清く正しく優しい君
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誰も居ない廊下を歩くのは初めてだ。今の時間は授業中。グラウンドのほうから何やら声が聞こえるから、どこかのクラスは体育をしているのだろう。琴璃のクラスは化学で、実験室での授業だった。グループになって様々な液体の沸騰する様子を観察しレポートにまとめる。琴璃は同じグループの子と使い終わった実験道具を洗っていた。がちゃん、と音がしたのとその子が叫ぶのがほぼ同じだった。隣で洗っていた彼女が手を滑らせビーカーを割ったのだ。パニックになった彼女に代わり琴璃が後始末をしたところ、ガラスの破片で指の先を切った。彼女は再び悲鳴をあげた。怪我した琴璃はちっとも驚いてないのに。大したことない。ちょっとガラスが掠って切れただけ。それくらいにしか思っていなかったけど、グループの子たち全員に早く保健室に行くように促されたので今向かっている。一応指にはティッシュをぐるぐるに巻いてみたけど、もう大分血は止まっていた。
「失礼します」
そっと扉を開ける。いつもの保健医の女性の姿は無かった。勝手に絆創膏を貰っていいものだろうか考えていると、奥のベッドが並ぶ方から物音がした。布が擦れるような音。1台分だけカーテンが閉まっている。でもよく見るとそのカーテンは少し隙間があった。何となく気になって、近付いて中を伺い見る。誰かが寝ていた。薄手の毛布をかけてもぞもぞ動いてる。寝返りを打って、顔が琴璃の方に向いた。
「忍足、くん?」
会ったことないし、勿論喋ったこともない。今まで同じクラスになったことも。何の接点もない。何度か、廊下ですれ違ったくらいはあるけど多分彼は琴璃のことを認識していない。でも、琴璃は一方的に知っていた。有名なテニス部に所属してるから名前と顔くらいは分かる。そんな彼が保健室のベッドで寝ている。
「……具合悪いのかな」
きっとそうだろうけど。でも、なんでか彼が保健室に居るというのが妙に違和感だった。彼のことをよく知らないのに、そんなふうに思う。きっと運動部に属してる人が寝込むのが意外だという考えなのかもしれない。忍足はいつもかけている眼鏡を外して静かに目を閉じていた。少し顔を歪めているようにも見える。額にうっすら汗も見える。琴璃は自身のポケットからハンカチを出して、そっと彼の額に当てた。
「大丈夫かな……」
その時扉の開く音がした。琴璃は慌ててカーテンから出る。
「あら、来てたの。ごめんねぇ、ちょっと職員室行ってたわ。どうかした?」
「先生、忍足くんが辛そうです」
「あら本当?やっぱり早退させたほうがいいかな」
「具合悪いんですか」
「本人曰く頭が痛いんだって」
先生は慣れてるのかそこまで取り乱す様子もない。琴璃だけがオロオロしていた。
「で、あなたはどうしたのかな?」
「あ、指を切ってしまって」
巻かれたティッシュのお陰でだいぶ止血されていた。消毒と、絆創膏を巻かれて琴璃の手当は終了となる。ものの数分だった。
「ありがとうございました」
保健室を後にする時なんとなくベッドの方を見たけれど、カーテンが開くことは無かった。
「琴璃、忍足くんが来てるよ」
次の日の、午前の授業が終わった頃。昼休みだから自分の席で友達とお弁当を食べようかと思っていた。そんな矢先に別の子から名前を呼ばれる。でも一瞬耳を疑った。誰が自分に用があるのかって。
「キミが琴璃ちゃん?」
忍足が廊下で待っていた。笑顔で琴璃を見下ろしている。昨日は寝ていたから分からなかったけど、向き合って見るとこんなに背が高かったんだと知る。
「これ、自分のやろ?」
そう言って差し出してきたのは琴璃のハンカチだった。昨日、忍足の額に当ててあげたもの。あのまま置いてきてしまっていた。
「あ」
「1日借りてて堪忍な」
「どうして分かったの?」
「ん?来室名簿に名前が書いてあってん」
そう言えば書いた気がする。だから初対面でも琴璃の名前とクラスを知っていたのだ。ハンカチをわざわざ洗って返しに来ててくれた。普通、人から借りたら当たり前の動作だけど、そのことに琴璃は少し嬉しさを感じた。
「もう体調は大丈夫?なんか、昨日の忍足くんとっても苦しそうだった」
