I can't stop falling in love.
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2人分の会計を済ませた跡部にご馳走さん、と忍足は両手を合わせる。そのまま、こうも言ってきた。
「途中まででええから乗せてってくれたら嬉しいんやけど」
なかなか図々しい奴だなとは思ったが、忍足の勤めている大学病院はここから大して離れていないから都合悪くはなかった。それに、不思議ともう少し話をしても良いかとも思ったから御希望どおり乗せていってやることにした。
ビルの隣の駐車場まで歩いてるさ中、都会にある僅かな緑が芽吹いているのが分かった。少しずつ季節が動いている。まだ空気がひんやりとしているけれど、暦の上ではもうとっくに春を迎えている。
「もう春やんなあ」
歩道の生垣には小さな黄色い花が咲いていた。
「綺麗やなあ。あれなんて花やろ、梅の親戚かな」
「あれはレンギョウと言う。早春に咲く」
「へーえ。自分、よう知っとるな」
当然、跡部の知識じゃない。花の名前なんて大して知らない。全部琴璃が教えてくれた。自分にはないようなものを持っていた。人一倍相手のことを思う性格も。花を綺麗だと心から思える無垢さも。出会った当初に車に乗せてやった時、瞳が綺麗だと思ったことがあった。けれど心はそれ以上に綺麗だった。なんで、こんなことを今更考えているんだ。琴璃のことを、そんなふうには微塵も思っていないのに。これじゃまるで忍足 の言うとおり未練たらしい男みたいじゃねぇか。思いながら跡部は可笑しくて笑いたくなった。
きっと退屈なんだろう。急に、自分に懐いていた飼い犬に構うことができなくなってしまった。そんな具合だろうか。突然、手の届く場所から消えたから気持ちをもて余しているに違いない。不思議なものだ。退屈だなんて、大人になってから感じることなどなかったのに。
車に乗り駐車場から出て病院を目指す。都心の道の混雑状況は平日も休日もあまり関係がない。自然と舌打ちが出る。
「その子、どーすんの?」
軽い渋滞に捕まっている時、不意に忍足が口を開いた。
「どうする、とは何だ」
「だって、振ったわけやないんやろ?」
「振ったも何も、向こうから何も言われてねぇよ」
「そーなん?まぁ、相手が跡部景吾さんじゃ想いを伝えるのも怖気づいてまうかもしれんな」
おそらく忍足の言う通りだろう。跡部のことを好きになってしまっても、琴璃はかろうじて理性を取り持っていたのだ。
今まで自分の周りには、愛されていると勝手に思い込んで迫ってくる女のほうが数知れずだった。少しでも優しくされれば自分に好意があるのだろうと勘違いする女が大半だった。けれど琴璃は恋に溺れなかった。盲目にはならなかった。彼女の性格からして、“私なんかは相応しくない”くらいの硬い考えでも持ち合わせていたのだろう。
「まー色々あるわなぁ」
病院のロータリー前までご丁寧に車を横付けしてやった。
車から降りた忍足は最後に、おおきに、と手を振って勤務地の方へ歩いて行った。久しぶりに会ったというのに、互いの近況なんてちっとも話さず大半が琴璃に関することだった。やたらと聞いてくるから忍足も興味があるんだろうということは跡部も分かっていた。こんな自分を見たのがさぞや珍しかったんだろう。それは自分でも思う。たかが女1人――歳下でそれも学生をさっさと忘れずにいることに自分自身も驚いている。
忍足と別れてからも、午後のミーティングまでまだ時間があったのでいったん家に戻ることにした。発進させようとする間際に携帯が着信を知らせる。短いからメールだ。開くと今さっきまで会っていた男からのものだった。
『プレゼント、ダッシュボードに入れといたわ。常日頃から準備しとかんと人生いつ何が起こるか分からんで』
メールに従ってダッシュボードを開ける。掌におさまるくらいの四角い箱が入っていた。軽くて大して厚みのないそれの正体を知り、ついでに、いつの間にこんなことをしやかったんだ、と呆れる。
「……あのエロメガネ」
こんなものを俺様の車の中に置いてくんじゃねぇよ。文句を言いながらそれを手にしスーツの胸ポケットに乱暴に突っ込む、寸前にいま一度それをまじまじと見て思わず口にしてしまった。
「アイツはこんな安物使ってんのかよ」
もともと広すぎる部屋が何故かやたらと空虚感を帯びている。琴璃がここには来ないと告げ出ていってから、まだたった3日ほどしか経っていないというのに。テーブルの上にある一輪挿しには、最近はいつも何かしらの花が1本あった。なのに今はもう何も咲いていない。
