清く正しく優しい君
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土曜日のわりと早い時間帯。待ち合わせ時刻まであと15分ある。それなのに忍足はもうそこに来ていた。小走りで近づいて来る琴璃に気づいて手を降る。
「おはようさん」
「おはよう。ごめんね、待たせちゃって」
「ええよ、俺が早く来すぎただけやから」
休日に会うなんて想像もしなかった。平日でも校内で会うことのなかった人と休みの日に会っている。それも学校じゃないところで、2人で。
「ん?何?」
「あ、ううん。忍足くんの私服初めて見た」
「俺も。琴璃ちゃんの私服初めて見たわ。まぁ、制服姿の琴璃ちゃんも、あんまり見たことなかったけどな」
そうだよね、と琴璃は笑う。
「よう似合ってんで」
「え、あ、ありがとう」
昨日の晩、小一時間かけて何を着ていこうか悩んだのだけれど。結局悩みに悩んでフレアのワンピースにした。デートだからスカートにしよう。そう思って。こんなふうに異性に服を褒めてもらえるのは初めてだった。嬉しさと恥ずかしさが混ざりあった、不思議な感覚。
「で、今日はどこ行く?」
本当にデートをしている。まだ実感が無い。
琴璃の思い描く理想のデートをしないかと言われて。唐突に、なんの冗談かと思った。別に付き合っているわけでもないのにデートをする。それはなんとなくいけないような気もした。付き合うにしたって、名ばかりの彼氏と別れたばかりで、すぐに次の彼氏というのは琴璃の中でどうも許せなかった。そんな琴璃に忍足は付き合うとかそんな固いこと考えなくていいと言った。
『キミが笑顔になれることをしたらええやん』
あの日の最後にそう言われて。難しく考えるのをやめた。彼がそう言うのなら自分の理想デートを叶えてもらおう。でも、忍足を利用しているみたいで申し訳ないな、とも思った。まるで疑似恋愛をしてるような。そんな錯覚さえ感じる。
でもあのカフェでの時間はとても楽しかった。もしあの時忍足の誘いを断ってまっすぐ帰っていたら多分ひどく落ち込んでいたと思う。きっともう彼氏なんて作らないとか、それくらいのレベルまで絶望していたのかもしれない。それが今日、自分はお気に入りのワンピースを着てデートをしている。こんなこと絶対に予想できなかった。今日の日を緊張とわくわくした気持ちがせめぎ合いながら迎えた。不安もありながら楽しみにしている自分がいる。こんな気持ちは琴璃にとって初めてだった。だから、忍足が許してくれるなら付き合う云々考えずにデートを楽しもう。少しだけ夢を見てみたい。
『デートの行き先は琴璃ちゃんが決めて』
カフェの別れ際最後にそう言われて。琴璃はとても悩んだ。それこそ服装の比じゃないくらいに。でも彼の言葉に甘えて自分のしたいことを共有してもらうことにした。
「今日は映画を見たいな、って思って。どう……かな」
とは言え不安はゼロじゃない。自分の要望を頷いてもらえるか。琴璃はスマホの画面を忍足に見せる。そこには観たい映画の今日のタイムスケジュールが表示されていた。
「お、これ俺も見たかったやつ。ええやん、行こ」
「いいの?」
「せっかくやから今、チケット取っとこ。そのほうが向こうで並ばんで済むわ」
そう言うと忍足は自身のスマホを弄り出す。何か操作してから、購入オッケーやで、と共に見せてきた画面はオンライン購入ありがとうございます、と書かれてあった。琴璃がぼーっと見ているうちに終わった。ものの数十秒だった。
「はは。関西人はせっかちやねん。あ、今から1番早いので良かった?」
「うん、ありがとう」
「ほな行こか」
