知らないうちに愛されていた
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琴璃は高等部から生徒会に属している。中等部時代は部活どころか何の組織にも属していなかった。いわゆる帰宅部というやつ。跡部との接点といえば同じクラスだったことぐらいだった。何がきっかけかなんてもうあまり覚えてないけど、ある日を境にわりと2人は話す仲になった。跡部がただのクラスの女子と親しくなるのはとても珍しいことだった。琴璃があっさりした性格だったからというのも理由にある。必要な時にそばに居てくれる。それ以上は深入りしてこない。跡部にとってはこれくらいの距離のほうが楽だった。琴璃のことは当初から頭のいい女だと思っていた。だからこんなに異性でも親しくなれたのだ。
中等部の3年間は奇跡的に同じクラスだったけれど、高等部になって2人は別々のクラスになった。必然と毎日のように顔を合わせていたのも無くなる。高等部になっても跡部は生徒会長を務めていたから、姿を目にすることはある。けれどそれは大勢の中から琴璃が一方的に彼を見つめることであって、今までのように1対1で向き合うものではない。なんだか急に遠い存在に思えた。
でも高校1年の春が終わる頃。いきなり跡部に生徒会に入れと言われた。有無を言わせない態度でそこに拒否権なんてなかった。そして琴璃は難なく生徒会の仲間入りをした。ほぼ跡部の権力によるものだけど、これでまたあの頃のように2人の距離は近くなった。でもどうして生徒会に引き入れたのか。その理由を跡部は琴璃に話さなかった。琴璃もまた、聞いてこなかった。だから分かっているんだろうと思っていた。賢い彼女なら、言葉にしなくとも自分の思考が何でも伝わっているのだと、そう思っていた。
放課後になって、跡部は相変わらず書類の山と格闘していた。締め切りが今週末のものがあるというのに何ら焦りを感じない。焦ったところで仕方がないというのもあるし、琴璃が居るからと心の何処かで思っている自分が居た。別に、現実的に考えても跡部1人の力で処理するのは容易いことだ。でもこうやって他人任せに考えることが今までなかった。琴璃だから、そう思ってしまう。
がちゃり、とドアの開く音がした。時間的にも来たのが琴璃だと思っていたのに、現れた人物はそうではなかった。
「あれー、琴璃ちゃん来てないんだ」
見たことのない女だった。当然名前も知らない。おそらく、同学年。
「来てないぜ」
誰だお前は、とは言わなかった。琴璃の名前が出たから彼女の知り合いであるのが分かったから、一応無視はしない。
「そっか。じゃあここで待たせてもらうね」
「部外者は立入禁止なんだが」
「えーでも私、琴璃ちゃんの友達なんだよ?」
だから何だと思った。でも彼女は気にすることなくそばの椅子に腰掛ける。この時点で既に跡部はうんざりしていた。必要以上に関わりたくない女だ。もう印象は底まで落ちているのに、彼女は更に跡部を苛立たせることを言う。
「ほんとはね、琴璃ちゃんに用事じゃなくて跡部くんに会いに来たの」
わざとらしい上目遣いや猫撫で声。さっきから跡部に色目を使っているのが嫌でも分かる。最初から彼女の目的は跡部だったのだ。どうやって琴璃に近付いたかまでは知らないけれど。
「俺に用だと?ならさっさと用件を言え」
「琴璃ちゃんみたいに私にも勉強教えてほしいな」
「あ?」
「琴璃ちゃんがね、跡部くんに数学教えてもらったおかげでテストうまくいったって言ってたの。だから、私にも教えてください」
女はそう言ってとびきりの笑顔を跡部へ向ける。よほど自分に自信があるのか、小首をかしげて跡部を見つめる。跡部には只管不愉快でしかない。その互いの感情の温度差に彼女は全く気がついていない。
「あ。お茶でも淹れるね」
そう言って、彼女は勝手にカップを使おうとした。いつも琴璃が言うセリフとまるで同じなのに不快感しか生まれてこない。ここまで図々しいと呆れを通り越して大した奴だなと思った。