琴璃と出会う少し前のこと。
当時の女はこの部屋から帰った後も、彼女のきつい香水の匂いが残っていた。時々食材なんかも勝手に買ってきては冷蔵庫の中を占拠していた。わざとそうしていたのかもしれないけど、ここに居たという“証”を残したがるような女だった。でも琴璃はそんなことがなかった。そもそもそういうタイプではないのだけれど、ちゃんとハウスキーピングの仕事をこなし、きっちり分別をしていた。唯一残していくのが花一輪。花屋のバイトもたまに出ていたようで、持ち帰ってきたものをここに飾っていたらしい。それが、彼女がここに出入りしているかを確認できる術だった。
時々跡部の帰りが早い時は彼女がまだこの部屋に居たこともあった。琴璃が来る曜日も跡部が早く帰れる日も疎らだったから、それは本当に偶然だった。もともと自分が居ない時に邪魔にならないように掃除に来る気でいたようだったが、それでも奇跡的に会えると嬉しそうな顔をした。気持ちなんてあからさまに見えすぎていた。隠す気が無かったのではなく、うまく隠せていないだけだ。露骨に言い寄ってくる女達なんかと違って、決して過度に近付くこともなく。本人はひた隠しにしていたつもりだろうがそんなわけなかった。俺のことが好きで仕方ないというあの笑顔が、今も未だ瞼の裏に存在している。
「見え見えなんだよ」
跡部は換気をしようと窓に近づいた。初めて来た時、琴璃はこの部屋のバルコニーを大層褒めていた。陽当り良好で素敵ですね、と羨ましがられた。広くて何でも育てられそう、とも言っていたのをふと思い出す。導かれるようにそこへ向かうと、小さめのプランターがこっそりと置かれていた。いつの間に持ち込んだのか、なにかの植物が植えられ蕾をつけている。土が渇いていることに気付いたので、跡部はキッチンに戻りコップに水を汲んで与えてやった。
「家主が居ても、世話を焼くヤツが居ないなんてな」
独り言なのかその植物に呼びかけたのか。自分でも分かってないのに、そんな言葉が出た。植物は何も言わない。そんなの当たり前だけど、呟かずにはいられなかった。琴璃はここでどんな顔をしていたのだろうか。常に笑顔で水をくれてたんだろうか。ここに来ることが楽しくて仕方なかったんだろうか。それとも。
花はもうすぐ咲きそうなところまできている。もう少し、あと少しで蕾が開くというのに。この花が咲くのを待たずして、琴璃は自分の前から離れていってしまった。
「途中まででええから乗せてってくれたら嬉しいんやけど」
なかなか図々しい奴だなとは思ったが、忍足の勤めている大学病院はここから大して離れていないから都合悪くはなかった。それに、不思議ともう少し話をしても良いかとも思ったから御希望どおり乗せていってやることにした。
ビルの隣の駐車場まで歩いてるさ中、都会にある僅かな緑が芽吹いているのが分かった。少しずつ季節が動いている。まだ空気がひんやりとしているけれど、暦の上ではもうとっくに春を迎えている。
「もう春やんなあ」
歩道の生垣には小さな黄色い花が咲いていた。
「綺麗やなあ。あれなんて花やろ、梅の親戚かな」
「あれはレンギョウと言う。早春に咲く」
「へーえ。自分、よう知っとるな」
当然、跡部の知識じゃない。花の名前なんて大して知らない。全部琴璃が教えてくれた。自分にはないようなものを持っていた。人一倍相手のことを思う性格も。花を綺麗だと心から思える無垢さも。出会った当初に車に乗せてやった時、瞳が綺麗だと思ったことがあった。けれど心はそれ以上に綺麗だった。なんで、こんなことを今更考えているんだ。琴璃のことを、そんなふうには微塵も思っていないのに。これじゃまるで
きっと退屈なんだろう。急に、自分に懐いていた飼い犬に構うことができなくなってしまった。そんな具合だろうか。突然、手の届く場所から消えたから気持ちをもて余しているに違いない。不思議なものだ。退屈だなんて、大人になってから感じることなどなかったのに。
車に乗り駐車場から出て病院を目指す。都心の道の混雑状況は平日も休日もあまり関係がない。自然と舌打ちが出る。
「その子、どーすんの?」
軽い渋滞に捕まっている時、不意に忍足が口を開いた。
「どうする、とは何だ」
「だって、振ったわけやないんやろ?」
「振ったも何も、向こうから何も言われてねぇよ」
「そーなん?まぁ、相手が跡部景吾さんじゃ想いを伝えるのも怖気づいてまうかもしれんな」
おそらく忍足の言う通りだろう。跡部のことを好きになってしまっても、琴璃はかろうじて理性を取り持っていたのだ。
