清く正しく優しい君
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
待ち合わせは氷帝と反対方面の駅だった。普段使わない路線を乗り継いで目的地に向かう。乗り換えが何度かあったのとあまり詳しくない駅で少し手間取ったが、無事に予定通りの時間に乗れている。
今日で終わり。
ちゃんと言うつもりだ。自分から言おう。そうしないと踏ん切りがつかない。言ったなら忍足はどんな反応をするのか。ようやく開放される、と目の前で喜ばれたらどうしよう。本当はこんなことしたくなかった、と訴えられたなら。想像したら泣きたくなった。本当に、悪い夢じゃなくて現実になってしまったら。そんなことを考えていたせいで異変に気付くのが遅れてしまった。
「……あれ」
ふと、車内のアナウンスに耳を傾けると全然知らない駅名を謳っている。次に停まった駅で慌てて降りると全く知らない駅名だった。どうやらさっき乗り換えた時に時間こそ合っていたが反対方面の電車に乗り込んだらしい。ここから急いで戻っても待ち合わせ時刻には間に合わない。ポケットから携帯を出して忍足に遅れそうな旨をメールする。打ち終わって再びしまうというところで携帯が震えた。もう返事が来たのだ。それも電話で。
「もしもし、ごめんね忍足くん」
「琴璃ちゃん。大丈夫か?」
「なんか、反対方向の電車に乗っちゃって。すぐ次の電車調べてそっち向かうから」
「今どこにおんの?」
「慌てて降りたんだけど……えーと、馬車道駅って書いてある」
「おお、神奈川まで行ったん?」
電話越しで忍足が笑っている。
「そうみたい。ごめんね、すぐそっち向かうから」
「いや、そしたら俺がそっち向かうわ。琴璃ちゃんはそのままみなとみらい目指して」
「え?」
「ちょうどそっち方面の急行がこの後来そうやから。俺が向かったほうが早いわ。予定変えて横浜デートにしよ」
「でも、忍足くんの用事があったんでしょ?」
「あーそれはもう終わったん」
「え?」
「昨日の夜に姉ちゃんが家にレポート忘れたから大学まで届けに来いって連絡寄越してきてな。なんや、ようわからんけど大事な試験控えとるらしくて。ここ数日大学に缶詰状態で取りに帰れんからって、弟の俺をこき使ってきてん」
迷惑な話やわ、と呑気に言っている。
「昨日琴璃ちゃん元気なかったから、届けんの終わったら一緒にどっか行かへんかな、って思って」
「忍足くん」
鼻の奥がつんとした。いつもと変わらず彼は優しい。でもその優しさが、今はこんなにも辛いなんて。
「ほなら着いたらまた連絡するわ」
忍足とは電話を終えた20分後には合流できた。琴璃が東京に戻るよりずっと早かった。何事もなく姿を現し、琴璃を見つけるとひらひらと手を振ってきた。謝る間も与えず歩き出すと、
「琴璃ちゃんって高いとこ、平気?」
「うん。別に大丈夫だよ」
「あれ、乗ってみぃひん?」
彼が指さしたのは観覧車だった。横浜のデートスポットとも言える場所。予定が変わっても彼は慌てる様子なく琴璃を先導する。普段の彼と何ら変わらない。すごく楽しくて嬉しくて。そうやって、素敵な時間をいっぱい作ってくれて。こんなにしてもらう理由なんてないのに彼は優しい。たとえそれが、忍足の気紛れな同情心からだったとしても。琴璃は今とても幸せだった。
「おー、けっこう高いな」
そうだね、と琴璃もゴンドラから下を覗き込む。休日の遊園地は人がそれなりにいる。さすがに横浜で氷帝生にばったり会うのはないと思った。琴璃のせいで急な予定変更だったけどお陰でずっと快適だ。心の中でほっとした。
2人を乗せたゴンドラはどんどん空へ近付いてゆく。けれど琴璃の気持ちは対象的に沈んだきり浮上しない。
もうとっくに元彼から受けた心の傷はなくなっていた。琴璃は心から笑えるようになったのに、今から話すことを考えたらまた気持ちが沈んでゆく。このまま時が止まればいいのに。揺らぎそうになる気持ちを必死に心の奥へ押し込んだ。そして、口を開く。
「忍足くん、今までほんとにありがとう」
「何、どうしたん?改まって」
「ううん」
必死に笑うようにする。でなきゃ泣いてしまいそうだった。緊張と動揺を悟られないように。でも、真っ直ぐ向き合った彼の目はもう全てを見透かしているようだった。一瞬怯みそうになる。
「もう、終わりにしようと思う」
