That day was dreamy
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エントランスホールを抜けてメインのエレベーターを素通りし、奥の専用のそれの乗り場に向かう。カードをかざすとあとはもう勝手に高層階まで連れていってくれる。入室までの一連の流れはようやく慣れてきた。でも、この場所には永久的に慣れないと思う。
たどり着いた高層階。自分の足音がやたらと響く。このフロアには彼以外の住人は居ないらしい。――でも。
“彼女と鉢合わせするかもしれないじゃん”。
友人にあんなことを言われてからは警戒せざるを得なくなった。もしかしたら、と思ってしまう。
カードキーで解錠した後、そうっと扉を開ける。今日も人の気配はなかった。そこでやっと良かった、と胸を撫で下ろす自分がいる。
もし、本当に跡部の彼女と鉢合わせしてしまったら。その時はどうすればいいんだろう。あってほしくはない展開だが、確率はゼロじゃない。掃除のバイトで来てます、と弁明すれば信じてくれるだろうか。でももし、その場で掃除の必要は無いとか言われて追い返されでもしてしまったら――。
そこまで考えてはっと我に返る。何をそんなに焦ってるんだろうか。たとえ恋人と対面したとして、自分なんかに勘違いするわけがないだろう。でも、頭ではそう思ってるのに何故かモヤモヤしてしまう。最近はずっと、こんな煮えきらない気持ちが頭の中を埋め尽くしている。
せっかく短期間のバイトという扱いでそばにいさせてもらってるのに。自分で自分を問い詰めて気持ちを沈めている。成り行きでまだもう少し彼と関わりが持てていることを素直に喜べない。
この部屋で琴璃に課された仕事は掃除のみだった。跡部はここで殆ど飲食をしない。洗濯もしない。服は1度着たら全てクリーニングという事実を知った時、やっぱり生きる世界が違う人だなあと思った。でも、毎日過密なスケジュールでしょっちゅう国外にも飛んでいる人なのだから当然といえば当然か。ちなみに琴璃も泊めてもらったあの豪邸にも帰る日はあるらしいが、こっちのほうが会社にも空港にも近いから基本的にこのマンションに帰ってくるらしい。忙しいからほぼ帰って寝るだけの場所として使っている。なのにこんな、見晴らしが良くて無駄に広い物件なのである。常人なら疑問に思う所だが、きっと彼は普通じゃないからこうなったんだろうな、と思うことにする。
広いフローリングを何往復もして掃除機をかける。掃除をしている間は無心になれる。週1で良いと言われたが、何だかんだで週に2回は来てる気がする。就活の為に融通のきくバイトを探していたのに、明らかにバイトの方を張り切っているではないか。
だがこの仕事はすぐに終わってしまう。綺麗にする場所なんて毎回ほとんどないのだ。掃除機をしまい戸締りを確認して、さて帰ろうとした時。ポケットの中の携帯から振動を感じた。画面に映る名前を見て思わず目を見開く。跡部からだった。電話をもらったことなんて今までになかったから、突然のことで少し手がもたついた。
「もしもし」
『琴璃お前、今俺の部屋に来てるのか?』
「あ、はい、そうですけど……まずかったですかね」
もしかしてこれから恋人が帰ってくるのか。一瞬思った。
『パソコンの前にUSBがあるか見てくれ』
言われてその部屋に行くと、デスクの上のパソコンにUSBメモリが刺さってるのを見つけた。
「あ。あります」
『やっぱり家だったか』
「……あの。私、届けに行きましょうか?」
あまり考えずにそう口にしていた。なんでそんなこと言ってしまったのだろうか。そんなの、彼の役に立ちたいと思ったからだ。これはれっきとしたおつかい任務だ。決して会いたいからとか、下心から出た言葉じゃない。無理矢理そう言い聞かせてることに気付かないふりをして、USBメモリをぎゅっと握ると彼の家を出た。
迷いそうな幾つもある都会の駅の出口。跡部に教えられたところから地上に出ると、早速目の前にスマートビルが立ち並ぶオフィス街のど真ん中だった。だいぶ陽は傾き、あちらこちらで電灯が点き始めている。視界はあまり見易くない。彼は自分を見つけられるだろうか。
「跡部さん、どこだろ」
電話してみようか。そう思って鞄から携帯を出そうとした時、突然後ろから肩をつかまれた。
「これで分かっただろ?」
「えーウソぉー」
