夏がはじまる
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そうは言ったもののヤツの実力は本物だ。あの世界大会を共に戦ったのだからその強さは良く知っている。その上ダブルスを組んだ間柄でもあるから、不二がどれほどの才能を持っているかを体感したのは他でもない跡部だった。不二とのダブルスは文句の付けようがなくやりやすかった。初めて組んだにも関わらず絶妙なフォローができる。まさしく“天才”の名が相応しいと思う。それは認めざるを得ない。楽に勝てるなんて思える相手ではない。
翌日の練習試合は、予想通り青学のシングルス2は不二だった。開始がわりと遅かったせいで(青学の若干名が来る途中で妊婦を助けて遅刻したせいだ)、午前中はダブルスの試合で殆ど使われた。シングルス3が終わった頃はもう正午を過ぎていて、昼休憩の後、跡部たちの試合が開始されたのは午後にだいぶ入ってからだった。
今年は梅雨明けが例年よりかなり早かった。まだ6月があと数日残っている。それなのに今日はもう真夏と言ってもおかしくない気候だった。試合が始まる前によろしく、とにこやかに不二が右手を差し出してきたけれど、跡部はその手を握らなかった。誰のせいでこんなに胸クソ悪い気分になってると思ってる。原因は琴璃だが更なる元凶はこの男だ。
よりによって。なんでこの男なんだと思った。
琴璃が不二を好きなことを跡部はとっくに知っていた。不二に彼女が居たことも同様に。跡部が2年の頃、琴璃が氷帝のマネージャーになるずっと前の出来事。テニスの名門校同士、中等部の頃から互いに何度も顔を合わせている。その日も都内の高校のテニス部が集まる試合で、青学の連中と当たりこそしなかったが姿を目にした。コートのそばのベンチに座っていたらちょうど不二がどっかのテニス雑誌の記者に取材をされていた。跡部もしょっちゅう記者にインタビューされることはあるが、当初不二も同じような位置づけ で注目されていた。要するに、外見が整っているからテニス選手としてだけではなくプライベートに関わるところまで注目されていたのだ。その時の質問のやり取りの中で、自分には彼女がいる類いのことを答えていた。たまたま耳にしただけで興味なんて皆無だった。でも、馬鹿正直に答える奴なんだな、と思った。翌年、琴璃がマネージャーになって試合で不二を知り、やがて恋に落ちた。でもその大会でもギャラリー席には不二を見守る彼女の姿があった。恋は盲目とは言ったもので。琴璃がただ気が付かなかっただけで、不二はもうとっくに誰かのものだったのだ。
ちらりと琴璃の居る方に目をやる。普段は見せることのない険しい表情をしていた。昨日の今日で琴璃は朝から跡部のことを避けていた。用がある時は忍足や樺地を介して指示を仰ぐなんて真似をする。相当昨日のことを怒っているのだろう。
琴璃は両手を胸の前で組んでいてまるで何かを祈っているようだ。不二さん負けないで。そんなふうにでも思ってるんだろうか。それを思うと尚更闘志が湧いた。嫌な性格だぜ、と思う。でも今日は、何が何でも昨日琴璃に宣言した通りの結果にしてやる。
試合が始まってすぐに跡部が1セット先取した。シナリオ通りの試合運び。でももう既にこの男の強さを実感している。跡部の揺さぶりにも焦る素振りはない。他のコートで試合をしているはずの連中でさえ、中断させて跡部たちのコートに集まってきた。誰もが注目している2人の試合。ある意味で貴重な一戦。またとないこのゲームを見逃すなんてしたくない。
自分より小柄だし、力も体力も劣っている。跡部は長期戦で攻めてやろうと考えていた。だが現実には容易くそうさせてくれる相手ではない。こちらが左右に振っても不二は攻める姿を崩さない。守るテニスは辞めた、とか言っていたが、まさにその通りで隙あらば攻めようとする姿勢が見える。ただ不二のほうも跡部を警戒している。対戦相手がかつて手塚を負かした男となれば流石に慎重にならざるを得ない。
