That day was dreamy
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お望みどおり自宅前まで迎えに行き、空港まで送ってやった。彼女を乗せた飛行機は問題なく予定時刻に飛んだ。実質1時間もかからず、最後は「じゃあね」とだけの素っ気ない別れ方だった。あの一言全てで片をつけてしまうのが彼女らしいとも思える。当然、今日がバレンタインデーだなんて向こうも気づいていなかった。チョコレートなんてものは貰うどころか話題にすらならなかった。本当にただの足に使われただけだった。
互いに財閥の家に生まれた者同士だったから、置かれた環境の特権や、逆に面倒な部分も分かりきっていた。だから今まで関係が切れずにいたのかもしれない。彼女は何度も“自分達は似た者同士だ”という表現をしてきた。境遇が似ていると仲間意識が自然と生まれるのは典型的な日本人の性なのだろうが、イギリス育ちの跡部はそんなふうには思わなかった。そんなものは、弱い者が同胞を求めて慰め合うみたいでみっともないと思っていた。だが頭でそうは思っていても、彼女とは不思議と波長が合ったのは認めざるをえない。周りと比べて賢い女だったからというのもある。でも、決定打は身体の相性が良かったからなんだろうな、と思う。相手が“恋しい”“寂しい”といった感情をぶつけてこなかったから都合が良かった。たまに会って食事をして、互いの話をする。あくまでも私情なんかではなく、仕事のメリットになるようなつまらない話。そして気が向いたら寝る。向こうもそんな関係に納得していたからこれまで続いたのだろう。
空港まで送る車内で彼女は跡部に「最近楽しそうね」と言ってきた。意外なことを言われて何も返せなかった。彼女の瞳には自分は楽しく仕事しているふうにでも映ったのだろうか。一緒に過ごす時は殆ど裸で抱き合うだけだったというのに、これのどこに楽しさが見えたと言うのだろうか。だが女はそういう勘がめっぽうするどい。おそらく気づいたのだろう。最近自分以外の異性が跡部と接触していたことを。
「今、何を考えているの?」
彼女は跡部にこうも聞いてきた。正直何も考えちゃいなかった。何も、というのは語弊があるが少なくとも彼女に対して何かを思うことは一切無かった。そんなことよりも昨日の会議のこととか、明日のスケジュールだとか、現実的なことばかりが頭をよぎっていた。オフ日だろうが頭の中を空には出来ない。休みだからと言ったって国際電話はかかってくるし、プロジェクトのことや家の方の仕事のことは常に脳内に存在している。あとは、今日はもうひとつのことが頭に浮かんでいた。バレンタインで忙しい花屋はどうなっただろうか。そのいつもと違うことを考えていたのが、どうやら彼女には見抜かれていたのかもしれない。
空港から再びマンションへ戻る道程で、ふと今朝の琴璃とのやりとりを思い出した。部屋中がチョコレートで埋まるだなんて夢想の世界じゃあるまいし。だが、あながち昔はそんなようなこともあったから間違いじゃない。学生時代は相当なチョコレートをプレゼントされた。大人になってからの今も、女性から何かを貰う機会はしょっちゅうある。それはバレンタインに限らずの話。そしてそれらに跡部はあまり良い思い出がない。これまで本気で渇望していたものを贈られたことはなかった。跡部が何でも手に入れることが出来てしまうからという理由を差し置いても、彼女達はまるで自己満の一貫のように物を、時には自らの気持ちや身体を押し付けてくるのだった。いつも、何かを贈られる側の自分よりも贈った女のほうがやたらと嬉しがっていた。琴璃が想像するような、一途で綺麗な気持ちはそれらのどこにも潜んでいない。バレンタインのチョコレートのような、秘めた甘い思いだけを受け取るような恋愛なんて、ここ暫く受け取った記憶がない。きっと恋愛に夢を見ているような琴璃が知ったならびっくりするだろうなと思った。
いつの間にか夕方だった。首都高を降り停車が許される場所で停まる。携帯には仕事の関係者からのメッセージが数件溜まっていたがそれには目もくれず、琴璃の連絡先を表示する。なんとなくメッセージを送ってみようと思った。
『仕事は順調か』
