春の匂いがした
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昇降口から少し歩いたところで幸村はくるりと琴璃のほうへ向き直る。
「馴れ馴れしく呼んでごめんね」
「あ、ううん、こっちこそ……その、助けてくれてありがとう」
「ふふ。なんで俺がキミの名前を知ってるのかって顔してる」
その通りだった。どうして自分の名前を知ってるんだろう。でももしかしたら今日、新しいクラスで席順を確認した時に見たのかもしれない。彼は自分の前だから何となく覚えていてくれたのだろうか。でもそれよりどうして彼は自分を助けてくれたんだろう。聞こうとしたが先に幸村が口を開いた。
「大丈夫?なんか、あんまり良くない感じがしたから出しゃばっちゃったんだけど」
「あ、うん。ごめんね、ほんとにありがとう」
琴璃が続きを話そうとしたが、それを幸村が止めた。ちょうど下校する生徒達が何人かこっちへやって来る。さっきは琴璃があんなに願っても誰ひとり現れなかったというのに、今は賑やかなのが逆に厄介だ。
「とりあえず、少し移動しようか」
「うん、でも……幸村くん、このあと帰るんじゃないよね?」
彼はテニス部のジャージ姿だった。さっきは一緒に帰ろう、と琴璃に言ったけど本当はこれから部活に向かうのだろう。
「うん、この後は部活があるんだ。さっきの嘘、言った後に気付いたよ。でも信じてもらえて良かった。追及されたら何て言おうかまでは考えてなかったからさ」
だから、テニスコートのほうまで歩こうよ。そう言われたので琴璃は悩むことなくその誘いに応じた。テニスコートも正門の方向だからそこまで一緒に歩く。意外にも幸村は背が高いのを知った。まだ教室でしか話してなかったけど、こうして一緒に歩いてみて、琴璃は初めてそれに気がついた。体格もそれなりにがっしりしている。制服ではなくテニス部のユニフォーム姿になった今では、それがより顕著に分かる。
「さっきのヤツ、もしかして俺たちと同じクラス?」
「ううん、あの人3年じゃなくて1個下なの」
「へぇ、そうなんだ」
「うん……」
何か事情があるのはすぐ分かった。でも幸村は琴璃に詳細を話すように促さなかった。助けたけれど、部外者であることに変わりはないのでしゃしゃり出るような真似はしない。それでも、心配な気持ちはあるから一言だけ添える。
「余計なお世話かもしれないけど、嫌ならちゃんと言ったほうが良いと思うよ。じゃないとああいうヤツって勘違いするから」
「言ったんだけど……分かってくれなくて」
歯切れの悪い返事をする琴璃。何を言ったかは知らないけれど多分、琴璃の言い方にも問題があったんだろう。強く迫られたら断れないような感じがする。
琴璃のことを、教室で話した時はすごく可愛らしく笑う子だなと思った。でも今は辛そうに眉をハの字にして、俯きがちに幸村の後をついてくる。もうすぐテニスコートにつく。そこより手前の2メートル四方の小さなスペース。今は、雑草が伸びているだけで何もない。元々ここには桜の木が植えられていたのだが、だいぶ古く幹も傷んで寿命のようだった。それが去年の夏の終わりに撤去され、ただの荒れ地になってしまっていた。テニスコート内のベンチからはこの場所が見える。まだ桜の木があった頃、幸村はよくここをベンチから眺めていた。コートで試合している部員を見ているふりをして、今年の桜も綺麗だなあなんて暢気に花見気分を味わっていた。そんなふうに眺めていたのが2年の春。桜の木が無くなって、荒れ放題の場所を眺めても何も楽しくない。折角の癒やしの時間だったのに。残念に思っていた夏が終わる頃、突然草むしりをしている女子が現れた。彼女は学校指定のジャージ姿で黙々と座り込んで作業をしていた。その時は特に何か声をかけるでもなく、彼女の後ろ姿を見るだけで素通りしてしまった。けれどその子は暫く毎日のように来て、1人で庭弄りのようなことをしていた。園芸部か何かなのかな、と思っていたけど彼女はいつも1人だった。荒れ放題のその場所はいつの間にか綺麗に戻り、ある週明けに花が植えられていた。そこには今日もあの女の子がいて。嬉しそうにジョウロで水をあげていた。その彼女こそが琴璃だったのだ。
