夏がはじまる
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金曜日の夕方、琴璃は部室の中で作業をしていた。目の前にはカゴいっぱいに入ったテニスボールの山。ボールにも寿命があるから、まだ使えそうなものともう処分するものとに選別している。もうかれこれ30分はやっている。
最後の1個をカゴに投げ入れた、のに最後の最後にうまく入らず、カゴの縁に当たったそれは床を転がって部屋の隅に消えていった。はぁ、と溜め息を零しながら拾いに行く。さっきからもうこれで何度目の溜め息が止まらない。
ざっと部屋の中を片付けて当たりを見渡す。時計はもういい時間を示していた。
明日は先週に引き続き青学との練習試合がある。今度は青学が氷帝に来る番だ。色々と使うものの類いの準備をしておく必要があるので、マネージャーの琴璃はいつもより遅くまで残って準備をしていた。このボールの仕分け作業も、本来ならやらないけれど総て明日のためだ。別に、やらなくてもどうにかなったのだけれど。何か動いていないと駄目だった。止まったら、また余計なことを考えそうで。
「まだ居たのかよ」
「あ、お疲れさまです」
自主練からあがった跡部が部室に入ってきた。他のレギュラー陣はついさっき皆帰ってしまったが、跡部はよく残って1人で打っていることが多い。琴璃の姿を確認し、そのままロッカールームへと消えて行った。
再び部屋の中は琴璃だけになる。1人になって気を抜くと頭の中が不二で埋め尽くされる。恋人の存在なんて、今まで誰も言ってなかったのに。でも、彼は優しいからモテるに決まってる。彼女が居たところで何ら驚くことはないのに、今まで勝手に自分の都合の良いように考えてしまっていた。先週の会話で彼女の存在が明らかにされてからは、毎日がもう絶望的な思いを抱えて生きている。知りたくなかった。でも、遅かれ早かれいつかは知ることになる。何も始まらないうちに終わってしまった。自分の気持ちの行き場が無くなってしまった。あんなに舞い上がって馬鹿みたい。それを思っては胸が苦しいばかり。
あれほど楽しみだった明日の青学との練習試合。だが今はもう、そんな気持ち欠片もない。相変わらず溜め息しか出てこない。明日、不二に話しかけられたらどんな顔して会えばいいんだろう。不二を見て自分は冷静でいられるだろうか。顔に出てしまわないだろうか。別に向こうは何も思ってないのだから琴璃もとやかく考えず普通でいればいいのに。その、“普通”でいられる自信がない。
「そろそろ帰れよ」
「あ、はい」
また負の感情に呑まれそうな寸での所で跡部に声を掛けられる。着替えを済ませて戻ってきた。でも彼は帰る素振りはなく椅子に座って作業をしている。遠巻きに見たが、紙に何かを記入しているようだ。
取りあえず今日琴璃のやっておくべきことは終わった。跡部の言う通りもう帰ろうと思った。鞄を手にして立ち上がる。
「お前、明日は来なくていいぜ」
手元から顔を上げることなく、跡部が言う。
「……え、だって、明日は青学の皆さんが来るんですよね?いろいろ準備とか、片付けとか」
「そんなものは正レギュラー以外がやればいい。人手はいくらでもある」
「そうかもですけど……。でもなんで、私が来なくて良いってことになるんですか?別に、明日来れますよ。大丈夫です」
「大丈夫って顔してねぇから言ってんだよ」
跡部はそう言って、今まで何かを書いていた紙を琴璃に見せる。
「これは?」
「明日の練習試合のオーダーだ。向日の野郎が、自分らにも平等に試合に出させろってうるせぇから、明日限りはアイツの発案でくじ引きで決めさせてやった」
トン、と跡部がある場所を指差す。
「俺は、シングルス2になった」
「……それで」
「相手は高確率で、不二だろうな」
意地悪げに笑う跡部。なんだかその態度を見て琴璃はムッとした。
「俺は手加減なんてしねぇぜ?目の前でアイツが負ける姿を見たくないんじゃないのか」
不二が負けるのが嫌なら明日は来ないほうが賢明だ。つまりはそういう意味らしい。琴璃が取り乱すように、跡部はわざとそういう言い方をしている。跡部の思惑通り琴璃の表情が強張った。でもそれは一瞬だけで。ふう、と短く息を吐いたのち、身体ごとしっかりと彼の正面に向き直る。
「部長は不二さんを見くびってるんですね」
「あん?」
「簡単に言うほどあの人は甘くないと思います。そんなふうに余裕ぶってると、足元掬われますよ」
