22話:ヒミツはない

 僕が試着室に押し込められてから、おおよそ五分ほど後のことである。

「あらぁ、いいじゃない! おばさん光希くんに惚れちゃうわぁ」

 あくまでも試着として高校の制服を着ているだけなのだが、おばさんは大層乗せ上手だった。まるで写真を撮るときのような気恥ずかしさを何とか押さえ、僕は制服の感触を確かめた。

「ちょっと大きいかも……」
「そうねぇ」

 試着した制服は、僕が着ると少し大きいようだった。こういう、簡単に買い替えの出来ないものは気持ち大きなサイズを買うというのが定説だが、僕の身長は平均よりも僅かに小さいというのもあってか、控えめに言っても適切なサイズとは言い難かった。
 上着はまだ手の甲が見え隠れするくらいだったが、ズボンの裾はギリギリ地面についてしまっている。靴を履いたらどうにか成るかも知れないが、それなりにちゃんとしなければならない制服となると少々不格好になるような気がした。
 店員さんは、これ以上サイズダウンするのではなくズボンの裾だけ直すというのをおばさんに進めた。確かに、例えば僕にまだ成長の余地があるのならこれくらいの余裕は必要かも知れない。しかしこうなってくると僕は最早ただのマネキンで、店員さんとおばさんの間では話がよく進んでいた。店員さんは、僕が試着しているズボンの裾を折り曲げ、クリップで止めていく。どうやら僕の出番は終わったようで、また試着室に籠って止められたクリップが外れないように服を着替えた。制服を着ていた時間は、十分あったかどうかも怪しいだろう。それくらい体感的には短かったが、これから先、嫌がおうにもこのほぼ毎日着ることになるのだから、今はこれくらいが丁度よかったのかも知れない。

 制服を手に持って試着室から出ると、店員さんが制服を受け取りまたおばさんと話をしていく。聞くところによると、この時期は制服を買ったり新調したりする人が多いからなのか、調整に一日二日かかってしまうらしい。そのため、もう一度店に取りに来るか制服を郵送するという形になっているようだ。
 お店と言えの距離は少し離れており、今日もこうして伯父さんの運転する車で足を運んでいる。「じゃあ郵送してもらっちゃおうかしらねぇ」と、おばさんは言った。
 おばさんと店員さんが話をしている間、僕は暇を持て余してしまっていた。といっても伯父さんもそこにはいるのだが、なんだかそわそわしてしまって話す心持ちでもなかったのである。住所や電話番号を書いているのか、おばさんがペンを走らせている音をただただ聞いていた。

「来週、制服届くの楽しみねぇ」

 一通り店員さんとのやり取りが終わったのか、おばさんはこちらにくるりと向き直した。約三十分程だろうか? 店員さんに感謝を伝えながら、僕達三人はその場を去った。

「お昼ご飯どうしようかしら。そろそろいい時間よねぇ」財布を鞄にしまいながら、おばさんは尋ねた。店内を少し見回し時計を探すと、針は既に十二時を越えていた。

「どこか入って食べようか?」
「いいわねぇ、そうしましょうよ」
「この辺りだとどこかあったかなぁ」携帯を片手に、どうやら伯父さんは近くの飲食店を検索し始めているらしい。
「光希くんはなに食べたい? 退院後すぐだと疲れちゃうかと思って、そういうお祝い事まだしてなかったものね」

 質問を飛ばされ、僕は思わずドキリとした。話題のもとが僕というのは分かっていたつもりだったが、それでも心の準備が足りていなかったのである。確かに、いわゆる退院祝いというものはしていないのだが、それは僕の体調を徐々に慣らしていく行程というだけに過ぎず、決してこの二人が忘れていたとか、僕が頑なに断り続けていたということではない。

「ふ、普通で大丈夫だよ……?」
「我が儘くらい言わなきゃ駄目よー」

 普通というと「そういうのが一番困る」と言われてしまいそうだが、人の家にお世話になるというのに、あれこれ注文をつけるような図々しさを僕は持っていなかった。

「一番近いのはここかな?」そう言って伯父さんが見せてくれた携帯の画面に映っていたのは、パスタとピザを売りにしているしているらしいイタリアン料理店だ。
「こんなお店あったのねぇ」
「この辺りは余り来ないからね」
「光希くんはどうかしら?」

 おばさんは、第一候補として上がったお店に行くかどうかの判断を僕に委ねてくる。

「い、行ってみようよ。空いてるか分からないし……」
「そうねぇ。取り敢えず覗いてみましょうか」
「美味しいところだと良いね」伯父さんはそう付け加えると、一度携帯を上着のポケットにしまった。

 当たり障りのない答えを返してしまったか、でも僕は、極端なことを言ってしまえば別に何でも構わなかった。
 ふたりの僅か後ろを、僕は少し遠慮がちについて歩いている。このゆっくりと時間が流れていくような感覚は、この二人の間じゃないと生まれないものではないかと思うと、より一層不思議な足取りになった。しかし特別、この空間が嫌というわけではない。さらに付け加えるとするなら、イタリアン料理が食べたくないわけでもない。
 これまで僕が見ていた夫婦のやり取りとは違う、温度が掴み取れてしまうのではないかという感覚に、僕はまだ戸惑いながらも、どういうわけか笑みを溢してしまいそうになるのを必死に堪えてしまっていたのである。
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