春の匂いがした
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次の日、琴璃は早くに登校した。グラウンドではいくつかの運動部が朝練をしていて賑やかだった。そこを横切ると球を打つ音が聞こえてくる。当然、強豪の立海テニス部も同じように朝練をしていた。ならば彼もいるのだろうか。目を凝らしてフェンスの向こうを見つめて見たけれど、コートに幸村は居なかった。たまたま休みなのかなと思って通り過ぎる、その時に自分の名を呼ばれる。
「琴璃、こっちだよ」
部室の方角から幸村がやって来るところだった。琴璃に向かって手を振っている。今、躊躇いなく彼は『琴璃』と下の名で呼んだ。昨日も、あの生徒から自分を守るために名前で呼んだ。昨日のあれっきりだけかと思っていたのに。ちょっとびっくりしてしまった。でも別に嫌とかではないから、そのまま琴璃も笑って幸村に小さく手を振り返す。フェンスを挟んで琴璃の目の前まで幸村が来た。
「おはよう。早いんだね。キミは何部なんだい?」
「おはよう幸村くん。私は部活入ってないんだ。今朝はね、昨日見た時ちょっと雑草があったから、草むしりしにきたの。草って、あっという間に生えちゃうんだね」
何度か瞬きをして幸村は琴璃の顔をじっと見る。だからどうしたのという顔をしている。どうやら琴璃の意図していることが通じていない。確かに、これだけの情報では些か無理がある。
「あ、えっと、またあの場所にお花植えようかと思って。それで、まずは綺麗にしなきゃと思って少し早くに来たの。昨日、幸村くんがあんなふうに言ってくれたから嬉しくて、それで」
説明しながらも最後の方は声のボリュームが落ちていった。やっぱりちょっとだけ恥ずかしさもあった。昨日の今日で、こんなに意識を変えたことが。けれど琴璃の言葉を聞いて幸村は目を細める。
「なんだ、そういうことだったんだ。それは良いね。何を植えるの?」
「そこまでまだ決まってないんだ。先生にもまだ言ってないし。どうしようかなって、思ってる」
「そっか」
2人のクラスの担任は園芸にまるで興味が無さそうな感じがする。あんな狭い場所に花なんて植えなくてもいい、とか言い出しそうな雰囲気さえある。恐らく彼女もそれを危惧しているのだろう。さてどうしようか。担任の攻略方法を考えながらも他にもう1つ、どうしようか、と考える。あそこに何を植えたら良いだろう。こっちの悩みはわくわくする悩みである。花好きの幸村にとっては考えるだけで楽しい。それは琴璃も同じである。
「この時期は色んな花のポットの苗が売ってるよね」
「うん。あっという間に夏が来ちゃうから、多少は暑さに強いほうがいいかなって」
「じゃあさ、一緒に見に行こうよ。候補の花」
「え?」
「俺と見に行くの、どう?嫌?」
「嫌なんて、そんな。よろしくお願いします」
嬉しそうに幸村が笑った。つられて琴璃も口元が緩む。まさか幸村に誘われるなんてびっくりしたけど、素直に嬉しかった。
「あれ、でも一緒に行ってくれるにしても幸村くん部活あるよね」
「そうなんだよ。だからさ、キミさえ良ければ俺が終わるの待っててほしいんだけど。めんどくさい?」
「ううん、そんなことないよ」
「良かった」
ふわりと風が吹いた。その時にまた感じた香りが。昨日の教室で嗅いだものと同じだった。花みたいな、自然の創り出す優しい匂い。あれは幸村くんだったんだ。お花の香りがするなんてモテる人は違うんだなあ。そんな思いで彼のことを見てしまった。そうしたら、彼はにこりと笑いかけてきた。不意打ちすぎてドキッとしてしまう。もうこれ以上直視できなくて、琴璃はじゃあ行くね、と言ってテニスコートの前から離れた。
「ねぇ。赤也のクラスにこーゆう目付きで短髪の男って居ない?」
「……なんスか、急に」
朝練が終わって着替えている赤也のもとに幸村がやってきた。部長のほうから話し掛けてくるなんて、何かやらかしたのか、と赤也は一瞬身構えた。けれど別に怒られるわけではなかった。幸村は自分の目を指で釣り上げて赤也に見せてくる。何なんだろうこの人、と思った。そんなのでこーゆう目つきと言われても、それだけではどんな顔だかいまいち分からない。
「つり目ってことッスか?それっぽい顔のヤツなんてめっちゃいますよ。つか、髪型が短髪なんて言われても男はみんな短髪だし。あ、仁王先輩以外か」
「じゃあ駄目かぁ」
「何かあったのか」
2人のやり取りを見ていたのか真田が話に入ってくる。げ、と赤也だけ分かりやすく嫌な顔をした。
「いや、同じクラスの子がさぁ、変な奴につきまとわれててさ」