キッと跡部を睨みつける。もう、自分が不二を好きだということを跡部が知ってるのなんてどうでも良かった。琴璃の気持ちが誰かにバレようが、不二には特定の相手がいる。その事実は変わらない。どうしたって自分は彼の瞳の中に住めない。だからちょっとヤケクソだった。不二が負けるはずない、とも思わないし不二に勝ってほしいとも願わない。本当はもうどうでも良かった。でも、跡部に言われたのはちょっと許せなかった。不二を負かすとか言われて思わず言い返したくなった。きっと、心の何処かでは不二が負けるはずないと思っているのかもしれない。けれどその本心に気付かないように、自分の気持ちに蓋をするように跡部を真正面から睨む。今日まで何をそんなに思い悩んでいるんだろう。自分の恋は終わったのだ。そう強く言い聞かせる。
「……俺様よりもアイツが勝つと思ってんのか」
仕掛けてきたのは跡部なのに、いつの間にか琴璃のほうが冷静さを見せている。ゆらりと跡部は立ち上がる。目線が一気に逆転して見下ろされる琴璃。
「なめられたもんだな、俺も」
不穏な空気が辺りを埋め尽くす。跡部は表情さえ変わらないけれど琴璃を射抜く視線は強烈だった。吊り上がる口角が妖しさと危うさを感じさせる。思わず琴璃はたじろいだ。
「気が変わった」
ぐいっと手首を掴まれたのち、凄い勢いで壁に押さえつけられた。琴璃の手から鞄が落ちる。痛い、と訴える間もなかった。次の瞬間に唇を塞がれたから。正しくは、跡部が琴璃の唇に噛み付いた。それはキスと呼べるのか分からないくらい強引なもの。逃げられないように跡部は琴璃の後頭部を押さえて放さない。深い口づけが続く。いやらしい濡れた音が響く。割り込んでくる跡部の舌。逃れたくて、琴璃は空いてる手で跡部の胸を押し返したのにそれは全く意味のない行動だった。こんな力では通用するわけがない。息を吸いたい。そろそろ呼吸が苦しくなってきたところでようやく唇が解放される。生理的に潤んだ瞳で跡部を睨んでもそんなものは逆効果だ。余計に煽ることになるのを琴璃は知らない。もう一度噛み付いてやろうと跡部は顔を近づける。だが危険を察した琴璃はぎゅっと目を閉じ顔を背けた。その態度が、跡部は気にいらなかった。だから2度目のキスはしなかった。押さえつけていた腕を放してやる。琴璃はその場に座り込んでしまった。何が何だか、分からないといった顔をしている。反対に跡部は笑っている。どこまでも妖しくて権威的な瞳。そして、琴璃のすぐ目の前にしゃがむ。目線が同じになったけど彼の威圧感は消えることがない。さっきは臆せず食って掛かったけど、琴璃はもう何も言えなかった。
「明日絶対来いよ、琴璃。アイツが情けなく崩れる様をお前に見せてやる」
最後の1個をカゴに投げ入れた、のに最後の最後にうまく入らず、カゴの縁に当たったそれは床を転がって部屋の隅に消えていった。はぁ、と溜め息を零しながら拾いに行く。さっきからもうこれで何度目の溜め息が止まらない。
ざっと部屋の中を片付けて当たりを見渡す。時計はもういい時間を示していた。
明日は先週に引き続き青学との練習試合がある。今度は青学が氷帝に来る番だ。色々と使うものの類いの準備をしておく必要があるので、マネージャーの琴璃はいつもより遅くまで残って準備をしていた。このボールの仕分け作業も、本来ならやらないけれど総て明日のためだ。別に、やらなくてもどうにかなったのだけれど。何か動いていないと駄目だった。止まったら、また余計なことを考えそうで。
「まだ居たのかよ」
「あ、お疲れさまです」
自主練からあがった跡部が部室に入ってきた。他のレギュラー陣はついさっき皆帰ってしまったが、跡部はよく残って1人で打っていることが多い。琴璃の姿を確認し、そのままロッカールームへと消えて行った。
再び部屋の中は琴璃だけになる。1人になって気を抜くと頭の中が不二で埋め尽くされる。恋人の存在なんて、今まで誰も言ってなかったのに。でも、彼は優しいからモテるに決まってる。彼女が居たところで何ら驚くことはないのに、今まで勝手に自分の都合の良いように考えてしまっていた。先週の会話で彼女の存在が明らかにされてからは、毎日がもう絶望的な思いを抱えて生きている。知りたくなかった。でも、遅かれ早かれいつかは知ることになる。何も始まらないうちに終わってしまった。自分の気持ちの行き場が無くなってしまった。あんなに舞い上がって馬鹿みたい。それを思っては胸が苦しいばかり。
あれほど楽しみだった明日の青学との練習試合。だが今はもう、そんな気持ち欠片もない。相変わらず溜め息しか出てこない。明日、不二に話しかけられたらどんな顔して会えばいいんだろう。不二を見て自分は冷静でいられるだろうか。顔に出てしまわないだろうか。別に向こうは何も思ってないのだから琴璃もとやかく考えず普通でいればいいのに。その、“普通”でいられる自信がない。
