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氷帝の図書館はなかなか広く書物の数も凄い。琴璃が放課後ここに来るのは久しぶり。今までずっと中庭に居たから。でも、もうあそこへは行かない。行ったら彼がきっと待っているだろうから。
1人窓際の適当な席に座った。本は開かず目の前のテーブルに置く。そして、暫くじっとしていた。窓からはテニスコートのフェンスがちょっとだけ見える。今日は水曜日だからテニス部は休み。彼はどう過ごしているだろう。
初めて忍足が自分の前に姿を現した日を思い出す。なんの前触れもなく、秋風のように彼は現れた。自分と同じ読書を目的としていたので勝手に親近感を覚えた。お陰であまり壁を感じずに話し掛けられた。忍足とは初めて話したけど、彼は意外にも気さくな人だった。氷帝のテニス部の人って、もっと固くて愛想が薄いのかと思ってたのに。全くそんなことなくて琴璃の勝手な偏見だった。本当の忍足は、こちらの話をちゃんと聞いてくれるしたまにジョークなんて言ってくる。だからイメージががらりと変わった。彼と話すのが楽しいと思えた。また会いたいな。でも何を話そう。自分のことなんてきっと興味ないだろうし。話の内容を考えるのがいちいち必死だった。だから、ひたすら本のことを語った。共通で分かり合えることだけ喋るなら、彼は自分と話すことを苦だと感じないだろう。そしたらまたここに来てくれるかもしれない。ほんのり願ったその気持ちが彼に届いたのか分からないが、翌週以降も中庭へ来てくれた。嬉しかった。楽しいひと時だった。
もともと琴璃は大人数の中に居るのが苦手だった。他人と関わるのがそんなに得意じゃない、ちょっと複雑な性格。人と話をするのは嫌じゃないけど、集団の中に放り込まれると途端に萎縮してしまう。忍足と1対1での会話は妙に気を張ることもない。彼もそんなこと気にせず琴璃と接してくれた。本当は、ちょっとぐらいは自分のことを知ってほしかったけれどそんな勇気は出なかった。本以外の話を忍足がしたがるか分からなくて。ただ、彼と放課後会えるこの状況を崩したくなかった。彼と話していると素直になれる。自分のことなんか二の次で良い。琴璃にとってはこの時間が、空間が、大切だった。
でも、それを壊すのがまさか自分のほうになるなんて。本を貸す約束までしたのに、それはある日突然できなくなってしまった。会えなくなるのは勿論嫌だったけど仕方がない。自分で決めたことだから。寂しいけれど、それ以上に感謝してる。ありがとう忍足くん。心の中でそう呟いた。
深く息を吐いて閉じていた目を開く。目の前の文庫本に手を伸ばす。そろそろ読書をしよう。物語の世界に没頭すれば、その時間だけは現実のことを忘れられるから。
「今日はどんな殺人事件?」
上から声がして、読んでいたページに影ができた。琴璃の手が一瞬固まる。顔を上げると忍足が立っていた。
「なんでいきなり来なくなったん?」
「……なんのこと」
何事もない様子で再び琴璃はページに視線を戻す。不意に現れた忍足の存在を無視しようとしている。でもそんなの気にすることなく、忍足は何も言わずに琴璃の隣に座った。次いで、はぁ、とやや大袈裟に溜息をつく。
「久しぶりやね」
「そうだね」
「俺、なんかした?」
「別に。何もないよ」
「ほんなら今までみたく中庭におって。心配になるわ」
「……心配って。別に約束とかしてなかったし。私も放課後は予定とかあるし」
嘘だとすぐ分かった。琴璃の目が面白いくらい泳いでいる。目が合ったのも最初だけで今はずっと本に視線を注いでいる。でも絶対に読んではいない。忍足の顔を見たくないからそんな態度をとっている。とにかく今日の琴璃は暗い。こんな彼女は初めて見た。本当に何もないと言うのなら普通にしていればいいのに。不器用な子やな、と思う。
「先週、とある女子に告白されたわ」
「……そう」