今いる待ち合わせた駅から映画館までは歩いて数分の距離。昨日と同じように自然に忍足は車道側を歩く。こういう何気ないことにも琴璃にとって嬉しさの1つになる。
「あの、忍足くん、指は大丈夫?」
「ん?何が?」
「昨日怪我させちゃったから。……左手の」
「あーすっかり忘れとったわ。もう何ともあらへん。ていうか、琴璃ちゃんが謝ることちゃうで」
あれは事故だったのだと。彼はへらりと笑った。
「うん、でもテニスできなかったらどうしよう、とか。色々考えちゃって」
「はは。俺は右利きやから特に関係あらへんで。琴璃ちゃん、俺がテニス部なの知っとるん?」
「知ってるよ。テニス部の人たちは有名だもん。だから忍足くんのことも喋ったことなくても顔だけは知ってたよ」
そんな人とまさかデートするなんて。本人に今彼女がいなくても、きっと彼に思いを寄せてる女の子はいるだろうに。その子たちを差し置いてデートをするというのがなんだか申し訳ない。彼女でも何でもない自分が。
そもそも忍足が何を思ってデートに誘ってくれたのか分からない。昨日の自分に同情してくれたのだろうか。彼の前で泣くのは違うから必死に涙を堪えたけど。それでもほんのちょっとだけ、気持ちが溢れてきて泣いてしまった。もしかしたらバレていたかもしれない。
「おーそれなりに混んどる」
扉を抜けるとキャラメルポップコーンの甘ったるい匂いがした。休日のせいかわりと人がいる。2人はチケットを買う列を通り越し入場する。まぁまぁ行列ができていたのを見て忍足は勝ち誇った顔をして見せた。それがおかしくて琴璃も笑った。
「お、ここや」
発行した半券を見ながら座席を確認する。わりと後列の通路を挟んでの2席。
「ちょっと後ろすぎたかな」
「ううん、いつも観に来る時はこの辺の席にしてるから、すごく嬉しいよ」
「なら良かった」
1番前のど真ん中を好む人も居るけれど、琴璃は逆で後ろの端のほうが好きだった。どこに座っても映画は見えるのだから、それならばあまり人が通らない席のほうが好ましい。
「どーぞ」
「あ、ありがとう」
いつの間に買ったのか。琴璃が座ったのを見計らって忍足は飲物を差し出した。今日の彼全てが琴璃にはすごくスマートに映る。琴璃に悩む隙を作らせない。でもちゃんと意見を尊重してくれる。琴璃をデートに誘ったけど本当にそれだけ の意味だった。だから肩を抱いたり手も繋がない。付き合っていないのだから当たり前だけど。琴璃が嫌がることは一切しない。琴璃が笑顔になれることに付き合うと言った。好きなんかじゃないのにそこまでしてくれる。なんのメリットがあるんだろう。琴璃は疑問に思う。
「俺とおるの、嫌?」
考えていたら、不意に忍足がそんなことを聞いてくる。
「え?な、なんで?」
「今日会うてからずっと琴璃ちゃん、寂しそうに笑うから」
忍足がじっと琴璃の瞳を見つめてくる。恥ずかしくなって琴璃は目をそらした。照れもあるけれど、なんだか心の中を見透かされそうで。でも、忍足の言うことは当たっていた。嬉しいのに、どこか遠慮していた。本当に良いのだろうか。彼の優しさにつけ入ってないか。それが自然と表情に出ていた。
「嫌とか、全然そんなふうに思わないよ。忍足くんと映画観に来られてすごく嬉しいもの」
「ほんまに?」
「うん。ワンピース褒めてくれたのも、チケット取ってくれたのも、あと、ここまで一緒に歩いて来たのだって嬉しい」
嬉しいのに。相手のことを思うと遠慮してしまう。元彼の時のように相手の顔色ばかりが気になって仕方ない。自分の嫌いなところだった。だから誤解されてしまうのだ。
「そこまで?」
「え、うん。変、だった?」
「いんや。おおきにな、そんなとこまで幸せ噛みしめてもらえるなんてなぁ。なんや俺、今日スキップでもして琴璃ちゃんの前に登場すれば良かったかな」
