知らないうちに愛されていた
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4月が終わって、だんだん日中の気温も上がってきた。けれどまだ肌寒い日があったりもする。今日はその日で、おまけに風も少し強かった。あんなに咲き誇っていた桜もすっかり葉桜になっている。緑になった桜並木の下を琴璃は歩いていた。行き先はサッカー部の部室。彼に思いを告げられてから数日が経ったけれど、これ以上時間を置いては彼にも失礼だし、何より自分が上手く返せる自信が無くなってくる。今朝、彼が教室に来たのを見かけてすぐに近寄った。ここで返事はできないから部活後に時間をください。琴璃の言葉に彼は一瞬驚いて、分かったと言うと少し笑った。琴璃は笑えなかった。
放課後になった今は、グラウンドに運動部の姿が見える。掛け声やらホイッスルの音の中にボールを打つ音も聞こえてくる。だんだんとテニスコートのそばに差し掛かった。結局あれからまだ生徒会室に顔を出せていないので跡部とは会っていない。隠れる必要なんてないのに、琴璃は跡部に見つかりたくなくて俯き気味に歩いていた。会いたくないんじゃなくて、これからサッカー部へ行くところを見られたくない。なのにそういう時に限って名前を呼ばれる。でもその声は彼のものではなかった。
「琴璃ちゃん」
振り向くと忍足がいた。部活中なのだろう、ラケットを脇に抱えて立っている。忍足とは同じクラスでたまに会話もする。何を話したかなんて覚えてないくらいの、世間話レベルのもの。だから前から仲が良かった。そんな彼が心配そうな顔をして琴璃のそばへ近づいて来る。
「どしたん。暗い顔して」
「……え?そうかな」
頭の中の迷いが顔には出ていたらしい。これからのこと、考えるだけで琴璃は複雑な気持ちになる。
「跡部に会いに来たんやないの?」
忍足は何とも思わず彼の名前を出した。彼が琴璃のことをわりと気に入っているのを忍足は知っている。あの跡部が女の子と仲良くするのは珍しい光景だ。だから琴璃は跡部にとって特別な子なんだと忍足は気付いていた。だけど、今日はその名前が出た途端表情を強張らせる。琴璃は胸の前で両掌を振ってみせる。何かを隠そうとしている。それが忍足には分かった。
「ううん、違うの。ちょっと、サッカー部に行こうとしてて」
「サッカー部?あぁ、そいやサッカー部の部長にこないだ告白されてたもんな、自分」
「え、み、見てたの」
「見てたっちゅーか、昼休みに教室のど真ん中でやられてたらそら目に入るわ」
あの時忍足も教室内に居たのだ。いつものようにテニス部メンバーと食堂に行こうとしていた矢先のこと。突然あの公開告白が始まったわけで、別に見たくて見たわけではなかった。多分、あの場にいた生徒全員がそうである。
「ちなみに残念なお知らせやけど、あの日跡部も見てたで」
「……え」
その事実を聞いて琴璃は絶望する。最悪だ、と思った。途端に手に嫌な汗がわいてきた。まさか、なんで。よりによって1番見られたくない人に見られていた。
「あん時、跡部もたまたま俺らと食堂行くとこやってん。他のテニス部の連中と一緒にうちのクラスに来たころに、ちょうど琴璃ちゃんが告白されてた現場と重なったんや」
「違うの、あれは、その、私もいきなりでまさかそういうことになるなんて思わなくて」
必死に忍足に弁解しようとする琴璃。今更そんなことしても意味はない。1番誤解を解きたいのは彼じゃないのに。そこへ琴璃の後ろから誰かやって来る。琴璃は気付いていない。忍足だけが気付いて些か表情を固くした。そして、琴璃じゃなくてその向こうにいる人物を見ながら呟いた。
「あー……琴璃ちゃん、もっと残念な知らせがあるんやけど」
「え、何それ。やだ、聞きたくない。ねぇ忍足くん」
「何が聞きたくないんだって」
背後から低い声がして。出来ることなら振り向きたくなかった。でも無視なんてしたらとんでもないことになるから
。恐る恐る琴璃は振り向いた。やっぱり跡部が立っていた。
「あー……」
忍足が空を仰ぐ。琴璃の心情を察したのだ。気の毒に、と思いながら青い顔をして俯く琴璃を見ていた。今の自分に発言権は無いと悟ったから、ただただ心配そうに彼女に目を向ける。