今まで自分の周りには、愛されていると勝手に思い込んで迫ってくる女のほうが数知れずだった。少しでも優しくされれば自分に好意があるのだろうと勘違いする女が大半だった。けれど琴璃は恋に溺れなかった。盲目にはならなかった。彼女の性格からして、“私なんかは相応しくない”くらいの硬い考えでも持ち合わせていたのだろう。
「まー色々あるわなぁ」
病院のロータリー前までご丁寧に車を横付けしてやった。
車から降りた忍足は最後に、おおきに、と手を振って勤務地の方へ歩いて行った。久しぶりに会ったというのに、互いの近況なんてちっとも話さず大半が琴璃に関することだった。やたらと聞いてくるから忍足も興味があるんだろうということは跡部も分かっていた。こんな自分を見たのがさぞや珍しかったんだろう。それは自分でも思う。たかが女1人――歳下でそれも学生をさっさと忘れずにいることに自分自身も驚いている。
忍足と別れてからも、午後のミーティングまでまだ時間があったのでいったん家に戻ることにした。発進させようとする間際に携帯が着信を知らせる。短いからメールだ。開くと今さっきまで会っていた男からのものだった。
『プレゼント、ダッシュボードに入れといたわ。常日頃から準備しとかんと人生いつ何が起こるか分からんで』
メールに従ってダッシュボードを開ける。掌におさまるくらいの四角い箱が入っていた。軽くて大して厚みのないそれの正体を知り、ついでに、いつの間にこんなことをしやかったんだ、と呆れる。
「……あのエロメガネ」
こんなものを俺様の車の中に置いてくんじゃねぇよ。文句を言いながらそれを手にしスーツの胸ポケットに乱暴に突っ込む、寸前にいま一度それをまじまじと見て思わず口にしてしまった。
「アイツはこんな安物使ってんのかよ」
もともと広すぎる部屋が何故かやたらと空虚感を帯びている。琴璃がここには来ないと告げ出ていってから、まだたった3日ほどしか経っていないというのに。テーブルの上にある一輪挿しには、最近はいつも何かしらの花が1本あった。なのに今はもう何も咲いていない。
琴璃と出会う少し前のこと。
当時の女はこの部屋から帰った後も、彼女のきつい香水の匂いが残っていた。時々食材なんかも勝手に買ってきては冷蔵庫の中を占拠していた。わざとそうしていたのかもしれないけど、ここに居たという“証”を残したがるような女だった。でも琴璃はそんなことがなかった。そもそもそういうタイプではないのだけれど、ちゃんとハウスキーピングの仕事をこなし、きっちり分別をしていた。唯一残していくのが花一輪。花屋のバイトもたまに出ていたようで、持ち帰ってきたものをここに飾っていたらしい。それが、彼女がここに出入りしているかを確認できる術だった。
時々跡部の帰りが早い時は彼女がまだこの部屋に居たこともあった。琴璃が来る曜日も跡部が早く帰れる日も疎らだったから、それは本当に偶然だった。もともと自分が居ない時に邪魔にならないように掃除に来る気でいたようだったが、それでも奇跡的に会えると嬉しそうな顔をした。気持ちなんてあからさまに見えすぎていた。隠す気が無かったのではなく、うまく隠せていないだけだ。露骨に言い寄ってくる女達なんかと違って、決して過度に近付くこともなく。本人はひた隠しにしていたつもりだろうがそんなわけなかった。俺のことが好きで仕方ないというあの笑顔が、今も未だ瞼の裏に存在している。
「見え見えなんだよ」
跡部は換気をしようと窓に近づいた。初めて来た時、琴璃はこの部屋のバルコニーを大層褒めていた。陽当り良好で素敵ですね、と羨ましがられた。広くて何でも育てられそう、とも言っていたのをふと思い出す。導かれるようにそこへ向かうと、小さめのプランターがこっそりと置かれていた。いつの間に持ち込んだのか、なにかの植物が植えられ蕾をつけている。土が渇いていることに気付いたので、跡部はキッチンに戻りコップに水を汲んで与えてやった。
「家主が居ても、世話を焼くヤツが居ないなんてな」
独り言なのかその植物に呼びかけたのか。自分でも分かってないのに、そんな言葉が出た。植物は何も言わない。そんなの当たり前だけど、呟かずにはいられなかった。琴璃はここでどんな顔をしていたのだろうか。常に笑顔で水をくれてたんだろうか。ここに来ることが楽しくて仕方なかったんだろうか。それとも。
花はもうすぐ咲きそうなところまできている。もう少し、あと少しで蕾が開くというのに。この花が咲くのを待たずして、琴璃は自分の前から離れていってしまった。