清く正しく優しい君
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「やっべー、次の数学俺当たるんだった」
学食から教室へと戻る際、あーっと大きい声をあげて突然岳人が焦り出した。
「くそーっ、こうなりゃ琴璃に見せてもらうか」
「は?……岳人、琴璃ちゃんのことなんで知っとるん?」
「なんでって、俺の右隣の席がソイツだぜ」
琴璃と岳人がまさかの同じクラスだった。しかも隣の席という事実。ついでに仲も良さそうだ。下の名前で呼んでいるくらいだからそれなりに会話をするんだろう。
そんなことを考えていたら前方に琴璃が居た。廊下で友達と笑いながらスマホを覗き込んで何かを話している。くしゃりと笑ったその顔は忍足が見たことのないもの。緊張していない無防備な笑顔はまだ忍足には向けられたことがなかった。カフェに行った時も映画館デートでも琴璃は嬉しそうに笑ったけどどこか緊張していた。相手の心を読むのは得意である。彼女の望む誠実なお付き合いを実現させてみても、まだ完全に心を開いてはくれていないのだ。
「ここまでガードの固い子は初めてやな」
誰に言うでもなく。ただの虚しい独り言だった。隣りにいたはずの岳人は琴璃の存在に気付き小走りで近づいてゆく。そして、彼女の前で両手を合わせて何かを頼んでいる。どうせ自分が当たる問題の答えを見せてくれとか言っているんだろう。琴璃は一瞬驚いた様子を見せたがすぐに笑顔になった。その笑い方も忍足は見たことがなかった。
「何なん」
また勝手に独り言が出る。ほとんど無意識のもの。あまり面白くない。2人を観察してるのがアホらし、と思えてきて自分の教室に戻ろうと決めた。だが踵を返そうとしたその時、忍足は目を見張る。岳人が琴璃の両肩を掴んでいる。ノートを見せてもらえることへの喜びの表現のつもりなんだろう。琴璃の肩を嬉しそうにぽんぽん叩いている。それは自分もやられたことがある。特に深い意味は無いもの。男女でもふざけあってやるような軽いボディタッチなのに、忍足の目には衝撃的に映った。琴璃は困る素振りもなく相変わらず笑っていたから。男に触れられるのが嫌だったんじゃないのか。あるいは岳人を男として見ていないから構わないのか。その真意までは読めない。心が読めるのが得意なはずなのに、彼女の本心は未だに分からない。
二言三言話すると岳人は教室の中へ入ってゆく。琴璃も続いて行こうとするが、すぐにまた岳人が教室から出てきた。そして何やら忍足のいる方へ走ってくる。
「数学の教科書部室に置きっぱなしだった!くっそー」
誰に聞かせるつもりでもなく、1人で喚くと廊下を全速力で走っていった。授業開始まであと10分。彼の脚力なら往復してきてぎりぎり間に合うかもしれない。でも、琴璃に数学を教えてもらう時間は無いだろう。なのに彼女はここから立ち去らず岳人の戻りを待っている。やれやれ、と琴璃に近付く。
「琴璃ちゃんええで、岳人なんか放っといて。忘れたアイツが悪いんやから」
「忍足くん」
琴璃は心配そうに岳人の背中を見ていた。人がいいから、きっと断れなかったんだろうなと思った。
「もしかしてこれが初めてやないんとちゃう?アイツに勉強のことで頼まれるの」
「あ、うー……ん、たまにあるかも。でも、教えたことあるのは数学だけだよ」
そういう問題ではない。琴璃は優しい。岳人が不利にならないように弁明しようとしている。だが忍足にはお見通しだった。部室にいても宿題がやばいだとか、今日の提出課題忘れただとか散々聞き飽きている。こんなルーズな岳人が隣の席の琴璃に縋るのは目に見えて分かる。
「琴璃ちゃんは数学得意なん?」
「いや逆だよ、すごい苦手」
「けど、あのアホに教えてやるんやろ?」