「幸せそうで何よりだ」
びくりと琴璃が肩を揺らす。実質的にほぼひと月ぶりの会話。不安げに顔を曇らせる琴璃の目の前に仁王立ちする跡部。顔は少しも笑ってなかった。ほぼ無表情で逆に怖い。
「……そんなふうに見えるの?」
「好きでもない男と付き合うヤツの気が知れねぇな」
跡部は琴璃が告白されたことを言っている。付き合うだなんて、そんな話になった憶えはない。話が勝手に飛躍しすぎていて、何よりそれを跡部に言われたことに戸惑いを隠せない。
「跡部、いくらなんでもそないな言い方」
居た堪れなくて、忍足がやんわり間に入っても跡部は気にすることなく琴璃を睨み続ける。
「お前は俺にもそうさせようとしたじゃねぇか」
「……何が」
「お前も俺にあのわけの分からねえ女を近づけようとしてきたじゃねぇかって言ってんだよ。そんなこと誰が頼んだ?まさか親切心でやったとでも言うのかよ」
「だから、私、そんなつもりじゃないってば」
「ハッ、そんなつもり無いならまさか無自覚でやってたのかよ。尚更質が悪いな」
「どうしてそういうこと言うの。……ひどいよ」
蚊帳の外でただ立ってるだけの忍足でも流石に驚いた。跡部とはわりと長い付き合いだけど、こんなにも感情を隠さない彼を見るのは初めてだ。誰かに対して真正面から自分の感情をぶつけるような人ではないから。だから尚更、琴璃は跡部にとって特別な子なんだなと思った。常に大人びている跡部も、琴璃の前では普通の高校生なのだ。目の前でこんな修羅場状態なのに、それを思うと何故かほっとしてしまった。相変わらず、ただ見守ることしかできないけれど。琴璃はもう泣く寸前の顔をしている。あんなふうに追い詰められたら泣きたくなるのも分かる。
「……ひどい、だと?」
吐き捨てるように跡部が言う。怯える琴璃にもう一歩近づいた。琴璃はもう完全に萎縮している。次は何を言われるのか。それが怖くて構えている。
「お前と居られる僅かな時間を、何故他の人間と共有しなきゃならない」
無機質な跡部の声音。きっと普通の人が聞いただけでは分からないけれど琴璃は感じ取れた。そこには確かに感情が存在している。何か込み上げてくるものを、無理矢理押さえつけているような。琴璃は恐る恐る顔を上げた。跡部がすぐ前にいて、じっと琴璃を睨むように見下ろしていた。久しぶりに声を聞いて、顔を見て。どうしてそんな苦しそうな顔をするの。無表情を繕うその下に隠れているものがある。琴璃にはそれが見えた。そして、跡部がなんで怒ってるのか、この瞬間に琴璃は初めて分かった。途端に襲いかかってくる胸が締めつけられるような気持ち。これはもう自惚れでもない。確信していい。自分は、この人にとても大切にされている。
「跡部くん……」
何故もっと早く気付けなかったんだろう。気付くどころか自分は跡部の望んでないことをしていた。自分の友達と仲良くなってくればいいな、なんて馬鹿みたいに平和なことを考えていたけれど、それは跡部にとってみたら嬉しくもなんともない。むしろその逆で。
跡部がすごくモテるのは、もうずっと彼の近くに居たから勿論知ってた。彼が知らない女の子に思いを告げられるシーンも目にしたことがある。でも彼はいつの頃からか特定の相手を作らなくなった。中等部の早い段階で琴璃はそれに気付いた。どうして彼女を作らないんだろう。どうして自分は彼のそばに居られるのだろう。その理由を考えて、さっき彼に言われたことを思い出して、ハッとした。好きでもない相手とは付き合いたくない。それが彼の答えだ。
「ごめんなさい」
俯いたまま琴璃が喋る。蚊の鳴くような声だった。
「今から返事に行くところだったの。……付き合えないって、言いに行くところだったの」
ゆっくりと顔を上げた琴璃の両目には既に涙が溜まっていた。
「告白されてびっくりはしたけど、でも全然嬉しくなくて。私も、跡部くんの言う通り好きでもない人とは付き合えない。嫌がることして、ごめんね。でもそんなつもりなかったの。ほんとに、そんなふうに思ってなかった」