「なぁんだ。本当に連れがいるのね。残念」
知ってる声と、その後に続けて女性2人分の声がする。前者は間違いなく跡部だった。琴璃の肩を抱いているのが彼だった。残る2人は知らない人達。琴璃より歳が上なのは間違いない。どちらも高級そうなファー付きのコートを身に纏っていて、どこか少しきつそうな印象。状況がよく分からず琴璃が固まっていると、行こっか、と彼女らは歩いていってしまった。琴璃はぽかんと見ていた。
「悪かったな、使い走りにして」
「あ、いえ。えっと……これです」
「あぁ」
「じゃあ、私はこれで」
「もう少し付き合えよ」
「え?」
駅へ引き返そうとする琴璃を跡部は放さない。肩を抱いたまま、駅とは反対方向へ歩くように促した。
「……あのう」
「アイツらがまだ見てる」
跡部がアイツら、と呼んだのは先ほどの女性2人組だった。琴璃たちの数十メートル向こうからこちらをちらちら伺っている。
「……誰なんですか?あの人たちは」
「さぁな。お前を迎えに行くために駅まで歩いていたら捕まった」
ようするに逆ナンというもの。
「本当にお前が俺の待ち人なのか、確かめたいんだろう。だからお前、暫く俺と居ろよ」
言いながら、別に困っている素振りもなく軽い足取りで歩き続ける跡部。彼にとったら女性のほうから声をかけられることは特段珍しくはないのだろう。
「フ、まるでどっかであったようなシチュエーションだな」
琴璃も思った。2人が初めて会った時と同じだ。琴璃がよく分からない男に付き纏われていて、それを追い払うために跡部が恋人のふりをしてくれた。それが出会いだった。
今もまさしくそんな状況。跡部は自分に恋人のふりをさせたいのだろうか。生憎それは難しいと思う。誰がどう見ても、自分はこの人と釣り合わないから。そんなことは自分が誰よりも知っている。
「……きっと、私が子供っぽいから疑ってるんですね、あの人たち。だからいつまでもついてくるんだ」
「なんだよ、珍しく機嫌が悪いじゃねぇの」
「別に、そんなことないですけど」
その時跡部の携帯が鳴る。歩き続けながら短い会話をしたかと思うとあっさりその電話を切った。
「リスケになった」
「え?」
「今日のミーティングは無くなった。海外の支部が都合がつかなくなったらしい。折角お前に持ってきてもらったが、無駄になっちまったな」
「別に、大丈夫ですよ」
「お前はもう帰るだけなんだろう?」
跡部は腕時計を見る。6時か、と呟いた。
「食事にでも行くか」
「え?なんで?」
「たまには被雇用者にガス抜きさせるのも雇用者の義務だよな」
「……どういうことですか」
「いいから行くぞ。何が食べたい」
琴璃は分かりやすく面食らう。どうして自分なんかを食事に誘うんだろうか。たまたま時間ができて、たまたま自分が一緒にいたからなのだろうけど。何にせよ勘違いしたらいけない。お気遣いありがとうございます、でも大丈夫ですから帰ります。それが正しい対応だ。なのに、こんなふうに優しくされてそばにいられて、本当に断るべきなのか。どうしたらいいんだろう。ぐるぐると余計なことを考えてしまう。
「どうした?」
僅かに顔を上げただけで青い瞳とぶつかった。跡部が、琴璃の顔を覗き込んでいる。何度見てもドキドキしてしまう。この青い瞳は、自分の揺れ動く気持ちを見透かしているのだろうか。こんな至近距離で見つめられたら、かろうじての理性があっという間に吸い込まれてしまう。意識しないなんて無理だ。躊躇してた心は一瞬にして何処かへ消え去ってしまった。
「えっと……美味しいものがいいです」
「バァカ。俺が不味いもんを振る舞うわけねぇだろうが。フレンチにするか」
跡部はどこかへ電話をかけ、相手に「20分後に着くからよろしく頼む」と告げ切った。
いずれバイトが終わればこの人にはそう簡単には会えなくなる。この人のこんな近い距離に立てることなんて今だけの特権だ。だったら、今この瞬間を満喫してしまえばいいじゃないか。せっかくの機会なのだ。別に何も悪いことなんてしていないんだから。少しだけ夢を見たって良いじゃないか。
琴璃はちらりと後ろを見る。もうあの2人組の姿は無くなっていた。無事に自分は恋人に見られたのだろうか。分からないけどほっとした。
いいんだ。夢を見られる時間は限られてる。それはちゃんと分かっているから、たとえその時がきても迷ったりしない。