とある日に。朝、登校して机の中に手を入れたら教科書以外の何かが入っていた。それは手紙だった。今日の放課後に教室に居てください、と女の子らしい字で書かれていた。素直に従うと放課後知らない女の子が教室で忍足のことを待っていた。彼女は控えめに笑って、好きです、と言ってきた。
「あの子、自分の友達やろ?何て名前やったかな、えーと……あかん、思い出せん」
「忍足くん、案外適当なんだね。告白してくれたのに覚えてないなんて可哀想」
「ええやん、あの子ともう会って話すことも無いんやろうし」
「……どういう意味?」
「告白断ったから」
そこでようやく琴璃が顔を上げ、隣の忍足を見る。その目つきはなかなか鋭いものだった。
「なんで」
「ん?」
「なんで断ったりしたの」
「あかんの?」
「だって、その子忍足くんのこと好きだから告白したんだよ」
そりゃそうだろうけど。だからと言って、その気持ちを受け取るかどうかは別の話だ。告白すれば全てが成就するわけがない。琴璃は理屈的におかしなことを言っている。でも忍足は笑わなかった。
「俺はその子のこと好きやない。せやからお断りしました」
琴璃はまた視線を自分の手元に落とす。納得がいっていないふうな顔だった。忍足の話を聞いてるのかそうでないのか、分からない態度。
「俺にはちゃんと、好きな子がおんねん」
「そうなの……?」
予想外の言葉に琴璃の目が一際大きくなる。あ、良かったちゃんと聞いとった。相変わらずこちらを見ようとはしないけれど。でもきっと、次に話すことを聞いたら彼女はこっちを向くだろう。確信がある。
忍足は彼女の座ってる椅子の背もたれに手を回す。互いの距離がもっと近くなった。
「俺は琴璃っていう名前の女の子が好きです。せやからお付き合いできません、って言うたわ」
ほうら、俺の勝ち。やっぱり彼女はこっちを見た。それもとびきり驚いた顔で。してやったりな気分になる。そのまま10秒間くらい見つめ合う展開になった。どちらも動かなかった。琴璃は瞬きすらしなかった。やがて、琴璃が小さな声で何かを言ったけれど、小さすぎて忍足には届かなかった。言った後も相変わらず口を半開きにしたまま。忍足はそれが可笑しくて、耐えられず肩を震わせ笑う。
「めっちゃアホ面やん」
「なんで、名前知って……ていうか、なんで私」
「ホンマ、自分のことはとことん鈍感やなぁ。俺が今まで、どーでもええ子に毎週会いに来てたと本気で思っとる?」
思ってた。自分が遠慮なく話し掛けるから読書が進まないだけで、中庭には本を読む為に来ているんだと思ってた。だって本の話しかしてない。自分のこと1つも教えたおぼえはない。なのに自分は、彼にとって“どーでもええ子”以上になっていたというのか。あんな、殺害トリックとか死体の惨劇とか、色気もへったくれもない話ばかりのどこでそんな奇跡が起きたのかも分からない。
「友達思いやなぁ、自分。友達のあの子が俺のこと好きって知ったから、放課後来なくなったんやろ?」
琴璃は何も言えなくて、唇を噛む。もう全部、忍足にはバレていた。
仲の良い琴璃の友人が、忍足のことを好きだと打ち明けてきた。応援してほしい、とも言われた。交友関係が狭すぎる琴璃にとって彼女は大切な子。頷くしかなかった。だから、毎週水曜の昼休みに会うことすら憚られた。彼女が忍足に想いを寄せているのに。自分がこんな、密会みたいな真似をしているのを知ったら彼女は傷つくだろうから。だから中庭へ行くのを辞めた。忍足には何も言わないまま、自分の名前を教えないまま。あれ程楽しみだった水曜日の放課後が、いきなり憂鬱な日へと変わってしまった。
これで良かったのだ。建て前ではそう思えたけれど何かが違った。モヤモヤしたものが未だ琴璃の心の中に広がったまま、今の今まで離れなかった。どんな推理小説を読んでも没頭できるのはその一瞬の時だけで。この気持ちは何なのか。最後まで分からないでいた。
「キミらの友情がどれだけ深くても、俺にも譲れないもんがあるんやで」
