26話:ヒミツと正直者

 一体いつからのことだっただろう? 橋下さんに連れられてではなく、こうして一人で図書室に足を運んでしまうようになってしまったのは。
 図書室の扉を開け、知り合いが居るかどうかの確認の為に顔だけ覗き入れる。

(……やっぱり帰ろうかな)

 どうやらまだ誰も来ていないらしかったお陰で、思わずすぐさま帰りたくなってしまう。一番に来てしまうと、凄く期待して来てしまっているような気がして、一番乗りというのは余り好きでないのだ。

「わ……っ!?」

 僅かに後退りをした瞬間、誰かとぶつかる感覚が背中を走る。この感じは、テストの順位を見に行ったあの時とよく似ていた。

「悪い……」
「あ、いや……すみません……」

 聞きなれた声の、話慣れない人物に謝罪をされ僕はどうにも居たたまれなくなってしまった。しかし、お互いにそこから動こうとはしない。こんな出入り口のど真ん中で二人してグズグズしているのだから、赤の他人からしたら邪魔でしかないだろうが、そんなことを考えられるほどの余裕はなかった。

「……今日は宇栄原来ないと思うけど」
「そ、そうなんですか……?」
「多分……」

 決して宇栄原さんを探していた訳ではないのだが、どうしてか神崎さんはそんなことを口にした。宇栄原さんには確かに勉強を教えてはもらったのだが、それも別に毎日教えて欲しいだなんて思ってない。なんとなくの流れで、聞きたいタイミングが合う時だけで構わないと思っていたのだ。
 神崎さんはさっきの僕と同じように、図書室の中に顔だけを入れ辺りを見回す。どういうわけかそれはいつもの神崎さんと呼ぶには相応しくなく、様子が違った。

「……時間あるなら、ちょっといいか?」
「え……」
「いや……嫌なら別にいいけど」

 自分で話があると言っておきながら、神崎さんは目を逸らしてすぐさま手を引いてしまう。そんなことをされてしまっては、こっちは余計気が気ではなかった。神崎さんとここまで会話をすると言うことが、かなり珍しいというのもあったのかも知れない。とにかく、出来ればこの時間が早く過ぎてしまえばいいとさえ思った。
 しかしそれは、神崎さんが嫌いだからという話ではない。そう、決してそんな飛躍した感情があるわけでもないのである。

「は、話ってなんですか……?」

 ただ、神崎さんに話さないといけないようなことなんて思いつくはずがなかったのだ。神崎さんに会ってからというもの、ようやく少しだけ会話を交わすくらいになったという関係性上、改まって一体何を話すのかという想像が出来ないのである。
 僕の問いにどういうわけか虚空見つめ、何かを考えはじめたらしい。考えが纏まったのか、何を言うでもなく僕の横を通り過ぎて図書室に入っていく。せめて一言くらい言ってくれればいいのにと思わないこともないが、神崎さんに限っては、一体どうやってそういう解釈になったのか「そういう人である」という認識が既に僕のなかにあるお陰で、特別どうとも思わなかった。
 少し遠くなった神崎さんとの距離を狭めるように、僕も急いで図書室へ入る。神崎さんは、図書貸し出しのカウンターから一番近い席に鞄を置いた。四つ席の向かい側を陣取り適当に座った神崎さんだったが、やはりそこでも視線に落ち着きがなかった。例えば、ここに居るのが僕じゃなくて宇栄原さんとか橋下だったらもう少し違ったのかもしれないと思うと、こちらまで視線が落ち着かなくなってしまう。それ以上何も考えないようにと、僕は神崎さんと向かい合うようにしてようやく席に着いた。
 ひとつ、またひとつと、カウンター近くにある時計の秒針が動く音がする。

「あ、あの……?」

 恐らくは数十秒しか経っていないのだろうが、神崎さんはいつになっても口を開こうとはしなかった。
 とうとう居たたまれなくなった僕がやっと神崎さんに声をかけると、神崎さんはあからさまに下を向き頭を掻いた。

「悪い、やっぱり言えそうにないわ……」

 一体誰に向けて言っているのかというくらい、その声は辛うじて僕の耳に届いていた。この多少なりとも静かな空間が約束されている図書室じゃなければ、もしかしたら聞き逃してしまっていたかもしれない。大げさかもしれないが、それくらい無理矢理口にしたもののように僕には聞こえたのだ。
 果たして、神崎さんは何を僕に聞きたかったのだろう? やっぱり言えそうにない。と撤回してしまう程聞きにくいことなのだろうか? そうだとするなら、確かに今日の神崎さんの挙動不審さに一応合点がいく。だが、神崎さんがそうなってしまうくらいのことなんて僕には――。

「なんか密会してる……」

 一体いつの間にいたのか、すぐ後ろから橋下さんの声が急に聞こえて思わず身体が跳ねる。後ろを振り向くと、不思議そうに首を傾げるてこちらを眺めていた。
 ある程度聞きなれている声を前に、あろうことか僕は好機が来たと感じた。

「し、失礼します……!」

 誰かに何かを言われるよりも早く、僕はせっかく入った図書室からすぐに抜け出してしまった。本当に、こういうところが僕の悪いところである。
 しかし僕には、神崎さんが聞きたかった「何か」を話せるほどの勇気なんて、微塵も無かったのだ。
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