春の匂いがした
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「あの人と付き合ってるんですか」
同じことをもう一度琴璃に聞いてきた。今日の彼の目つきは暗かった。なんというか、生気がない。琴璃を恨んでいるかのようなそれ。思わず後ずさったら彼はその分また距離を詰めてきた。このままここに1人で居たら駄目だ、と頭の中で警笛が鳴る。
「あの……」
「付き合ってるんですか。あの人と」
「そうだよ」
また別の声がして。2人で同時に振り向いた。その“あの人”が立っていた。
「だから、これ以上彼女を困らせないでほしいな。俺の大事な存在だから」
なんとも爽やかな笑顔でそんな言葉を告げる。2年の彼は何も喋らなかった。幸村の登場と、その物言いに何も言葉が出てこないんだと思う。拒否の言葉を笑顔で言う幸村ほど怖いものはない。いつも優しく笑うのに、今日のそれはちょっと違うのだと琴璃でも感じとれた。
「おいで琴璃」
最後にそう言って幸村は足を動かす。でも上体は琴璃のほうにまだ振り向いていた。琴璃は反射的に小走りで幸村の後について行く。2人の距離感がゼロになった時、幸村は琴璃の手を掴んで前を向いて歩き出した。もう、後ろは振り向かない。そのまま暫く歩いて、校舎と中庭を繋ぐ通路までやって来た。
「あれで今度こそ大丈夫だよ。あの顔は完全に信じてた。それでも言い寄ってきたらまた言って。その時はもう、こっちも出るとこ出るから」
「あの、幸村くん」
「ん?」
「嘘、だよね?」
ぎゅっとジョウロを持つ手に力が入る。流れで持ってきてしまった。もう片方の手はまだ幸村に掴まれたまま。琴璃は幸村の顔を見れなかった。俯いたままもう一度聞いた。
「嘘だよね」
「本当にしていいの?」
「え」
思わず顔をあげた。いつもの、変わらない穏やかな笑顔がそこにある。
「ねぇ、アイツに言い寄られるようになったのっていつ?」
「え?えと……、2年の冬頃。今から半年くらい前かな」
「じゃあ俺の勝ち」
「幸村くん?」
「気持ち悪いって言わないでね」
「……何を?」
「俺は、それよりずっと前からキミのこと見てたよ」
え、と声が出たのもつかの間。掴まれていた腕をぐいと引っ張られた。直後にゴン、と鈍い音。思わずジョウロを手から離してしまった。バランスを崩した琴璃は幸村の胸に飛び込む形になる。
またこの匂いだ。花のようないい匂いが、優しく琴璃を包んだ。琴璃の心臓は未だかつてないくらいの速さになる。
「キミのこと、見てた。キミがあの庭に綺麗に花咲かせる前から」
ぽそりと幸村が言う。初めて告げる真実。
気付いた時にはずっと見てた。一生懸命、額に汗を浮かべながら草むしりしている時から。でもその当時は、琴璃に好意的な感情さえ持ち合わせてなかった。頑張ってるな、お花が好きならきっと良い子なんだろうな、くらいだった。遠くから見ていただけで声も聞いたことなかったし彼女の瞳の色すら知らなかった。なのに気付いたら探してた。部活の前、部活上がり。あの子は今日も来ているのだろうか。見つけても話し掛けるなんてことしないけれど、琴璃が居るとどこかで気持ちが落ち着いた。何の関わりも無いのにどうしてそんなことを思ったのか。その時は考えもしなかったけど、今は何となく分かる気がする。彼女が花に水をあげる眼差しが、とても優しかった。まるで好きな誰かに向けるかのように目尻を緩めて水を与えていた。その視線を注がれる花たちが羨ましいな。これが人間なら、向けられた人は幸せだろうな。そんなふうに思ったのが秋の深まる頃。琴璃によって花壇に植えられた花たちのピークは過ぎ、彼女はもうほとんど姿を見せなくなってしまった頃だった。名前も声も知らないまま半年が過ぎて、3学年になり新たなクラスになった時、まさか自分の後ろの席になるなんてびっくりした。初日にうっかりキミのこと知ってるよ、と言いそうになったけど、よくよく考えたら急にそんなこと言われて怖がられるかもしれないと思った。だから踏みとどまった。実際にあの時言わなくて良かったと思う。でも今、ようやく真実を告げて。幸村を見る琴璃の瞳は真ん丸く見開かれていた。ただじっと、こちらを見つめている琴璃。
「やっぱり引いてる?」
「ううん、違くて。その、びっくりしてる」
「見られてたことに?」
「うん。あと、それと……今に」
2人はまだ密着していた。抱き寄せられた琴璃は身を固くして顔を赤くして、腕の中で幸村を見上げている。あぁ可愛いな、と声に出しそうになる。もしかしたら出ていたかも知れない。
