That day was dreamy
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花屋のバイトは完全に休んでいるわけではなかった。週に1回しか出られない時もあるが、それでも店長は助かると言ってくれたのでまだ一応続けている。
そして今日はその出勤日で、たまたま大学も就活も両者休みのためシフトは開店時間から組まれていた。珍しく日中からの勤務。ちなみに今日は2月の14日。少し特別な日。忙しいのは殆どチョコレート業界だけど、花屋さんも多少はこのイベントの恩恵を受ける。だから琴璃は少し張りきっていた。
張りきりついでに、店に向かう前にもう1つのバイトをこなそうと思いたったのが今朝。今週は珍しく予定がつまっていてまだ跡部のマンションへ掃除しに来ていなかった。だから今朝の早いうちにこなしてしまおうと思ったのだ。時刻は朝の8時。琴璃の家からこのマンションまで来て、その後に花屋に向かうのは距離的にはそこまで離れてはいないのだが、路線が異なるためいちいち乗り換えなくてはならない。だから時間に余裕をもって来た。早いかと思えたが彼はきっともう出社しているだろうから問題ない。あの人にオフの日なんてあるんだろうか、と何度か思ったことがある。それほどに、彼がここに居るところにまだ1度も出くわしたことがない。
今でもドアを開ける時は微かに緊張してしまう。良かった、女性物の靴は無い。それが確認できてようやく琴璃は忍び足で歩くのをやめた。家主にちゃんと許可をもらっているのに未だに空き巣みたいな訪れ方をしている。
室内はやっぱり綺麗なままだった。先週来た時となんら変化のないリビングルーム。週に1度無いし2度くらいのスパンで掃除に来ているけれど、あまり自分の意味がない気がする。なのに、大した労働もしてないのにお給料がもらえるのだからとても割りの良いバイトだ。こんなに甘やかされてしまっていいのだろうか。友人は相変わらず疑ってるしこのバイトに肯定的ではない。だから琴璃はあまり自分からは話せなかった。話したところで、やっぱりあんたは絶対に騙されてるだとか言われそうな気がするから。彼女が心配してくれるのは分かる。琴璃だって、騙されてるとは思わないけど、こんな素敵な時間は長くは続かない。それくらい最初から気づいてる。いずれ夢から現実に引き戻される感覚を味わわなければならない。だけどもう少しだけ夢を見ていたいと思ってしまう。それは現実逃避にも似た考えだ。最近はここに来るたびこんな葛藤をしていた。
ベランダの窓を開けて空気を入れ換える。高層階の特権で都会の街並みが一望できる。この素晴らしすぎる景色を見ていると、今が良ければ別に何でも良いじゃないか、と、開き直ってしまいそうになる。
その時。かたん、と音がした。バスルームのほうからだ。何かが倒れる音というより、ドアを開閉するような音。まさか。息を止めて近づきびくびくしながらドアの取手を握る。そうっと、バスルームに続くドアを引こうとしたらいきなり反対側から押されたので琴璃は思わず叫んだ。綺麗なキャアという声が出た。
「なんだお前いたのか。ずいぶん早いんだな」
漫画のような悲鳴をあげる琴璃に驚くことなく跡部は言う。
「ていうか、服を、着てくださいよ」
部屋から出てきた彼は腰にタオルは巻いているけど、ほぼ裸みたいな格好をしている。どうやらシャワーを浴びていたようだ。
「なんだよ、自分の家でどんな格好していようが勝手だろうが」
「でも、目のやり場に困ります……」
「はん。こんなんでビクついてるようじゃあ、まだまだガキだな、琴璃チャン?」
からかわれてると分かっていてもうまく反論できない。琴璃にはあまりにも刺激が強すぎる。これ以上は直視できずどうしていいか困ってしまった。だが何故か跡部はそのままじりじり近づいてくる。彼の髪から滴る水滴が琴璃の頭に落ちた。その拍子で琴璃の肩がびくりと跳ねた。完全に、琴璃の反応を面白がっている。眼の前に跡部が立ち塞がっているせいで、ここから出ようにも出られない。