「心配ありがとうな。けどもう平気、ただの二日酔いやから」
「ふつか、よい……?」
目をぱちくりさせる琴璃を見て忍足が笑う。期待通りのリアクションやな、と。高校生からはそうそう聞かないワードだから驚いて当たり前なのに。
「うち、姉ちゃんおるんやけど一昨日の夜うちに友達連れてきて大学の課題やっとってな。ほんで無事に終わったからって酒飲んで騒いどって。そこに俺も巻き込まれて無理矢理飲まされてもうたん。ほんま、迷惑な話やろ?」
つまり、彼が昨日頭痛で保健室を利用したのは言葉の通りで単なる二日酔いだったらしい。ちょっと、拍子抜けしたのが顔に出ていたのか忍足は、阿呆らしいやろ?、と笑った。あれから結局、授業1教科分寝たら復活したので早退せずにそのまま教室に戻ったのだった。
「情けないとこ見られてもうた」
「ううん、そんなことない。でも、お酒は大人になってからのほうがいいと思うよ」
今度は忍足が目を丸くした。そして数秒後に声を潜めて笑いだした。きっと、もっと盛大に笑いたかったのに我慢しているといった感じに。
「いや堪忍な。どんな子がハンカチ貸してくれたんやろ、て疑問に思っててな。なんか、俺の自惚れやったわ」
テニス部のレギュラーでいると知らない女の子から話しかけられたりプレゼントを貰う事は珍しくない。部長の跡部ほどではないが、忍足も女子から人気がある。だから、保健室で目が覚めて見覚えのないハンカチが自分の額に置かれていて不審に思った。ファンの子がわざとハンカチを置いていったのかと勘繰った。だから、少なからず警戒して琴璃に会いに来たのだ。けれど実際に会ってみれば彼女はそんなこと1ミリも考えていないふうで。自分の変な思い込みに笑ってしまった。
「それより指、どないしたん?」
「え?」
忍足は、胸の前でハンカチを持つ琴璃の手元を指差した。絆創膏を巻かれた指を見ている。
「あ、これ。ちょっと切っちゃって。大したことないんだけど」
「そうなん?」
そこでちょうどチャイムが鳴った。昼休みの終了の合図。
「ほな」
「あ、うん。ありがとね」
忍足は反対側へ歩いてゆく。彼が何組なのか知らないけど教室へ戻るのだろう。歩いてゆく途中で女子生徒から声をかけられている。それに笑顔で返している姿を琴璃はじっと見つめていた。
「……いいなあ」
何が、“いい”のだろう。自分で言ったくせによく分からなかった。
ただ、あの人だったら。
ハンカチを貸しても返さないだろうし、指を怪我したくらいじゃ気付きもしないんだろうな。そう思ったら気持ちが沈んでいった。
「失礼します」
そっと扉を開ける。いつもの保健医の女性の姿は無かった。勝手に絆創膏を貰っていいものだろうか考えていると、奥のベッドが並ぶ方から物音がした。布が擦れるような音。1台分だけカーテンが閉まっている。でもよく見るとそのカーテンは少し隙間があった。何となく気になって、近付いて中を伺い見る。誰かが寝ていた。薄手の毛布をかけてもぞもぞ動いてる。寝返りを打って、顔が琴璃の方に向いた。
「忍足、くん?」
会ったことないし、勿論喋ったこともない。今まで同じクラスになったことも。何の接点もない。何度か、廊下ですれ違ったくらいはあるけど多分彼は琴璃のことを認識していない。でも、琴璃は一方的に知っていた。有名なテニス部に所属してるから名前と顔くらいは分かる。そんな彼が保健室のベッドで寝ている。
「……具合悪いのかな」
きっとそうだろうけど。でも、なんでか彼が保健室に居るというのが妙に違和感だった。彼のことをよく知らないのに、そんなふうに思う。きっと運動部に属してる人が寝込むのが意外だという考えなのかもしれない。忍足はいつもかけている眼鏡を外して静かに目を閉じていた。少し顔を歪めているようにも見える。額にうっすら汗も見える。琴璃は自身のポケットからハンカチを出して、そっと彼の額に当てた。
「大丈夫かな……」
その時扉の開く音がした。琴璃は慌ててカーテンから出る。
「あら、来てたの。ごめんねぇ、ちょっと職員室行ってたわ。どうかした?」
「先生、忍足くんが辛そうです」
「あら本当?やっぱり早退させたほうがいいかな」
「具合悪いんですか」
