夏がはじまる
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「そうやって、部活の時は笑っていればいい」
「え?」
「ジローや鳳がお前のことを心配していた。元気が無い、とな」
「……私、顔に出てたかな」
「自分じゃ普段どおりでも、奴らだって毎日顔合わせてりゃ馬鹿じゃねえんだから勘づくだろう。もっとも、宍戸や向日あたりは本物の馬鹿だから気付いてねぇかもだけどな」
その言葉に琴璃は思わず声を漏らして笑ってしまう。跡部が、あの2人はとんでもなく鈍感だと思っていることがなんだかおかしかった。彼の中では2人は鈍い人間という認識になっているらしい。
「そっか……元気無かったのか、私」
ふと暇になったり時間をもて余すとすぐ考えてしまうから。今週は普段よりよく動いて作業するようにしていた。コート外に飛んでいった球拾いなんて普段は絶対しないのに率先して動いた。でも途中で跡部に見つかってしまい、お前はそんなことやらなくていいと怒られた。分かっていたけど、頭の中を暇にしたくなかっただけ。家に帰るととにかく地獄だった。1人で考えては感傷に浸り酷い時は涙する。失恋の傷は思ったよりも深いものだった。でもそれが最近ようやく落ち着いてきて、何かで紛らわそうとしなくてもわりと穏やかに生きていられるようになった。自分の中である程度割り切れたのだと思う。全快とまではいかないけれど確実に前を向けている、と思う。思いたい。
地下駐車場に跡部の迎えの車が待機しているので、エレベーターに乗ってそこまで向かう。途中のフロアで止まると男女2人組が乗ってきた。自分たちと同じくらいで仲良く手を繋いでいる。2人はカップルのようだ。
「残念だね、お祭り」
「まぁ、しょうがないよ。この雨だし」
そこで琴璃は思い出した。今日が、不二に教えてもらった夏祭りの当日だったのだ。この2人の会話によれば、今日は午後からの生憎の雨でやむ無く延期が決定した。代わりにまた来週末に実施されるらしい。
もし予定通り開催されていたなら。
今日は1日氷帝 と練習試合だったから、一度家に帰って着替えて彼女を迎えに行くはずだったのだろうか。こんな雨だけど今2人は会っているのかもしれない。夏祭りは無くなっても、代わりにどこかへデートに出かけたのかもしれない。目の前のカップルみたいに、彼女は彼氏である不二の腕にくっついて、雨なんか関係なく過ごしているんだ。あの試合の時のような顔つきなんかじゃなくて、彼女にだけは優しく微笑みかけるのだろうか。そうやっていつの間にか不二のことを考えている。また勝手に頭の中に出てきてしまった。止まれ、と思ってももう意味がない。こんなつまらない妄想を頭の中で繰り広げては気持ちを沈ませて。また泣きたくなった。気を抜くと見えない悪夢が琴璃を苦しめる。その正体は紛れもなく自分が作り出した被害妄想であるのに。馬鹿みたい。自分に向かって心の中でそう呟いた。
2人のカップルは1階で降りた。扉が閉まり、再びエレベーターの中は跡部と琴璃だけになる。密室の箱がゆっくり下へ降りてゆく。まるで自分の心のよう。この時間がやたら長く感じた。琴璃は扉のほうを向いて地下に着くのを待った。涙が溢れそうなのを跡部に見られたくない。ここには雨が降ってないから上手く隠すこともできない。
「俺にも願い事、あるぜ」
不意に跡部がそんなことを言う。琴璃は振り向かずに聞いていた。ただひたすら鼻をすするのを我慢しながら。跡部の願い事。そんなものあるのか。欲しいものは自分で手に入れると言った人なのに。何でも手に入れられるような人が願うことって何だろうか。純粋に気になる。
「だがそれは星でも叶えちゃくれない」
自分で叶えられないのなら当然星にだって無理な話で。だから願わない。そんな、叶わない願い事を跡部は秘めている。部長らしくないな、と琴璃は思った。
「でも、お願いしてみなきゃ分からないですよ。もしかしたら叶うかも」
「まあ無理だな」
「願うのは自由ですよ?」