「ええ!まじスか」
「そいつがどうやら2年の生徒らしくて。もし赤也の知ってるヤツならシメてもらおうかなって思ってさ」
「……何ということを言っておるのだ、幸村」
ニコッと笑って言うような話ではない。しかも自分の手でなくその役を赤也にさせようと目論んでいた。赤也はそんなことちっとも気にしてないようだった。多分、パシリではなく頼られてると思い込んでいる。
「名前とか、分かんねーんスか?そしたら探し出せるかもですけど」
「あ、そういえば聞かなかったなぁ。あとで聞いてみようか」
「つーか、つきまとわれてるって何スか。もしかしてストーカーってやつ?」
「まぁ、度合いはどうなのか分からないけど、そうなるよね」
「うへぇ、マジ?同じ学校内で?」
「ね。大したヤツだよね」
真田は何も喋らずただじっと幸村を見ていた。その顔つきはなかなか険しい。
「どしたの?真田」
「その、お前の言う同じクラスの子というのは女子なのか」
「そーだよ?え、何、今更?」
「ストーカーとか言ってんだから女子に決まってんじゃないッスか。なんでそこが気になるんスか」
「お前が……女子と戯れるなんて珍しいな」
何を言うのかと思えば。論点の違いに幸村と赤也は顔を見合わす。やがて赤也はニヤケ顔になった。
「副部長、なんスかその言い方。ふつーに仲が良いでいいじゃないッスか」
「そうだよ。戯れる、なんて。なんかそれ俺が女遊びしてるみたいに聞こえる」
「べ、別にそういう意味で使ったのではない」
もうそれで懲りたのか真田は着替えることに集中しだした。自分で話に入ってきたくせに、2人にからかわれてバツが悪くなっている。
だけど実際に真田の言う通りで。幸村が1人の女子をこんなふうに気にかけることなんて従来無かった。別に女の子に優しくないわけじゃない。むしろ逆だ。女子に優しくて定評がある。先月の誕生日やその前のバレンタインの時なんか部室に女子生徒が押し掛けてきて小さな騒ぎになった。幸村に彼女がいた時も勿論あったけど、いちいち部活仲間に話すようなタイプではなかった。だから、今日みたいに進んで特定の女子の話をしてきた幸村が真田には珍しいと感じたのだ。
「戯れるほどに仲良くなれてないからね、まだ」
幸村のその言葉は赤也にも真田にも聞こえなかった。ごくごく小さな声で言ったから誰の耳にも届かない。
守ってあげたいな、とは思う。彼女と仲は悪くはない。でも仲良しという表現にまではもう少しだけ距離がある。どうやったら縮められるかな。そんなふうに考えながら、幸村は自分のロッカーを閉めた。
「琴璃、こっちだよ」
部室の方角から幸村がやって来るところだった。琴璃に向かって手を振っている。今、躊躇いなく彼は『琴璃』と下の名で呼んだ。昨日も、あの生徒から自分を守るために名前で呼んだ。昨日のあれっきりだけかと思っていたのに。ちょっとびっくりしてしまった。でも別に嫌とかではないから、そのまま琴璃も笑って幸村に小さく手を振り返す。フェンスを挟んで琴璃の目の前まで幸村が来た。
「おはよう。早いんだね。キミは何部なんだい?」
「おはよう幸村くん。私は部活入ってないんだ。今朝はね、昨日見た時ちょっと雑草があったから、草むしりしにきたの。草って、あっという間に生えちゃうんだね」
何度か瞬きをして幸村は琴璃の顔をじっと見る。だからどうしたのという顔をしている。どうやら琴璃の意図していることが通じていない。確かに、これだけの情報では些か無理がある。
「あ、えっと、またあの場所にお花植えようかと思って。それで、まずは綺麗にしなきゃと思って少し早くに来たの。昨日、幸村くんがあんなふうに言ってくれたから嬉しくて、それで」
説明しながらも最後の方は声のボリュームが落ちていった。やっぱりちょっとだけ恥ずかしさもあった。昨日の今日で、こんなに意識を変えたことが。けれど琴璃の言葉を聞いて幸村は目を細める。
「なんだ、そういうことだったんだ。それは良いね。何を植えるの?」
「そこまでまだ決まってないんだ。先生にもまだ言ってないし。どうしようかなって、思ってる」
「そっか」
2人のクラスの担任は園芸にまるで興味が無さそうな感じがする。あんな狭い場所に花なんて植えなくてもいい、とか言い出しそうな雰囲気さえある。恐らく彼女もそれを危惧しているのだろう。さてどうしようか。担任の攻略方法を考えながらも他にもう1つ、どうしようか、と考える。あそこに何を植えたら良いだろう。こっちの悩みはわくわくする悩みである。花好きの幸村にとっては考えるだけで楽しい。それは琴璃も同じである。