花屋にとってバレンタインデーは繁忙日になるらしい。仕事熱心な性格だから、送ったところで携帯を触れやしないことくらい察しがつく。仕事を終えて彼女から返ってくるメッセージは果たしてどんなものなのだろうか。そんなふうに考えていたらなんとすぐに返事がきた。
『無事に完売です!思ったより早く売りきれたので今日はもうあがりです』
という、やり切った感のメッセージとよく分からない謎のキャラクターのスタンプが送られてきた。両手を上げて喜んでいる。その画が、喜ぶ琴璃と重なる。さっき別れた女の笑顔は思い出せやしないのに琴璃の姿はいとも簡単に想像できてしまった。見えない尻尾を激しく振って嬉しそうに笑うあの顔が。跡部はそのまま“発信”をタップする。
『あれ?……電話?』
「何すっとぼけてるんだよ。仕事は無事にやり遂げたのか」
『え、あ、跡部さん!まさか電話だと思わなかったからびっくりしました』
やたらと声が弾んでいる。そんなに俺と話したかったのかよ。からかってやろうと思ったが、それより先に琴璃のほうから質問責めされる。どうしたんですかだとか今日はお休みじゃなかったんですかと、矢継ぎ早に質問を投げかけられた。だから跡部は「出掛けた帰りにお前を思い出した」と答えてやる。予想通り電話の向こうで息を呑むような音が聞こえた。電話だから慌てふためく顔が直接見られないのが惜しいと思った。車内のナビと繋いでハンズフリー通話できるようにしてから再び走らせる。夕刻の都心の大通りは次第に混雑してきていた。
「琴璃、今日俺が貰うチョコレートの数が気になってただろう。結果を教えてやろうか」
『え?あ、はい』
「ゼロだ」
『えええー!……かわいそう』
「何だそりゃ」
『だって、バレンタインなのに』
「じゃあお前がくれるのか?」
『え。……えと、ごめんなさい、そんな急には用意できないです……』
冗談で言ったのに。もの凄く動揺しているのが伝わってくる。こんなにも単純で絵に描いたような反応をするから可笑しくなってしまう。これ以上からかうのは流石に可哀想だと思いつつ構うのが楽しいだなんて考えは明らかに矛盾している。琴璃と通話中の間にも何件か着信を受けていた。だが折り返しの必要性が無いと判断したので跡部はどれにも出なかった。
『じゃあ、こないだのお返しに私がご飯をご馳走します!どうですか?あ、でも、あんなすごいレストランは知らないです』
突然そんなことを言い出したが、すぐに琴璃は「あっ」と声を張り上げる。
『でも、そうだった、跡部さん今日はお休みでしたね……すいません』
「何がだ」
『だって今日は、バレンタインだから』
「だから?」
『だから、これからデートで……』
「何わけ分かんねぇこと言ってやがる。おら、駅まで着いたぜ」
『え、ど、どこのです?』
「花屋の近くの」
『えぇっ、うそ!』
やがて道の向こうから走ってくる琴璃の姿がバックミラー越しに見えた。けれど彼女はなかなかこっちに来ない。しきりに辺りをきょろきょろ見回している。
「あぁそうか、お前がいる所から見て右側に停まっている。青色のボディの車だ」
今日乗ってきたのは完全にプライベート用の車だった。いつも乗せてやっていたのと今日は違う車種だったから琴璃は気が付けなかったのだ。指示されたとおり琴璃がこちらへ走ってくる。ようやく跡部と合流した。
「お待たせしました」
びっくりした表情の下に嬉しさが隠せずにいる。飼い主の帰宅を待ち侘びていた子犬のような、そんな顔にしか見えなかった。跡部が思い描いていたそのままの表情。だが、助手席に乗ると一瞬、その笑顔が消えた。その瞬間を跡部は見逃さなかった。
「どうした」
「いえ、なんでも」
またもとの表情に戻ったけど、琴璃はどこか落ち着かずに視線を泳がせる。
「で、どこで何を俺に振舞ってくれるんだ?」
「あ、えっとですね、氷帝の方面なんですけど……けど、本当にいいんですか?」
「あぁん?さっきからお前は何をそんなにビビってんだよ」
どこか未だ遠慮する態度の琴璃へ向かって跡部は手を伸ばした。彼女の前髪に優しく触れる。ここまで走ってきたせいで少し乱れていたのを直してやった。
「俺に会えて嬉しくねぇのか」
「……嬉しいです」
「それでいい」
サイドブレーキを解除する。車が滑らかに動き出す。外はもう冬の夜空が広がっていた。
「素直な女は嫌いじゃないぜ」