「キミが俺から離れないってことは、“本当”のことにしていいんだよね」
そうは言うくせに幸村はしっかりと琴璃の肩を掴んでいた。これでは離れたいと思っても離れることは叶わない。でも別に琴璃は構わなかった。驚いたけど、離れるつもりなんてなかったから。
「こんな手の込んだやり方じゃなくて。キミをちゃんと、堂々と守れる男になりたいな。だからさ、俺がキミを守ってあげるから俺のことも見つめてよ。あの花を見るように」
「……うん。ありがとう」
あの日幸村が羨んだ彼女の眼差しが、今しっかりと向けられている。瞳の中に自分が映っている。これ以上なく心が満たされる気がした。
「その、幸村くん」
「なに?」
「私も、気持ち悪いこと言ってもいい?」
頬を一層赤らめて、瞬きを沢山しながら琴璃が呟く。キミがそんなこと言うなんて、と笑いながら琴璃の次の言葉を待つ。
「幸村くんって、いつもいい匂いがするね。お花みたいないい匂い」
「あぁ、それはきっとハーブだ。ゼラニウムかな」
「ハーブ?」
「毎朝うちの庭のハーブに触れてくるからさ。多分、服に移っちゃうんだろうな」
「そうなんだ。ハーブかぁ。教室で話した時も、一緒にホームセンター行った時も、いい匂いだなって思ってたの。ふんわり漂ってきて、素敵だなあって。香水でもなさそうだしなんだろうってずっと思ってたけど、そっか、ハーブだったのかぁ」
今日1番にこんなに生き生きと琴璃が喋ったので幸村は思わず噴き出した。それは初めて言われたことじゃない。クラスの人にも部活仲間にもいい匂いがすると言われたことがある。でも琴璃に言われた今が1番嬉しかった。笑い出した幸村を見て琴璃はますます顔を赤くする。
「ご、ごめん、やっぱり気持ち悪かったよね」
「ううん、嬉しいよ。だって俺のことを意識してくれてたってことだから」
「そう、なのかな」
「もしかして自覚なかった?」
「……うん」
「じゃあ。もっと俺のことを感じてもらおうかな」
そう言って笑って、琴璃の体を包み込むように、けれどぎゅっと抱き締めた。
「やっとつかまえた」
その囁きに琴璃は思わず息を呑む。ばくばくばくと、鳴り続ける心臓と闘いながらも優しい香りが安心させてくれる。好きな人は花の匂い。優しい春の匂いだと思った。
同じことをもう一度琴璃に聞いてきた。今日の彼の目つきは暗かった。なんというか、生気がない。琴璃を恨んでいるかのようなそれ。思わず後ずさったら彼はその分また距離を詰めてきた。このままここに1人で居たら駄目だ、と頭の中で警笛が鳴る。
「あの……」
「付き合ってるんですか。あの人と」
「そうだよ」
また別の声がして。2人で同時に振り向いた。その“あの人”が立っていた。
「だから、これ以上彼女を困らせないでほしいな。俺の大事な存在だから」
なんとも爽やかな笑顔でそんな言葉を告げる。2年の彼は何も喋らなかった。幸村の登場と、その物言いに何も言葉が出てこないんだと思う。拒否の言葉を笑顔で言う幸村ほど怖いものはない。いつも優しく笑うのに、今日のそれはちょっと違うのだと琴璃でも感じとれた。
「おいで琴璃」
最後にそう言って幸村は足を動かす。でも上体は琴璃のほうにまだ振り向いていた。琴璃は反射的に小走りで幸村の後について行く。2人の距離感がゼロになった時、幸村は琴璃の手を掴んで前を向いて歩き出した。もう、後ろは振り向かない。そのまま暫く歩いて、校舎と中庭を繋ぐ通路までやって来た。
「あれで今度こそ大丈夫だよ。あの顔は完全に信じてた。それでも言い寄ってきたらまた言って。その時はもう、こっちも出るとこ出るから」
「あの、幸村くん」
「ん?」
「嘘、だよね?」
ぎゅっとジョウロを持つ手に力が入る。流れで持ってきてしまった。もう片方の手はまだ幸村に掴まれたまま。琴璃は幸村の顔を見れなかった。俯いたままもう一度聞いた。
「嘘だよね」
「本当にしていいの?」
「え」
思わず顔をあげた。いつもの、変わらない穏やかな笑顔がそこにある。
「ねぇ、アイツに言い寄られるようになったのっていつ?」
「え?えと……、2年の冬頃。今から半年くらい前かな」
「じゃあ俺の勝ち」
「幸村くん?」
「気持ち悪いって言わないでね」
「……何を?」
「俺は、それよりずっと前からキミのこと見てたよ」
え、と声が出たのもつかの間。掴まれていた腕をぐいと引っ張られた。直後にゴン、と鈍い音。思わずジョウロを手から離してしまった。バランスを崩した琴璃は幸村の胸に飛び込む形になる。