琴璃はそんなドラマみたいなセリフを言う。それがやけに響いた。
「忍足くんといると楽しくて、いつも時間が過ぎるのがあっという間なの」
いつもありがとう。そんな気持ちを込めて精一杯笑顔を取り繕う。でも忍足は笑わない。ゴンドラが一定のスピードでゆらゆら昇ってゆくだけ。
「だからこれ以上一緒に居ると、私、忍足くんのこと本気で好きになっちゃう」
「なったらええやん」
「え?」
「好きになったら、ええやん。俺のこと」
琴璃は目をしばたたかせる。
「琴璃ちゃんは彼氏作ってもええかな、ってまた思えるようになっとる」
「うん」
「俺みたいな彼氏ができたら、って思っとる」
「……うん」
「ほな、俺ら今からカップルっちゅーことでオッケー?」
途端にゴンドラが大きく揺れる。琴璃は引き寄せられて、気付いたらもう忍足の腕の中にいた。琴璃は事態をよく呑み込めないまま忍足に抱きしめられている。
「はぁー。まぁまぁキツかったわ、我慢すんの」
「忍足くん」
忍足の両手が琴璃を抱きすくめている。初めて触れる彼女の身体は暖かくて柔らかくて小さかった。その華奢な肩に両手を置いて彼女の顔を覗き込む。
「え、もしかして嫌やった?」
「……ううん。嫌じゃない」
「そか。良かった」
一応確認してから忍足はもっと強く琴璃のことを抱き締める。琴璃の存在を確かめるように、強く、優しく。腕の中の琴璃はまだ緊張が解けなくて硬い。でもやがて、恐る恐る伸ばされた手が忍足の背中に回された。
「ずっと、こうしたかった」
そう呟いたのは琴璃のほうだった。あんなに男に触れられるのを戸惑っていたのに。今は触れられて、忍足に抱きしめられてすごく嬉しい。こんなにも安心する。今までに感じたことのない幸せな気持ち。
「琴璃ちゃんは抵抗あるかもしれんけどな、やっぱり好きな子に触れたいって、男はみんな思うもんや」
「うん」
「けど、アイツのとった行動はあかん。確かにそーゆう恋人関係もあるのは事実やけど。けど、それは双方が求め合ってるから成立するわけやし。琴璃ちゃんはそんなんとちゃうから傷ついた。普通の高校生らしい恋愛を望んどった」
愛の無い、身体だけの関係とか。琴璃の常識では考えられないけれど、確かにそういう人だっている。それが成立しているのは忍足の言う通り、お互いがそれで納得しているからだ。それが間違いとは言わない。けれどそれは琴璃の欲しかった愛ではなかった。そんなの愛とは思えない。ただそれだけのこと。それだけのことだけど、とても大切で譲れないこと。
「確かに琴璃ちゃんの思う通り、好きな相手と一緒におるだけで幸せって感じられるんは間違ってない。けど俺はその子が俺のそばに居てくれることを確かめたい。せやから、こーゆうことすんのも大事なんやと思う」
そう言うとまた琴璃を抱き締めた。琴璃はもう緊張なんかしなかった。忍足の腕の中は暖かくて心地が良い。
「まあ、下心がゼロじゃないって言ったら嘘になるけど。そこは男やもん、仕方あらへん。好きな子に特別な感情持つのは当たり前やし」
「うん。……私も、抱きしめられて嬉しかった」
「そっか」
2人の乗るゴンドラは間もなく頂上に差し掛かる。日差しが眩しかった。こんなに今日は晴天だったのだと、今やっと気がついた。
「なんや観覧車の1番上で結ばれるなんてベッタベタやなあ」
「そうだね。でも、私そういうの好きだよ」
「せやな。琴璃ちゃんはけっこう夢見がちなとこがあんねんな」
「えー、そうかな」
「ベタでありがちなもんでもめっちゃ喜ぶから。心がキレーな子なんやなって思うわ」
今までの一連の普通のデートがそれを証明している。些細なことにも心から喜んでくれる彼女が本当に愛おしいと思った。
「ベタかもしれないけど、でも、それは忍足くんとだから喜ぶんだよ」
そう言って。今日初めて琴璃に笑顔が現れる。ずっと見たかったとびきりの笑顔が、すぐそこに。
「アカンわ。それは卑怯やで」
「なんで?」
「何でもあらへん」
頭を掻いて忍足が目を逸らす。らしくない行動。自分自身もそれは良くわかってる。この子といると、自分が自分じゃなくなる時がある。それはいい意味で、普段と違う特別な自分になれるから、すごく貴重な感覚。
「男は無駄にカッコつけたがる生き物や。それが、好きな子の前だと余計にな」
地上に着くまであと数十分。琴璃はもう時が止まって欲しいなんて思わない。観覧車が終わっても、隣の優しい彼とずっと一緒に居られるのだから。