そう言われて、隣りの彼女はどんな顔をしているだろうか。考えるまでもない。頬を赤らめ瞬きを沢山しながら少し恥ずかしそうに俯いている。手に取るように分かる。信号に捕まれば確認できたのだが、すぐには引っかからなかった。
だから確認できなった。琴璃の本当の顔を。赤くなんてなっておらず、寂しそうに切なそうに笑っていた彼女の顔を。
互いに財閥の家に生まれた者同士だったから、置かれた環境の特権や、逆に面倒な部分も分かりきっていた。だから今まで関係が切れずにいたのかもしれない。彼女は何度も“自分達は似た者同士だ”という表現をしてきた。境遇が似ていると仲間意識が自然と生まれるのは典型的な日本人の性なのだろうが、イギリス育ちの跡部はそんなふうには思わなかった。そんなものは、弱い者が同胞を求めて慰め合うみたいでみっともないと思っていた。だが頭でそうは思っていても、彼女とは不思議と波長が合ったのは認めざるをえない。周りと比べて賢い女だったからというのもある。でも、決定打は身体の相性が良かったからなんだろうな、と思う。相手が“恋しい”“寂しい”といった感情をぶつけてこなかったから都合が良かった。たまに会って食事をして、互いの話をする。あくまでも私情なんかではなく、仕事のメリットになるようなつまらない話。そして気が向いたら寝る。向こうもそんな関係に納得していたからこれまで続いたのだろう。
空港まで送る車内で彼女は跡部に「最近楽しそうね」と言ってきた。意外なことを言われて何も返せなかった。彼女の瞳には自分は楽しく仕事しているふうにでも映ったのだろうか。一緒に過ごす時は殆ど裸で抱き合うだけだったというのに、これのどこに楽しさが見えたと言うのだろうか。だが女はそういう勘がめっぽうするどい。おそらく気づいたのだろう。最近自分以外の異性が跡部と接触していたことを。
「今、何を考えているの?」
彼女は跡部にこうも聞いてきた。正直何も考えちゃいなかった。何も、というのは語弊があるが少なくとも彼女に対して何かを思うことは一切無かった。そんなことよりも昨日の会議のこととか、明日のスケジュールだとか、現実的なことばかりが頭をよぎっていた。オフ日だろうが頭の中を空には出来ない。休みだからと言ったって国際電話はかかってくるし、プロジェクトのことや家の方の仕事のことは常に脳内に存在している。あとは、今日はもうひとつのことが頭に浮かんでいた。バレンタインで忙しい花屋はどうなっただろうか。そのいつもと違うことを考えていたのが、どうやら彼女には見抜かれていたのかもしれない。
空港から再びマンションへ戻る道程で、ふと今朝の琴璃とのやりとりを思い出した。部屋中がチョコレートで埋まるだなんて夢想の世界じゃあるまいし。だが、あながち昔はそんなようなこともあったから間違いじゃない。学生時代は相当なチョコレートをプレゼントされた。大人になってからの今も、女性から何かを貰う機会はしょっちゅうある。それはバレンタインに限らずの話。そしてそれらに跡部はあまり良い思い出がない。これまで本気で渇望していたものを贈られたことはなかった。跡部が何でも手に入れることが出来てしまうからという理由を差し置いても、彼女達はまるで自己満の一貫のように物を、時には自らの気持ちや身体を押し付けてくるのだった。いつも、何かを贈られる側の自分よりも贈った女のほうがやたらと嬉しがっていた。琴璃が想像するような、一途で綺麗な気持ちはそれらのどこにも潜んでいない。バレンタインのチョコレートのような、秘めた甘い思いだけを受け取るような恋愛なんて、ここ暫く受け取った記憶がない。きっと恋愛に夢を見ているような琴璃が知ったならびっくりするだろうなと思った。
いつの間にか夕方だった。首都高を降り停車が許される場所で停まる。携帯には仕事の関係者からのメッセージが数件溜まっていたがそれには目もくれず、琴璃の連絡先を表示する。なんとなくメッセージを送ってみようと思った。
『仕事は順調か』
花屋にとってバレンタインデーは繁忙日になるらしい。仕事熱心な性格だから、送ったところで携帯を触れやしないことくらい察しがつく。仕事を終えて彼女から返ってくるメッセージは果たしてどんなものなのだろうか。そんなふうに考えていたらなんとすぐに返事がきた。
『無事に完売です!思ったより早く売りきれたので今日はもうあがりです』
