夏がはじまる
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この人のテニスはとにかく美しいなと思った。
上手い、という表現も正しいのけどそれだけじゃおさまらない。一言じゃ決して表現できないほど彼のテニスは軽快で華麗で、まるで別の競技にも見える。瞬きをするのさえも惜しい。さっきから琴璃は食い入るように見つめていた。
試合は佳境を迎えようとしていていて、このセットをとれば勝敗が決まる。今はシングルスでのゲー厶だけど、彼はダブルスも得意としている。公式戦で琴璃の知る限りでもどちらのタイプでも出場していた。様々に変化するプレイスタイル、対応の速さ、最小限の失点。やっぱりすごい。まさしく彼は天才だと思う。気付けばもうマッチポイントだった。
「ゲームセット。ウォンバイ不二」
最後はリターンエースで締め括られた。対戦相手と握手を交わしベンチに戻ろうとする、その時に不二が琴璃のほうを振り向く。目が合って、ニコリと琴璃に微笑みかけた。それだけでもう琴璃の心臓は速くなる。さらにはなんと不二が琴璃のもとへやって来た。もしかして今までずっと見ていたのがバレたのかも。動揺と嬉しさが頭の中でぶつかり合う。なるべく平生に。そう思ってもドキドキしてしまう。
「琴璃ちゃん、お疲れ様」
試合が終わったばかりなのに不二は涼しい顔をしている。
「お疲れ様です、あの、不二さん、これどうぞ」
そう言って琴璃はスポーツドリンクのペットボトルを不二に差し出す。
「ありがとう。でも、いいの?僕がもらっちゃって」
「大丈夫です、たくさん持ってきたんで」
運んだのは主に樺地と鳳が、だが。構うことなく琴璃はドリンクを渡す。季節はようやく梅雨が開けて、夏本番に差し掛かろうとしている。今日もなかなか日差しが強い。
「今日はいい天気だよね」
「ですね。なんだか一気に夏になっちゃったみたいです」
「キミも水分補給忘れずにね。スポーツしてなくても熱中症にはなるからね」
そう言って琴璃に笑いかける。その優しい笑みは今、自分だけに向けられているもの。心の中ではとっくに好きだと叫んでいる。琴璃はもう、いつ日本が滅亡しても構わないとさえ思った。
「琴璃ー、俺にもドリンクちょーだいよー」
ラケットを抱えてジローがやってきた。今し方まで不二と対戦していたのは彼だった。あちー、とか、もうだめ、と言いながら琴璃の脇のベンチに崩れ落ちるように座った。汗だくで息も乱れている。不二も多少は息が上がっているようだが、ここまでではなかった。体力の消費は2人の間でかなりの個人差が出ているようだ。
「ふーんだ。自分とこの先輩より敵チームのヤツにはさっさとあげてさー」
ぷーっとジローがむくれる。
「す、すいません」
「オレのことなんかすっかり忘れてたでしょ」
「そんなこと……」
「ふふ。前よりも強くなったよね、芥川」
やんわりと、不二が会話に入ってきた。琴璃に助け舟を出してくれた。その優しさが分かって琴璃の胸はまた高鳴る。いちいち彼の言動に反応してしまう自分である。
「マジ?ほんと?けどさ、そんなこと言ってっけど楽勝に勝っちゃうもんなー不二」
「僕も一瞬危ないと思った時あったよ。キミの脚の速さは僕にはないからね。琴璃ちゃんも、そう思うよね」
絶妙なフリに琴璃は急いで首を縦に振る。ジローは、そぉ?と言っていつもの調子でにかっと笑った。機嫌は直ったようだ。琴璃はホッとした。
土曜日の今日、氷帝は青学に赴いて練習試合をしている。そして、同じく来週も予定しているのだ。2週にかけて同じ学校と対戦するなんて珍しいことで。何でも、どちらの学校のテニスコートでやるか互いの部長が譲らなかったらしい。電話で日程を取り決めていた時に、大所帯の氷帝にわざわざ出向いてもらうのは悪い、という手塚の言葉に跡部が反応した。
「そんなにド田舎にあんのかよ、青春学園ってのは。そもそもうちの部員全員連れていくわけねぇだろ、馬鹿か」
「いや跡部、そういう意味ではなくてな」
