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季節はすっかり秋めいて街並みもだんだんと寂しい色合いになった。行き交う人の服装も疎らでマフラーを巻いてる人もいればまだまだ薄着の人も見受けられる。秋のイベントのピークも過ぎ、冬のイルミネーションの時期にはまだ早い、そんな中途半端な季節。
歩き慣れた駅までの道を琴璃は歩いていた。いつもよりやや早い歩調で。ほんの少しだけ大学を出る時間がおしてしまったから気持ち早めに。このままいけばいつも通りの電車に乗れる、はずだった。
「これから予定あんの?」
歩きながら鞄の中から定期を取り出そうとしていた時だった。背後から声がした。
「ねぇ、キミだよキミ。無視しないでってば」
振り向くと琴璃のすぐ後ろに若い男が居た。見た目自分よりは歳上だと思うけれど、少なくとも知り合いではない。
「……私、ですか?」
「そーそー。キミに言ってたの」
別に誰かと待ち合わせをしていたわけじゃない。いつものようにこれからバイトに向かおうとしていただけだ。それがまさか自分に話し掛けているとは思わなかったから琴璃は驚いた。相手は全く見覚えのない男。思わず警戒する。だって相手は知らない人なのに、こっちを見て何故か笑っているから。
「これからどっか行かない?」
「すみませんが、ちょっと用事があるんで……」
やんわり断ってここから去ろうとしたのに男は諦めようとしない。それどころか、道を塞ぐように琴璃の前に回り込んで来た。
「えー嘘っしょ、それ。目が泳いでんじゃん」
「いや、その」
「もしかして俺、警戒されてる?なんでかなー、全然怪しくないじゃん」
そう言ってる時点でものすごく怪しいのに。琴璃の抵抗なんかまるで聞かずに話し掛けてくる。これではもう電車に間に合わない。
「キミ、何歳?なんて名前?ここで何してんの?」
改札目前で捕まえておいて電車に乗ろうとしていたのだと分からないのだろうか。琴璃はもう困りきっていた。どうしよう。ナンパなんてされたことないからどうやり過ごしたらいいのか分からない。
「あの、その、人を待ってるんです」
「へー?じゃあ、その人来るまで一緒に待ってよっかな」
「えぇっ」
「何時に来んの?どんな人?」
「その、えっと……」
とりあえず苦し紛れに出た嘘がこれだったのに。男にはあっさり見破られてしまう。もう駄目だ。これじゃバイトにも遅刻してしまう。こんなことなら普通にバイトに行くんです、って言えば良かった。でもそれを言ったところでこの男は理解してくれたか分からない。じゃあ何が正解だったんだろう。人が大勢居る駅前だろうが、1人の女子がナンパに困っていても誰も助けようとはしない。それなりに人の流れは多いのに、誰1人として琴璃たちに干渉はしてこない。都会はそれが当たり前のことだった。誰か助けてと言いたいけれどそんな恥ずかしい真似はできない。うっかり泣きそうになっている自分がいる。でも、泣いたところで誰も助けてはくれない。それが現実。
跡部は腕時計に目をやりながら人通りの多い改札口を抜ける。
今日は珍しく公共交通機関を使った。どっかの会社の何周年だかの記念パーティに出席をしたのだ。あまり名前を覚えていないから大した関係じゃない。けれど祖父が昔から懇意にしている先であるらしくそれで呼ばれた。ぜひお孫さんにも、と気を遣ってくれたものの面倒以外の何物でもない。
ただでさえスケジュールは詰まっているというのに、こんなことに真っ昼間の貴重な時間を使わされて。はっきり言って有意義とはかけ離れた時間だった。普段使わない地下鉄なんかに乗ったのもあって余計に疲れた。
次の予定に合わせて駅のそばの駐車場に車を停めてある。時刻はもう夕刻になるけれど、跡部の今日1日はまだまだ終わらない。この後も要人に会ったり会議に出たりとスケジュールが満載なのだ。
とりあえず連絡を入れておくか。そう思って自分の部下に電話をしようと歩きながらポケットからスマホを取り出す。すぐ目の前で1人の女がナンパされてることなんて全く眼中になかった。何やら騒いでいるくらいは感じたが何を話してるのかまで耳に入らない。その横を通り過ぎながら着信履歴から相手の番号を表示する、その時だった。
