第20話:懇篤の罠

「……え、またレズリーさんのところに行ったの?」
「行ったっていうか、行っちゃったっていうか。気付いたら辿り着いてたっていうか……」

 メジャーは既に地面に置かれたまま、名簿には幾つかの客人と、一番下にはアルベルの名前が書かれている。名前の隣、枠線のすぐ傍には、二十と半分を超えた数字が書かれていた。
 客人用の、靴を履き替える時の背もたれのない椅子にアルベルが座り、オレはというと椅子に座ることはなく、しゃがむだけの行儀の悪い座り方をしている。お尻がついていないだけまだマシだろう。

「……今、父さんと母さんが居たらどうなってたかなぁとか、考えてた」

 靴屋という形を辛うじて取り繕ったはいいものの、おじさんの居ない空間の中、知り合いがそこに居るとなると、すっかりと雑談をする空間となってしまっている。

「そうやって考えたことなんて、今まで無かったんだけど……。思い出したのが良くなかったのかな」

 行き場の無くなったペンは、オレの手元で弄ばれていた。

「……良くないことは、ないと思うな」

 下を向いていたオレは、そう口にしたアルベルを思わず視界に入れる。落ち着きのなかったペンの動きは、自然と止まっていた。

「だってシント君、最初に比べたらかなり変わったよ?」
「そ、そんなことないと思うけど……」

 思ってもみなかった言葉に、オレは思わず目を泳がせる。果たしてどうしてアルベルがそんなことを思ったのかもよく分からないし、何より当の本人に自覚なんてあるわけがなかったのだ。

「少し前のシント君だったら、僕にそういうこと言うのかなぁって考えたら、やっぱり変わったんじゃないかな。ああえっと……悪い意味じゃなくてね」
「……よく分かんない」

 そういって適当に投げ出してしまうが、しかしアルベルの言っている意味が本当に分からないのか、それともどこかで自覚していながら気付かないフリをしたのか、自分でも全く検討がついていない。
 確かに、いくら知り合いの貴族が訪ねてきたからといってペラペラと喋るような話ではなかっただろう。それに、今は客がいないからいいものの、いつ誰が来るかも知れないし、いないフリをしておじさん達が聞き耳を立てているなんてこともあるかも知れない。最も、後者に関してはそんなことがあるとは思っていないのだが。

「アルセーヌさんには、まだ言ってないんだよね?」
「うん……やっぱり、言ったほうがいいかな……」
「言った方がいいんじゃないかなあ……。そうやって迷ってるってことは、何かあったんじゃないの?」

 アルベルに答えを求めていたわけではないのだが、結果的に一番気がかりだったことへの問いが返ってくる。更に疑問を問われてしまって、オレはどうしたもんかと答えを考えに詰まっていた。アルベルは無理やり聞き出そうとかつついてきたりはしないけど、それが余計オレの頭を悩ませたのだ。

「……オレ、昔アルセーヌに会ったことあるんだって」

 アルベルは、オレとアルセーヌが知り合いであるというのは知っていたのだろうか?

「アルベルは知ってた?」

 だとしたら、誰もが意図的に言わなかったということになる。どちらかと言えば、寧ろそっちの方が無理矢理納得することも出来た。

「知ってたわけじゃないけど……多分、そうなんだろうなとは思ってた」

 しかし、どうやらそれは期待するだけ無駄らしい。

「アルセーヌさんが昔レズリーさんの家によく行っていたっていうのは父から聞いてたし、事件のことは知ってたから。一回くらいは会ったことあるんじゃないかなとは思ってたよ」
「……ふうん」
「疑ってる?」
「あ、いや……そういう訳じゃなくて……」

 そう問われてしまったのは、オレの返事がから返事に近かったからだろう。決して適当に聞いていたわけでもなく、疑っている分けでもない。聞いておいてなんだが、例えばこの時アルベルが知ってたと答えてもこんな感じだっただろう。
 これに関してはアルベルに落ち度があるわけがなく、これはオレの気持ちの問題だ。まるで自分だけが今まで何にも考えていなかったかのような、酷く居たたまれない気分になったのだ。