「本人曰く頭が痛いんだって」
先生は慣れてるのかそこまで取り乱す様子もない。琴璃だけがオロオロしていた。
「で、あなたはどうしたのかな?」
「あ、指を切ってしまって」
巻かれたティッシュのお陰でだいぶ止血されていた。消毒と、絆創膏を巻かれて琴璃の手当は終了となる。ものの数分だった。
「ありがとうございました」
保健室を後にする時なんとなくベッドの方を見たけれど、カーテンが開くことは無かった。
「琴璃、忍足くんが来てるよ」
次の日の、午前の授業が終わった頃。昼休みだから自分の席で友達とお弁当を食べようかと思っていた。そんな矢先に別の子から名前を呼ばれる。でも一瞬耳を疑った。誰が自分に用があるのかって。
「キミが琴璃ちゃん?」
忍足が廊下で待っていた。笑顔で琴璃を見下ろしている。昨日は寝ていたから分からなかったけど、向き合って見るとこんなに背が高かったんだと知る。
「これ、自分のやろ?」
そう言って差し出してきたのは琴璃のハンカチだった。昨日、忍足の額に当ててあげたもの。あのまま置いてきてしまっていた。
「あ」
「1日借りてて堪忍な」
「どうして分かったの?」
「ん?来室名簿に名前が書いてあってん」
そう言えば書いた気がする。だから初対面でも琴璃の名前とクラスを知っていたのだ。ハンカチをわざわざ洗って返しに来ててくれた。普通、人から借りたら当たり前の動作だけど、そのことに琴璃は少し嬉しさを感じた。
「もう体調は大丈夫?なんか、昨日の忍足くんとっても苦しそうだった」
「心配ありがとうな。けどもう平気、ただの二日酔いやから」
「ふつか、よい……?」
目をぱちくりさせる琴璃を見て忍足が笑う。期待通りのリアクションやな、と。高校生からはそうそう聞かないワードだから驚いて当たり前なのに。
「うち、姉ちゃんおるんやけど一昨日の夜うちに友達連れてきて大学の課題やっとってな。ほんで無事に終わったからって酒飲んで騒いどって。そこに俺も巻き込まれて無理矢理飲まされてもうたん。ほんま、迷惑な話やろ?」
つまり、彼が昨日頭痛で保健室を利用したのは言葉の通りで単なる二日酔いだったらしい。ちょっと、拍子抜けしたのが顔に出ていたのか忍足は、阿呆らしいやろ?、と笑った。あれから結局、授業1教科分寝たら復活したので早退せずにそのまま教室に戻ったのだった。
「情けないとこ見られてもうた」
「ううん、そんなことない。でも、お酒は大人になってからのほうがいいと思うよ」
今度は忍足が目を丸くした。そして数秒後に声を潜めて笑いだした。きっと、もっと盛大に笑いたかったのに我慢しているといった感じに。
「いや堪忍な。どんな子がハンカチ貸してくれたんやろ、て疑問に思っててな。なんか、俺の自惚れやったわ」
テニス部のレギュラーでいると知らない女の子から話しかけられたりプレゼントを貰う事は珍しくない。部長の跡部ほどではないが、忍足も女子から人気がある。だから、保健室で目が覚めて見覚えのないハンカチが自分の額に置かれていて不審に思った。ファンの子がわざとハンカチを置いていったのかと勘繰った。だから、少なからず警戒して琴璃に会いに来たのだ。けれど実際に会ってみれば彼女はそんなこと1ミリも考えていないふうで。自分の変な思い込みに笑ってしまった。
「それより指、どないしたん?」
「え?」
忍足は、胸の前でハンカチを持つ琴璃の手元を指差した。絆創膏を巻かれた指を見ている。
「あ、これ。ちょっと切っちゃって。大したことないんだけど」
「そうなん?」
そこでちょうどチャイムが鳴った。昼休みの終了の合図。
「ほな」
「あ、うん。ありがとね」
忍足は反対側へ歩いてゆく。彼が何組なのか知らないけど教室へ戻るのだろう。歩いてゆく途中で女子生徒から声をかけられている。それに笑顔で返している姿を琴璃はじっと見つめていた。
「……いいなあ」
何が、“いい”のだろう。自分で言ったくせによく分からなかった。
ただ、あの人だったら。
ハンカチを貸しても返さないだろうし、指を怪我したくらいじゃ気付きもしないんだろうな。そう思ったら気持ちが沈んでいった。
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