「こ、この人です!」
がばっと、いきなり腕を拘束されて最初は何が起きたか分からなかった。危うくスマホを落としそうになったが何とか握り直す。次に誰だお前、と思った。半泣き状態の女が自分の腕に抱きついている。跡部は琴璃を凝視した。ほぼ睨みつけるような形相で。反対に、琴璃は怯えたような困ったような表情で跡部を見る。場違いなことをしているのは分かっている、と目で跡部に訴えている。
「じゃ、そういうことで。えと……行きましょうか」
ごめんなさい。でもお願い、歩いて。琴璃の頭の中はそれしかない。絶体絶命なんて言葉、日常生活の中であまり使いたくないが今がまさにその時だった。咄嗟に、ほぼ反射的に隣を通り過ぎた人に飛び付いたけれど、こんなことされて相手も困るに決まっている。でもこの人に拒絶されたらナンパ男に嘘がバレる。そうなったならその先がどうなるかなんて想像するだけで怖い。
跡部は黙って琴璃を見下ろす。腕を掴んでくる彼女の手が震えていた。そして、彼女と目の前の男を交互に見やる。対照的な2人の表情を見て即座に“ワケあり”なんだと分かる。面倒くせぇな。既に色々と面倒くさい場に出席してきて、もう充分うんざりしていた。なのにこんなくだらない他人のトラブルに巻き込まれている。この後だって予定があるし、さっさと振り払ってこの場を後にするのが当然の選択だ。けれど彼女はじっと懇願の目で跡部のことを見つめている。今にも泣きそうな眼。女の涙に弱いわけじゃない。むしろ泣かせてきた数は一般男性より多いほうだと思う。そんなことは全く誇れるものじゃないのだけれど。
はぁ、と琴璃の頭上で溜め息が漏れる。思わず肩を縮こませた。彼は相当困ってるんだ。もしくは怒ってる。どっちもかもしれない。もう、耐えられなくなってきた。そろりと彼の腕から手を離そうとしたその時。急に彼の足が動き出した。そしてあっという間にナンパ男の前を通り過ぎる。琴璃は跡部のまだ腕を掴んでいたから、連れて行かれるような絵面になっている。背後で、おい、と男の声が聞こえるけど琴璃は無視をした。とりあえず逃げ切れた。少しだけほっとした。無言のまま歩くこと数十メートル。駅周辺の人混みから抜けてわりと人の流れが落ち着いた道まで来ていた。知らない道だった。跡部の歩くままについて行っているから琴璃にはここがどこだか分からない。普段はこんなビル街の道を歩いたりしない。
「あの、いきなりすいませ――」
「しつこい野郎だな」
「へっ」
思わず腕から離れる。でも歩くことは止めない。跡部が、止まろうとする琴璃の背を押したせいだ。
「まだつけられてるぜ」
何のことかと思った。だがその意味が分かってそっと後ろを見た。さっきの男が自分たちの後をついてきている。嘘でしょ、と思った。
「アレはお前の男か?」
「まさか!さっき初めて話しかけられました」
「なんだ、ナンパか。にしてはしつこいヤツだな」
「ど、どうしよう」
「本当に俺達が待ち合わせていたのか疑ってるんだろう。あの様子じゃ、俺と別れた途端にまたお前に迫ってくるだろうよ」
「えぇっ、困ります!」
「俺も巻き込まれて困っている」
「あの、その、すいません……」
こんなはずじゃなかった。それは跡部も思っている。でも琴璃はどうしようもできなかった。跡部には迷惑かけてしまったが、彼のお陰でなんとかあの場から逃げ出せた。だから申し訳無さと感謝の両方の気持ちを抱いていた。ごめんなさいとありがとうございますを思って、隣の彼の顔を今、初めてちゃんと見た。思わず足が止まりそうになる。
「何だよ」
「あ、いえ」
芸能人かモデルの類いの人なのだろうか。そう思わせるほど整った顔つきをしていた。横顔だけでそれが充分に分かる。右目下にある泣き黒子がいっそう色気を見せている。見とれていたら彼の瞳とぶつかった。綺麗で深い青い色。髪色も日本人離れしている。透けるような金色だった。背が高くて上品な香水の香りがしてスーツがとても似合ってて。極めつけというように大人の色香が凄すぎて、琴璃は何も言葉が出てこない。何も考えずに咄嗟に捕まえた人がまさかこんなに格好良い人だったなんて。