鼻声なのを悟られないように、琴璃はわざと高い声を作って返事をする。ようやくエレベーターは止まった。地下2階です。アナウンスの後に当然のように開かれる扉が。開かなかった。跡部の手が、ボタンを操作しようとする琴璃の手を背後から掴んでいる。
「そんなに気になるか?」
すごくいい匂いがする。上品な花のようなラストノート。
まるで香りに抱き締められているかのよう。必死に泣くのをこらえる琴璃を優しく包み込む。背中に温もりを感じた。
「お前の頭の中から、アイツだけの記憶が一切失くなればいい。そう願った」
すぐ後ろから聞こえた。そんな願いは流石に星も叶えてくれない。そして、大抵のことが出来てしまう跡部にも人の頭の中の記憶なんて変えることはできない。だから、願ってみた。別に最初から期待なんてしていない。でも琴璃の言うとおり願うのは自由と言うのなら。らしくなく、無謀なことを願ってみようかと思ったのだ。
跡部は反対の手を扉についた。壁と彼に閉じ込められて琴璃の逃げ場がなくなる。
「泣くのは俺の前だけにしろ」
命令形なのに物凄く優しい声音。囁くように言わないでほしい。余計に涙を誘うから。それでもまだ琴璃は悪足掻きをする。
「……それは、私がマネージャーだからですか」
声が多少震えた。けれど何でもないふりを続ける。
「私が元気ないと、みんなに迷惑かけちゃうから。“テニス部のマネージャー”の私を、“テニス部の部長”として、心配してくれてるって意味ですか」
「お前はどう思う?」
そんな聞き方はずるい。でも琴璃は何も答えなかった。重なる跡部の手から自分の手を抜き取りボタンを押した。扉が開き薄暗い空間が広がる。夏だけれど地下はひんやりしていた。こっちだ、と言って跡部が先導する。お陰でここまで顔を見られずに済んでいる。
「なんだか私、忘れるために部長のことを利用してるみたいですね」
「そうだな。俺はお前の都合の良いようにされている」
そんな、迷惑をこうむっているような言い方をするくせに。跡部は全然そんなふうに思ってない。本当に嫌ならばわざわざ自分に構わなければ良い話だ。でも跡部は琴璃を放っておかない。普段はそこまで関わったりしないのに。部長とマネージャーだから、そりゃ毎日会話はあるけれど他のレギュラーと同程度だ。むしろジローや忍足とのほうがよく喋る。それでも最近は、青学との練習試合があった日からは。氷帝に居る時は跡部の存在を近くに感じていた。まるで、琴璃に不二のことを考える暇さえ与えないかのように。
琴璃は前を歩く跡部の後ろ姿を見つめる。さっきまでとはまた違う涙が出てきそうになったのを慌てて堪えた。
「え?」
「ジローや鳳がお前のことを心配していた。元気が無い、とな」
「……私、顔に出てたかな」
「自分じゃ普段どおりでも、奴らだって毎日顔合わせてりゃ馬鹿じゃねえんだから勘づくだろう。もっとも、宍戸や向日あたりは本物の馬鹿だから気付いてねぇかもだけどな」
その言葉に琴璃は思わず声を漏らして笑ってしまう。跡部が、あの2人はとんでもなく鈍感だと思っていることがなんだかおかしかった。彼の中では2人は鈍い人間という認識になっているらしい。
「そっか……元気無かったのか、私」
ふと暇になったり時間をもて余すとすぐ考えてしまうから。今週は普段よりよく動いて作業するようにしていた。コート外に飛んでいった球拾いなんて普段は絶対しないのに率先して動いた。でも途中で跡部に見つかってしまい、お前はそんなことやらなくていいと怒られた。分かっていたけど、頭の中を暇にしたくなかっただけ。家に帰るととにかく地獄だった。1人で考えては感傷に浸り酷い時は涙する。失恋の傷は思ったよりも深いものだった。でもそれが最近ようやく落ち着いてきて、何かで紛らわそうとしなくてもわりと穏やかに生きていられるようになった。自分の中である程度割り切れたのだと思う。全快とまではいかないけれど確実に前を向けている、と思う。思いたい。
地下駐車場に跡部の迎えの車が待機しているので、エレベーターに乗ってそこまで向かう。途中のフロアで止まると男女2人組が乗ってきた。自分たちと同じくらいで仲良く手を繋いでいる。2人はカップルのようだ。