「そろそろ帰れよ」
「あ、はい」
また負の感情に呑まれそうな寸での所で跡部に声を掛けられる。着替えを済ませて戻ってきた。でも彼は帰る素振りはなく椅子に座って作業をしている。遠巻きに見たが、紙に何かを記入しているようだ。
取りあえず今日琴璃のやっておくべきことは終わった。跡部の言う通りもう帰ろうと思った。鞄を手にして立ち上がる。
「お前、明日は来なくていいぜ」
手元から顔を上げることなく、跡部が言う。
「……え、だって、明日は青学の皆さんが来るんですよね?いろいろ準備とか、片付けとか」
「そんなものは正レギュラー以外がやればいい。人手はいくらでもある」
「そうかもですけど……。でもなんで、私が来なくて良いってことになるんですか?別に、明日来れますよ。大丈夫です」
「大丈夫って顔してねぇから言ってんだよ」
跡部はそう言って、今まで何かを書いていた紙を琴璃に見せる。
「これは?」
「明日の練習試合のオーダーだ。向日の野郎が、自分らにも平等に試合に出させろってうるせぇから、明日限りはアイツの発案でくじ引きで決めさせてやった」
トン、と跡部がある場所を指差す。
「俺は、シングルス2になった」
「……それで」
「相手は高確率で、不二だろうな」
意地悪げに笑う跡部。なんだかその態度を見て琴璃はムッとした。
「俺は手加減なんてしねぇぜ?目の前でアイツが負ける姿を見たくないんじゃないのか」
不二が負けるのが嫌なら明日は来ないほうが賢明だ。つまりはそういう意味らしい。琴璃が取り乱すように、跡部はわざとそういう言い方をしている。跡部の思惑通り琴璃の表情が強張った。でもそれは一瞬だけで。ふう、と短く息を吐いたのち、身体ごとしっかりと彼の正面に向き直る。
「部長は不二さんを見くびってるんですね」
「あん?」
「簡単に言うほどあの人は甘くないと思います。そんなふうに余裕ぶってると、足元掬われますよ」
キッと跡部を睨みつける。もう、自分が不二を好きだということを跡部が知ってるのなんてどうでも良かった。琴璃の気持ちが誰かにバレようが、不二には特定の相手がいる。その事実は変わらない。どうしたって自分は彼の瞳の中に住めない。だからちょっとヤケクソだった。不二が負けるはずない、とも思わないし不二に勝ってほしいとも願わない。本当はもうどうでも良かった。でも、跡部に言われたのはちょっと許せなかった。不二を負かすとか言われて思わず言い返したくなった。きっと、心の何処かでは不二が負けるはずないと思っているのかもしれない。けれどその本心に気付かないように、自分の気持ちに蓋をするように跡部を真正面から睨む。今日まで何をそんなに思い悩んでいるんだろう。自分の恋は終わったのだ。そう強く言い聞かせる。
「……俺様よりもアイツが勝つと思ってんのか」
仕掛けてきたのは跡部なのに、いつの間にか琴璃のほうが冷静さを見せている。ゆらりと跡部は立ち上がる。目線が一気に逆転して見下ろされる琴璃。
「なめられたもんだな、俺も」
不穏な空気が辺りを埋め尽くす。跡部は表情さえ変わらないけれど琴璃を射抜く視線は強烈だった。吊り上がる口角が妖しさと危うさを感じさせる。思わず琴璃はたじろいだ。
「気が変わった」
ぐいっと手首を掴まれたのち、凄い勢いで壁に押さえつけられた。琴璃の手から鞄が落ちる。痛い、と訴える間もなかった。次の瞬間に唇を塞がれたから。正しくは、跡部が琴璃の唇に噛み付いた。それはキスと呼べるのか分からないくらい強引なもの。逃げられないように跡部は琴璃の後頭部を押さえて放さない。深い口づけが続く。いやらしい濡れた音が響く。割り込んでくる跡部の舌。逃れたくて、琴璃は空いてる手で跡部の胸を押し返したのにそれは全く意味のない行動だった。こんな力では通用するわけがない。息を吸いたい。そろそろ呼吸が苦しくなってきたところでようやく唇が解放される。生理的に潤んだ瞳で跡部を睨んでもそんなものは逆効果だ。余計に煽ることになるのを琴璃は知らない。もう一度噛み付いてやろうと跡部は顔を近づける。だが危険を察した琴璃はぎゅっと目を閉じ顔を背けた。その態度が、跡部は気にいらなかった。だから2度目のキスはしなかった。押さえつけていた腕を放してやる。琴璃はその場に座り込んでしまった。何が何だか、分からないといった顔をしている。反対に跡部は笑っている。どこまでも妖しくて権威的な瞳。そして、琴璃のすぐ目の前にしゃがむ。目線が同じになったけど彼の威圧感は消えることがない。さっきは臆せず食って掛かったけど、琴璃はもう何も言えなかった。
「明日絶対来いよ、琴璃。アイツが情けなく崩れる様をお前に見せてやる」