変わらず跡部がリードの形勢でチェンジコートになる。サーブは不二から。甘い球ならリターンをとるつもりで構えた。その向こうに琴璃の姿を捉える。ちょうど不二の居る位置の延長線上に居るからボールに集中してるのに嫌でも彼女の姿が目に入る。でも様子が変だった。
「……アイツ」
ついさっきとは明らかに違う。身体がどこかふらふらしているし、焦点の定まらない目をして明らかに具合が悪そうだ。そのことに跡部以外は誰も気付いていない。不二がサーブを打つべくボールを高々と上げる。垂直に上がる球のその向こうに琴璃が立っている。でも、次の瞬間に琴璃の身体が前方へ大きく傾いた。
「琴璃!」
跡部が怒鳴るのと琴璃が前へ倒れるのはほぼ同時だった。みんなが何事かと思う。不二もその声に驚いて思いきりサーブを空振りした。琴璃のすぐ前にはジローが居て、倒れ込んできた彼女に見事に潰された。ぐえ、と変な声を上げる。いきなり彼女が倒れてきたもんだから受け身も取れずに見事に下敷きになった。でも、ジローが居たおかげで琴璃は外傷的な痛みは負わなかった。騒ぎに気付いて何だどうしたと氷帝のレギュラーが集まってきた。青学の連中も心配そうにベンチから見ていた。ジローと宍戸が琴璃の名を呼びながら顔を覗き込んでいる。
「樺地」
跡部の声に反応して、樺地が琴璃を背負って部室の中に入って行った。その後をジローらが心配そうについてゆく。遠くから見ても、琴璃の顔は青白かった。
「悪かったな。再開していいぜ」
「大丈夫なの?」
「多分、熱中症だ。奴らが居るから心配ない」
「……そう。キミは、いいの?」
行かなくて。そういう意味の、“いいの?”だと跡部もすぐに分かった。普段滅多に声をあげない男が声を張り上げたから。試合に集中していれば他のことに意識なんて向けられないはずなのに跡部は琴璃の異変に気付いた。だからと言ってこの試合に一切の手を抜いてない。現にカウントは3−0。不二は1セットも奪取できていない。この事実に青学の連中もどよめきが隠せないでいた。
「構わない。来いよ」
跡部の顔つきがほんの少し変わったことに不二だけが気付いた。いつの間にか空が嫌な色になっている。今にも泣き出しそうな鈍色。もう間もなく雨が降る。
さっさと終わらせてやろう。暗い空を見上げながら、跡部はそんなふうに考えていた。琴璃が居なくなっては、もう不二が惨めに負ける様子を見せる必要が無くなったから。
ただ勝てば良い。それだけ。
翌日の練習試合は、予想通り青学のシングルス2は不二だった。開始がわりと遅かったせいで(青学の若干名が来る途中で妊婦を助けて遅刻したせいだ)、午前中はダブルスの試合で殆ど使われた。シングルス3が終わった頃はもう正午を過ぎていて、昼休憩の後、跡部たちの試合が開始されたのは午後にだいぶ入ってからだった。
今年は梅雨明けが例年よりかなり早かった。まだ6月があと数日残っている。それなのに今日はもう真夏と言ってもおかしくない気候だった。試合が始まる前によろしく、とにこやかに不二が右手を差し出してきたけれど、跡部はその手を握らなかった。誰のせいでこんなに胸クソ悪い気分になってると思ってる。原因は琴璃だが更なる元凶はこの男だ。
よりによって。なんでこの男なんだと思った。
琴璃が不二を好きなことを跡部はとっくに知っていた。不二に彼女が居たことも同様に。跡部が2年の頃、琴璃が氷帝のマネージャーになるずっと前の出来事。テニスの名門校同士、中等部の頃から互いに何度も顔を合わせている。その日も都内の高校のテニス部が集まる試合で、青学の連中と当たりこそしなかったが姿を目にした。コートのそばのベンチに座っていたらちょうど不二がどっかのテニス雑誌の記者に取材をされていた。跡部もしょっちゅう記者にインタビューされることはあるが、当初不二も