「言わなかった理由、きっとオレにあるのかなって思って」

 しかしそれはあながち間違いでもないのだから、言い訳も否定も出来はしない。

「……それも、ちゃんと聞いてみたらいいんじゃないかな。気になるんでしょ?」
「でも……」

 確かにオレが気になっていることは幾つかあるのだが、果たしてアルセーヌはどこまで答えてくれるだろうか? それにオレは、アルセーヌとの約束をひとつ破ってしまっている。

「レズリーの家、ひとりで行っちゃ駄目って言われてたんだけど、怒られないかな……」
「怒らないよ。アルセーヌさん優しいし」
「そ、そうかな……」

 そう尻込みこそするものの、アルセーヌにはちゃんと伝えておくべきだというのは理解している。聞くよりも前から分かっていたつもりだ。
 しかしそうは言っても、果たしてどういう顔で会いに行けばいいのか分からないし、レズリーの家にひとりで行ってはいけないと釘を刺してきた人物に、レズリーの家にひとりでいきましたと白状しに行くうえ、更に聞きたいことがあるだなんて押しかけに行くには、それ相応の胆力が必要なのである。

「……ひとつ、聞きたいんだけど」

 一通りの話が落ち着いたすぐ後、今度はアルベルが口を開いた。

「君は、レズリーさんが亡くなったと聞いた後で彼を前にした時、どんな気持ちだった?」
「え……?」

 突然の、聞かれるとは到底思ってもいなかった質問に、オレは尚更頭を悩ませた。それを例えばアルセーヌに聞かれるのならまだ分かるのだが、相手がアルベルだから余計だった。

「……本当に、もういないのかなあって」

 これは考えて出した結論というよりは、最早感覚に等しいものだ。

「だって普通に喋れるし、触れもした。アルセーヌも……クレイヴだって普通に話してたんだよ? レズリーは幽霊とは少し違うっていうのは、クレイヴから聞いたけど、でも……」

 どちらにしても、レズリーは十年前にこの世から居なくなった人物であることには変わりない。揺らぐことのない事実なのだ。

「そんなこと言われても、あんまり実感湧かないかな……」

 だがそれでも、どういうわけか余り信じたくない気持ちの方が僅かに上回ってしまっているのが本当のところだろう。完全に会うことが出来なくなって、それでようやく理解する類いのものなのかもしれない。

「……そっか」
「それがどうかしたの?」
「いや、ならいいんだ。うん。そうだよなあって思って」
「何かあったの……?」
「……どうして?」
「いや、ないなら良いんだけど……」
「ないよ、何も。それより――」

 何処か遠くの、見えない空間をアルベルがふと見据え始めた。なんとなくはぐらかしているように見えたのは、オレの考えすぎだろうか?

「さっきから甘い匂いがするね」
「ああ、多分……」

 続く言葉を口にするよりも前に、ガラリと扉の開く音がする。すると、レノンが顔だけ覗かせてきた。

「お兄ちゃんっ」

 オレが居るのを確認しこちらへと向かってくる様子は、どこか浮き足立っているように見えた。

「あのね、やっとクッキー焼けたの。出来立てだよ」
「ああ、だからか……いい匂いだよね」

 店の中にまで入ってきている匂いに納得しつつ、誰にいうでもなくアルベルは独り言を口にした。

「えっと、えっとね……」

 何かその他に言うことがあるようなのだが、どうにも歯切れが悪く、何故かレノンはオレの後ろに身を隠しはじめた。いや、オレはしゃがんでるし全然隠れていないのだが、きっと本人からしたら隠れているつもりなのだろう。

「おにーさんも一緒に食べませんかって、お父さん言ってたよ」

 お兄さんというのは、オレのことではなくアルベルであるというのはすぐに理解が出来た。だが、当の本人はあまりピンときていないらしい。

「……え、僕?」

 オレとレノンの視線がアルベルに向くと、まるで意外とでも言うように目を丸くした。靴を探しに来た、から始まってクッキーを食べさせられそうになるとは思っていなかったのだろう。

「……いいんじゃない? 行こうよ」
「えぇと……」

 頭をかいて少し困っているようだったが、最終的には「じゃあ、お邪魔しようかな」と言ってくれた。恐らくは、オレではなくレノンの視線に耐えられなかったのだろう。

「じゃあ行こっ! 早くしないと冷めちゃうよ」
「そ、そんなすぐには冷めないと思うけど」

 オレの手をむんずと掴んでくるレノンは、どういうわけか何だか少し嬉しそうだった。
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