=====================================
忍足はシティボーイだと思う
今日で終わり。
ちゃんと言うつもりだ。自分から言おう。そうしないと踏ん切りがつかない。言ったなら忍足はどんな反応をするのか。ようやく開放される、と目の前で喜ばれたらどうしよう。本当はこんなことしたくなかった、と訴えられたなら。想像したら泣きたくなった。本当に、悪い夢じゃなくて現実になってしまったら。そんなことを考えていたせいで異変に気付くのが遅れてしまった。
「……あれ」
ふと、車内のアナウンスに耳を傾けると全然知らない駅名を謳っている。次に停まった駅で慌てて降りると全く知らない駅名だった。どうやらさっき乗り換えた時に時間こそ合っていたが反対方面の電車に乗り込んだらしい。ここから急いで戻っても待ち合わせ時刻には間に合わない。ポケットから携帯を出して忍足に遅れそうな旨をメールする。打ち終わって再びしまうというところで携帯が震えた。もう返事が来たのだ。それも電話で。
「もしもし、ごめんね忍足くん」
「琴璃ちゃん。大丈夫か?」
「なんか、反対方向の電車に乗っちゃって。すぐ次の電車調べてそっち向かうから」
「今どこにおんの?」
「慌てて降りたんだけど……えーと、馬車道駅って書いてある」
「おお、神奈川まで行ったん?」
電話越しで忍足が笑っている。
「そうみたい。ごめんね、すぐそっち向かうから」
「いや、そしたら俺がそっち向かうわ。琴璃ちゃんはそのままみなとみらい目指して」
「え?」
「ちょうどそっち方面の急行がこの後来そうやから。俺が向かったほうが早いわ。予定変えて横浜デートにしよ」
「でも、忍足くんの用事があったんでしょ?」
「あーそれはもう終わったん」
「え?」
「昨日の夜に姉ちゃんが家にレポート忘れたから大学まで届けに来いって連絡寄越してきてな。なんや、ようわからんけど大事な試験控えとるらしくて。ここ数日大学に缶詰状態で取りに帰れんからって、弟の俺をこき使ってきてん」
迷惑な話やわ、と呑気に言っている。
「昨日琴璃ちゃん元気なかったから、届けんの終わったら一緒にどっか行かへんかな、って思って」
「忍足くん」
鼻の奥がつんとした。いつもと変わらず彼は優しい。でもその優しさが、今はこんなにも辛いなんて。
「ほなら着いたらまた連絡するわ」
忍足とは電話を終えた20分後には合流できた。琴璃が東京に戻るよりずっと早かった。何事もなく姿を現し、琴璃を見つけるとひらひらと手を振ってきた。謝る間も与えず歩き出すと、
「琴璃ちゃんって高いとこ、平気?」
「うん。別に大丈夫だよ」
「あれ、乗ってみぃひん?」
彼が指さしたのは観覧車だった。横浜のデートスポットとも言える場所。予定が変わっても彼は慌てる様子なく琴璃を先導する。普段の彼と何ら変わらない。すごく楽しくて嬉しくて。そうやって、素敵な時間をいっぱい作ってくれて。こんなにしてもらう理由なんてないのに彼は優しい。たとえそれが、忍足の気紛れな同情心からだったとしても。琴璃は今とても幸せだった。
「おー、けっこう高いな」
そうだね、と琴璃もゴンドラから下を覗き込む。休日の遊園地は人がそれなりにいる。さすがに横浜で氷帝生にばったり会うのはないと思った。琴璃のせいで急な予定変更だったけどお陰でずっと快適だ。心の中でほっとした。
2人を乗せたゴンドラはどんどん空へ近付いてゆく。けれど琴璃の気持ちは対象的に沈んだきり浮上しない。
もうとっくに元彼から受けた心の傷はなくなっていた。琴璃は心から笑えるようになったのに、今から話すことを考えたらまた気持ちが沈んでゆく。このまま時が止まればいいのに。揺らぎそうになる気持ちを必死に心の奥へ押し込んだ。そして、口を開く。
「忍足くん、今までほんとにありがとう」
「何、どうしたん?改まって」
「ううん」
必死に笑うようにする。でなきゃ泣いてしまいそうだった。緊張と動揺を悟られないように。でも、真っ直ぐ向き合った彼の目はもう全てを見透かしているようだった。一瞬怯みそうになる。
「もう、終わりにしようと思う」
琴璃はそんなドラマみたいなセリフを言う。それがやけに響いた。
「忍足くんといると楽しくて、いつも時間が過ぎるのがあっという間なの」