今なら分かる。跡部がもう長い間特定の相手を作らなかったわけを。大した用事でもないのにいつも琴璃を呼ぶわけを。自分はこんなにも大切にされていた。知らないうちに、愛されていた。
「ごめんなさい」
「分かったから泣くな」
気付いてしまったらいろんな感情が頭の中を駆け巡って、それが涙になって溢れてきた。嬉しさとか申し訳なさとか、いろんなものが、いっぱいに。
「悪かった、琴璃」
そう言って、跡部はそっと琴璃を抱き寄せる。震える彼女の肩はとても華奢だった。これまでに肩に触れることは幾度とあっても抱きしめたのはこれが初めてのこと。こんなにそばにいたのに、彼女の肩を抱くことは無かった。
「跡部くんに嫌われるのなんて……嫌だよ」
好きでもない人と付き合うなんてできない。それよりも好きな人に好きだと言えないほうがもっと辛い。本当の気持ちを知ったから。ようやく分かったから。
たとえばもしあの子と跡部が付き合うことになったとして、自分はどんな気持ちになるだろう。そんなこと考えたこともなかった。あまりに近くに居すぎて。もう当たり前に彼の隣は自分だった。でもそんなことは約束されたものでもなんでもない。今まで自分の気持ちに向き合ったことがなかった。
「お前は馬鹿だな。そんな下らないことを考えてたのか」
「考えたら、とっても辛くなったよ。跡部くんに嫌われたらどうしようって。考えただけでもの凄く怖くて、悲しい気持ちになった」
「ったく、お前は」
とうとう琴璃は感情が抑えきれなくなって肩を震わせて泣き出した。跡部は琴璃の身体を優しく抱きしめる。自然と跡部にもたれ掛かってくる彼女が可愛らしいと感じる。でも泣かれてバツが悪くもなった。悪気がない琴璃を責めるのは違う。そう頭で分かっていながら抑えられなかった。それだけ本気だったからだ。
「あのー。お取り込み中すんません」
おずおずと忍足が話に入ってくる。一応遠慮がちに言ったけどばっちり跡部に睨まれた。
「なんやサッカー部、練習終わったみたいやで。琴璃ちゃん、行かなくてええの?」
「あ」
肝心なことを忘れていた。フッ、と跡部は笑うと琴璃の前髪を梳いた。自分の胸に押し付けていたせいでおかしな形になっていたのを直してやる。
「泣き顔で振られちゃ相手も玉砕だろう。せめて普段どおりの顔で振ってやれよ」
「いや、なんちゅーアドバイスしてんねん」
でも、琴璃は元気にうん、と言った。もうすっかり涙は止まっている。そして、背伸びをして跡部の首に思いきり抱きついたら、コラ、と全然怖くない怒り方で怒られた。
放課後になった今は、グラウンドに運動部の姿が見える。掛け声やらホイッスルの音の中にボールを打つ音も聞こえてくる。だんだんとテニスコートのそばに差し掛かった。結局あれからまだ生徒会室に顔を出せていないので跡部とは会っていない。隠れる必要なんてないのに、琴璃は跡部に見つかりたくなくて俯き気味に歩いていた。会いたくないんじゃなくて、これからサッカー部へ行くところを見られたくない。なのにそういう時に限って名前を呼ばれる。でもその声は彼のものではなかった。
「琴璃ちゃん」
振り向くと忍足がいた。部活中なのだろう、ラケットを脇に抱えて立っている。忍足とは同じクラスでたまに会話もする。何を話したかなんて覚えてないくらいの、世間話レベルのもの。だから前から仲が良かった。そんな彼が心配そうな顔をして琴璃のそばへ近づいて来る。
「どしたん。暗い顔して」
「……え?そうかな」
頭の中の迷いが顔には出ていたらしい。これからのこと、考えるだけで琴璃は複雑な気持ちになる。
「跡部に会いに来たんやないの?」
忍足は何とも思わず彼の名前を出した。彼が琴璃のことをわりと気に入っているのを忍足は知っている。あの跡部が女の子と仲良くするのは珍しい光景だ。だから琴璃は跡部にとって特別な子なんだと忍足は気付いていた。だけど、今日はその名前が出た途端表情を強張らせる。琴璃は胸の前で両掌を振ってみせる。何かを隠そうとしている。それが忍足には分かった。
「ううん、違うの。ちょっと、サッカー部に行こうとしてて」
「サッカー部?あぁ、そいやサッカー部の部長にこないだ告白されてたもんな、自分」
「え、み、見てたの」