「勝手に使うなよ。俺は承諾した憶えはない」
跡部の言葉に、カップに伸ばされた手がぴたりと止まる。
「……私には勉強教えてくれないの?」
「初対面の人間に勉強教えてくれなんて言う図々しい女には教えたくねぇな。大体、そんなもんがお前の目的じゃねぇだろ」
「うん。私、跡部くんと仲良くなりたいの」
「仲良く、ねぇ」
無遠慮な女のくせに、付き合ってとは言ってこない。今は勝算が無いのが自分でも分かっているからだろう。でもそんなことは関係ない。どうやったって、彼女に好機は一生回ってこない。
「お前の願っているような展開にはならないぜ。さっさと帰れよ」
「琴璃ちゃんも願ってくれてるとしても?」
「なんだと?」
「あの子も私の幸せ、応援してくれてるんだよ」
マグカップを胸に抱えて彼女はにこりと笑う。少しも可愛いとは思えなかった。カップを持ったまま、反対の手で引き出しの中を漁りだした。いつも琴璃と昼休みに2人で居る時に使うそれで飲もうとしている。
「んー、私苦いの飲めないんだよね。これでいっか」
彼女は適当に見つけたティーパックをカップに入れて、電気ポットから熱湯を注ごうとした。もういい加減、黙って見ていられなくなってきた。
「やめろ」
「きゃあ」
それなりに強い力で女の腕を掴む。するりとカップが落ちた。幸い、中身が空だったのと生徒会室の床は絨毯が敷いてあるため何かが溢れることもカップが割れることもなかった。
「出てけよ」
静かに、低い声でそれだけ言った。最終通告。頭の弱そうな女でも空気は読めるらしい。彼女は顔を強ばらせてこの部屋から逃げ出すように出て行った。1人になった跡部は落ちたカップを拾う。なんともないと思ったが、やはり無傷ではなかった。淵の部分に僅かに亀裂が入っている。使うのには支障ない程度だが、それでも、気分良いわけがない。
跡部と2人の時、琴璃はいつもこのカップで何かを飲んでいた。自分はコーヒーだったけど、彼女はやたら甘い香りのする飲み物を飲んでいた。とても美味しそうに、幸せそうに。笑顔の琴璃の手元にはいつもこのカップがあった気がする。どこかで彼女が買ってきた何の変哲もないマグカップ。
最初の頃、跡部は使い捨てのプラスチックカップを使ってコーヒーを飲んでいた。それを見た琴璃が、生徒会長たる者がそんな環境に優しくないことしちゃダメだなんて言ってきた。無論、後にも先にも跡部景吾にこんな物言いをする女は琴璃しかいない。でも、跡部も確かにそうだなと思った。跡部にしたら、ごくたまにしか飲まないし洗うのが面倒だったので使い捨てにしていただけだった。なのにまさか環境がどうこう指摘されるとは。
『跡部くんのカップ、私が買ってきてもいい?』
ある日琴璃がそんなことを言って。シンプルなマグカップを持ち込んできた。それからは、コーヒーを飲みたい時はそれを使うようになった。もともとこの部屋で何かを飲むのは跡部しかいなかった。生徒会長が1番この部屋を使うからというのもある。でも跡部が琴璃にお前は必要ないのか、と聞いたら、次の日嬉しそうに自分用のマグカップを持ってきた。どうやら、跡部の許可が無いのに私物を持ち込むのを躊躇っていたらしい。別にそんなこと気にならないのに。他の生徒会役員がそうしても何ら思わない。琴璃なら尚更。むしろ歓迎する。結局今もこの部屋で飲み物を飲むのは跡部と琴璃の2人だけだ。だから置かれたカップは2つ。メーカーもサイズも異なるからお揃いじゃない。2つが常に並べられているのを見ると跡部は何となく気分が良かった。
自分はいつも飲むだけで、琴璃が用意も片付けもしてくれる。だからこうしてまじまじと見るのは今更ながら初めてだった。琴璃のカップは取手に小さな花の模様が付いている。色も暖色で女の子らしいもの。跡部のためにと彼女が買ってきたほうは、何の模様もないシンプルなものだった。くるりと逆さにしてみた。いつも中身が入っているからカップの裏底は初めて見る。だから、そこに何か描いてあるなんて今初めて知った。跡部は思わず目を細める。底の丸い型に沿って、細く金縁が付いているのと王冠のイラストが掘られていた。まるで地図記号かのように、小さく控えめに。よくよく見ないと何の絵か分からないくらい。あの日琴璃がこのカップを持ち込んで来た時は、ちょうどいいのがあった、くらいのことを言っていた。適当に買ってきたとか言ってたくせに。凄く考えてこのカップを選んだのだ。彼女なりに、跡部のことを考えて。