「教えるなんて、そんな凄いことじゃないよ。一応、次の授業で習うところは前もって予習してるから問題解いてきてるだけ」
苦手でも自力で勉強してくる琴璃。岳人はそんな彼女の努力をあてにしてるのだ。この子の爪の垢を煎じて飲め、と思った。
「忍足くんは、なんか数学とか得意そうなイメージがする」
「まあ、得意なほうかもな。選択科目も理数系のほうが多いし」
「だよね。なんかそんな気がした。眼鏡かけてるからかな?」
「はは、眼鏡かけとると頭よく見える?」
「うん」
「それは得したな」
少し嬉しそうな琴璃。そこには忍足の好きな彼女の笑顔もある。疑いのない目で素直に笑える彼女が羨ましいとさえ感じる。
「けどな、琴璃ちゃん」
忍足は一度言葉を切ってから徐ろに眼鏡を外してみせた。
「残念やけど伊達やねん、コレ」
そう言いながら、それを今度は琴璃にかけてやった。フレームのないレンズが丸い眼鏡。案外彼女に似合っている。
「あ……」
「お?」
琴璃はずっと固まったまま。動くことも、瞬きさえもしない。でもほんのりと頬が染まっていて、それはみるみる赤みが増してゆく。初めはうっすら血色が良い程度だったのが、ものの数秒で赤いと言えるくらいになった。
「あぁスマン、嫌やった?堪忍な」
これはアウトだったか。忍足は素早く眼鏡を自分のもとに戻す。岳人は良くてなんで自分は駄目なのか。疑問の中にかすかな不満も混じっていた。それを決して顔には出さないけれど。穏やかに笑って堪忍な、と言う忍足に琴璃は大きく首を振った。
「ううん。そんなことないの。ちょっとびっくりしちゃって」
「びっくり?」
「忍足くんの眼鏡取ったところ初めて見た。その、眼鏡してない忍足くんも、かっこいいんだね」
それなりに言われ慣れてる台詞なのに。妙に頭の中に響いた。本来ならここでジョークの1つでも返す自分が。今日はできなかった。そして初めて知る。素直に嬉しいと感じた時ほど言葉が出てこないのだ。こんなことは女子と話していて初めてのことだった。どういうわけか、自分らしくない。ペースを乱されているような感じ。でもそれが別に不快なわけではなかった。むしろ新鮮な気持ち。
これまで付き合った女の子の誰よりも琴璃は純粋な女の子なのだ。まだほんのり頬が赤い彼女は、私も伊達眼鏡かけようかな、と笑っている。
「ええんとちゃう?めっちゃ似合うと思うで、琴璃ちゃんなら」
「そうかな。頭良く見えるかな」
えへへ、と笑う彼女はとても可愛らしい。きっと眼鏡をかけて笑ってもそれは変わらずだろう。その笑顔をもっと欲しいと思うのはエゴなのか。跡部の言った通り、琴璃は誰にでもこんな笑顔を見せるのだろうか。琴璃が笑うたび、自分の中の不穏な思いが見え隠れする。
「それはそうと琴璃ちゃん、岳人と仲良かったんや」
「あ、うん。席替えして先週から隣なんだ。それまで喋ったことなかったけど、話しやすい人だね、向日くん」
つい最近やん、と心の中でつっこんだ。忍足が琴璃と初めて会ったのと殆ど変わらないというのに。自分と比べて岳人と琴璃の距離が違いすぎる。つまり岳人は自分よりも信頼されているのか。
「岳人には触れられても緊張せえへんの?」
自分は触れられないのに、なんで。思っていたことがとうとう口に出てしまった。琴璃は困ったような、なんとも言えない表情をした。
「あかん、俺サイテーやわ。こんな聞き方。ごめんな、今の忘れて」
「忍足くん」
「なんや、岳人と仲良い琴璃ちゃん見たら気になってしもた。カッコわる」
「だって、向日くんはただのクラスメイトだから」
琴璃がそう言ったタイミングで予鈴のチャイムが鳴る。彼女はまだ何かを言うつもりだったのに。機械音があっさり制してしまった。廊下に居た生徒たちは各自の教室へと戻ってゆく。忍足も同じように。
「ほな、教室戻るわ」
「あ、うん」