「えぇ!それは……でも、ちょっと見てみたいかも」
「俺のスキップめっちゃ華麗なんやで。関西人なのに、すごない?」
「……関西人とか、スキップに関係あるの?」
「お、ええツッコミや琴璃ちゃん。俺の知る限り関西人はスキップ下手クソやで。うちのオカンのなんか、酷すぎて見てられへん」
「えーなにそれ」
「もっと酷いのが従兄弟におってな。アイツのは競歩みたいに早いねん。アホみたいにセカセカしとるんやで」
「あはは、変なの」
琴璃は思わず声を出して笑う。忍足の冗談が可笑しすぎて。きっとテニス部仲間の連中は誰1人としてクスリともしないであろうに。琴璃は忍足の隣で、我慢できずに肩を震わせて笑ってくれた。その笑顔から紛れもない嬉しさが伝わってくる。
「やっと笑った」
「え?」
「今の笑顔が最高にかわええで。今日は1日そんな顔しといてな」
「あ、うん……。ありがとう」
忍足はにっこりと笑った。心臓が煩い。琴璃は薄暗い場所で良かったと思った。今の自分の顔は絶対に赤いと確信したから。
「ま、関西人が下手っちゅーのは俺の偏見やから事実ではないねんけどな」
「だよね。そんな気がした」
それでも琴璃は忍足の冗談に笑顔を見せた。自分のことを気にかけてくれたんだろう。琴璃が忍足の顔色を伺っていたように、忍足も琴璃の様子を気にかけてくれていた。それが分かって。彼の優しさに触れて心が暖かくなった。
「お。始まるで」
優しい人だ。こんなふうに男の子に大事にされたのは初めてだから。すごく、心地が良くて満ち溢れるものなんだと知った。
次第に館内の照明が絞られてゆく。琴璃は鞄から携帯を取り出す。電源を切るのを忘れていた。
その画面が黒くなる前に。映っていたものに忍足は見覚えがあった。この前一緒に飲んだラテアート。あの時琴璃は嬉しそうに写真を撮っていた。待ち受けにするほど嬉しかったのだ。悲しむ彼女を見過ごせなくて誘ったカフェ。そこで過ごした何てことない普通の時間。彼女の中では特別な思い出になっていた。
もっとこの子を笑顔にできたら。そんなことを忍足は暗闇の中で密かに思った。
「おはようさん」
「おはよう。ごめんね、待たせちゃって」
「ええよ、俺が早く来すぎただけやから」
休日に会うなんて想像もしなかった。平日でも校内で会うことのなかった人と休みの日に会っている。それも学校じゃないところで、2人で。
「ん?何?」
「あ、ううん。忍足くんの私服初めて見た」
「俺も。琴璃ちゃんの私服初めて見たわ。まぁ、制服姿の琴璃ちゃんも、あんまり見たことなかったけどな」
そうだよね、と琴璃は笑う。
「よう似合ってんで」
「え、あ、ありがとう」
昨日の晩、小一時間かけて何を着ていこうか悩んだのだけれど。結局悩みに悩んでフレアのワンピースにした。デートだからスカートにしよう。そう思って。こんなふうに異性に服を褒めてもらえるのは初めてだった。嬉しさと恥ずかしさが混ざりあった、不思議な感覚。
「で、今日はどこ行く?」
本当にデートをしている。まだ実感が無い。
琴璃の思い描く理想のデートをしないかと言われて。唐突に、なんの冗談かと思った。別に付き合っているわけでもないのにデートをする。それはなんとなくいけないような気もした。付き合うにしたって、名ばかりの彼氏と別れたばかりで、すぐに次の彼氏というのは琴璃の中でどうも許せなかった。そんな琴璃に忍足は付き合うとかそんな固いこと考えなくていいと言った。
『キミが笑顔になれることをしたらええやん』
あの日の最後にそう言われて。難しく考えるのをやめた。彼がそう言うのなら自分の理想デートを叶えてもらおう。でも、忍足を利用しているみたいで申し訳ないな、とも思った。まるで疑似恋愛をしてるような。そんな錯覚さえ感じる。