ちらりと琴璃の居る方に目をやる。普段は見せることのない険しい表情をしていた。昨日の今日で琴璃は朝から跡部のことを避けていた。用がある時は忍足や樺地を介して指示を仰ぐなんて真似をする。相当昨日のことを怒っているのだろう。
琴璃は両手を胸の前で組んでいてまるで何かを祈っているようだ。不二さん負けないで。そんなふうにでも思ってるんだろうか。それを思うと尚更闘志が湧いた。嫌な性格だぜ、と思う。でも今日は、何が何でも昨日琴璃に宣言した通りの結果にしてやる。
試合が始まってすぐに跡部が1セット先取した。シナリオ通りの試合運び。でももう既にこの男の強さを実感している。跡部の揺さぶりにも焦る素振りはない。他のコートで試合をしているはずの連中でさえ、中断させて跡部たちのコートに集まってきた。誰もが注目している2人の試合。ある意味で貴重な一戦。またとないこのゲームを見逃すなんてしたくない。
自分より小柄だし、力も体力も劣っている。跡部は長期戦で攻めてやろうと考えていた。だが現実には容易くそうさせてくれる相手ではない。こちらが左右に振っても不二は攻める姿を崩さない。守るテニスは辞めた、とか言っていたが、まさにその通りで隙あらば攻めようとする姿勢が見える。ただ不二のほうも跡部を警戒している。対戦相手がかつて手塚を負かした男となれば流石に慎重にならざるを得ない。
変わらず跡部がリードの形勢でチェンジコートになる。サーブは不二から。甘い球ならリターンをとるつもりで構えた。その向こうに琴璃の姿を捉える。ちょうど不二の居る位置の延長線上に居るからボールに集中してるのに嫌でも彼女の姿が目に入る。でも様子が変だった。
「……アイツ」
ついさっきとは明らかに違う。身体がどこかふらふらしているし、焦点の定まらない目をして明らかに具合が悪そうだ。そのことに跡部以外は誰も気付いていない。不二がサーブを打つべくボールを高々と上げる。垂直に上がる球のその向こうに琴璃が立っている。でも、次の瞬間に琴璃の身体が前方へ大きく傾いた。
「琴璃!」
跡部が怒鳴るのと琴璃が前へ倒れるのはほぼ同時だった。みんなが何事かと思う。不二もその声に驚いて思いきりサーブを空振りした。琴璃のすぐ前にはジローが居て、倒れ込んできた彼女に見事に潰された。ぐえ、と変な声を上げる。いきなり彼女が倒れてきたもんだから受け身も取れずに見事に下敷きになった。でも、ジローが居たおかげで琴璃は外傷的な痛みは負わなかった。騒ぎに気付いて何だどうしたと氷帝のレギュラーが集まってきた。青学の連中も心配そうにベンチから見ていた。ジローと宍戸が琴璃の名を呼びながら顔を覗き込んでいる。
「樺地」
跡部の声に反応して、樺地が琴璃を背負って部室の中に入って行った。その後をジローらが心配そうについてゆく。遠くから見ても、琴璃の顔は青白かった。
「悪かったな。再開していいぜ」
「大丈夫なの?」
「多分、熱中症だ。奴らが居るから心配ない」
「……そう。キミは、いいの?」
行かなくて。そういう意味の、“いいの?”だと跡部もすぐに分かった。普段滅多に声をあげない男が声を張り上げたから。試合に集中していれば他のことに意識なんて向けられないはずなのに跡部は琴璃の異変に気付いた。だからと言ってこの試合に一切の手を抜いてない。現にカウントは3−0。不二は1セットも奪取できていない。この事実に青学の連中もどよめきが隠せないでいた。
「構わない。来いよ」
跡部の顔つきがほんの少し変わったことに不二だけが気付いた。いつの間にか空が嫌な色になっている。今にも泣き出しそうな鈍色。もう間もなく雨が降る。
さっさと終わらせてやろう。暗い空を見上げながら、跡部はそんなふうに考えていた。琴璃が居なくなっては、もう不二が惨めに負ける様子を見せる必要が無くなったから。
ただ勝てば良い。それだけ。