春の匂いがした
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強豪校にはほぼオフの日なんて存在しないから、土曜日である今日もテニス部は活動をしている。
今日は午前中の早いうちからまあまあ気温が高かった。真田が赤也に水分補給を怠るなよと言っている様子を見ながら幸村はただ何をするでもなくベンチでぼーっとしていた。でも、どこか持て余していたから座りながらラケッティングはしていた。ぼーっとしているというのにフレームの部分でそれをやってのけている。ポンポンと一定のリズムでボールを真上に突いている。意外と難しい芸当を無表情でやっているから、レギュラーたちは離れたところから彼を訝しげに見ていた。昼休憩まであと10分くらいある。多分、誰も声をかけなければこのまま休憩までやり続けるだろう。でもそろそろ真田あたりが動くんじゃないか、と他の者たちは少しヒヤヒヤしていた。
「あ」
ここから見える花壇の付近に1人の女子生徒が姿を現した。さっきから、幸村は赤也たちを見ていたわけではなく、その向こうの花壇を見つめていたのだ。それは懐かしいあの時のように。そして今、あの時と同じように彼女が姿を見せたものだから。見つけた瞬間幸村は思い切りボールを高く上げラケットをベンチに置くと、彼女の方向に向かって駆け出した。
「いって!」
走り抜ける幸村の後ろで、ラケッティングを放棄したボールを赤也が頭でキャッチした。本人はそんなの構うことなくなかなかの速さで走ってゆく。
「琴璃」
フェンス越しに彼女の名前を呼ぶ。振り向いた彼女はジョウロを持っていた。今日は土曜日だから私服姿だった。幸村を見た琴璃はフェンスの方へ近付いて来る。
「幸村くん」
「どうしたの。今日は休みなのに」
「今日はなかなか暑いからお水あげにきたの。こないだ植えたばっかりだからちょっと心配になって」
「ふぅん」
「幸村くん?どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
俺に先に会いに来てほしかったな、と、子供みたいなことを思ってしまった。花に嫉妬したなんて初めてだ。面食らうどころか、そんな一面が自分にもあるのだと知り笑いそうになる。
「もうこの後は帰るの?」
「うん」
「じゃあさ、一緒にお昼食べようよ。それで水に流してあげる」
「うん。……なにを流すの?」
「ちょっと待ってて」
琴璃の問いには答えず、にこりと笑ってコート出口のほうへ行ってしまった。フェンスから出て琴璃の居る方へまわるために。平然とコートを横切って何処かへ行こうとする幸村を真田が発見する。
「おい幸村、何処へ行く。正午まであと少しあるぞ」
「そうだけど、俺はもう昼休憩にさせてもらうね。適当にあとやっといて」
待たんか、という真田の声を無視してコートを出た。仮にも部長が、こんなに堂々と練習を放棄していいわけがない。真田は何処に行くのかと追い掛けようとした。その時後ろから赤也がやって来る。今し方のやり取りをずっと見ていた。
「うへー幸村部長、あれは彼女ッスね」
「なんだと!しかしまだ部活中なのは変わりないだろうが」
「けど、あれを阻んで部長のこと連れ戻せます?真田副部長は」
あれ、と赤也が顎で示す先に幸村と琴璃が居る。2人は何やら話をしていて楽しそうだった。琴璃にとっては幸村はいつも穏やかな人に映っているが、部員たちから見た今の彼はまるで別人のようだった。普段も笑うには笑うけど、あんなふうに優しさ100%で笑う幸村は見たことがない。軽く悪寒さえ走る。
「恐らくやめておいたほうがいいだろうな」
いつの間にか柳も会話に参加してきた。赤也たちと同じように物珍しげに我らが部長を観察している。
「このまま空気を読まずに精市のもとへ行ってみろ、弦一郎。午後の練習内容がどうなることか想像できるだろう?」
「うへぇ」
赤也が不味そうな顔をしてべーっと舌を出した。真田はまだ少し納得がいっていないようだった。そうこうしてる内に時刻は正午になってしまった。致し方ない。不在の部長の代わりに真田が、休憩に入るように、と声を張り上げ叫んだのだった。
「うちの甘党代表がさ、言ってたんだ。そこのケーキ美味しいからランチと一緒に頼んでみろって」