「アイツの前で、俺を恋人の設定にでもしたのか?」
「いえ、そこまでは言ってないんですけど」
「なんだ違うのか。けど、ヤツにはそんなふうに見られてるだろうな」
歩き続けたまま跡部が笑う。こんな人が恋人だったなら。周りの人の目を一瞬で釘付けにしてしまう。そこら辺の男はきっと物怖じするだろう。なのにあの男は諦めない。まさか跡部に勝てるとでも思っているのか、もしくはそんなに琴璃のことを気に入ったのか。それとも、ただ2人の関係が嘘だというのを見破りたいだけなのか。多分、確率的に見て1番最後だろうなと琴璃は思った。どう見ても自分に声をかけたのは偶々そこに居たからだった。捕まれば女なら誰でも良かったのだ。ますます琴璃は心の中で跡部に感謝した。
「だが、仲睦まじい印象を与えたほうがアイツもさっさと諦めがつくだろう」
「……と、言いますと?」
「そう思わせるように振る舞え」
そう言うと跡部は琴璃の腰に手を回してきた。言わずもがな琴璃はぎょっとする。またしても足が止まりそうになったが跡部が許さなかった。密着した身体をしっかり支えられているので立ち止まることは許されない。
「俺達は恋人同士なんだろう?だったらお前もそれらしくしろ」
要するに演じろと言っている。恋人だなんて誰も言ってないのに。けれどこんなことになったのも、そもそも自分が巻き込んだせいのだ。もう、やるしかない。
「じ、じゃあ失礼します……」
最初のように琴璃は跡部の腕に両手をそえる。今回は恐る恐るだが。
隣を歩いてると彼からとてもいい匂いがする。すごく高級感のあるスーツを着ていて、身に着けているもの全てに品がある。自分と言ったら、今日はスキニーパンツに上はざっくりとした大判のカーディガンを羽織ってる。バイトがある日だから足元はスニーカー。隣の人とは全くもって釣り合わない格好。これではあの男に疑われるのも仕方がない。感謝と申し訳無さと更に加わった恥ずかしさが頭の中で駆け回る。色んな意味で、早くバイトに行きたいと思った。
歩き慣れた駅までの道を琴璃は歩いていた。いつもよりやや早い歩調で。ほんの少しだけ大学を出る時間がおしてしまったから気持ち早めに。このままいけばいつも通りの電車に乗れる、はずだった。
「これから予定あんの?」
歩きながら鞄の中から定期を取り出そうとしていた時だった。背後から声がした。
「ねぇ、キミだよキミ。無視しないでってば」
振り向くと琴璃のすぐ後ろに若い男が居た。見た目自分よりは歳上だと思うけれど、少なくとも知り合いではない。
「……私、ですか?」
「そーそー。キミに言ってたの」
別に誰かと待ち合わせをしていたわけじゃない。いつものようにこれからバイトに向かおうとしていただけだ。それがまさか自分に話し掛けているとは思わなかったから琴璃は驚いた。相手は全く見覚えのない男。思わず警戒する。だって相手は知らない人なのに、こっちを見て何故か笑っているから。
「これからどっか行かない?」
「すみませんが、ちょっと用事があるんで……」
やんわり断ってここから去ろうとしたのに男は諦めようとしない。それどころか、道を塞ぐように琴璃の前に回り込んで来た。
「えー嘘っしょ、それ。目が泳いでんじゃん」
「いや、その」
「もしかして俺、警戒されてる?なんでかなー、全然怪しくないじゃん」
そう言ってる時点でものすごく怪しいのに。琴璃の抵抗なんかまるで聞かずに話し掛けてくる。これではもう電車に間に合わない。
「キミ、何歳?なんて名前?ここで何してんの?」
改札目前で捕まえておいて電車に乗ろうとしていたのだと分からないのだろうか。琴璃はもう困りきっていた。どうしよう。ナンパなんてされたことないからどうやり過ごしたらいいのか分からない。
「あの、その、人を待ってるんです」
「へー?じゃあ、その人来るまで一緒に待ってよっかな」
「えぇっ」