「この時期は色んな花のポットの苗が売ってるよね」
「うん。あっという間に夏が来ちゃうから、多少は暑さに強いほうがいいかなって」
「じゃあさ、一緒に見に行こうよ。候補の花」
「え?」
「俺と見に行くの、どう?嫌?」
「嫌なんて、そんな。よろしくお願いします」
嬉しそうに幸村が笑った。つられて琴璃も口元が緩む。まさか幸村に誘われるなんてびっくりしたけど、素直に嬉しかった。
「あれ、でも一緒に行ってくれるにしても幸村くん部活あるよね」
「そうなんだよ。だからさ、キミさえ良ければ俺が終わるの待っててほしいんだけど。めんどくさい?」
「ううん、そんなことないよ」
「良かった」
ふわりと風が吹いた。その時にまた感じた香りが。昨日の教室で嗅いだものと同じだった。花みたいな、自然の創り出す優しい匂い。あれは幸村くんだったんだ。お花の香りがするなんてモテる人は違うんだなあ。そんな思いで彼のことを見てしまった。そうしたら、彼はにこりと笑いかけてきた。不意打ちすぎてドキッとしてしまう。もうこれ以上直視できなくて、琴璃はじゃあ行くね、と言ってテニスコートの前から離れた。
「ねぇ。赤也のクラスにこーゆう目付きで短髪の男って居ない?」
「……なんスか、急に」
朝練が終わって着替えている赤也のもとに幸村がやってきた。部長のほうから話し掛けてくるなんて、何かやらかしたのか、と赤也は一瞬身構えた。けれど別に怒られるわけではなかった。幸村は自分の目を指で釣り上げて赤也に見せてくる。何なんだろうこの人、と思った。そんなのでこーゆう目つきと言われても、それだけではどんな顔だかいまいち分からない。
「つり目ってことッスか?それっぽい顔のヤツなんてめっちゃいますよ。つか、髪型が短髪なんて言われても男はみんな短髪だし。あ、仁王先輩以外か」
「じゃあ駄目かぁ」
「何かあったのか」
2人のやり取りを見ていたのか真田が話に入ってくる。げ、と赤也だけ分かりやすく嫌な顔をした。
「いや、同じクラスの子がさぁ、変な奴につきまとわれててさ」
「ええ!まじスか」
「そいつがどうやら2年の生徒らしくて。もし赤也の知ってるヤツならシメてもらおうかなって思ってさ」
「……何ということを言っておるのだ、幸村」
ニコッと笑って言うような話ではない。しかも自分の手でなくその役を赤也にさせようと目論んでいた。赤也はそんなことちっとも気にしてないようだった。多分、パシリではなく頼られてると思い込んでいる。
「名前とか、分かんねーんスか?そしたら探し出せるかもですけど」
「あ、そういえば聞かなかったなぁ。あとで聞いてみようか」
「つーか、つきまとわれてるって何スか。もしかしてストーカーってやつ?」
「まぁ、度合いはどうなのか分からないけど、そうなるよね」
「うへぇ、マジ?同じ学校内で?」
「ね。大したヤツだよね」
真田は何も喋らずただじっと幸村を見ていた。その顔つきはなかなか険しい。
「どしたの?真田」
「その、お前の言う同じクラスの子というのは女子なのか」
「そーだよ?え、何、今更?」
「ストーカーとか言ってんだから女子に決まってんじゃないッスか。なんでそこが気になるんスか」
「お前が……女子と戯れるなんて珍しいな」
何を言うのかと思えば。論点の違いに幸村と赤也は顔を見合わす。やがて赤也はニヤケ顔になった。
「副部長、なんスかその言い方。ふつーに仲が良いでいいじゃないッスか」
「そうだよ。戯れる、なんて。なんかそれ俺が女遊びしてるみたいに聞こえる」
「べ、別にそういう意味で使ったのではない」
もうそれで懲りたのか真田は着替えることに集中しだした。自分で話に入ってきたくせに、2人にからかわれてバツが悪くなっている。
だけど実際に真田の言う通りで。幸村が1人の女子をこんなふうに気にかけることなんて従来無かった。別に女の子に優しくないわけじゃない。むしろ逆だ。女子に優しくて定評がある。先月の誕生日やその前のバレンタインの時なんか部室に女子生徒が押し掛けてきて小さな騒ぎになった。幸村に彼女がいた時も勿論あったけど、いちいち部活仲間に話すようなタイプではなかった。だから、今日みたいに進んで特定の女子の話をしてきた幸村が真田には珍しいと感じたのだ。
「戯れるほどに仲良くなれてないからね、まだ」
幸村のその言葉は赤也にも真田にも聞こえなかった。ごくごく小さな声で言ったから誰の耳にも届かない。
守ってあげたいな、とは思う。彼女と仲は悪くはない。でも仲良しという表現にまではもう少しだけ距離がある。どうやったら縮められるかな。そんなふうに考えながら、幸村は自分のロッカーを閉めた。