言葉の続きを聞きたかった。琴璃は何を言いたかったのか。分からないまま、もやもやしたまま自分の教室へと歩き出した。
学食から教室へと戻る際、あーっと大きい声をあげて突然岳人が焦り出した。
「くそーっ、こうなりゃ琴璃に見せてもらうか」
「は?……岳人、琴璃ちゃんのことなんで知っとるん?」
「なんでって、俺の右隣の席がソイツだぜ」
琴璃と岳人がまさかの同じクラスだった。しかも隣の席という事実。ついでに仲も良さそうだ。下の名前で呼んでいるくらいだからそれなりに会話をするんだろう。
そんなことを考えていたら前方に琴璃が居た。廊下で友達と笑いながらスマホを覗き込んで何かを話している。くしゃりと笑ったその顔は忍足が見たことのないもの。緊張していない無防備な笑顔はまだ忍足には向けられたことがなかった。カフェに行った時も映画館デートでも琴璃は嬉しそうに笑ったけどどこか緊張していた。相手の心を読むのは得意である。彼女の望む誠実なお付き合いを実現させてみても、まだ完全に心を開いてはくれていないのだ。
「ここまでガードの固い子は初めてやな」
誰に言うでもなく。ただの虚しい独り言だった。隣りにいたはずの岳人は琴璃の存在に気付き小走りで近づいてゆく。そして、彼女の前で両手を合わせて何かを頼んでいる。どうせ自分が当たる問題の答えを見せてくれとか言っているんだろう。琴璃は一瞬驚いた様子を見せたがすぐに笑顔になった。その笑い方も忍足は見たことがなかった。
「何なん」
また勝手に独り言が出る。ほとんど無意識のもの。あまり面白くない。2人を観察してるのがアホらし、と思えてきて自分の教室に戻ろうと決めた。だが踵を返そうとしたその時、忍足は目を見張る。岳人が琴璃の両肩を掴んでいる。ノートを見せてもらえることへの喜びの表現のつもりなんだろう。琴璃の肩を嬉しそうにぽんぽん叩いている。それは自分もやられたことがある。特に深い意味は無いもの。男女でもふざけあってやるような軽いボディタッチなのに、忍足の目には衝撃的に映った。琴璃は困る素振りもなく相変わらず笑っていたから。男に触れられるのが嫌だったんじゃないのか。あるいは岳人を男として見ていないから構わないのか。その真意までは読めない。心が読めるのが得意なはずなのに、彼女の本心は未だに分からない。
二言三言話すると岳人は教室の中へ入ってゆく。琴璃も続いて行こうとするが、すぐにまた岳人が教室から出てきた。そして何やら忍足のいる方へ走ってくる。
「数学の教科書部室に置きっぱなしだった!くっそー」
誰に聞かせるつもりでもなく、1人で喚くと廊下を全速力で走っていった。授業開始まであと10分。彼の脚力なら往復してきてぎりぎり間に合うかもしれない。でも、琴璃に数学を教えてもらう時間は無いだろう。なのに彼女はここから立ち去らず岳人の戻りを待っている。やれやれ、と琴璃に近付く。
「琴璃ちゃんええで、岳人なんか放っといて。忘れたアイツが悪いんやから」
「忍足くん」
琴璃は心配そうに岳人の背中を見ていた。人がいいから、きっと断れなかったんだろうなと思った。
「もしかしてこれが初めてやないんとちゃう?アイツに勉強のことで頼まれるの」
「あ、うー……ん、たまにあるかも。でも、教えたことあるのは数学だけだよ」
そういう問題ではない。琴璃は優しい。岳人が不利にならないように弁明しようとしている。だが忍足にはお見通しだった。部室にいても宿題がやばいだとか、今日の提出課題忘れただとか散々聞き飽きている。こんなルーズな岳人が隣の席の琴璃に縋るのは目に見えて分かる。
「琴璃ちゃんは数学得意なん?」
「いや逆だよ、すごい苦手」
「けど、あのアホに教えてやるんやろ?」
「教えるなんて、そんな凄いことじゃないよ。一応、次の授業で習うところは前もって予習してるから問題解いてきてるだけ」