いつもありがとう。そんな気持ちを込めて精一杯笑顔を取り繕う。でも忍足は笑わない。ゴンドラが一定のスピードでゆらゆら昇ってゆくだけ。
「だからこれ以上一緒に居ると、私、忍足くんのこと本気で好きになっちゃう」
「なったらええやん」
「え?」
「好きになったら、ええやん。俺のこと」
琴璃は目をしばたたかせる。
「琴璃ちゃんは彼氏作ってもええかな、ってまた思えるようになっとる」
「うん」
「俺みたいな彼氏ができたら、って思っとる」
「……うん」
「ほな、俺ら今からカップルっちゅーことでオッケー?」
途端にゴンドラが大きく揺れる。琴璃は引き寄せられて、気付いたらもう忍足の腕の中にいた。琴璃は事態をよく呑み込めないまま忍足に抱きしめられている。
「はぁー。まぁまぁキツかったわ、我慢すんの」
「忍足くん」
忍足の両手が琴璃を抱きすくめている。初めて触れる彼女の身体は暖かくて柔らかくて小さかった。その華奢な肩に両手を置いて彼女の顔を覗き込む。
「え、もしかして嫌やった?」
「……ううん。嫌じゃない」
「そか。良かった」
一応確認してから忍足はもっと強く琴璃のことを抱き締める。琴璃の存在を確かめるように、強く、優しく。腕の中の琴璃はまだ緊張が解けなくて硬い。でもやがて、恐る恐る伸ばされた手が忍足の背中に回された。
「ずっと、こうしたかった」
そう呟いたのは琴璃のほうだった。あんなに男に触れられるのを戸惑っていたのに。今は触れられて、忍足に抱きしめられてすごく嬉しい。こんなにも安心する。今までに感じたことのない幸せな気持ち。
「琴璃ちゃんは抵抗あるかもしれんけどな、やっぱり好きな子に触れたいって、男はみんな思うもんや」
「うん」
「けど、アイツのとった行動はあかん。確かにそーゆう恋人関係もあるのは事実やけど。けど、それは双方が求め合ってるから成立するわけやし。琴璃ちゃんはそんなんとちゃうから傷ついた。普通の高校生らしい恋愛を望んどった」
愛の無い、身体だけの関係とか。琴璃の常識では考えられないけれど、確かにそういう人だっている。それが成立しているのは忍足の言う通り、お互いがそれで納得しているからだ。それが間違いとは言わない。けれどそれは琴璃の欲しかった愛ではなかった。そんなの愛とは思えない。ただそれだけのこと。それだけのことだけど、とても大切で譲れないこと。
「確かに琴璃ちゃんの思う通り、好きな相手と一緒におるだけで幸せって感じられるんは間違ってない。けど俺はその子が俺のそばに居てくれることを確かめたい。せやから、こーゆうことすんのも大事なんやと思う」
そう言うとまた琴璃を抱き締めた。琴璃はもう緊張なんかしなかった。忍足の腕の中は暖かくて心地が良い。
「まあ、下心がゼロじゃないって言ったら嘘になるけど。そこは男やもん、仕方あらへん。好きな子に特別な感情持つのは当たり前やし」
「うん。……私も、抱きしめられて嬉しかった」
「そっか」
2人の乗るゴンドラは間もなく頂上に差し掛かる。日差しが眩しかった。こんなに今日は晴天だったのだと、今やっと気がついた。
「なんや観覧車の1番上で結ばれるなんてベッタベタやなあ」
「そうだね。でも、私そういうの好きだよ」
「せやな。琴璃ちゃんはけっこう夢見がちなとこがあんねんな」
「えー、そうかな」
「ベタでありがちなもんでもめっちゃ喜ぶから。心がキレーな子なんやなって思うわ」
今までの一連の普通のデートがそれを証明している。些細なことにも心から喜んでくれる彼女が本当に愛おしいと思った。
「ベタかもしれないけど、でも、それは忍足くんとだから喜ぶんだよ」
そう言って。今日初めて琴璃に笑顔が現れる。ずっと見たかったとびきりの笑顔が、すぐそこに。
「アカンわ。それは卑怯やで」
「なんで?」
「何でもあらへん」
頭を掻いて忍足が目を逸らす。らしくない行動。自分自身もそれは良くわかってる。この子といると、自分が自分じゃなくなる時がある。それはいい意味で、普段と違う特別な自分になれるから、すごく貴重な感覚。
「男は無駄にカッコつけたがる生き物や。それが、好きな子の前だと余計にな」
地上に着くまであと数十分。琴璃はもう時が止まって欲しいなんて思わない。観覧車が終わっても、隣の優しい彼とずっと一緒に居られるのだから。
=====================================
忍足はシティボーイだと思う
8/8ページ