「見てたっちゅーか、昼休みに教室のど真ん中でやられてたらそら目に入るわ」
あの時忍足も教室内に居たのだ。いつものようにテニス部メンバーと食堂に行こうとしていた矢先のこと。突然あの公開告白が始まったわけで、別に見たくて見たわけではなかった。多分、あの場にいた生徒全員がそうである。
「ちなみに残念なお知らせやけど、あの日跡部も見てたで」
「……え」
その事実を聞いて琴璃は絶望する。最悪だ、と思った。途端に手に嫌な汗がわいてきた。まさか、なんで。よりによって1番見られたくない人に見られていた。
「あん時、跡部もたまたま俺らと食堂行くとこやってん。他のテニス部の連中と一緒にうちのクラスに来たころに、ちょうど琴璃ちゃんが告白されてた現場と重なったんや」
「違うの、あれは、その、私もいきなりでまさかそういうことになるなんて思わなくて」
必死に忍足に弁解しようとする琴璃。今更そんなことしても意味はない。1番誤解を解きたいのは彼じゃないのに。そこへ琴璃の後ろから誰かやって来る。琴璃は気付いていない。忍足だけが気付いて些か表情を固くした。そして、琴璃じゃなくてその向こうにいる人物を見ながら呟いた。
「あー……琴璃ちゃん、もっと残念な知らせがあるんやけど」
「え、何それ。やだ、聞きたくない。ねぇ忍足くん」
「何が聞きたくないんだって」
背後から低い声がして。出来ることなら振り向きたくなかった。でも無視なんてしたらとんでもないことになるから
。恐る恐る琴璃は振り向いた。やっぱり跡部が立っていた。
「あー……」
忍足が空を仰ぐ。琴璃の心情を察したのだ。気の毒に、と思いながら青い顔をして俯く琴璃を見ていた。今の自分に発言権は無いと悟ったから、ただただ心配そうに彼女に目を向ける。
「幸せそうで何よりだ」
びくりと琴璃が肩を揺らす。実質的にほぼひと月ぶりの会話。不安げに顔を曇らせる琴璃の目の前に仁王立ちする跡部。顔は少しも笑ってなかった。ほぼ無表情で逆に怖い。
「……そんなふうに見えるの?」
「好きでもない男と付き合うヤツの気が知れねぇな」
跡部は琴璃が告白されたことを言っている。付き合うだなんて、そんな話になった憶えはない。話が勝手に飛躍しすぎていて、何よりそれを跡部に言われたことに戸惑いを隠せない。
「跡部、いくらなんでもそないな言い方」
居た堪れなくて、忍足がやんわり間に入っても跡部は気にすることなく琴璃を睨み続ける。
「お前は俺にもそうさせようとしたじゃねぇか」
「……何が」
「お前も俺にあのわけの分からねえ女を近づけようとしてきたじゃねぇかって言ってんだよ。そんなこと誰が頼んだ?まさか親切心でやったとでも言うのかよ」
「だから、私、そんなつもりじゃないってば」
「ハッ、そんなつもり無いならまさか無自覚でやってたのかよ。尚更質が悪いな」
「どうしてそういうこと言うの。……ひどいよ」
蚊帳の外でただ立ってるだけの忍足でも流石に驚いた。跡部とはわりと長い付き合いだけど、こんなにも感情を隠さない彼を見るのは初めてだ。誰かに対して真正面から自分の感情をぶつけるような人ではないから。だから尚更、琴璃は跡部にとって特別な子なんだなと思った。常に大人びている跡部も、琴璃の前では普通の高校生なのだ。目の前でこんな修羅場状態なのに、それを思うと何故かほっとしてしまった。相変わらず、ただ見守ることしかできないけれど。琴璃はもう泣く寸前の顔をしている。あんなふうに追い詰められたら泣きたくなるのも分かる。
「……ひどい、だと?」
吐き捨てるように跡部が言う。怯える琴璃にもう一歩近づいた。琴璃はもう完全に萎縮している。次は何を言われるのか。それが怖くて構えている。
「お前と居られる僅かな時間を、何故他の人間と共有しなきゃならない」
無機質な跡部の声音。きっと普通の人が聞いただけでは分からないけれど琴璃は感じ取れた。そこには確かに感情が存在している。何か込み上げてくるものを、無理矢理押さえつけているような。琴璃は恐る恐る顔を上げた。跡部がすぐ前にいて、じっと琴璃を睨むように見下ろしていた。久しぶりに声を聞いて、顔を見て。どうしてそんな苦しそうな顔をするの。無表情を繕うその下に隠れているものがある。琴璃にはそれが見えた。そして、跡部がなんで怒ってるのか、この瞬間に琴璃は初めて分かった。途端に襲いかかってくる胸が締めつけられるような気持ち。これはもう自惚れでもない。確信していい。自分は、この人にとても大切にされている。
