。とてつもなく不規則な時間で動いているんだろうなと察しがつく。すごいなあ、としか琴璃は言えない。だからそこに、“会えなくて寂しい”という考えは1ミリも生まれなかった。ただただ、尊敬するばかりだった。
あとは休める時間があるのかな、と心配になる。あの日だって、真夜中に帰っていったのは仕事の関係で仕方なくだったから。だけど琴璃が出る幕じゃないくらい自己管理を徹底している気がする。じゃなきゃあんな目まぐるしくスケジュールを毎日こなせない。本当に、凄い人なんだなあ。ぼうっとしながらカフェで買った紅茶を飲んでいると携帯が震えた。
「……あ!」
「どしたの?」
思わず声が出てしまった。こんなタイミング良く跡部から連絡が来たからだ。それだけでもびっくりするのに、内容に2度びっくりする。
『氷帝に来ている』
ということはつまり彼はこの敷地内にいるということなわけだが。琴璃は返事を送ろうと指を動かす、が、それよりも前にまたも向こうからメッセージが届いた。
『助けてくれ』
「……え、どういうこと」
分からない。さらに一言のメッセージは続く。
『理事長室』
「琴璃ー?どしたの」
「ごめん、ちょっと行ってくる」
友人を残し、琴璃は理事長室のある棟まですっ飛んでいった。だが、着いたはいいがどうしようか。いちおう『つきました』と送り、部屋の前でウロウロしていたら扉が開いたので驚いた。中から出てきたのは本物の跡部だった。
「やっと来たか」
今日も普段と変わらずの、スーツを着こなした格好良い彼がいた。琴璃の到着に満足そうに目を細める。
「ではこれで」
跡部が部屋の中の人物に挨拶を返す。それに対して中から朗らかな返事が聞こえた。琴璃の場所からは姿が見えなかったが多分、理事長のものだ。扉を閉めると彼は早速はーっと溜息をつく。ついでに作り笑いも消えた。
「前々から大学の運営関係の方で呼ばれていたから来たんだが、途中で理事長に捕まった。あの爺さんは幾つになっても話が長ぇな」
「だから助けてくれなんて言ったんですね」
「お前が来なけりゃ夜まで付き合わされるところだった」
言いながら跡部は琴璃の手から荷物を取り上げる。
「あ、ありがとうございます」
「大層な荷物だな」
「今日は就活と講義とゼミがありまして……」
珍しく盛り沢山な1日だった。だから内心へとへとだったけど、予想外に跡部と会えたことに疲労感は一気に吹っ飛んだ。
「でも、今日はもう帰るだけです」
「知ってる。だからお前を迎えに来た」
そう言えば先週あたりに今日の予定を聞かれて、バイトが無いことを答えた気がする。彼がここにいるということは、今日たまたま都合がついたのだろう。迎えに来た、と跡部はさっき琴璃に言った。ということは大学の用事のほうはついでで、自分のことを迎えに来てくれたほうが本当の目的。そう思うと嬉しさが隠せない。
駐車場について、彼の車のドアに手をかけた時だった。
「あれ?」
助手席に花束が乗っている。お仕事の関係で貰ったのかな。琴璃がそう思っていると、
「ああ、そうだった」
琴璃の代わりに跡部が扉を開け、その花束を手にし、そのまま琴璃に向かって差し出した。
「ほら」
「え、わたし、ですか」
「無事に内定を貰えたんだろう?良かったな」
「あ……りがとう、ございます」
「あの日以来今日まで会えていなかったからな。直接祝福できてなかった」
綺麗で可憐な春色のスパイラルブーケ。生花の優しい香りがいっぱいして思わず顔が緩む。
「お前は花束を作るのは慣れっこだろうが、贈られる経験は少ないんじゃないのか?」
その通りだった。誰かの誕生日や記念日に店で数々の花束を作ったけど、自分にとっての大切な日に貰うことなんて殆どなかった。それがこんなに嬉しいことだなんて。何よりも、くれたのが大好きな人だから嬉しさはひときわだ。
就活の大変さの記憶も相まって、こみ上げてくる何かがあった。琴璃はそっと花束を抱き締める。春の花がいっぱい詰まっていた。どの花ももちろん全部知っている。でも、見慣れたいつもの花たちを贈られる立場になると、特別に綺麗で愛おしく感じた。
「ほら、行くぞ」
いつまでもニマニマしていたら乗るように促される。高級車は滑らかに都内の道を進みだした。陽が傾き外は次第に夜になろうとしているところだった。車窓からは街のあちらこちらにある桜の樹が見える。大通り沿いの満開の桜の樹には自然と人が集まっていた。跡部がくれた花束の中にも桜の枝が1本入っていた。小さな花だけれど他の花たちに負けず存在感がある。桜は琴璃の好きな花のひとつだった。
「もう春なんだなぁ」
今さらだが、今年の桜はちょうど今週が見頃なのだとニュースで言っていた気がする。なんだか慌ただしくて、今年は花見にも行けなかった。去年はゼミの子たちと氷帝のそばの公園に行ったりしたけれど、今年は各々就活があるから皆あえて誘ってこなかったのかもしれない。
「今年はお花見無理かなあ」
行きたいけれど、当然だが今からじゃどこも混んでいそうだ。都内の有名なお花見スポットは断念するしかない。
「名所じゃなくとも、桜が何本が纏まってあれば、お前には花見になるのか?」
「へ。どういう意味ですか」
「うちにも桜の樹はある」
跡部の言った“うち”というのは、彼の家のことを指している。前に1度泊めてもらったが、あの時は桜なんて気がつかなかった。季節が違って咲いていなかったのもあるし、何よりあの家は広すぎて、まだ全てを見たわけじゃなかった。あの広大な敷地の中に桜の樹が植わっていても何ら驚くことはない。
「ただ、この時間だと着く頃には完全に日が暮れちまうな」
先月より伸びたとは言えまだ日の入りは6時より前。今の時点で太陽はもう半分近く隠れてしまっている。
赤信号になり、跡部は琴璃のほうを見た。どうする、と聞こうと思った。何やら今日は動き回って疲れてそうだったから、気乗りしないのならこのまま家に送り届けてやるつもりだった。だがその心配は杞憂だった。
「夜桜見物ですね」
琴璃は目を輝かせて嬉しそうに笑う。なのに跡部はじっと彼女の顔を見つめる。
「どうかしました?」
喜んでいる顔を久しぶりに見た。ただそれだけなのに無条件にほっとした。ひと月ぶりというのはこんなにも時間の経過を感じさせるものなのか。やっぱりメールだけでは、声だけでは、どうしたって伝わらないものがある。生身の彼女に会ってそれを実感する。
信号がもうすぐ変わろうとしている。跡部はハンドルから手を離し、そのまま琴璃の頬へと伸ばす。柔らかくて滑らかで、それが自分のものであるのだと思うと心の底から満たされゆく。
「惜しかったな」
「何がです?」
あと数秒赤信号が続いてたらその無防備な唇を塞いでいた。跡部がそんなことを思ってるだなんて、彼女はきっと想像もしていない。無邪気な笑顔がその証拠だ。跡部は琴璃に何も答えることなく、触れるのをやめ何事もなくアクセルを踏んだ。車が静かに動き出す。街にはまさに夜の帳が下りようとしていた。明るいうちの花見はもう間に合わない。けれど彼女の言った通り、夜空の下で見るのも悪くないと思った。彼女と一緒なら、何だっていい。