でもあのカフェでの時間はとても楽しかった。もしあの時忍足の誘いを断ってまっすぐ帰っていたら多分ひどく落ち込んでいたと思う。きっともう彼氏なんて作らないとか、それくらいのレベルまで絶望していたのかもしれない。それが今日、自分はお気に入りのワンピースを着てデートをしている。こんなこと絶対に予想できなかった。今日の日を緊張とわくわくした気持ちがせめぎ合いながら迎えた。不安もありながら楽しみにしている自分がいる。こんな気持ちは琴璃にとって初めてだった。だから、忍足が許してくれるなら付き合う云々考えずにデートを楽しもう。少しだけ夢を見てみたい。
『デートの行き先は琴璃ちゃんが決めて』
カフェの別れ際最後にそう言われて。琴璃はとても悩んだ。それこそ服装の比じゃないくらいに。でも彼の言葉に甘えて自分のしたいことを共有してもらうことにした。
「今日は映画を見たいな、って思って。どう……かな」
とは言え不安はゼロじゃない。自分の要望を頷いてもらえるか。琴璃はスマホの画面を忍足に見せる。そこには観たい映画の今日のタイムスケジュールが表示されていた。
「お、これ俺も見たかったやつ。ええやん、行こ」
「いいの?」
「せっかくやから今、チケット取っとこ。そのほうが向こうで並ばんで済むわ」
そう言うと忍足は自身のスマホを弄り出す。何か操作してから、購入オッケーやで、と共に見せてきた画面はオンライン購入ありがとうございます、と書かれてあった。琴璃がぼーっと見ているうちに終わった。ものの数十秒だった。
「はは。関西人はせっかちやねん。あ、今から1番早いので良かった?」
「うん、ありがとう」
「ほな行こか」
今いる待ち合わせた駅から映画館までは歩いて数分の距離。昨日と同じように自然に忍足は車道側を歩く。こういう何気ないことにも琴璃にとって嬉しさの1つになる。
「あの、忍足くん、指は大丈夫?」
「ん?何が?」
「昨日怪我させちゃったから。……左手の」
「あーすっかり忘れとったわ。もう何ともあらへん。ていうか、琴璃ちゃんが謝ることちゃうで」
あれは事故だったのだと。彼はへらりと笑った。
「うん、でもテニスできなかったらどうしよう、とか。色々考えちゃって」
「はは。俺は右利きやから特に関係あらへんで。琴璃ちゃん、俺がテニス部なの知っとるん?」
「知ってるよ。テニス部の人たちは有名だもん。だから忍足くんのことも喋ったことなくても顔だけは知ってたよ」
そんな人とまさかデートするなんて。本人に今彼女がいなくても、きっと彼に思いを寄せてる女の子はいるだろうに。その子たちを差し置いてデートをするというのがなんだか申し訳ない。彼女でも何でもない自分が。
そもそも忍足が何を思ってデートに誘ってくれたのか分からない。昨日の自分に同情してくれたのだろうか。彼の前で泣くのは違うから必死に涙を堪えたけど。それでもほんのちょっとだけ、気持ちが溢れてきて泣いてしまった。もしかしたらバレていたかもしれない。
「おーそれなりに混んどる」
扉を抜けるとキャラメルポップコーンの甘ったるい匂いがした。休日のせいかわりと人がいる。2人はチケットを買う列を通り越し入場する。まぁまぁ行列ができていたのを見て忍足は勝ち誇った顔をして見せた。それがおかしくて琴璃も笑った。
「お、ここや」
発行した半券を見ながら座席を確認する。わりと後列の通路を挟んでの2席。
「ちょっと後ろすぎたかな」
「ううん、いつも観に来る時はこの辺の席にしてるから、すごく嬉しいよ」
「なら良かった」