「またここに花を植えないの?」
「え?」
冬が終わって春になって。今は何も咲いていなかった。ただの土しかない、殺風景な場所。
「キミが去年手入れしてくれた時のこの場所はすごく綺麗だったよ」
「幸村くん、知ってたの?」
「うん。あそこから見てたよ、キミのこと」
テニスコートの中にあるベンチを指差す。琴璃は驚いた顔をして見せる。
「キミが一生懸命雑草と闘ってるのを見てた」
「うわぁ、恥ずかしい」
そう言いながら琴璃は顔を緩める。さっきまでの曇った表情はなくなった。
「ここに桜の木があったのに、無くなっちゃったよね」
「うん。それで私、その時の、2年の時の担任の先生に言ったんだ。ここに何か植えても良いですか、って。そしたら先生大賛成してくれて、あなたにお願いするわって、お花まで買ってきてくれたの」
「そうだったんだ」
2年時の琴璃の担任は理解があり快く応じてくれた。琴璃が提案しなかったら、担任が承諾しなかったら。あの小さな花壇は生まれなかったのだ。
「今はまた何も無くなっちゃったね」
「うん。さすがに冬を越せない花だったから。3年になって担任の先生が変わっちゃったから、今はちょっと頼みづらいし」
ということは、琴璃はまたここに何かを植えたいなとは思っているらしい。そのことに心の中で賛同する幸村。何もない景色を眺めるより、何か咲いていたほうがいいに決まっている。幸村も花が好きだからこそそう思った。
「でも嬉しいな、こんなちっちゃな場所でも見ていてくれてた人がいたなんて」
「見てたよ。もう半年くらい前のことだよね」
「そうだね」
また少し雑草が生え始めている。今はまだ茶色い面積のほうが多く見えるけれど、季節的にこの後は暑くなってゆくからまた伸び放題になるのだろう。
「……もう半年も経ってるのにな」
「どうしたの?」
幸村は横に立つ琴璃のほうを向く。更地を見つめる彼女の瞳は何とも物憂げだった。
「ううん。なんでもない。幸村くん、部活がんばってね」
そう言うと琴璃は背を向け行ってしまった。強制的に会話を遮られた気分だった。歩き出す前、彼女の表情が僅かに曇ったのを幸村は見逃さなかった。原因も読めた。同じ表情をたった数十分前に下駄箱で見たばかりだったから。
「馴れ馴れしく呼んでごめんね」
「あ、ううん、こっちこそ……その、助けてくれてありがとう」
「ふふ。なんで俺がキミの名前を知ってるのかって顔してる」
その通りだった。どうして自分の名前を知ってるんだろう。でももしかしたら今日、新しいクラスで席順を確認した時に見たのかもしれない。彼は自分の前だから何となく覚えていてくれたのだろうか。でもそれよりどうして彼は自分を助けてくれたんだろう。聞こうとしたが先に幸村が口を開いた。
「大丈夫?なんか、あんまり良くない感じがしたから出しゃばっちゃったんだけど」
「あ、うん。ごめんね、ほんとにありがとう」
琴璃が続きを話そうとしたが、それを幸村が止めた。ちょうど下校する生徒達が何人かこっちへやって来る。さっきは琴璃があんなに願っても誰ひとり現れなかったというのに、今は賑やかなのが逆に厄介だ。
「とりあえず、少し移動しようか」
「うん、でも……幸村くん、このあと帰るんじゃないよね?」
彼はテニス部のジャージ姿だった。さっきは一緒に帰ろう、と琴璃に言ったけど本当はこれから部活に向かうのだろう。
「うん、この後は部活があるんだ。さっきの嘘、言った後に気付いたよ。でも信じてもらえて良かった。追及されたら何て言おうかまでは考えてなかったからさ」
だから、テニスコートのほうまで歩こうよ。そう言われたので琴璃は悩むことなくその誘いに応じた。テニスコートも正門の方向だからそこまで一緒に歩く。意外にも幸村は背が高いのを知った。まだ教室でしか話してなかったけど、こうして一緒に歩いてみて、琴璃は初めてそれに気がついた。体格もそれなりにがっしりしている。制服ではなくテニス部のユニフォーム姿になった今では、それがより顕著に分かる。
「さっきのヤツ、もしかして俺たちと同じクラス?」
「ううん、あの人3年じゃなくて1個下なの」
「へぇ、そうなんだ」
「うん……」