立海の敷地から出て街の中を少し歩く。幸村がお昼を食べようよ、と言って琴璃を連れ出した。近くにあるカフェレストランに行くと言う。今はちゃんと部活は昼休憩の時間だ。だけど外に出ちゃっていいの?、と琴璃に心配されたので、幸村は大丈夫だよ、と言った。もはや真田の不満げな態度は全く気にしてない。というか、気付いてすらいない。
「もう春も終わりだね」
「ね。すぐ夏になっちゃう。幸村くんは春と夏どっちが好き?」
「どっちかって言うと春かな」
「花がいっぱい咲くから?」
「それもあるけど、春のほうが過ごしやすい。毎年のことだけど、炎天下の中でテニスするのは結構身体に堪えるからね」
「そっか、そうだよね」
真夏の太陽の下で動き回るのはなかなかきついよ、と。でも、いつも自分の前では爽やかだから、きっとどんなに暑くたってテニスをしてる姿は格好良いんだろうなと琴璃は思う。今も彼はジャージを羽織っている。その下から見える腕は、すらりとしてると思いき実は近くで見るとわりと筋肉がついている。直視しすぎたのか気付かれた。
「なに?」
「え、あ、ううん何でもない」
「繋ぎたいの?」
「へっ?」
「俺の手を見てたでしょ」
手、というか腕だけど。見ていたことに変わりはないから琴璃はこくん、と頷いた。それは見ていたことに対しての頷きだったのに。
「はい」
と、琴璃に向かって自身の手を差し出してきた。ちょうど交差点の信号が赤だった。幸村は琴璃と向き合うように立つ。
「手。繋がないの?」
ずるい。幸村のように、余裕なんて今の自分には一匙も無くて。ただ目を合わせて笑い返すだけでも精いっぱいなのに。緊張を纏いながら彼の左掌の上に自分の右手を重ねた。すかさずぎゅっと強く握られた。
「行こうか。青になったよ」
「うん」
今日の気候も夏手前に近いようなものだった。まだそこまで蒸し暑さは感じないけれど日差しがわりと強い。あっという間に夏だね。彼の言葉に照れながらもそうだね、と返す。まだ右手が緊張している。
「夏は、春より好きにはなれないけど。でもキミのことは今よりももっと好きになれる自信あるよ」
手を繋いだまま幸村が微笑む。琴璃の好きな優しい笑顔で。季節が巡ってもずっとこの手を取って。花を眺めて綺麗だね、と笑う彼女を守れたのなら。これ以上ない幸せなのかもしれない。
今日は午前中の早いうちからまあまあ気温が高かった。真田が赤也に水分補給を怠るなよと言っている様子を見ながら幸村はただ何をするでもなくベンチでぼーっとしていた。でも、どこか持て余していたから座りながらラケッティングはしていた。ぼーっとしているというのにフレームの部分でそれをやってのけている。ポンポンと一定のリズムでボールを真上に突いている。意外と難しい芸当を無表情でやっているから、レギュラーたちは離れたところから彼を訝しげに見ていた。昼休憩まであと10分くらいある。多分、誰も声をかけなければこのまま休憩までやり続けるだろう。でもそろそろ真田あたりが動くんじゃないか、と他の者たちは少しヒヤヒヤしていた。
「あ」
ここから見える花壇の付近に1人の女子生徒が姿を現した。さっきから、幸村は赤也たちを見ていたわけではなく、その向こうの花壇を見つめていたのだ。それは懐かしいあの時のように。そして今、あの時と同じように彼女が姿を見せたものだから。見つけた瞬間幸村は思い切りボールを高く上げラケットをベンチに置くと、彼女の方向に向かって駆け出した。
「いって!」
走り抜ける幸村の後ろで、ラケッティングを放棄したボールを赤也が頭でキャッチした。本人はそんなの構うことなくなかなかの速さで走ってゆく。
「琴璃」
フェンス越しに彼女の名前を呼ぶ。振り向いた彼女はジョウロを持っていた。今日は土曜日だから私服姿だった。幸村を見た琴璃はフェンスの方へ近付いて来る。
「幸村くん」
「どうしたの。今日は休みなのに」
「今日はなかなか暑いからお水あげにきたの。こないだ植えたばっかりだからちょっと心配になって」
「ふぅん」
「幸村くん?どうしたの?」
「ううん、なんでもないよ」
俺に先に会いに来てほしかったな、と、子供みたいなことを思ってしまった。花に嫉妬したなんて初めてだ。面食らうどころか、そんな一面が自分にもあるのだと知り笑いそうになる。
「もうこの後は帰るの?」
「うん」
「じゃあさ、一緒にお昼食べようよ。それで水に流してあげる」