「……通してくださいよ」
「雇用者の髪を乾かすのは、家事代行の仕事には入ってねぇのか」
「入ってるわけないです!」
琴璃は思いきり喚いて、籠の中に入っていたバスローブを跡部に向かって投げつけ逃げるように部屋を出た。気を取り直して仕事をする。シンクに残されていたグラスを洗って拭いた後、棚にしまった。
「やけに今日は早いじゃねえか」
きちんと着替えた跡部がリビングへやってきた。スーツ以外の私服の彼を初めて見るからなんだか不思議だった。完全にプライベートな格好だから余計に。
「すいません早くに。今日はバイトの掛け持ちです。この後、花屋さんのほうにいきます」
「なんだ、花屋は休職中にしてたんじゃないのか」
「ほぼそんな感じなんですけど、バレンタインの日だけは忙しいからできたら出てほしいって店長からお願いされたんです。ほら、男性が女性にお花を贈ったりもしますよね。だから今日は普段よりちょっと忙しい日なんです」
「ご苦労なこった」
「跡部さんはこれから出勤ですか?」
「今日は、休みだ」
「……お休みなんてあったんだ」
「なんだその反応は。俺にだってオフはある」
「ですよね、今日はバレンタインデーですしね」
きっとデートのために休みをとったんだろう。それを思ったらまた、よくないモヤモヤが心の中に生まれ出す。これは持っちゃいけない感情だ。どうにか押し込めた。
「跡部さんはいつもどれくらいチョコ貰ったりするんですか?……あ、すいません。私語でした。仕事します」
「気になるのか?」
「そりゃあ、モテる人のチョコの数って気になります。この部屋埋め尽くされちゃうくらいだったりして」
笑いながら言って、琴璃は鞄からワックスペーパーに巻かれた花を出し一輪挿しの花瓶にいけた。これも琴璃が持ち込んだもの。殺風景すぎるリビングが少し和らいだ気がした。
「そんなに気になるんなら見に来ればいい」
「え……」
跡部はニヤリと笑ってそれだけ言うと寝室のほうへ姿を消した。お陰で掃除はやりやすい。けれどすごく気になってきた。今日が終わったら、この部屋がどれくらいのチョコで埋もれているんだろう。本命の人以外からも、会社とかそれ以外の場所でも貰うはず。あんなに格好いい人だから沢山の人に想われているのは当然だ。でもその中で1番大切にしている人はどんな人なんだろう。琴璃がまだ見ぬ彼の恋人は今夜ここを訪れるのだろうか。自分が掃除したこの部屋で甘いバレンタインの夜を過ごすのかもしれない。それを思ったら途端に動かす手が重く感じてしまった。独りでにため息が漏れる。複雑な気持ちを抱えながら部屋の掃除を終えた。沈む気持ちで開け放していた窓を閉める。外はまだ2月らしくひんやりとした空気だった。
琴璃が帰ってから暫くして、テーブルに置いていた携帯がメッセージを受信した。
『フライトは今夜。見送りしてくれても良いんじゃない?』
別に見送ってほしいわけじゃないくせに。どうせ、荷物が多いから自分を足に使いたいだけ。そんなことは分かりきっているけど、それ以上何も思わずただ機械的に『分かった』と返事を送った。その際、画面の左上に映し出される今日の日付に目が行く。2月14日。今日はバレンタインデーだったんだな。今朝琴璃に言われるまで全く気がつかなかった。
部屋が溢れ返るほどチョコレートを貰えるだなんて、まさか彼女は本気で思っているのだろうか。そんなわけあるかと一瞬思ったが、学生の頃にはそれなりの量のバレンタインチョコを貰っていた過去を思い出した。それを教えてやったのならまた大きなリアクションを見せてくるんだろう。あの何でも信じてしまう無垢な目で。すごいですね、と嬉しそうに笑うのだろう。見たいけど、生憎そんな数の想いを受け取る予定は今日無かった。これから会う相手だってどうせ、バレンタインなんざ全く気にしちゃいない。