「残念だね、お祭り」
「まぁ、しょうがないよ。この雨だし」
そこで琴璃は思い出した。今日が、不二に教えてもらった夏祭りの当日だったのだ。この2人の会話によれば、今日は午後からの生憎の雨でやむ無く延期が決定した。代わりにまた来週末に実施されるらしい。
もし予定通り開催されていたなら。
今日は1日
2人のカップルは1階で降りた。扉が閉まり、再びエレベーターの中は跡部と琴璃だけになる。密室の箱がゆっくり下へ降りてゆく。まるで自分の心のよう。この時間がやたら長く感じた。琴璃は扉のほうを向いて地下に着くのを待った。涙が溢れそうなのを跡部に見られたくない。ここには雨が降ってないから上手く隠すこともできない。
「俺にも願い事、あるぜ」
不意に跡部がそんなことを言う。琴璃は振り向かずに聞いていた。ただひたすら鼻をすするのを我慢しながら。跡部の願い事。そんなものあるのか。欲しいものは自分で手に入れると言った人なのに。何でも手に入れられるような人が願うことって何だろうか。純粋に気になる。
「だがそれは星でも叶えちゃくれない」
自分で叶えられないのなら当然星にだって無理な話で。だから願わない。そんな、叶わない願い事を跡部は秘めている。部長らしくないな、と琴璃は思った。
「でも、お願いしてみなきゃ分からないですよ。もしかしたら叶うかも」
「まあ無理だな」
「願うのは自由ですよ?」
鼻声なのを悟られないように、琴璃はわざと高い声を作って返事をする。ようやくエレベーターは止まった。地下2階です。アナウンスの後に当然のように開かれる扉が。開かなかった。跡部の手が、ボタンを操作しようとする琴璃の手を背後から掴んでいる。
「そんなに気になるか?」
すごくいい匂いがする。上品な花のようなラストノート。
まるで香りに抱き締められているかのよう。必死に泣くのをこらえる琴璃を優しく包み込む。背中に温もりを感じた。
「お前の頭の中から、アイツだけの記憶が一切失くなればいい。そう願った」
すぐ後ろから聞こえた。そんな願いは流石に星も叶えてくれない。そして、大抵のことが出来てしまう跡部にも人の頭の中の記憶なんて変えることはできない。だから、願ってみた。別に最初から期待なんてしていない。でも琴璃の言うとおり願うのは自由と言うのなら。らしくなく、無謀なことを願ってみようかと思ったのだ。
跡部は反対の手を扉についた。壁と彼に閉じ込められて琴璃の逃げ場がなくなる。
「泣くのは俺の前だけにしろ」
命令形なのに物凄く優しい声音。囁くように言わないでほしい。余計に涙を誘うから。それでもまだ琴璃は悪足掻きをする。
「……それは、私がマネージャーだからですか」
声が多少震えた。けれど何でもないふりを続ける。
「私が元気ないと、みんなに迷惑かけちゃうから。“テニス部のマネージャー”の私を、“テニス部の部長”として、心配してくれてるって意味ですか」
「お前はどう思う?」
そんな聞き方はずるい。でも琴璃は何も答えなかった。重なる跡部の手から自分の手を抜き取りボタンを押した。扉が開き薄暗い空間が広がる。夏だけれど地下はひんやりしていた。こっちだ、と言って跡部が先導する。お陰でここまで顔を見られずに済んでいる。
「なんだか私、忘れるために部長のことを利用してるみたいですね」
「そうだな。俺はお前の都合の良いようにされている」
そんな、迷惑をこうむっているような言い方をするくせに。跡部は全然そんなふうに思ってない。本当に嫌ならばわざわざ自分に構わなければ良い話だ。でも跡部は琴璃を放っておかない。普段はそこまで関わったりしないのに。部長とマネージャーだから、そりゃ毎日会話はあるけれど他のレギュラーと同程度だ。むしろジローや忍足とのほうがよく喋る。それでも最近は、青学との練習試合があった日からは。氷帝に居る時は跡部の存在を近くに感じていた。まるで、琴璃に不二のことを考える暇さえ与えないかのように。
琴璃は前を歩く跡部の後ろ姿を見つめる。さっきまでとはまた違う涙が出てきそうになったのを慌てて堪えた。