だから今だけはもう少しだけ、夢を見させてほしい。ひっそりと願いながら陽の落ちた都会の道をこんな素敵な人と歩く。目に映る街灯がきらきらしていた。この煌めきも夢のようにいつか、無くなるのなら。今だけは大切に目に焼き付けておこうと思った。
たどり着いた高層階。自分の足音がやたらと響く。このフロアには彼以外の住人は居ないらしい。――でも。
“彼女と鉢合わせするかもしれないじゃん”。
友人にあんなことを言われてからは警戒せざるを得なくなった。もしかしたら、と思ってしまう。
カードキーで解錠した後、そうっと扉を開ける。今日も人の気配はなかった。そこでやっと良かった、と胸を撫で下ろす自分がいる。
もし、本当に跡部の彼女と鉢合わせしてしまったら。その時はどうすればいいんだろう。あってほしくはない展開だが、確率はゼロじゃない。掃除のバイトで来てます、と弁明すれば信じてくれるだろうか。でももし、その場で掃除の必要は無いとか言われて追い返されでもしてしまったら――。
そこまで考えてはっと我に返る。何をそんなに焦ってるんだろうか。たとえ恋人と対面したとして、自分なんかに勘違いするわけがないだろう。でも、頭ではそう思ってるのに何故かモヤモヤしてしまう。最近はずっと、こんな煮えきらない気持ちが頭の中を埋め尽くしている。
せっかく短期間のバイトという扱いでそばにいさせてもらってるのに。自分で自分を問い詰めて気持ちを沈めている。成り行きでまだもう少し彼と関わりが持てていることを素直に喜べない。
この部屋で琴璃に課された仕事は掃除のみだった。跡部はここで殆ど飲食をしない。洗濯もしない。服は1度着たら全てクリーニングという事実を知った時、やっぱり生きる世界が違う人だなあと思った。でも、毎日過密なスケジュールでしょっちゅう国外にも飛んでいる人なのだから当然といえば当然か。ちなみに琴璃も泊めてもらったあの豪邸にも帰る日はあるらしいが、こっちのほうが会社にも空港にも近いから基本的にこのマンションに帰ってくるらしい。忙しいからほぼ帰って寝るだけの場所として使っている。なのにこんな、見晴らしが良くて無駄に広い物件なのである。常人なら疑問に思う所だが、きっと彼は普通じゃないからこうなったんだろうな、と思うことにする。
広いフローリングを何往復もして掃除機をかける。掃除をしている間は無心になれる。週1で良いと言われたが、何だかんだで週に2回は来てる気がする。就活の為に融通のきくバイトを探していたのに、明らかにバイトの方を張り切っているではないか。
だがこの仕事はすぐに終わってしまう。綺麗にする場所なんて毎回ほとんどないのだ。掃除機をしまい戸締りを確認して、さて帰ろうとした時。ポケットの中の携帯から振動を感じた。画面に映る名前を見て思わず目を見開く。跡部からだった。電話をもらったことなんて今までになかったから、突然のことで少し手がもたついた。
「もしもし」
『琴璃お前、今俺の部屋に来てるのか?』
「あ、はい、そうですけど……まずかったですかね」
もしかしてこれから恋人が帰ってくるのか。一瞬思った。
『パソコンの前にUSBがあるか見てくれ』
言われてその部屋に行くと、デスクの上のパソコンにUSBメモリが刺さってるのを見つけた。
「あ。あります」
『やっぱり家だったか』
「……あの。私、届けに行きましょうか?」
あまり考えずにそう口にしていた。なんでそんなこと言ってしまったのだろうか。そんなの、彼の役に立ちたいと思ったからだ。これはれっきとしたおつかい任務だ。決して会いたいからとか、下心から出た言葉じゃない。無理矢理そう言い聞かせてることに気付かないふりをして、USBメモリをぎゅっと握ると彼の家を出た。
迷いそうな幾つもある都会の駅の出口。跡部に教えられたところから地上に出ると、早速目の前にスマートビルが立ち並ぶオフィス街のど真ん中だった。だいぶ陽は傾き、あちらこちらで電灯が点き始めている。視界はあまり見易くない。彼は自分を見つけられるだろうか。
「跡部さん、どこだろ」
電話してみようか。そう思って鞄から携帯を出そうとした時、突然後ろから肩をつかまれた。
「これで分かっただろ?」
「えーウソぉー」
「なぁんだ。本当に連れがいるのね。残念」