中等部の3年間は奇跡的に同じクラスだったけれど、高等部になって2人は別々のクラスになった。必然と毎日のように顔を合わせていたのも無くなる。高等部になっても跡部は生徒会長を務めていたから、姿を目にすることはある。けれどそれは大勢の中から琴璃が一方的に彼を見つめることであって、今までのように1対1で向き合うものではない。なんだか急に遠い存在に思えた。
でも高校1年の春が終わる頃。いきなり跡部に生徒会に入れと言われた。有無を言わせない態度でそこに拒否権なんてなかった。そして琴璃は難なく生徒会の仲間入りをした。ほぼ跡部の権力によるものだけど、これでまたあの頃のように2人の距離は近くなった。でもどうして生徒会に引き入れたのか。その理由を跡部は琴璃に話さなかった。琴璃もまた、聞いてこなかった。だから分かっているんだろうと思っていた。賢い彼女なら、言葉にしなくとも自分の思考が何でも伝わっているのだと、そう思っていた。
放課後になって、跡部は相変わらず書類の山と格闘していた。締め切りが今週末のものがあるというのに何ら焦りを感じない。焦ったところで仕方がないというのもあるし、琴璃が居るからと心の何処かで思っている自分が居た。別に、現実的に考えても跡部1人の力で処理するのは容易いことだ。でもこうやって他人任せに考えることが今までなかった。琴璃だから、そう思ってしまう。
がちゃり、とドアの開く音がした。時間的にも来たのが琴璃だと思っていたのに、現れた人物はそうではなかった。
「あれー、琴璃ちゃん来てないんだ」
見たことのない女だった。当然名前も知らない。おそらく、同学年。
「来てないぜ」
誰だお前は、とは言わなかった。琴璃の名前が出たから彼女の知り合いであるのが分かったから、一応無視はしない。
「そっか。じゃあここで待たせてもらうね」
「部外者は立入禁止なんだが」
「えーでも私、琴璃ちゃんの友達なんだよ?」
だから何だと思った。でも彼女は気にすることなくそばの椅子に腰掛ける。この時点で既に跡部はうんざりしていた。必要以上に関わりたくない女だ。もう印象は底まで落ちているのに、彼女は更に跡部を苛立たせることを言う。
「ほんとはね、琴璃ちゃんに用事じゃなくて跡部くんに会いに来たの」
わざとらしい上目遣いや猫撫で声。さっきから跡部に色目を使っているのが嫌でも分かる。最初から彼女の目的は跡部だったのだ。どうやって琴璃に近付いたかまでは知らないけれど。
「俺に用だと?ならさっさと用件を言え」
「琴璃ちゃんみたいに私にも勉強教えてほしいな」
「あ?」
「琴璃ちゃんがね、跡部くんに数学教えてもらったおかげでテストうまくいったって言ってたの。だから、私にも教えてください」
女はそう言ってとびきりの笑顔を跡部へ向ける。よほど自分に自信があるのか、小首をかしげて跡部を見つめる。跡部には只管不愉快でしかない。その互いの感情の温度差に彼女は全く気がついていない。
「あ。お茶でも淹れるね」
そう言って、彼女は勝手にカップを使おうとした。いつも琴璃が言うセリフとまるで同じなのに不快感しか生まれてこない。ここまで図々しいと呆れを通り越して大した奴だなと思った。
「勝手に使うなよ。俺は承諾した憶えはない」
跡部の言葉に、カップに伸ばされた手がぴたりと止まる。
「……私には勉強教えてくれないの?」
「初対面の人間に勉強教えてくれなんて言う図々しい女には教えたくねぇな。大体、そんなもんがお前の目的じゃねぇだろ」
「うん。私、跡部くんと仲良くなりたいの」
「仲良く、ねぇ」