心臓の動きが速くなってゆくのを感じる。忍足のように、自分も恋愛小説を読んでいたらもっと早くこの気持ちに気付けたのだろうか。今こうやって真っ直ぐに見つめられ想いを告げられて。真正面から気持ちを向けられて。琴璃は泣きそうなほど嬉しいと感じた。
1人窓際の適当な席に座った。本は開かず目の前のテーブルに置く。そして、暫くじっとしていた。窓からはテニスコートのフェンスがちょっとだけ見える。今日は水曜日だからテニス部は休み。彼はどう過ごしているだろう。
初めて忍足が自分の前に姿を現した日を思い出す。なんの前触れもなく、秋風のように彼は現れた。自分と同じ読書を目的としていたので勝手に親近感を覚えた。お陰であまり壁を感じずに話し掛けられた。忍足とは初めて話したけど、彼は意外にも気さくな人だった。氷帝のテニス部の人って、もっと固くて愛想が薄いのかと思ってたのに。全くそんなことなくて琴璃の勝手な偏見だった。本当の忍足は、こちらの話をちゃんと聞いてくれるしたまにジョークなんて言ってくる。だからイメージががらりと変わった。彼と話すのが楽しいと思えた。また会いたいな。でも何を話そう。自分のことなんてきっと興味ないだろうし。話の内容を考えるのがいちいち必死だった。だから、ひたすら本のことを語った。共通で分かり合えることだけ喋るなら、彼は自分と話すことを苦だと感じないだろう。そしたらまたここに来てくれるかもしれない。ほんのり願ったその気持ちが彼に届いたのか分からないが、翌週以降も中庭へ来てくれた。嬉しかった。楽しいひと時だった。
もともと琴璃は大人数の中に居るのが苦手だった。他人と関わるのがそんなに得意じゃない、ちょっと複雑な性格。人と話をするのは嫌じゃないけど、集団の中に放り込まれると途端に萎縮してしまう。忍足と1対1での会話は妙に気を張ることもない。彼もそんなこと気にせず琴璃と接してくれた。本当は、ちょっとぐらいは自分のことを知ってほしかったけれどそんな勇気は出なかった。本以外の話を忍足がしたがるか分からなくて。ただ、彼と放課後会えるこの状況を崩したくなかった。彼と話していると素直になれる。自分のことなんか二の次で良い。琴璃にとってはこの時間が、空間が、大切だった。
でも、それを壊すのがまさか自分のほうになるなんて。本を貸す約束までしたのに、それはある日突然できなくなってしまった。会えなくなるのは勿論嫌だったけど仕方がない。自分で決めたことだから。寂しいけれど、それ以上に感謝してる。ありがとう忍足くん。心の中でそう呟いた。
深く息を吐いて閉じていた目を開く。目の前の文庫本に手を伸ばす。そろそろ読書をしよう。物語の世界に没頭すれば、その時間だけは現実のことを忘れられるから。
「今日はどんな殺人事件?」
上から声がして、読んでいたページに影ができた。琴璃の手が一瞬固まる。顔を上げると忍足が立っていた。
「なんでいきなり来なくなったん?」
「……なんのこと」
何事もない様子で再び琴璃はページに視線を戻す。不意に現れた忍足の存在を無視しようとしている。でもそんなの気にすることなく、忍足は何も言わずに琴璃の隣に座った。次いで、はぁ、とやや大袈裟に溜息をつく。
「久しぶりやね」
「そうだね」
「俺、なんかした?」
「別に。何もないよ」
「ほんなら今までみたく中庭におって。心配になるわ」
「……心配って。別に約束とかしてなかったし。私も放課後は予定とかあるし」
嘘だとすぐ分かった。琴璃の目が面白いくらい泳いでいる。目が合ったのも最初だけで今はずっと本に視線を注いでいる。でも絶対に読んではいない。忍足の顔を見たくないからそんな態度をとっている。とにかく今日の琴璃は暗い。こんな彼女は初めて見た。本当に何もないと言うのなら普通にしていればいいのに。不器用な子やな、と思う。
「先週、とある女子に告白されたわ」
「……そう」
とある日に。朝、登校して机の中に手を入れたら教科書以外の何かが入っていた。それは手紙だった。今日の放課後に教室に居てください、と女の子らしい字で書かれていた。素直に従うと放課後知らない女の子が教室で忍足のことを待っていた。彼女は控えめに笑って、好きです、と言ってきた。