「うん。……なにを流すの?」
「ちょっと待ってて」
琴璃の問いには答えず、にこりと笑ってコート出口のほうへ行ってしまった。フェンスから出て琴璃の居る方へまわるために。平然とコートを横切って何処かへ行こうとする幸村を真田が発見する。
「おい幸村、何処へ行く。正午まであと少しあるぞ」
「そうだけど、俺はもう昼休憩にさせてもらうね。適当にあとやっといて」
待たんか、という真田の声を無視してコートを出た。仮にも部長が、こんなに堂々と練習を放棄していいわけがない。真田は何処に行くのかと追い掛けようとした。その時後ろから赤也がやって来る。今し方のやり取りをずっと見ていた。
「うへー幸村部長、あれは彼女ッスね」
「なんだと!しかしまだ部活中なのは変わりないだろうが」
「けど、あれを阻んで部長のこと連れ戻せます?真田副部長は」
あれ、と赤也が顎で示す先に幸村と琴璃が居る。2人は何やら話をしていて楽しそうだった。琴璃にとっては幸村はいつも穏やかな人に映っているが、部員たちから見た今の彼はまるで別人のようだった。普段も笑うには笑うけど、あんなふうに優しさ100%で笑う幸村は見たことがない。軽く悪寒さえ走る。
「恐らくやめておいたほうがいいだろうな」
いつの間にか柳も会話に参加してきた。赤也たちと同じように物珍しげに我らが部長を観察している。
「このまま空気を読まずに精市のもとへ行ってみろ、弦一郎。午後の練習内容がどうなることか想像できるだろう?」
「うへぇ」
赤也が不味そうな顔をしてべーっと舌を出した。真田はまだ少し納得がいっていないようだった。そうこうしてる内に時刻は正午になってしまった。致し方ない。不在の部長の代わりに真田が、休憩に入るように、と声を張り上げ叫んだのだった。
「うちの甘党代表がさ、言ってたんだ。そこのケーキ美味しいからランチと一緒に頼んでみろって」
立海の敷地から出て街の中を少し歩く。幸村がお昼を食べようよ、と言って琴璃を連れ出した。近くにあるカフェレストランに行くと言う。今はちゃんと部活は昼休憩の時間だ。だけど外に出ちゃっていいの?、と琴璃に心配されたので、幸村は大丈夫だよ、と言った。もはや真田の不満げな態度は全く気にしてない。というか、気付いてすらいない。
「もう春も終わりだね」
「ね。すぐ夏になっちゃう。幸村くんは春と夏どっちが好き?」
「どっちかって言うと春かな」
「花がいっぱい咲くから?」
「それもあるけど、春のほうが過ごしやすい。毎年のことだけど、炎天下の中でテニスするのは結構身体に堪えるからね」
「そっか、そうだよね」
真夏の太陽の下で動き回るのはなかなかきついよ、と。でも、いつも自分の前では爽やかだから、きっとどんなに暑くたってテニスをしてる姿は格好良いんだろうなと琴璃は思う。今も彼はジャージを羽織っている。その下から見える腕は、すらりとしてると思いき実は近くで見るとわりと筋肉がついている。直視しすぎたのか気付かれた。
「なに?」
「え、あ、ううん何でもない」
「繋ぎたいの?」
「へっ?」
「俺の手を見てたでしょ」
手、というか腕だけど。見ていたことに変わりはないから琴璃はこくん、と頷いた。それは見ていたことに対しての頷きだったのに。
「はい」
と、琴璃に向かって自身の手を差し出してきた。ちょうど交差点の信号が赤だった。幸村は琴璃と向き合うように立つ。
「手。繋がないの?」
ずるい。幸村のように、余裕なんて今の自分には一匙も無くて。ただ目を合わせて笑い返すだけでも精いっぱいなのに。緊張を纏いながら彼の左掌の上に自分の右手を重ねた。すかさずぎゅっと強く握られた。
「行こうか。青になったよ」
「うん」
今日の気候も夏手前に近いようなものだった。まだそこまで蒸し暑さは感じないけれど日差しがわりと強い。あっという間に夏だね。彼の言葉に照れながらもそうだね、と返す。まだ右手が緊張している。
「夏は、春より好きにはなれないけど。でもキミのことは今よりももっと好きになれる自信あるよ」
手を繋いだまま幸村が微笑む。琴璃の好きな優しい笑顔で。季節が巡ってもずっとこの手を取って。花を眺めて綺麗だね、と笑う彼女を守れたのなら。これ以上ない幸せなのかもしれない。
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