無遠慮な女のくせに、付き合ってとは言ってこない。今は勝算が無いのが自分でも分かっているからだろう。でもそんなことは関係ない。どうやったって、彼女に好機は一生回ってこない。
「お前の願っているような展開にはならないぜ。さっさと帰れよ」
「琴璃ちゃんも願ってくれてるとしても?」
「なんだと?」
「あの子も私の幸せ、応援してくれてるんだよ」
マグカップを胸に抱えて彼女はにこりと笑う。少しも可愛いとは思えなかった。カップを持ったまま、反対の手で引き出しの中を漁りだした。いつも琴璃と昼休みに2人で居る時に使うそれで飲もうとしている。
「んー、私苦いの飲めないんだよね。これでいっか」
彼女は適当に見つけたティーパックをカップに入れて、電気ポットから熱湯を注ごうとした。もういい加減、黙って見ていられなくなってきた。
「やめろ」
「きゃあ」
それなりに強い力で女の腕を掴む。するりとカップが落ちた。幸い、中身が空だったのと生徒会室の床は絨毯が敷いてあるため何かが溢れることもカップが割れることもなかった。
「出てけよ」
静かに、低い声でそれだけ言った。最終通告。頭の弱そうな女でも空気は読めるらしい。彼女は顔を強ばらせてこの部屋から逃げ出すように出て行った。1人になった跡部は落ちたカップを拾う。なんともないと思ったが、やはり無傷ではなかった。淵の部分に僅かに亀裂が入っている。使うのには支障ない程度だが、それでも、気分良いわけがない。
跡部と2人の時、琴璃はいつもこのカップで何かを飲んでいた。自分はコーヒーだったけど、彼女はやたら甘い香りのする飲み物を飲んでいた。とても美味しそうに、幸せそうに。笑顔の琴璃の手元にはいつもこのカップがあった気がする。どこかで彼女が買ってきた何の変哲もないマグカップ。
最初の頃、跡部は使い捨てのプラスチックカップを使ってコーヒーを飲んでいた。それを見た琴璃が、生徒会長たる者がそんな環境に優しくないことしちゃダメだなんて言ってきた。無論、後にも先にも跡部景吾にこんな物言いをする女は琴璃しかいない。でも、跡部も確かにそうだなと思った。跡部にしたら、ごくたまにしか飲まないし洗うのが面倒だったので使い捨てにしていただけだった。なのにまさか環境がどうこう指摘されるとは。
『跡部くんのカップ、私が買ってきてもいい?』
ある日琴璃がそんなことを言って。シンプルなマグカップを持ち込んできた。それからは、コーヒーを飲みたい時はそれを使うようになった。もともとこの部屋で何かを飲むのは跡部しかいなかった。生徒会長が1番この部屋を使うからというのもある。でも跡部が琴璃にお前は必要ないのか、と聞いたら、次の日嬉しそうに自分用のマグカップを持ってきた。どうやら、跡部の許可が無いのに私物を持ち込むのを躊躇っていたらしい。別にそんなこと気にならないのに。他の生徒会役員がそうしても何ら思わない。琴璃なら尚更。むしろ歓迎する。結局今もこの部屋で飲み物を飲むのは跡部と琴璃の2人だけだ。だから置かれたカップは2つ。メーカーもサイズも異なるからお揃いじゃない。2つが常に並べられているのを見ると跡部は何となく気分が良かった。
自分はいつも飲むだけで、琴璃が用意も片付けもしてくれる。だからこうしてまじまじと見るのは今更ながら初めてだった。琴璃のカップは取手に小さな花の模様が付いている。色も暖色で女の子らしいもの。跡部のためにと彼女が買ってきたほうは、何の模様もないシンプルなものだった。くるりと逆さにしてみた。いつも中身が入っているからカップの裏底は初めて見る。だから、そこに何か描いてあるなんて今初めて知った。跡部は思わず目を細める。底の丸い型に沿って、細く金縁が付いているのと王冠のイラストが掘られていた。まるで地図記号かのように、小さく控えめに。よくよく見ないと何の絵か分からないくらい。あの日琴璃がこのカップを持ち込んで来た時は、ちょうどいいのがあった、くらいのことを言っていた。適当に買ってきたとか言ってたくせに。凄く考えてこのカップを選んだのだ。彼女なりに、跡部のことを考えて。