またこの匂いだ。花のようないい匂いが、優しく琴璃を包んだ。琴璃の心臓は未だかつてないくらいの速さになる。
「キミのこと、見てた。キミがあの庭に綺麗に花咲かせる前から」
ぽそりと幸村が言う。初めて告げる真実。
気付いた時にはずっと見てた。一生懸命、額に汗を浮かべながら草むしりしている時から。でもその当時は、琴璃に好意的な感情さえ持ち合わせてなかった。頑張ってるな、お花が好きならきっと良い子なんだろうな、くらいだった。遠くから見ていただけで声も聞いたことなかったし彼女の瞳の色すら知らなかった。なのに気付いたら探してた。部活の前、部活上がり。あの子は今日も来ているのだろうか。見つけても話し掛けるなんてことしないけれど、琴璃が居るとどこかで気持ちが落ち着いた。何の関わりも無いのにどうしてそんなことを思ったのか。その時は考えもしなかったけど、今は何となく分かる気がする。彼女が花に水をあげる眼差しが、とても優しかった。まるで好きな誰かに向けるかのように目尻を緩めて水を与えていた。その視線を注がれる花たちが羨ましいな。これが人間なら、向けられた人は幸せだろうな。そんなふうに思ったのが秋の深まる頃。琴璃によって花壇に植えられた花たちのピークは過ぎ、彼女はもうほとんど姿を見せなくなってしまった頃だった。名前も声も知らないまま半年が過ぎて、3学年になり新たなクラスになった時、まさか自分の後ろの席になるなんてびっくりした。初日にうっかりキミのこと知ってるよ、と言いそうになったけど、よくよく考えたら急にそんなこと言われて怖がられるかもしれないと思った。だから踏みとどまった。実際にあの時言わなくて良かったと思う。でも今、ようやく真実を告げて。幸村を見る琴璃の瞳は真ん丸く見開かれていた。ただじっと、こちらを見つめている琴璃。
「やっぱり引いてる?」
「ううん、違くて。その、びっくりしてる」
「見られてたことに?」
「うん。あと、それと……今に」
2人はまだ密着していた。抱き寄せられた琴璃は身を固くして顔を赤くして、腕の中で幸村を見上げている。あぁ可愛いな、と声に出しそうになる。もしかしたら出ていたかも知れない。
「キミが俺から離れないってことは、“本当”のことにしていいんだよね」
そうは言うくせに幸村はしっかりと琴璃の肩を掴んでいた。これでは離れたいと思っても離れることは叶わない。でも別に琴璃は構わなかった。驚いたけど、離れるつもりなんてなかったから。
「こんな手の込んだやり方じゃなくて。キミをちゃんと、堂々と守れる男になりたいな。だからさ、俺がキミを守ってあげるから俺のことも見つめてよ。あの花を見るように」
「……うん。ありがとう」
あの日幸村が羨んだ彼女の眼差しが、今しっかりと向けられている。瞳の中に自分が映っている。これ以上なく心が満たされる気がした。
「その、幸村くん」
「なに?」
「私も、気持ち悪いこと言ってもいい?」
頬を一層赤らめて、瞬きを沢山しながら琴璃が呟く。キミがそんなこと言うなんて、と笑いながら琴璃の次の言葉を待つ。
「幸村くんって、いつもいい匂いがするね。お花みたいないい匂い」
「あぁ、それはきっとハーブだ。ゼラニウムかな」
「ハーブ?」
「毎朝うちの庭のハーブに触れてくるからさ。多分、服に移っちゃうんだろうな」
「そうなんだ。ハーブかぁ。教室で話した時も、一緒にホームセンター行った時も、いい匂いだなって思ってたの。ふんわり漂ってきて、素敵だなあって。香水でもなさそうだしなんだろうってずっと思ってたけど、そっか、ハーブだったのかぁ」
今日1番にこんなに生き生きと琴璃が喋ったので幸村は思わず噴き出した。それは初めて言われたことじゃない。クラスの人にも部活仲間にもいい匂いがすると言われたことがある。でも琴璃に言われた今が1番嬉しかった。笑い出した幸村を見て琴璃はますます顔を赤くする。
「ご、ごめん、やっぱり気持ち悪かったよね」
「ううん、嬉しいよ。だって俺のことを意識してくれてたってことだから」
「そう、なのかな」
「もしかして自覚なかった?」
「……うん」
「じゃあ。もっと俺のことを感じてもらおうかな」
そう言って笑って、琴璃の体を包み込むように、けれどぎゅっと抱き締めた。
「やっとつかまえた」
その囁きに琴璃は思わず息を呑む。ばくばくばくと、鳴り続ける心臓と闘いながらも優しい香りが安心させてくれる。好きな人は花の匂い。優しい春の匂いだと思った。