知ってる声と、その後に続けて女性2人分の声がする。前者は間違いなく跡部だった。琴璃の肩を抱いているのが彼だった。残る2人は知らない人達。琴璃より歳が上なのは間違いない。どちらも高級そうなファー付きのコートを身に纏っていて、どこか少しきつそうな印象。状況がよく分からず琴璃が固まっていると、行こっか、と彼女らは歩いていってしまった。琴璃はぽかんと見ていた。
「悪かったな、使い走りにして」
「あ、いえ。えっと……これです」
「あぁ」
「じゃあ、私はこれで」
「もう少し付き合えよ」
「え?」
駅へ引き返そうとする琴璃を跡部は放さない。肩を抱いたまま、駅とは反対方向へ歩くように促した。
「……あのう」
「アイツらがまだ見てる」
跡部がアイツら、と呼んだのは先ほどの女性2人組だった。琴璃たちの数十メートル向こうからこちらをちらちら伺っている。
「……誰なんですか?あの人たちは」
「さぁな。お前を迎えに行くために駅まで歩いていたら捕まった」
ようするに逆ナンというもの。
「本当にお前が俺の待ち人なのか、確かめたいんだろう。だからお前、暫く俺と居ろよ」
言いながら、別に困っている素振りもなく軽い足取りで歩き続ける跡部。彼にとったら女性のほうから声をかけられることは特段珍しくはないのだろう。
「フ、まるでどっかであったようなシチュエーションだな」
琴璃も思った。2人が初めて会った時と同じだ。琴璃がよく分からない男に付き纏われていて、それを追い払うために跡部が恋人のふりをしてくれた。それが出会いだった。
今もまさしくそんな状況。跡部は自分に恋人のふりをさせたいのだろうか。生憎それは難しいと思う。誰がどう見ても、自分はこの人と釣り合わないから。そんなことは自分が誰よりも知っている。
「……きっと、私が子供っぽいから疑ってるんですね、あの人たち。だからいつまでもついてくるんだ」
「なんだよ、珍しく機嫌が悪いじゃねぇの」
「別に、そんなことないですけど」
その時跡部の携帯が鳴る。歩き続けながら短い会話をしたかと思うとあっさりその電話を切った。
「リスケになった」
「え?」
「今日のミーティングは無くなった。海外の支部が都合がつかなくなったらしい。折角お前に持ってきてもらったが、無駄になっちまったな」
「別に、大丈夫ですよ」
「お前はもう帰るだけなんだろう?」
跡部は腕時計を見る。6時か、と呟いた。
「食事にでも行くか」
「え?なんで?」
「たまには被雇用者にガス抜きさせるのも雇用者の義務だよな」
「……どういうことですか」
「いいから行くぞ。何が食べたい」
琴璃は分かりやすく面食らう。どうして自分なんかを食事に誘うんだろうか。たまたま時間ができて、たまたま自分が一緒にいたからなのだろうけど。何にせよ勘違いしたらいけない。お気遣いありがとうございます、でも大丈夫ですから帰ります。それが正しい対応だ。なのに、こんなふうに優しくされてそばにいられて、本当に断るべきなのか。どうしたらいいんだろう。ぐるぐると余計なことを考えてしまう。
「どうした?」
僅かに顔を上げただけで青い瞳とぶつかった。跡部が、琴璃の顔を覗き込んでいる。何度見てもドキドキしてしまう。この青い瞳は、自分の揺れ動く気持ちを見透かしているのだろうか。こんな至近距離で見つめられたら、かろうじての理性があっという間に吸い込まれてしまう。意識しないなんて無理だ。躊躇してた心は一瞬にして何処かへ消え去ってしまった。
「えっと……美味しいものがいいです」
「バァカ。俺が不味いもんを振る舞うわけねぇだろうが。フレンチにするか」
跡部はどこかへ電話をかけ、相手に「20分後に着くからよろしく頼む」と告げ切った。
いずれバイトが終わればこの人にはそう簡単には会えなくなる。この人のこんな近い距離に立てることなんて今だけの特権だ。だったら、今この瞬間を満喫してしまえばいいじゃないか。せっかくの機会なのだ。別に何も悪いことなんてしていないんだから。少しだけ夢を見たって良いじゃないか。
琴璃はちらりと後ろを見る。もうあの2人組の姿は無くなっていた。無事に自分は恋人に見られたのだろうか。分からないけどほっとした。
いいんだ。夢を見られる時間は限られてる。それはちゃんと分かっているから、たとえその時がきても迷ったりしない。
だから今だけはもう少しだけ、夢を見させてほしい。ひっそりと願いながら陽の落ちた都会の道をこんな素敵な人と歩く。目に映る街灯がきらきらしていた。この煌めきも夢のようにいつか、無くなるのなら。今だけは大切に目に焼き付けておこうと思った。