そして今日はその出勤日で、たまたま大学も就活も両者休みのためシフトは開店時間から組まれていた。珍しく日中からの勤務。ちなみに今日は2月の14日。少し特別な日。忙しいのは殆どチョコレート業界だけど、花屋さんも多少はこのイベントの恩恵を受ける。だから琴璃は少し張りきっていた。
張りきりついでに、店に向かう前にもう1つのバイトをこなそうと思いたったのが今朝。今週は珍しく予定がつまっていてまだ跡部のマンションへ掃除しに来ていなかった。だから今朝の早いうちにこなしてしまおうと思ったのだ。時刻は朝の8時。琴璃の家からこのマンションまで来て、その後に花屋に向かうのは距離的にはそこまで離れてはいないのだが、路線が異なるためいちいち乗り換えなくてはならない。だから時間に余裕をもって来た。早いかと思えたが彼はきっともう出社しているだろうから問題ない。あの人にオフの日なんてあるんだろうか、と何度か思ったことがある。それほどに、彼がここに居るところにまだ1度も出くわしたことがない。
今でもドアを開ける時は微かに緊張してしまう。良かった、女性物の靴は無い。それが確認できてようやく琴璃は忍び足で歩くのをやめた。家主にちゃんと許可をもらっているのに未だに空き巣みたいな訪れ方をしている。
室内はやっぱり綺麗なままだった。先週来た時となんら変化のないリビングルーム。週に1度無いし2度くらいのスパンで掃除に来ているけれど、あまり自分の意味がない気がする。なのに、大した労働もしてないのにお給料がもらえるのだからとても割りの良いバイトだ。こんなに甘やかされてしまっていいのだろうか。友人は相変わらず疑ってるしこのバイトに肯定的ではない。だから琴璃はあまり自分からは話せなかった。話したところで、やっぱりあんたは絶対に騙されてるだとか言われそうな気がするから。彼女が心配してくれるのは分かる。琴璃だって、騙されてるとは思わないけど、こんな素敵な時間は長くは続かない。それくらい最初から気づいてる。いずれ夢から現実に引き戻される感覚を味わわなければならない。だけどもう少しだけ夢を見ていたいと思ってしまう。それは現実逃避にも似た考えだ。最近はここに来るたびこんな葛藤をしていた。
ベランダの窓を開けて空気を入れ換える。高層階の特権で都会の街並みが一望できる。この素晴らしすぎる景色を見ていると、今が良ければ別に何でも良いじゃないか、と、開き直ってしまいそうになる。
その時。かたん、と音がした。バスルームのほうからだ。何かが倒れる音というより、ドアを開閉するような音。まさか。息を止めて近づきびくびくしながらドアの取手を握る。そうっと、バスルームに続くドアを引こうとしたらいきなり反対側から押されたので琴璃は思わず叫んだ。綺麗なキャアという声が出た。
「なんだお前いたのか。ずいぶん早いんだな」
漫画のような悲鳴をあげる琴璃に驚くことなく跡部は言う。
「ていうか、服を、着てくださいよ」
部屋から出てきた彼は腰にタオルは巻いているけど、ほぼ裸みたいな格好をしている。どうやらシャワーを浴びていたようだ。
「なんだよ、自分の家でどんな格好していようが勝手だろうが」
「でも、目のやり場に困ります……」
「はん。こんなんでビクついてるようじゃあ、まだまだガキだな、琴璃チャン?」
からかわれてると分かっていてもうまく反論できない。琴璃にはあまりにも刺激が強すぎる。これ以上は直視できずどうしていいか困ってしまった。だが何故か跡部はそのままじりじり近づいてくる。彼の髪から滴る水滴が琴璃の頭に落ちた。その拍子で琴璃の肩がびくりと跳ねた。完全に、琴璃の反応を面白がっている。眼の前に跡部が立ち塞がっているせいで、ここから出ようにも出られない。