「何時に来んの?どんな人?」
「その、えっと……」
とりあえず苦し紛れに出た嘘がこれだったのに。男にはあっさり見破られてしまう。もう駄目だ。これじゃバイトにも遅刻してしまう。こんなことなら普通にバイトに行くんです、って言えば良かった。でもそれを言ったところでこの男は理解してくれたか分からない。じゃあ何が正解だったんだろう。人が大勢居る駅前だろうが、1人の女子がナンパに困っていても誰も助けようとはしない。それなりに人の流れは多いのに、誰1人として琴璃たちに干渉はしてこない。都会はそれが当たり前のことだった。誰か助けてと言いたいけれどそんな恥ずかしい真似はできない。うっかり泣きそうになっている自分がいる。でも、泣いたところで誰も助けてはくれない。それが現実。
跡部は腕時計に目をやりながら人通りの多い改札口を抜ける。
今日は珍しく公共交通機関を使った。どっかの会社の何周年だかの記念パーティに出席をしたのだ。あまり名前を覚えていないから大した関係じゃない。けれど祖父が昔から懇意にしている先であるらしくそれで呼ばれた。ぜひお孫さんにも、と気を遣ってくれたものの面倒以外の何物でもない。
ただでさえスケジュールは詰まっているというのに、こんなことに真っ昼間の貴重な時間を使わされて。はっきり言って有意義とはかけ離れた時間だった。普段使わない地下鉄なんかに乗ったのもあって余計に疲れた。
次の予定に合わせて駅のそばの駐車場に車を停めてある。時刻はもう夕刻になるけれど、跡部の今日1日はまだまだ終わらない。この後も要人に会ったり会議に出たりとスケジュールが満載なのだ。
とりあえず連絡を入れておくか。そう思って自分の部下に電話をしようと歩きながらポケットからスマホを取り出す。すぐ目の前で1人の女がナンパされてることなんて全く眼中になかった。何やら騒いでいるくらいは感じたが何を話してるのかまで耳に入らない。その横を通り過ぎながら着信履歴から相手の番号を表示する、その時だった。
「こ、この人です!」
がばっと、いきなり腕を拘束されて最初は何が起きたか分からなかった。危うくスマホを落としそうになったが何とか握り直す。次に誰だお前、と思った。半泣き状態の女が自分の腕に抱きついている。跡部は琴璃を凝視した。ほぼ睨みつけるような形相で。反対に、琴璃は怯えたような困ったような表情で跡部を見る。場違いなことをしているのは分かっている、と目で跡部に訴えている。
「じゃ、そういうことで。えと……行きましょうか」
ごめんなさい。でもお願い、歩いて。琴璃の頭の中はそれしかない。絶体絶命なんて言葉、日常生活の中であまり使いたくないが今がまさにその時だった。咄嗟に、ほぼ反射的に隣を通り過ぎた人に飛び付いたけれど、こんなことされて相手も困るに決まっている。でもこの人に拒絶されたらナンパ男に嘘がバレる。そうなったならその先がどうなるかなんて想像するだけで怖い。
跡部は黙って琴璃を見下ろす。腕を掴んでくる彼女の手が震えていた。そして、彼女と目の前の男を交互に見やる。対照的な2人の表情を見て即座に“ワケあり”なんだと分かる。面倒くせぇな。既に色々と面倒くさい場に出席してきて、もう充分うんざりしていた。なのにこんなくだらない他人のトラブルに巻き込まれている。この後だって予定があるし、さっさと振り払ってこの場を後にするのが当然の選択だ。けれど彼女はじっと懇願の目で跡部のことを見つめている。今にも泣きそうな眼。女の涙に弱いわけじゃない。むしろ泣かせてきた数は一般男性より多いほうだと思う。そんなことは全く誇れるものじゃないのだけれど。
はぁ、と琴璃の頭上で溜め息が漏れる。思わず肩を縮こませた。彼は相当困ってるんだ。もしくは怒ってる。どっちもかもしれない。もう、耐えられなくなってきた。そろりと彼の腕から手を離そうとしたその時。急に彼の足が動き出した。そしてあっという間にナンパ男の前を通り過ぎる。琴璃は跡部のまだ腕を掴んでいたから、連れて行かれるような絵面になっている。背後で、おい、と男の声が聞こえるけど琴璃は無視をした。とりあえず逃げ切れた。少しだけほっとした。無言のまま歩くこと数十メートル。駅周辺の人混みから抜けてわりと人の流れが落ち着いた道まで来ていた。知らない道だった。跡部の歩くままについて行っているから琴璃にはここがどこだか分からない。普段はこんなビル街の道を歩いたりしない。