「だったらその翌週もやろうぜ。その時はテメェらが氷帝 に来い。存分にもてなしてやるよ」
先週末、互いの部長がそんな電話での会話を繰り広げていたらしい。その時手塚のそばにいた不二は仲が良いんだか悪いんだか、と笑っていた。手塚の口下手なところも原因の1つかもしれないのだけれど。
「何だかんだで試合するのが好きなんだろうね、手塚も跡部も」
「だと思います」
琴璃はこの日をすごく楽しみにしていた。2週にかけて不二と会えるなんてこんなラッキーなことはない。今日も、まさかこんなにそばで話ができるなんて思ってもいなかった。来週は氷帝で不二に会える。それが嬉しくて仕方ない。気を抜くと顔が緩みそうになる。浮ついた気持ちを一生懸命隠しながら1日を過ごした。
「琴璃ちゃん」
夕方、氷帝が切り上げようとしていたところにまた不二がやって来た。今日だけで沢山話せている。
「来週もよろしくね」
「はい、お願いします」
「知ってる?ちょうどその日は夏祭りがあるんだよ」
「夏祭り、ですか」
そう言えば、確かそんな話を氷帝の部室でも誰かがしていたような。忍足だったか、彼女と行くのを他のレギュラーに話していたのをぼんやり覚えている。
「うん、花火もやるらしいよ」
「そうなんだ、いいですね」
「僕の姉さんがさ、店やるんだ。“占いの館”で出店するらしいんだよ」
「へー楽しそう!いいですね、占いかぁ」
「弟の僕が言うのもなんだけど結構当たるんだよ、姉さんの占い。女の子は占いとか好きだよね。琴璃ちゃんもそういうの信じたりするの?」
「はい、でも良い時だけ信じるようにしてます」
「あはは、そっか」
「女の子はそんなもんですよ」
「確かに」
夏祭りなんてちっとも興味無かったのに、不二とここまで話が広がって気になってきた。当日はまた練習試合があるから、行くとしたら終わり次第になる。話しぶりからして不二は行くつもりなのだろう。ならば自分も行けば会えるかもしれない。昼も夜も会えたなら。嬉しすぎて心臓が止まりそうだ。はやる気持ちが顔を覗かせてきた。良かったら一緒にお祭り見ませんか。勢いに任せて言おうとした、けれど琴璃より先に不二が口を開いた。
「僕の彼女も同じようなこと言ってたな。都合良いことしか信じない、って」
聞き返すまでもなく、それは嫌というほど耳の中にダイレクトに響く。数秒間のはずが、物凄く長く感じた。
「そうなんですか」
かろうじて返せた相槌がそれだけだった。
「琴璃ー」
名前を呼ばれてはっとした。向こうからジローが走ってくる。
「帰るってさ。跡部が早く来いって」
「……あ、やばい、まだ片付けの途中だった」
我に返ってようやく思い出した。まだやる事は終わっていない。
「あー、なんかもう樺地がバスに積んじゃったからおっけーみたいだよ。とにかく琴璃を回収してこい、って言われた」
「は、す、すみません」
不二との話で他のことをすっかり忘れていた。遊びに来たわけじゃないのだ。自分の役割をしっかり務めないといけない。
「じゃあ、また来週」
「あ、はい。……お疲れ様でした」
不二と別れてジローと2人、迎えのバスに向かう。バスは青学の正門前に停車していて琴璃たち以外の部員たちは既に乗り込んでいた。後ろの方の席は、荷物やらが散乱しててとても座れそうな様子ではなかった。ジローは向日たちの輪の中に入っていってしまった。他に空いてるのはすぐ目の前の、跡部の隣の席だけだった。少し気まずい。失礼します、と断ってからそこに座る。
「お前はどこを彷徨いてたんだ」
「……すいません」
バスが発車する。後方に座る者たちが遠足気分になって騒ぎ出す。ジローは今日1日眠らなかったからきっとこのバスの中で寝るだろう。だが、まだ元気の有り余ってる向日や宍戸あたりが2年連中を巻き込んでよく分からないゲームをしていた。はっきり言って喧しい。
「ったく、ガキかよアイツらは」
後ろの騒がしさに呆れつつ、跡部は窓越しに琴璃を盗み見る。窓ガラス越しに映る横顔がひどく暗く悲しげなことに気付いた。眠る素振りはなく、ただ大人しく窓の外を眺めている。