何か事情があるのはすぐ分かった。でも幸村は琴璃に詳細を話すように促さなかった。助けたけれど、部外者であることに変わりはないのでしゃしゃり出るような真似はしない。それでも、心配な気持ちはあるから一言だけ添える。
「余計なお世話かもしれないけど、嫌ならちゃんと言ったほうが良いと思うよ。じゃないとああいうヤツって勘違いするから」
「言ったんだけど……分かってくれなくて」
歯切れの悪い返事をする琴璃。何を言ったかは知らないけれど多分、琴璃の言い方にも問題があったんだろう。強く迫られたら断れないような感じがする。
琴璃のことを、教室で話した時はすごく可愛らしく笑う子だなと思った。でも今は辛そうに眉をハの字にして、俯きがちに幸村の後をついてくる。もうすぐテニスコートにつく。そこより手前の2メートル四方の小さなスペース。今は、雑草が伸びているだけで何もない。元々ここには桜の木が植えられていたのだが、だいぶ古く幹も傷んで寿命のようだった。それが去年の夏の終わりに撤去され、ただの荒れ地になってしまっていた。テニスコート内のベンチからはこの場所が見える。まだ桜の木があった頃、幸村はよくここをベンチから眺めていた。コートで試合している部員を見ているふりをして、今年の桜も綺麗だなあなんて暢気に花見気分を味わっていた。そんなふうに眺めていたのが2年の春。桜の木が無くなって、荒れ放題の場所を眺めても何も楽しくない。折角の癒やしの時間だったのに。残念に思っていた夏が終わる頃、突然草むしりをしている女子が現れた。彼女は学校指定のジャージ姿で黙々と座り込んで作業をしていた。その時は特に何か声をかけるでもなく、彼女の後ろ姿を見るだけで素通りしてしまった。けれどその子は暫く毎日のように来て、1人で庭弄りのようなことをしていた。園芸部か何かなのかな、と思っていたけど彼女はいつも1人だった。荒れ放題のその場所はいつの間にか綺麗に戻り、ある週明けに花が植えられていた。そこには今日もあの女の子がいて。嬉しそうにジョウロで水をあげていた。その彼女こそが琴璃だったのだ。
「またここに花を植えないの?」
「え?」
冬が終わって春になって。今は何も咲いていなかった。ただの土しかない、殺風景な場所。
「キミが去年手入れしてくれた時のこの場所はすごく綺麗だったよ」
「幸村くん、知ってたの?」
「うん。あそこから見てたよ、キミのこと」
テニスコートの中にあるベンチを指差す。琴璃は驚いた顔をして見せる。
「キミが一生懸命雑草と闘ってるのを見てた」
「うわぁ、恥ずかしい」
そう言いながら琴璃は顔を緩める。さっきまでの曇った表情はなくなった。
「ここに桜の木があったのに、無くなっちゃったよね」
「うん。それで私、その時の、2年の時の担任の先生に言ったんだ。ここに何か植えても良いですか、って。そしたら先生大賛成してくれて、あなたにお願いするわって、お花まで買ってきてくれたの」
「そうだったんだ」
2年時の琴璃の担任は理解があり快く応じてくれた。琴璃が提案しなかったら、担任が承諾しなかったら。あの小さな花壇は生まれなかったのだ。
「今はまた何も無くなっちゃったね」
「うん。さすがに冬を越せない花だったから。3年になって担任の先生が変わっちゃったから、今はちょっと頼みづらいし」
ということは、琴璃はまたここに何かを植えたいなとは思っているらしい。そのことに心の中で賛同する幸村。何もない景色を眺めるより、何か咲いていたほうがいいに決まっている。幸村も花が好きだからこそそう思った。
「でも嬉しいな、こんなちっちゃな場所でも見ていてくれてた人がいたなんて」
「見てたよ。もう半年くらい前のことだよね」
「そうだね」
また少し雑草が生え始めている。今はまだ茶色い面積のほうが多く見えるけれど、季節的にこの後は暑くなってゆくからまた伸び放題になるのだろう。
「……もう半年も経ってるのにな」
「どうしたの?」
幸村は横に立つ琴璃のほうを向く。更地を見つめる彼女の瞳は何とも物憂げだった。
「ううん。なんでもない。幸村くん、部活がんばってね」
そう言うと琴璃は背を向け行ってしまった。強制的に会話を遮られた気分だった。歩き出す前、彼女の表情が僅かに曇ったのを幸村は見逃さなかった。原因も読めた。同じ表情をたった数十分前に下駄箱で見たばかりだったから。