苦手でも自力で勉強してくる琴璃。岳人はそんな彼女の努力をあてにしてるのだ。この子の爪の垢を煎じて飲め、と思った。
「忍足くんは、なんか数学とか得意そうなイメージがする」
「まあ、得意なほうかもな。選択科目も理数系のほうが多いし」
「だよね。なんかそんな気がした。眼鏡かけてるからかな?」
「はは、眼鏡かけとると頭よく見える?」
「うん」
「それは得したな」
少し嬉しそうな琴璃。そこには忍足の好きな彼女の笑顔もある。疑いのない目で素直に笑える彼女が羨ましいとさえ感じる。
「けどな、琴璃ちゃん」
忍足は一度言葉を切ってから徐ろに眼鏡を外してみせた。
「残念やけど伊達やねん、コレ」
そう言いながら、それを今度は琴璃にかけてやった。フレームのないレンズが丸い眼鏡。案外彼女に似合っている。
「あ……」
「お?」
琴璃はずっと固まったまま。動くことも、瞬きさえもしない。でもほんのりと頬が染まっていて、それはみるみる赤みが増してゆく。初めはうっすら血色が良い程度だったのが、ものの数秒で赤いと言えるくらいになった。
「あぁスマン、嫌やった?堪忍な」
これはアウトだったか。忍足は素早く眼鏡を自分のもとに戻す。岳人は良くてなんで自分は駄目なのか。疑問の中にかすかな不満も混じっていた。それを決して顔には出さないけれど。穏やかに笑って堪忍な、と言う忍足に琴璃は大きく首を振った。
「ううん。そんなことないの。ちょっとびっくりしちゃって」
「びっくり?」
「忍足くんの眼鏡取ったところ初めて見た。その、眼鏡してない忍足くんも、かっこいいんだね」
それなりに言われ慣れてる台詞なのに。妙に頭の中に響いた。本来ならここでジョークの1つでも返す自分が。今日はできなかった。そして初めて知る。素直に嬉しいと感じた時ほど言葉が出てこないのだ。こんなことは女子と話していて初めてのことだった。どういうわけか、自分らしくない。ペースを乱されているような感じ。でもそれが別に不快なわけではなかった。むしろ新鮮な気持ち。
これまで付き合った女の子の誰よりも琴璃は純粋な女の子なのだ。まだほんのり頬が赤い彼女は、私も伊達眼鏡かけようかな、と笑っている。
「ええんとちゃう?めっちゃ似合うと思うで、琴璃ちゃんなら」
「そうかな。頭良く見えるかな」
えへへ、と笑う彼女はとても可愛らしい。きっと眼鏡をかけて笑ってもそれは変わらずだろう。その笑顔をもっと欲しいと思うのはエゴなのか。跡部の言った通り、琴璃は誰にでもこんな笑顔を見せるのだろうか。琴璃が笑うたび、自分の中の不穏な思いが見え隠れする。
「それはそうと琴璃ちゃん、岳人と仲良かったんや」
「あ、うん。席替えして先週から隣なんだ。それまで喋ったことなかったけど、話しやすい人だね、向日くん」
つい最近やん、と心の中でつっこんだ。忍足が琴璃と初めて会ったのと殆ど変わらないというのに。自分と比べて岳人と琴璃の距離が違いすぎる。つまり岳人は自分よりも信頼されているのか。
「岳人には触れられても緊張せえへんの?」
自分は触れられないのに、なんで。思っていたことがとうとう口に出てしまった。琴璃は困ったような、なんとも言えない表情をした。
「あかん、俺サイテーやわ。こんな聞き方。ごめんな、今の忘れて」
「忍足くん」
「なんや、岳人と仲良い琴璃ちゃん見たら気になってしもた。カッコわる」
「だって、向日くんはただのクラスメイトだから」
琴璃がそう言ったタイミングで予鈴のチャイムが鳴る。彼女はまだ何かを言うつもりだったのに。機械音があっさり制してしまった。廊下に居た生徒たちは各自の教室へと戻ってゆく。忍足も同じように。
「ほな、教室戻るわ」
「あ、うん」
言葉の続きを聞きたかった。琴璃は何を言いたかったのか。分からないまま、もやもやしたまま自分の教室へと歩き出した。