何を考えてるのか、ただひたすら、じっと一点を見つめて。
上手い、という表現も正しいのけどそれだけじゃおさまらない。一言じゃ決して表現できないほど彼のテニスは軽快で華麗で、まるで別の競技にも見える。瞬きをするのさえも惜しい。さっきから琴璃は食い入るように見つめていた。
試合は佳境を迎えようとしていていて、このセットをとれば勝敗が決まる。今はシングルスでのゲー厶だけど、彼はダブルスも得意としている。公式戦で琴璃の知る限りでもどちらのタイプでも出場していた。様々に変化するプレイスタイル、対応の速さ、最小限の失点。やっぱりすごい。まさしく彼は天才だと思う。気付けばもうマッチポイントだった。
「ゲームセット。ウォンバイ不二」
最後はリターンエースで締め括られた。対戦相手と握手を交わしベンチに戻ろうとする、その時に不二が琴璃のほうを振り向く。目が合って、ニコリと琴璃に微笑みかけた。それだけでもう琴璃の心臓は速くなる。さらにはなんと不二が琴璃のもとへやって来た。もしかして今までずっと見ていたのがバレたのかも。動揺と嬉しさが頭の中でぶつかり合う。なるべく平生に。そう思ってもドキドキしてしまう。
「琴璃ちゃん、お疲れ様」
試合が終わったばかりなのに不二は涼しい顔をしている。
「お疲れ様です、あの、不二さん、これどうぞ」
そう言って琴璃はスポーツドリンクのペットボトルを不二に差し出す。
「ありがとう。でも、いいの?僕がもらっちゃって」
「大丈夫です、たくさん持ってきたんで」
運んだのは主に樺地と鳳が、だが。構うことなく琴璃はドリンクを渡す。季節はようやく梅雨が開けて、夏本番に差し掛かろうとしている。今日もなかなか日差しが強い。
「今日はいい天気だよね」
「ですね。なんだか一気に夏になっちゃったみたいです」
「キミも水分補給忘れずにね。スポーツしてなくても熱中症にはなるからね」
そう言って琴璃に笑いかける。その優しい笑みは今、自分だけに向けられているもの。心の中ではとっくに好きだと叫んでいる。琴璃はもう、いつ日本が滅亡しても構わないとさえ思った。
「琴璃ー、俺にもドリンクちょーだいよー」
ラケットを抱えてジローがやってきた。今し方まで不二と対戦していたのは彼だった。あちー、とか、もうだめ、と言いながら琴璃の脇のベンチに崩れ落ちるように座った。汗だくで息も乱れている。不二も多少は息が上がっているようだが、ここまでではなかった。体力の消費は2人の間でかなりの個人差が出ているようだ。
「ふーんだ。自分とこの先輩より敵チームのヤツにはさっさとあげてさー」
ぷーっとジローがむくれる。
「す、すいません」
「オレのことなんかすっかり忘れてたでしょ」
「そんなこと……」
「ふふ。前よりも強くなったよね、芥川」
やんわりと、不二が会話に入ってきた。琴璃に助け舟を出してくれた。その優しさが分かって琴璃の胸はまた高鳴る。いちいち彼の言動に反応してしまう自分である。
「マジ?ほんと?けどさ、そんなこと言ってっけど楽勝に勝っちゃうもんなー不二」
「僕も一瞬危ないと思った時あったよ。キミの脚の速さは僕にはないからね。琴璃ちゃんも、そう思うよね」
絶妙なフリに琴璃は急いで首を縦に振る。ジローは、そぉ?と言っていつもの調子でにかっと笑った。機嫌は直ったようだ。琴璃はホッとした。
土曜日の今日、氷帝は青学に赴いて練習試合をしている。そして、同じく来週も予定しているのだ。2週にかけて同じ学校と対戦するなんて珍しいことで。何でも、どちらの学校のテニスコートでやるか互いの部長が譲らなかったらしい。電話で日程を取り決めていた時に、大所帯の氷帝にわざわざ出向いてもらうのは悪い、という手塚の言葉に跡部が反応した。
「そんなにド田舎にあんのかよ、青春学園ってのは。そもそもうちの部員全員連れていくわけねぇだろ、馬鹿か」
「いや跡部、そういう意味ではなくてな」
「だったらその翌週もやろうぜ。その時はテメェらが