「あの子、自分の友達やろ?何て名前やったかな、えーと……あかん、思い出せん」
「忍足くん、案外適当なんだね。告白してくれたのに覚えてないなんて可哀想」
「ええやん、あの子ともう会って話すことも無いんやろうし」
「……どういう意味?」
「告白断ったから」
そこでようやく琴璃が顔を上げ、隣の忍足を見る。その目つきはなかなか鋭いものだった。
「なんで」
「ん?」
「なんで断ったりしたの」
「あかんの?」
「だって、その子忍足くんのこと好きだから告白したんだよ」
そりゃそうだろうけど。だからと言って、その気持ちを受け取るかどうかは別の話だ。告白すれば全てが成就するわけがない。琴璃は理屈的におかしなことを言っている。でも忍足は笑わなかった。
「俺はその子のこと好きやない。せやからお断りしました」
琴璃はまた視線を自分の手元に落とす。納得がいっていないふうな顔だった。忍足の話を聞いてるのかそうでないのか、分からない態度。
「俺にはちゃんと、好きな子がおんねん」
「そうなの……?」
予想外の言葉に琴璃の目が一際大きくなる。あ、良かったちゃんと聞いとった。相変わらずこちらを見ようとはしないけれど。でもきっと、次に話すことを聞いたら彼女はこっちを向くだろう。確信がある。
忍足は彼女の座ってる椅子の背もたれに手を回す。互いの距離がもっと近くなった。
「俺は琴璃っていう名前の女の子が好きです。せやからお付き合いできません、って言うたわ」
ほうら、俺の勝ち。やっぱり彼女はこっちを見た。それもとびきり驚いた顔で。してやったりな気分になる。そのまま10秒間くらい見つめ合う展開になった。どちらも動かなかった。琴璃は瞬きすらしなかった。やがて、琴璃が小さな声で何かを言ったけれど、小さすぎて忍足には届かなかった。言った後も相変わらず口を半開きにしたまま。忍足はそれが可笑しくて、耐えられず肩を震わせ笑う。
「めっちゃアホ面やん」
「なんで、名前知って……ていうか、なんで私」
「ホンマ、自分のことはとことん鈍感やなぁ。俺が今まで、どーでもええ子に毎週会いに来てたと本気で思っとる?」
思ってた。自分が遠慮なく話し掛けるから読書が進まないだけで、中庭には本を読む為に来ているんだと思ってた。だって本の話しかしてない。自分のこと1つも教えたおぼえはない。なのに自分は、彼にとって“どーでもええ子”以上になっていたというのか。あんな、殺害トリックとか死体の惨劇とか、色気もへったくれもない話ばかりのどこでそんな奇跡が起きたのかも分からない。
「友達思いやなぁ、自分。友達のあの子が俺のこと好きって知ったから、放課後来なくなったんやろ?」
琴璃は何も言えなくて、唇を噛む。もう全部、忍足にはバレていた。
仲の良い琴璃の友人が、忍足のことを好きだと打ち明けてきた。応援してほしい、とも言われた。交友関係が狭すぎる琴璃にとって彼女は大切な子。頷くしかなかった。だから、毎週水曜の昼休みに会うことすら憚られた。彼女が忍足に想いを寄せているのに。自分がこんな、密会みたいな真似をしているのを知ったら彼女は傷つくだろうから。だから中庭へ行くのを辞めた。忍足には何も言わないまま、自分の名前を教えないまま。あれ程楽しみだった水曜日の放課後が、いきなり憂鬱な日へと変わってしまった。
これで良かったのだ。建て前ではそう思えたけれど何かが違った。モヤモヤしたものが未だ琴璃の心の中に広がったまま、今の今まで離れなかった。どんな推理小説を読んでも没頭できるのはその一瞬の時だけで。この気持ちは何なのか。最後まで分からないでいた。
「キミらの友情がどれだけ深くても、俺にも譲れないもんがあるんやで」
心臓の動きが速くなってゆくのを感じる。忍足のように、自分も恋愛小説を読んでいたらもっと早くこの気持ちに気付けたのだろうか。今こうやって真っ直ぐに見つめられ想いを告げられて。真正面から気持ちを向けられて。琴璃は泣きそうなほど嬉しいと感じた。