34話:ニセモノとヒミツ

 もしオレが、昔のことをまるで思い出せないような全く記憶力のないの人間だったら、この時こんな行動を取ることはしなかった。知らない人物をわざわざ授業を放棄してまで追うほど、オレは暇人ではないしお人よしでもない。だったら何故教室を抜け出したのか? その答えは、余りにも単純であるために説明のしようがないものである。
 だがあえて言ってみせるのであれば、全生徒が集まる集会か何かで、オレはこの人物を見かけていた。学年が近いからなのだろうが、その時名前も知らない誰かが、その人物の悪い噂のようなものを話していたのをぼうっとしながら聞いていて、それが彼であるということを知ったのは、それからすぐ後のことだ。同じような底意地の悪い話を口にしていた数人の女子が、彼のことをチラチラと見ながら話をしていたのである。あれは恐らく、彼にも聞こえていたのではないだろうか。
 あの時、全く気にしていないような素振りを見せていた彼をこんなところに寄越したのは、一体どの連中なのだろう。いや、もしかすると連中なんて可愛いものではないのかもしれないし、それにオレも含まれているのかもしれない。それはとても心外だが……。
 この場合、恐ろしいくらいに偽善という言葉がよく似合いそうで、それがなんだが嫌だった。
 ――本当に、こういう状況じゃなければ良かったのにと、そう思う。

「……何してるの?」

 だからこそ、間に合って良かったと言うべきか、それとも関わるべきではなかったと思うべきなのか、この時はまだ分からなかった。

「そんなところにいたら危ないよ?」

 幾らなんでも、人が死ぬかもしれないという場面に出くわすなんてこの世の中はどうかしている。……いや、その気配があったからオレはついてきてしまったのかも知れない。いや、そんな超能力のようなことが出来たのなら、祥吾のことなんてとっくにオレがどうにかしていただろうから、それはあり得ない話だ。

「誰かの前でとか冗談じゃないので今日は止めます」

 目の前にいる男子生徒は、そんなことを簡単に口にした。余りにも、それが日常であるかのような口ぶりだったのだ。
 この時、その行為を本気でするつもりだったのかをちゃんと聞けばよかっただろうか?
 そんなことをしたら、余計にややこしい事態に発展してしまっていただろうか?

「オレは橋下 香。えーっと、キョウとでも呼んでよ」

 なんとなく、変な感覚になりながら。

「……で、オレはきみの名前教えて欲しいんだけど?」

 さっきまで目に映っていた物事を何も気にしていないような素振りを見せて、なにかを取り繕うかのように、オレはそんなことを言う。出来れば答えたくない、というような顔をしたまま、その彼との沈黙が続く。
 せめて本当に、ただサボった者同士の出会いだったらどれだけ良かっただろう。恐らくは誰もがこういう出会い方はしたくはないだろうが、オレは尚更、その気が強かったように思う。
 だからこそ、オレはこの事実を誰かに言うつもりはない。もしも言えるようなチャンスがあったとしても、その時が既に手遅れであるのなら、言いたい気持ちを必死に抑えてその生涯を終えてやりたい。それは流石に意地が悪いだろうか?

「……相谷 光希、です」

 何故なら、オレは最初から、この人物のことを知っていたのだ。
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