先週末、互いの部長がそんな電話での会話を繰り広げていたらしい。その時手塚のそばにいた不二は仲が良いんだか悪いんだか、と笑っていた。手塚の口下手なところも原因の1つかもしれないのだけれど。
「何だかんだで試合するのが好きなんだろうね、手塚も跡部も」
「だと思います」
琴璃はこの日をすごく楽しみにしていた。2週にかけて不二と会えるなんてこんなラッキーなことはない。今日も、まさかこんなにそばで話ができるなんて思ってもいなかった。来週は氷帝で不二に会える。それが嬉しくて仕方ない。気を抜くと顔が緩みそうになる。浮ついた気持ちを一生懸命隠しながら1日を過ごした。
「琴璃ちゃん」
夕方、氷帝が切り上げようとしていたところにまた不二がやって来た。今日だけで沢山話せている。
「来週もよろしくね」
「はい、お願いします」
「知ってる?ちょうどその日は夏祭りがあるんだよ」
「夏祭り、ですか」
そう言えば、確かそんな話を氷帝の部室でも誰かがしていたような。忍足だったか、彼女と行くのを他のレギュラーに話していたのをぼんやり覚えている。
「うん、花火もやるらしいよ」
「そうなんだ、いいですね」
「僕の姉さんがさ、店やるんだ。“占いの館”で出店するらしいんだよ」
「へー楽しそう!いいですね、占いかぁ」
「弟の僕が言うのもなんだけど結構当たるんだよ、姉さんの占い。女の子は占いとか好きだよね。琴璃ちゃんもそういうの信じたりするの?」
「はい、でも良い時だけ信じるようにしてます」
「あはは、そっか」
「女の子はそんなもんですよ」
「確かに」
夏祭りなんてちっとも興味無かったのに、不二とここまで話が広がって気になってきた。当日はまた練習試合があるから、行くとしたら終わり次第になる。話しぶりからして不二は行くつもりなのだろう。ならば自分も行けば会えるかもしれない。昼も夜も会えたなら。嬉しすぎて心臓が止まりそうだ。はやる気持ちが顔を覗かせてきた。良かったら一緒にお祭り見ませんか。勢いに任せて言おうとした、けれど琴璃より先に不二が口を開いた。
「僕の彼女も同じようなこと言ってたな。都合良いことしか信じない、って」
聞き返すまでもなく、それは嫌というほど耳の中にダイレクトに響く。数秒間のはずが、物凄く長く感じた。
「そうなんですか」
かろうじて返せた相槌がそれだけだった。
「琴璃ー」
名前を呼ばれてはっとした。向こうからジローが走ってくる。
「帰るってさ。跡部が早く来いって」
「……あ、やばい、まだ片付けの途中だった」
我に返ってようやく思い出した。まだやる事は終わっていない。
「あー、なんかもう樺地がバスに積んじゃったからおっけーみたいだよ。とにかく琴璃を回収してこい、って言われた」
「は、す、すみません」
不二との話で他のことをすっかり忘れていた。遊びに来たわけじゃないのだ。自分の役割をしっかり務めないといけない。
「じゃあ、また来週」
「あ、はい。……お疲れ様でした」
不二と別れてジローと2人、迎えのバスに向かう。バスは青学の正門前に停車していて琴璃たち以外の部員たちは既に乗り込んでいた。後ろの方の席は、荷物やらが散乱しててとても座れそうな様子ではなかった。ジローは向日たちの輪の中に入っていってしまった。他に空いてるのはすぐ目の前の、跡部の隣の席だけだった。少し気まずい。失礼します、と断ってからそこに座る。
「お前はどこを彷徨いてたんだ」
「……すいません」
バスが発車する。後方に座る者たちが遠足気分になって騒ぎ出す。ジローは今日1日眠らなかったからきっとこのバスの中で寝るだろう。だが、まだ元気の有り余ってる向日や宍戸あたりが2年連中を巻き込んでよく分からないゲームをしていた。はっきり言って喧しい。
「ったく、ガキかよアイツらは」
後ろの騒がしさに呆れつつ、跡部は窓越しに琴璃を盗み見る。窓ガラス越しに映る横顔がひどく暗く悲しげなことに気付いた。眠る素振りはなく、ただ大人しく窓の外を眺めている。
何を考えてるのか、ただひたすら、じっと一点を見つめて。
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