「あの、いきなりすいませ――」
「しつこい野郎だな」
「へっ」
思わず腕から離れる。でも歩くことは止めない。跡部が、止まろうとする琴璃の背を押したせいだ。
「まだつけられてるぜ」
何のことかと思った。だがその意味が分かってそっと後ろを見た。さっきの男が自分たちの後をついてきている。嘘でしょ、と思った。
「アレはお前の男か?」
「まさか!さっき初めて話しかけられました」
「なんだ、ナンパか。にしてはしつこいヤツだな」
「ど、どうしよう」
「本当に俺達が待ち合わせていたのか疑ってるんだろう。あの様子じゃ、俺と別れた途端にまたお前に迫ってくるだろうよ」
「えぇっ、困ります!」
「俺も巻き込まれて困っている」
「あの、その、すいません……」
こんなはずじゃなかった。それは跡部も思っている。でも琴璃はどうしようもできなかった。跡部には迷惑かけてしまったが、彼のお陰でなんとかあの場から逃げ出せた。だから申し訳無さと感謝の両方の気持ちを抱いていた。ごめんなさいとありがとうございますを思って、隣の彼の顔を今、初めてちゃんと見た。思わず足が止まりそうになる。
「何だよ」
「あ、いえ」
芸能人かモデルの類いの人なのだろうか。そう思わせるほど整った顔つきをしていた。横顔だけでそれが充分に分かる。右目下にある泣き黒子がいっそう色気を見せている。見とれていたら彼の瞳とぶつかった。綺麗で深い青い色。髪色も日本人離れしている。透けるような金色だった。背が高くて上品な香水の香りがしてスーツがとても似合ってて。極めつけというように大人の色香が凄すぎて、琴璃は何も言葉が出てこない。何も考えずに咄嗟に捕まえた人がまさかこんなに格好良い人だったなんて。
「アイツの前で、俺を恋人の設定にでもしたのか?」
「いえ、そこまでは言ってないんですけど」
「なんだ違うのか。けど、ヤツにはそんなふうに見られてるだろうな」
歩き続けたまま跡部が笑う。こんな人が恋人だったなら。周りの人の目を一瞬で釘付けにしてしまう。そこら辺の男はきっと物怖じするだろう。なのにあの男は諦めない。まさか跡部に勝てるとでも思っているのか、もしくはそんなに琴璃のことを気に入ったのか。それとも、ただ2人の関係が嘘だというのを見破りたいだけなのか。多分、確率的に見て1番最後だろうなと琴璃は思った。どう見ても自分に声をかけたのは偶々そこに居たからだった。捕まれば女なら誰でも良かったのだ。ますます琴璃は心の中で跡部に感謝した。
「だが、仲睦まじい印象を与えたほうがアイツもさっさと諦めがつくだろう」
「……と、言いますと?」
「そう思わせるように振る舞え」
そう言うと跡部は琴璃の腰に手を回してきた。言わずもがな琴璃はぎょっとする。またしても足が止まりそうになったが跡部が許さなかった。密着した身体をしっかり支えられているので立ち止まることは許されない。
「俺達は恋人同士なんだろう?だったらお前もそれらしくしろ」
要するに演じろと言っている。恋人だなんて誰も言ってないのに。けれどこんなことになったのも、そもそも自分が巻き込んだせいのだ。もう、やるしかない。
「じ、じゃあ失礼します……」
最初のように琴璃は跡部の腕に両手をそえる。今回は恐る恐るだが。
隣を歩いてると彼からとてもいい匂いがする。すごく高級感のあるスーツを着ていて、身に着けているもの全てに品がある。自分と言ったら、今日はスキニーパンツに上はざっくりとした大判のカーディガンを羽織ってる。バイトがある日だから足元はスニーカー。隣の人とは全くもって釣り合わない格好。これではあの男に疑われるのも仕方がない。感謝と申し訳無さと更に加わった恥ずかしさが頭の中で駆け回る。色んな意味で、早くバイトに行きたいと思った。