1番前のど真ん中を好む人も居るけれど、琴璃は逆で後ろの端のほうが好きだった。どこに座っても映画は見えるのだから、それならばあまり人が通らない席のほうが好ましい。
「どーぞ」
「あ、ありがとう」
いつの間に買ったのか。琴璃が座ったのを見計らって忍足は飲物を差し出した。今日の彼全てが琴璃にはすごくスマートに映る。琴璃に悩む隙を作らせない。でもちゃんと意見を尊重してくれる。琴璃をデートに誘ったけど本当に
「俺とおるの、嫌?」
考えていたら、不意に忍足がそんなことを聞いてくる。
「え?な、なんで?」
「今日会うてからずっと琴璃ちゃん、寂しそうに笑うから」
忍足がじっと琴璃の瞳を見つめてくる。恥ずかしくなって琴璃は目をそらした。照れもあるけれど、なんだか心の中を見透かされそうで。でも、忍足の言うことは当たっていた。嬉しいのに、どこか遠慮していた。本当に良いのだろうか。彼の優しさにつけ入ってないか。それが自然と表情に出ていた。
「嫌とか、全然そんなふうに思わないよ。忍足くんと映画観に来られてすごく嬉しいもの」
「ほんまに?」
「うん。ワンピース褒めてくれたのも、チケット取ってくれたのも、あと、ここまで一緒に歩いて来たのだって嬉しい」
嬉しいのに。相手のことを思うと遠慮してしまう。元彼の時のように相手の顔色ばかりが気になって仕方ない。自分の嫌いなところだった。だから誤解されてしまうのだ。
「そこまで?」
「え、うん。変、だった?」
「いんや。おおきにな、そんなとこまで幸せ噛みしめてもらえるなんてなぁ。なんや俺、今日スキップでもして琴璃ちゃんの前に登場すれば良かったかな」
「えぇ!それは……でも、ちょっと見てみたいかも」
「俺のスキップめっちゃ華麗なんやで。関西人なのに、すごない?」
「……関西人とか、スキップに関係あるの?」
「お、ええツッコミや琴璃ちゃん。俺の知る限り関西人はスキップ下手クソやで。うちのオカンのなんか、酷すぎて見てられへん」
「えーなにそれ」
「もっと酷いのが従兄弟におってな。アイツのは競歩みたいに早いねん。アホみたいにセカセカしとるんやで」
「あはは、変なの」
琴璃は思わず声を出して笑う。忍足の冗談が可笑しすぎて。きっとテニス部仲間の連中は誰1人としてクスリともしないであろうに。琴璃は忍足の隣で、我慢できずに肩を震わせて笑ってくれた。その笑顔から紛れもない嬉しさが伝わってくる。
「やっと笑った」
「え?」
「今の笑顔が最高にかわええで。今日は1日そんな顔しといてな」
「あ、うん……。ありがとう」
忍足はにっこりと笑った。心臓が煩い。琴璃は薄暗い場所で良かったと思った。今の自分の顔は絶対に赤いと確信したから。
「ま、関西人が下手っちゅーのは俺の偏見やから事実ではないねんけどな」
「だよね。そんな気がした」
それでも琴璃は忍足の冗談に笑顔を見せた。自分のことを気にかけてくれたんだろう。琴璃が忍足の顔色を伺っていたように、忍足も琴璃の様子を気にかけてくれていた。それが分かって。彼の優しさに触れて心が暖かくなった。
「お。始まるで」
優しい人だ。こんなふうに男の子に大事にされたのは初めてだから。すごく、心地が良くて満ち溢れるものなんだと知った。
次第に館内の照明が絞られてゆく。琴璃は鞄から携帯を取り出す。電源を切るのを忘れていた。
その画面が黒くなる前に。映っていたものに忍足は見覚えがあった。この前一緒に飲んだラテアート。あの時琴璃は嬉しそうに写真を撮っていた。待ち受けにするほど嬉しかったのだ。悲しむ彼女を見過ごせなくて誘ったカフェ。そこで過ごした何てことない普通の時間。彼女の中では特別な思い出になっていた。
もっとこの子を笑顔にできたら。そんなことを忍足は暗闇の中で密かに思った。