「跡部くん……」
何故もっと早く気付けなかったんだろう。気付くどころか自分は跡部の望んでないことをしていた。自分の友達と仲良くなってくればいいな、なんて馬鹿みたいに平和なことを考えていたけれど、それは跡部にとってみたら嬉しくもなんともない。むしろその逆で。
跡部がすごくモテるのは、もうずっと彼の近くに居たから勿論知ってた。彼が知らない女の子に思いを告げられるシーンも目にしたことがある。でも彼はいつの頃からか特定の相手を作らなくなった。中等部の早い段階で琴璃はそれに気付いた。どうして彼女を作らないんだろう。どうして自分は彼のそばに居られるのだろう。その理由を考えて、さっき彼に言われたことを思い出して、ハッとした。好きでもない相手とは付き合いたくない。それが彼の答えだ。
「ごめんなさい」
俯いたまま琴璃が喋る。蚊の鳴くような声だった。
「今から返事に行くところだったの。……付き合えないって、言いに行くところだったの」
ゆっくりと顔を上げた琴璃の両目には既に涙が溜まっていた。
「告白されてびっくりはしたけど、でも全然嬉しくなくて。私も、跡部くんの言う通り好きでもない人とは付き合えない。嫌がることして、ごめんね。でもそんなつもりなかったの。ほんとに、そんなふうに思ってなかった」
今なら分かる。跡部がもう長い間特定の相手を作らなかったわけを。大した用事でもないのにいつも琴璃を呼ぶわけを。自分はこんなにも大切にされていた。知らないうちに、愛されていた。
「ごめんなさい」
「分かったから泣くな」
気付いてしまったらいろんな感情が頭の中を駆け巡って、それが涙になって溢れてきた。嬉しさとか申し訳なさとか、いろんなものが、いっぱいに。
「悪かった、琴璃」
そう言って、跡部はそっと琴璃を抱き寄せる。震える彼女の肩はとても華奢だった。これまでに肩に触れることは幾度とあっても抱きしめたのはこれが初めてのこと。こんなにそばにいたのに、彼女の肩を抱くことは無かった。
「跡部くんに嫌われるのなんて……嫌だよ」
好きでもない人と付き合うなんてできない。それよりも好きな人に好きだと言えないほうがもっと辛い。本当の気持ちを知ったから。ようやく分かったから。
たとえばもしあの子と跡部が付き合うことになったとして、自分はどんな気持ちになるだろう。そんなこと考えたこともなかった。あまりに近くに居すぎて。もう当たり前に彼の隣は自分だった。でもそんなことは約束されたものでもなんでもない。今まで自分の気持ちに向き合ったことがなかった。
「お前は馬鹿だな。そんな下らないことを考えてたのか」
「考えたら、とっても辛くなったよ。跡部くんに嫌われたらどうしようって。考えただけでもの凄く怖くて、悲しい気持ちになった」
「ったく、お前は」
とうとう琴璃は感情が抑えきれなくなって肩を震わせて泣き出した。跡部は琴璃の身体を優しく抱きしめる。自然と跡部にもたれ掛かってくる彼女が可愛らしいと感じる。でも泣かれてバツが悪くもなった。悪気がない琴璃を責めるのは違う。そう頭で分かっていながら抑えられなかった。それだけ本気だったからだ。
「あのー。お取り込み中すんません」
おずおずと忍足が話に入ってくる。一応遠慮がちに言ったけどばっちり跡部に睨まれた。
「なんやサッカー部、練習終わったみたいやで。琴璃ちゃん、行かなくてええの?」
「あ」
肝心なことを忘れていた。フッ、と跡部は笑うと琴璃の前髪を梳いた。自分の胸に押し付けていたせいでおかしな形になっていたのを直してやる。
「泣き顔で振られちゃ相手も玉砕だろう。せめて普段どおりの顔で振ってやれよ」
「いや、なんちゅーアドバイスしてんねん」
でも、琴璃は元気にうん、と言った。もうすっかり涙は止まっている。そして、背伸びをして跡部の首に思いきり抱きついたら、コラ、と全然怖くない怒り方で怒られた。