という、やり切った感のメッセージとよく分からない謎のキャラクターのスタンプが送られてきた。両手を上げて喜んでいる。その画が、喜ぶ琴璃と重なる。さっき別れた女の笑顔は思い出せやしないのに琴璃の姿はいとも簡単に想像できてしまった。見えない尻尾を激しく振って嬉しそうに笑うあの顔が。跡部はそのまま“発信”をタップする。
『あれ?……電話?』
「何すっとぼけてるんだよ。仕事は無事にやり遂げたのか」
『え、あ、跡部さん!まさか電話だと思わなかったからびっくりしました』
やたらと声が弾んでいる。そんなに俺と話したかったのかよ。からかってやろうと思ったが、それより先に琴璃のほうから質問責めされる。どうしたんですかだとか今日はお休みじゃなかったんですかと、矢継ぎ早に質問を投げかけられた。だから跡部は「出掛けた帰りにお前を思い出した」と答えてやる。予想通り電話の向こうで息を呑むような音が聞こえた。電話だから慌てふためく顔が直接見られないのが惜しいと思った。車内のナビと繋いでハンズフリー通話できるようにしてから再び走らせる。夕刻の都心の大通りは次第に混雑してきていた。
「琴璃、今日俺が貰うチョコレートの数が気になってただろう。結果を教えてやろうか」
『え?あ、はい』
「ゼロだ」
『えええー!……かわいそう』
「何だそりゃ」
『だって、バレンタインなのに』
「じゃあお前がくれるのか?」
『え。……えと、ごめんなさい、そんな急には用意できないです……』
冗談で言ったのに。もの凄く動揺しているのが伝わってくる。こんなにも単純で絵に描いたような反応をするから可笑しくなってしまう。これ以上からかうのは流石に可哀想だと思いつつ構うのが楽しいだなんて考えは明らかに矛盾している。琴璃と通話中の間にも何件か着信を受けていた。だが折り返しの必要性が無いと判断したので跡部はどれにも出なかった。
『じゃあ、こないだのお返しに私がご飯をご馳走します!どうですか?あ、でも、あんなすごいレストランは知らないです』
突然そんなことを言い出したが、すぐに琴璃は「あっ」と声を張り上げる。
『でも、そうだった、跡部さん今日はお休みでしたね……すいません』
「何がだ」
『だって今日は、バレンタインだから』
「だから?」
『だから、これからデートで……』
「何わけ分かんねぇこと言ってやがる。おら、駅まで着いたぜ」
『え、ど、どこのです?』
「花屋の近くの」
『えぇっ、うそ!』
やがて道の向こうから走ってくる琴璃の姿がバックミラー越しに見えた。けれど彼女はなかなかこっちに来ない。しきりに辺りをきょろきょろ見回している。
「あぁそうか、お前がいる所から見て右側に停まっている。青色のボディの車だ」
今日乗ってきたのは完全にプライベート用の車だった。いつも乗せてやっていたのと今日は違う車種だったから琴璃は気が付けなかったのだ。指示されたとおり琴璃がこちらへ走ってくる。ようやく跡部と合流した。
「お待たせしました」
びっくりした表情の下に嬉しさが隠せずにいる。飼い主の帰宅を待ち侘びていた子犬のような、そんな顔にしか見えなかった。跡部が思い描いていたそのままの表情。だが、助手席に乗ると一瞬、その笑顔が消えた。その瞬間を跡部は見逃さなかった。
「どうした」
「いえ、なんでも」
またもとの表情に戻ったけど、琴璃はどこか落ち着かずに視線を泳がせる。
「で、どこで何を俺に振舞ってくれるんだ?」
「あ、えっとですね、氷帝の方面なんですけど……けど、本当にいいんですか?」
「あぁん?さっきからお前は何をそんなにビビってんだよ」
どこか未だ遠慮する態度の琴璃へ向かって跡部は手を伸ばした。彼女の前髪に優しく触れる。ここまで走ってきたせいで少し乱れていたのを直してやった。
「俺に会えて嬉しくねぇのか」
「……嬉しいです」
「それでいい」
サイドブレーキを解除する。車が滑らかに動き出す。外はもう冬の夜空が広がっていた。
「素直な女は嫌いじゃないぜ」
そう言われて、隣りの彼女はどんな顔をしているだろうか。考えるまでもない。頬を赤らめ瞬きを沢山しながら少し恥ずかしそうに俯いている。手に取るように分かる。信号に捕まれば確認できたのだが、すぐには引っかからなかった。
だから確認できなった。琴璃の本当の顔を。赤くなんてなっておらず、寂しそうに切なそうに笑っていた彼女の顔を。