「……通してくださいよ」
「雇用者の髪を乾かすのは、家事代行の仕事には入ってねぇのか」
「入ってるわけないです!」
琴璃は思いきり喚いて、籠の中に入っていたバスローブを跡部に向かって投げつけ逃げるように部屋を出た。気を取り直して仕事をする。シンクに残されていたグラスを洗って拭いた後、棚にしまった。
「やけに今日は早いじゃねえか」
きちんと着替えた跡部がリビングへやってきた。スーツ以外の私服の彼を初めて見るからなんだか不思議だった。完全にプライベートな格好だから余計に。
「すいません早くに。今日はバイトの掛け持ちです。この後、花屋さんのほうにいきます」
「なんだ、花屋は休職中にしてたんじゃないのか」
「ほぼそんな感じなんですけど、バレンタインの日だけは忙しいからできたら出てほしいって店長からお願いされたんです。ほら、男性が女性にお花を贈ったりもしますよね。だから今日は普段よりちょっと忙しい日なんです」
「ご苦労なこった」
「跡部さんはこれから出勤ですか?」
「今日は、休みだ」
「……お休みなんてあったんだ」
「なんだその反応は。俺にだってオフはある」
「ですよね、今日はバレンタインデーですしね」
きっとデートのために休みをとったんだろう。それを思ったらまた、よくないモヤモヤが心の中に生まれ出す。これは持っちゃいけない感情だ。どうにか押し込めた。
「跡部さんはいつもどれくらいチョコ貰ったりするんですか?……あ、すいません。私語でした。仕事します」
「気になるのか?」
「そりゃあ、モテる人のチョコの数って気になります。この部屋埋め尽くされちゃうくらいだったりして」
笑いながら言って、琴璃は鞄からワックスペーパーに巻かれた花を出し一輪挿しの花瓶にいけた。これも琴璃が持ち込んだもの。殺風景すぎるリビングが少し和らいだ気がした。
「そんなに気になるんなら見に来ればいい」
「え……」
跡部はニヤリと笑ってそれだけ言うと寝室のほうへ姿を消した。お陰で掃除はやりやすい。けれどすごく気になってきた。今日が終わったら、この部屋がどれくらいのチョコで埋もれているんだろう。本命の人以外からも、会社とかそれ以外の場所でも貰うはず。あんなに格好いい人だから沢山の人に想われているのは当然だ。でもその中で1番大切にしている人はどんな人なんだろう。琴璃がまだ見ぬ彼の恋人は今夜ここを訪れるのだろうか。自分が掃除したこの部屋で甘いバレンタインの夜を過ごすのかもしれない。それを思ったら途端に動かす手が重く感じてしまった。独りでにため息が漏れる。複雑な気持ちを抱えながら部屋の掃除を終えた。沈む気持ちで開け放していた窓を閉める。外はまだ2月らしくひんやりとした空気だった。
琴璃が帰ってから暫くして、テーブルに置いていた携帯がメッセージを受信した。
『フライトは今夜。見送りしてくれても良いんじゃない?』
別に見送ってほしいわけじゃないくせに。どうせ、荷物が多いから自分を足に使いたいだけ。そんなことは分かりきっているけど、それ以上何も思わずただ機械的に『分かった』と返事を送った。その際、画面の左上に映し出される今日の日付に目が行く。2月14日。今日はバレンタインデーだったんだな。今朝琴璃に言われるまで全く気がつかなかった。
部屋が溢れ返るほどチョコレートを貰えるだなんて、まさか彼女は本気で思っているのだろうか。そんなわけあるかと一瞬思ったが、学生の頃にはそれなりの量のバレンタインチョコを貰っていた過去を思い出した。それを教えてやったのならまた大きなリアクションを見せてくるんだろう。あの何でも信じてしまう無垢な目で。すごいですね、と嬉しそうに笑うのだろう。見たいけど、生憎そんな数の想いを受け取る予定は今日無かった。これから会う相手だってどうせ、バレンタインなんざ全く気にしちゃいない。